『ジャッカル』 マイケル・ケイトン・ジョーンズ監督 ☆★
iTunesのレンタルで鑑賞。あの名作『ジャッカルの日』のリメイク、かつブルース・ウィリスが暗殺者ジャッカルを演じているというので面白そうだと思ったのだが、もう全然ダメだった。あきまへん。あの素晴らしく冴えた映画をリメイクしてこんなどんくさいB級映画を作ってしまうとは、一体どういうことなのか。不思議である。どういうわけかこの監督は、オリジナルの『ジャッカルの日』を優れた映画にしていた要素をひとつひとつ丁寧に取り除き、その代わりにハリウッド・アクション映画の紋切り型をどっさり注入することで、名作を凡作に生まれ変わらせてしまった。
具体的にひとつずつ変更点を見て行こう。まず、舞台はフランスからアメリカへ変更。殺し屋を雇うのは犯罪シンジケートで、ターゲットは大統領でなくアメリカ政府の要人。ここでひとつオリジナルになかった趣向は、ジャッカルが狙っている標的が誰か、正確なところが終盤まで分からない点。まあ、これはリメイクの新趣向として良しとしよう。
登場人物に関する重要な変更は、捜査する側をFBIだけにせず、アマチュアの助け人を付け足したこと。監獄にいたテロリスト(リチャード・ギア)である。彼は謎の凄腕殺し屋ジャッカルのことを知っている、というのでFBIに協力することになる。FBI捜査主任も名優シドニー・ポワチエなので、オリジナルを踏襲するなら別にテロリストの助け人はいらなかったと思うが、まあこれも良しとしよう。これによって、このリメイク版は殺し屋にブルース・ウィリス、捜査側にシドニー・ポワチエとリチャード・ギアと、豪華キャストを取りそろえることになった。
さて、こんな風に多少のモディフィケーションを加えてストーリー開始。大雑把な話の進行は大体オリジナルと同じで、殺し屋ジャッカルへシンジケートから依頼、ジャッカルの準備作業、並行して、その情報を入手した捜査陣の一大捜査網の模様が描かれる。ジャッカルは色んな身元を取り揃え、必要な武器を調達し、アメリカ国内に潜入し、徐々にターゲットに近づいていく、というものだ。クライマックスはもちろん暗殺現場での攻防となる。
さて、何がまずいのか。まず、オリジナルの顕著な特徴だったジャッカルの緻密な準備作業、すなわちプロの仕事の美しさがなくなった。オリジナルではいくつかのパスポートを入手・捏造する過程が丁寧に描かれ、ジャッカルが異なる外見を作り出すプロセスも髪染めを買うところからじっくり描写されたが、こちらではパスポートをひとつ盗む場面があるだけで、ブルース・ウィリスはまるで専属のメイクアップ・アーティストと衣装係を従えた映画スターのように、髪型から体形、衣装まで自由自在にとっかえひっかえして登場する。ほとんどブルース・ウィリスのコスプレ映画だ。髪型も、ハゲから短髪からロン毛(笑)まで、ブルース・ウィリス・ファンなら心ゆくまで楽しめること間違いなしだ。
武器の調達も、特別な注文で作らせるところは同じだが、出来上がったのはびっくり仰天、リモコンで操作できるでっかいガトリング銃である。これで、まるで戦車みたいに強力な弾丸の雨を降らせ、目の前のものすべてをなぎ倒してしまう。おいおい、そこまで派手にするか? オリジナルでは軽量小型の芸術的な暗殺銃だったというのに。
こうして緻密なプロフェッショナリズムを示唆する描写は一掃され、暗殺手段は雑になり、変装や兵器だけド派手になった。
次に、「ジャッカル」の身元は謎だけれども、名前だけはよく知られていることになった。シドニー・ポワチエが刑務所にリチャード・ギアに会いに行った時、彼はこともなげに言う。「ああ、あのジャッカルか」。正体不明の殺し屋のはずが、どんだけ有名やねん。
