アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

マンハッタン

2012-11-12 18:19:18 | 映画
『マンハッタン』 ウディ・アレン   ☆☆☆☆☆

 ウディ・アレンの名作を再見。私が持っているのは米国で買ったDVDだけれど、クローズト・キャプションがついていないので、最初観た時は何喋っているのかさっぱり分からなかった。特にあの冒頭のモノローグや、クライマックスシーンの有名な「人生が生きるに値する理由」のところ。アレンの喋りを字幕なしはきつい。が、何度か観返しているうちに大体分かるようになった。

 とりあえず、ニューヨークという街とその空気感をこれ以上に洒脱に、デリケートに、美しく表現した映画を他に知らない。それはモノクロの画面がニューヨーク的な光景の数々を美しく捉えているというだけでなく、この街の俗っぽく冷淡で、虚無的なくせにどこか気前の良い、いささか現実離れした街の雰囲気を見事に表現し得ているということである。マジカルな都市、ニューヨーク。そこでは42歳のおじさんと17歳の少女が恋人同士で、みんな離婚暦があり、不倫カップルが横行し、前妻があなたのセックスライフを本にして出版したりし、ついでに息子はレズビアン・カップルに育てられている。少女はロンドンに演劇の勉強に行き、台本作家はテレビ局を辞めて本を書こうとし、蛇口からは茶色の水が出る。どんなことでも起き、夢がかない、限りなく自由で、同時に限りなく不自由な街ニューヨーク。この映画の中には確かにそんなニューヨークの風が吹いている。

 そしてもちろんこの映画はニューヨーク的光景のショーケースでもあり、美しいモノクロ映像の数々には動く写真集の趣がある。ありとあらゆる場所が出てくる。カフェ、美術館、図書館、プラネタリウム、セントラル・パーク、ブルックリン・ブリッジ、ハドソン川、ダウンタウンそしてアップタウンのアパート、簡易食堂、雑貨店、テレビ局、高級デパート、公園、学校。圧巻なのは、やっぱりDVDのパッケージ写真にもなっている夜のブルックリン・ブリッジだ。パーティーのあと、意気投合したアイザックとメアリはお喋りが止まらず、犬の散歩をしながら深夜のマンハッタンを徘徊し続ける。この気軽さ、恋の始まりの高揚感。目の前には、曙光の中に浮かび上がるブルックリン・ブリッジ。何とロマンティックなシーン! そしてミスター・オクレ似のウディ・アレンがこの美しい場面の主人公として違和感なく収まってしまうのは、ニューヨークの魔法なしにはありえない。

 アレンの映画にしては洗練され過ぎていて面白くないという人もいるくらい、この映画はスタイリッシュである。映像、音楽、会話、キャラクター、ストーリーすべてにスタイルがある。こんな子供っぽい身勝手な連中の恋愛話なんて大人の映画じゃないという人もいるようだが、それは逆だと思う。子供っぽい滑稽な恋愛話を微笑みながら観れるから大人なのであって、大人っぽいかっこいい恋愛を観てうっとりするのはコドモなのである。

 実際、この映画の中の恋愛はどれも身勝手で、滑稽だ。清く正しい恋愛などない。多分、いわゆるロマンティックな恋愛ですらない。おまけにラストになっても何も進歩しない。不倫カップルが別れては戻り、それにつられて年の差カップルが別れて戻る、それだけだ。しょうもない、苦笑したくなるような恋愛である。アイザックやイエールだけでなく、メアリの行動だって充分愚かしい。一番まっとうで大人なのは、実は17歳のトレーシーである。恋愛なんてこんなもんさ、というアイロニーたっぷりで、それがこの映画が「大人の」ラブストーリーである由縁だ。

 もちろん、アレン独特のスタイルはここでも貫かれていて、とにかく異常に会話が多い。この映画はダイアローグの洪水だ。内容もユニークで、たとえば「脳はもっとも過大評価されている器官」などの警句や、ベルイマンとゴッホについての議論など、知的なくすぐりが至るところに仕掛けられている。そして有名な、「人生が生きるに値する理由」としてアイザックが独白する「グルーチョ・マルクス、ルイ・アームストロング、『感情教育』、ホルストの『木星』、そしてトレイシーの顔…」というくだりは洒落ていてかつ感動的で、アレンの脚本家としてのセンスの卓越性を示している。

 また、アイザックとイエールがメアリのことで口論する場面で、アイザックの隣に古代人の骨格が並んで立っている、なんていうギャグはアレンならではで、50年後に観ても笑えるだろうし、全体にズームアウト気味の画面は演劇的で、この映画に独特のクールなトーンを与えている。という具合に、アレンの才能が映画のあらゆる細部をコントロールしていることが分かる。言葉を変えれば、どこを切っても常套というものがない。

 その他にも、それまで大してきれいに見えなかったトレイシーが最後の場面では輝くように美しかったり。映画全体を彩る「ラプソディ・イン・ブルー」の沁み入る響きだったり。この映画の魅力は、何度観ても尽きることがない。



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