アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

殺人処方箋(その2)

2010-05-06 19:44:17 | 刑事コロンボ
(前回の続き) 

 たとえばコロンボがフレミングのところへ「担当を外されましてね」と言いにくる場面。フレミングが「約束があるのでお先に」と言うと「ゴードンさんとですか?」(フレミングはコロンボを外すようにゴードンに頼んだ)「違うよ」と言うと「ああ、じゃ女性ですか?」(共犯のジョーンを仄めかす)。いちいち絡みついてくる。

 これがもっとも強烈な形で現れるのが、後半のジョーン・ハドソンとコロンボの対決場面であることは言うまでもない。この場面を初めて見た時の衝撃はいまだに忘れられない。本作中の白眉であることは間違いないが、冷静に見ると、この場面でコロンボはまったく「推理」を披露していないし、質問すらろくにしていない。

 コロンボはまずアイスクリームを食べながら登場し、「アイスクリームはいかがですか?」などと必要以上に下手に出る。ところが二人きりになってからだんだん態度が変わってくる。鞄の中から突然サングラスが出てくる(これはジョーンが偽装工作に使ったサングラス)。
「おかしいなあ。誰かのがまぎれこんだのかなあ。おや? なんだか緊張しているようですね。サングラスを見るのは初めてですか? じゃ、ちょっとかけてみますか?」
 たじろくジョーン。「…どうしてかけなくちゃいけないんです?」
「別に理由なんてありません。でも、かけちゃいけない理由もないでしょう?」
 一言一言に絡みついてくる。ジョーンは耐えきれず、弁護士を呼びたい、と言い出す。
「いいですよ。でもよく分かりませんなあ。私がドクター・フレミングが奥さんを殺したと言ったら、あなたが弁護士を呼びたいという。これは一体どういうことか、説明してもらえますか?」
「…弁護士を呼ばせて下さい」
 もはや、まったく何も喋れなくなってしまう。そしてジョーンがフレミングのことをうっかり「レイ」と呼ぶと、またしてもコロンボの態度が急変する。もはや最初の愛想のよさはかけらもない。眼光鋭く睨みつけ、死体を見てどんな気持ちだった、お前がいなければ彼女はまだ生きていた、死体置き場に横たわることもなかった、全部お前のせいだ、とすさまじい剣幕で恫喝し、ジョーンを自我崩壊寸前にまで追い込んでいく。いやまったく、すごい迫力だ。この場面のコロンボははっきりと、後のシリーズとは別人である。

 なんとか持ちこたえたジョーンを解放する時、コロンボは彼女の背中にまたしても冷や水を浴びせる。「…これがただの始まりだってことを覚えておいた方がいい。今日あんたは頑張ったが、常に明日がある。そして次の日が、またその次の日がある。あんたは尾行され、質問され、監視される。獣のように狩られるんだ。フレミングは何もできない。遅かれ早かれ、あんたは音を上げる。私はあんたを通じてフレミングを捕らえてみせる。約束する」

 うだつの上がらない、凡庸な刑事に見えたコロンボが本性をあらわした瞬間である。ここにいるのは、犯人逮捕に異常なまでの執念を燃やす凄腕のデカだ。もともとジョーンはフレミングに利用されただけで犯行に罪悪感を抱き、悩んでいるので、コロンボの容赦ない追求が余計に残酷に見える。

 ところで本作を見て気づくのは、いわゆるミステリ的な突っ込みが意外なほど少ないということである。シリーズ作品では通常コロンボが犯人に何度も会いに行き、その都度偽装工作の矛盾点を指摘し、犯人は何とか辻褄を合わせようとする。やがて決定的なほころびが見つかってジ・エンドとなる。面白いが、パターン化している。ところが本作ではこういうミステリ的な突っ込みは荷物の重量オーバーの件ぐらいで、他の場面では例えばニセ犯人の訊問に立ち合わせて意見を聞く、精神分析を依頼する、共犯者を怒鳴り上げる、単に嫌味を言う、なんてことをやっている。要するに謎解きや推理合戦ではなく、ほとんど心理戦なのである。ポルフィーリィ判事とまったく同じだ。従って本作は純然たるミステリ作品とはいいがたい。

 従来のミステリにおいて探偵はあくまで推理力を駆使し、フェアプレイで犯人と知恵比べを行う存在だった。ところがコロンボはそうではない。推理と証拠で犯人を追いつめることができなければ、心理戦、脅し、すかし、不意打ち、だまし、何でもありである。フェアプレイどころか反則技の連発だ。まるで、犯罪者とフェアプレイなんてばからしい、おれはプロだ、どんな手を使ってでも犯罪者を挙げるのが仕事だ、と言っているかのようだ。そしてまた、証拠がなければ捕まらないはず、と考えて完全犯罪を狙う素人犯人を嘲笑っているようでもある。証拠がなくても搦め手で自白させてしまう。こんな名探偵がこれまでにいただろうか。

 ちなみにシリーズ作品でのコロンボは親しみやすく微笑ましいキャラクターにするためか、射撃がヘタで拳銃を持ち歩かない設定になっている。しかし本作におけるコロンボは、間違いなく拳銃を持ち歩いているだろう。それがプロとして当然だからだ。

(さらに次回へ続く)


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