そして、このテロリストとジャッカルは過去に遺恨があることになった。つまり、二人は個人的な知り合いであり、仇敵同士だということになった。こうしてジャッカルと捜査陣の攻防はプロ同士の怜悧な対決でなく、過去の遺恨を引きずった「あの野郎、今度こそ借りを返してやる」的な復讐劇となった。ハリウッド製アクションもののパターンだなあ。こういう動機がある方が盛り上がるだろう、という計算なんだろうか。
そして驚いたのは、オリジナルでは土壇場になるまでどうしてもジャッカルを発見できなかった捜査陣が、途中であっさりジャッカルと遭遇してしまうことである。ヨットハーバーみたいなところで、リチャード・ギアがたまたまジャッカルを見つけ、「あいつだ!」と指さして銃撃戦になる。マジですか? こんなに簡単に見つかってしまうとはびっくりだ。
で、FBIはみんな駆け回るがジャッカルは車に乗って逃げ去り、捜査チームの一員であるロシアの女将校はそれを見て「くそう!」と突っ伏してしまう。ちょっと待ってよ、相手は一人で、現在地も逃走に使った車種もたった今分かったんでしょう? なのに緊急手配がかかる気配もないとは、どういうことだ。結局そのまま、ジャッカルはまたどこへともなく消え去ってしまう。FBIの組織力で、もうちょっとどうにかならないのか。
また、ジャッカルの行動もよく分からない。リチャード・ギアには過去愛した女がいて、彼女もジャッカルに遺恨があるのだが、ジャッカルは本番の殺しとは関係なくこの女を殺しに来る。なぜこんな危ない、しかも無意味なことをするのだろう。顔を知られていると言ったって、すでにリチャード・ギアに知られていて、「あいつだ!」なんて指さされているのである。クライマックス以外にも派手な銃撃シーンを入れたかった、という製作者の都合しか考えられない。おまけに、ジャッカルはここでリチャード・ギア宛てにある伝言を残す。それは彼の最終的な標的が誰かというヒントになっているのだが、なぜジャッカルがこんな親切なことをするのかは不明だ。
まあ、そんなことが他にもあれこれと続く。オリジナルでは、女スパイが捜査関係者から情報を盗み出すエピソードがあって、これも女がどう要人に近づきどう篭絡したかが丁寧に描かれるが、こちらではただ捜査陣の一人がスパイだったといきなり分かるだけで、背景や経緯はなし。クライマックスも、ガトリング銃を群集に向かってぶっ放すという驚きの暗殺計画が失敗した後、ジャッカルは駅のホームで通り魔みたいに銃をぶっ放し、通行人を人質にとってリチャード・ギアを殺そうとする。もう世の中すべての人に見られ、あらゆる監視カメラに撮影されている。これも、ハリウッドのB級アクション映画で腐るほど目にする山場パターンだが、こんなチンピラヤクザみたいな奴が超一流の殺し屋として、今まで誰にも正体を知られず仕事を成功させてきたと言われても、到底信じることはできない。
要するに、オリジナルの品格と緊張感を支えていたプロフェッショナルの仕事の丁寧さ、緻密さはなくなり、抑制はなくなり、ルポルタージュ風の硬派なリアリズムはなくなった。代わりに付け加えられのは、派手な変装、派手な銃撃シーン、登場人物間の遺恨と個人的動機、リチャード・ギアと過去の恋人とのセンチメンタルな再会シーン、などである。
そしてすべてが終わった後、FBIのシドニー・ポワチエは刑務所に戻さなくてはならないリチャード・ギアをわざと逃がす。二人は「男の友情」風ににっこり笑って別れ、リチャード・ギアは通りを歩み去っていく。うーむ、いいのかこんないい加減なことで。
iTunesのレンタルで鑑賞。あの名作『ジャッカルの日』のリメイク、かつブルース・ウィリスが暗殺者ジャッカルを演じているというので面白そうだと思ったのだが、もう全然ダメだった。あきまへん。あの素晴らしく冴えた映画をリメイクしてこんなどんくさいB級映画を作ってしまうとは、一体どういうことなのか。不思議である。どういうわけかこの監督は、オリジナルの『ジャッカルの日』を優れた映画にしていた要素をひとつひとつ丁寧に取り除き、その代わりにハリウッド・アクション映画の紋切り型をどっさり注入することで、名作を凡作に生まれ変わらせてしまった。
具体的にひとつずつ変更点を見て行こう。まず、舞台はフランスからアメリカへ変更。殺し屋を雇うのは犯罪シンジケートで、ターゲットは大統領でなくアメリカ政府の要人。ここでひとつオリジナルになかった趣向は、ジャッカルが狙っている標的が誰か、正確なところが終盤まで分からない点。まあ、これはリメイクの新趣向として良しとしよう。
登場人物に関する重要な変更は、捜査する側をFBIだけにせず、アマチュアの助け人を付け足したこと。監獄にいたテロリスト(リチャード・ギア)である。彼は謎の凄腕殺し屋ジャッカルのことを知っている、というのでFBIに協力することになる。FBI捜査主任も名優シドニー・ポワチエなので、オリジナルを踏襲するなら別にテロリストの助け人はいらなかったと思うが、まあこれも良しとしよう。これによって、このリメイク版は殺し屋にブルース・ウィリス、捜査側にシドニー・ポワチエとリチャード・ギアと、豪華キャストを取りそろえることになった。
さて、こんな風に多少のモディフィケーションを加えてストーリー開始。大雑把な話の進行は大体オリジナルと同じで、殺し屋ジャッカルへシンジケートから依頼、ジャッカルの準備作業、並行して、その情報を入手した捜査陣の一大捜査網の模様が描かれる。ジャッカルは色んな身元を取り揃え、必要な武器を調達し、アメリカ国内に潜入し、徐々にターゲットに近づいていく、というものだ。クライマックスはもちろん暗殺現場での攻防となる。
さて、何がまずいのか。まず、オリジナルの顕著な特徴だったジャッカルの緻密な準備作業、すなわちプロの仕事の美しさがなくなった。オリジナルではいくつかのパスポートを入手・捏造する過程が丁寧に描かれ、ジャッカルが異なる外見を作り出すプロセスも髪染めを買うところからじっくり描写されたが、こちらではパスポートをひとつ盗む場面があるだけで、ブルース・ウィリスはまるで専属のメイクアップ・アーティストと衣装係を従えた映画スターのように、髪型から体形、衣装まで自由自在にとっかえひっかえして登場する。ほとんどブルース・ウィリスのコスプレ映画だ。髪型も、ハゲから短髪からロン毛(笑)まで、ブルース・ウィリス・ファンなら心ゆくまで楽しめること間違いなしだ。
武器の調達も、特別な注文で作らせるところは同じだが、出来上がったのはびっくり仰天、リモコンで操作できるでっかいガトリング銃である。これで、まるで戦車みたいに強力な弾丸の雨を降らせ、目の前のものすべてをなぎ倒してしまう。おいおい、そこまで派手にするか? オリジナルでは軽量小型の芸術的な暗殺銃だったというのに。
こうして緻密なプロフェッショナリズムを示唆する描写は一掃され、暗殺手段は雑になり、変装や兵器だけド派手になった。
次に、「ジャッカル」の身元は謎だけれども、名前だけはよく知られていることになった。シドニー・ポワチエが刑務所にリチャード・ギアに会いに行った時、彼はこともなげに言う。「ああ、あのジャッカルか」。正体不明の殺し屋のはずが、どんだけ有名やねん。
そして、このテロリストとジャッカルは過去に遺恨があることになった。つまり、二人は個人的な知り合いであり、仇敵同士だということになった。こうしてジャッカルと捜査陣の攻防はプロ同士の怜悧な対決でなく、過去の遺恨を引きずった「あの野郎、今度こそ借りを返してやる」的な復讐劇となった。ハリウッド製アクションもののパターンだなあ。こういう動機がある方が盛り上がるだろう、という計算なんだろうか。
そして驚いたのは、オリジナルでは土壇場になるまでどうしてもジャッカルを発見できなかった捜査陣が、途中であっさりジャッカルと遭遇してしまうことである。ヨットハーバーみたいなところで、リチャード・ギアがたまたまジャッカルを見つけ、「あいつだ!」と指さして銃撃戦になる。マジですか? こんなに簡単に見つかってしまうとはびっくりだ。
で、FBIはみんな駆け回るがジャッカルは車に乗って逃げ去り、捜査チームの一員であるロシアの女将校はそれを見て「くそう!」と突っ伏してしまう。ちょっと待ってよ、相手は一人で、現在地も逃走に使った車種もたった今分かったんでしょう? なのに緊急手配がかかる気配もないとは、どういうことだ。結局そのまま、ジャッカルはまたどこへともなく消え去ってしまう。FBIの組織力で、もうちょっとどうにかならないのか。
また、ジャッカルの行動もよく分からない。リチャード・ギアには過去愛した女がいて、彼女もジャッカルに遺恨があるのだが、ジャッカルは本番の殺しとは関係なくこの女を殺しに来る。なぜこんな危ない、しかも無意味なことをするのだろう。顔を知られていると言ったって、すでにリチャード・ギアに知られていて、「あいつだ!」なんて指さされているのである。クライマックス以外にも派手な銃撃シーンを入れたかった、という製作者の都合しか考えられない。おまけに、ジャッカルはここでリチャード・ギア宛てにある伝言を残す。それは彼の最終的な標的が誰かというヒントになっているのだが、なぜジャッカルがこんな親切なことをするのかは不明だ。
まあ、そんなことが他にもあれこれと続く。オリジナルでは、女スパイが捜査関係者から情報を盗み出すエピソードがあって、これも女がどう要人に近づきどう篭絡したかが丁寧に描かれるが、こちらではただ捜査陣の一人がスパイだったといきなり分かるだけで、背景や経緯はなし。クライマックスも、ガトリング銃を群集に向かってぶっ放すという驚きの暗殺計画が失敗した後、ジャッカルは駅のホームで通り魔みたいに銃をぶっ放し、通行人を人質にとってリチャード・ギアを殺そうとする。もう世の中すべての人に見られ、あらゆる監視カメラに撮影されている。これも、ハリウッドのB級アクション映画で腐るほど目にする山場パターンだが、こんなチンピラヤクザみたいな奴が超一流の殺し屋として、今まで誰にも正体を知られず仕事を成功させてきたと言われても、到底信じることはできない。
要するに、オリジナルの品格と緊張感を支えていたプロフェッショナルの仕事の丁寧さ、緻密さはなくなり、抑制はなくなり、ルポルタージュ風の硬派なリアリズムはなくなった。代わりに付け加えられのは、派手な変装、派手な銃撃シーン、登場人物間の遺恨と個人的動機、リチャード・ギアと過去の恋人とのセンチメンタルな再会シーン、などである。
そしてすべてが終わった後、FBIのシドニー・ポワチエは刑務所に戻さなくてはならないリチャード・ギアをわざと逃がす。二人は「男の友情」風ににっこり笑って別れ、リチャード・ギアは通りを歩み去っていく。うーむ、いいのかこんないい加減なことで。
ところでリチャード・ギアはニューヨークでもご贔屓のソバ屋があるらしいですが、やはり日本びいきなんですね。それにしても、リチャード・ギアが来るようような日本庭園がご友人宅にあるというのもすごいです。
体育会系のテロリストリチャード.ギア 京都は世界遺産銀閣寺近く.大正昭和に活躍した日本画家造営の友人宅広大な日本庭園ががあるんですが、そこに来たらしいですよ。なんでも、彼日本びいき自邸にも茶室日本庭園を設えているそうです。私はファン!またそんなことがあったら連絡してよねと! 笑