『あの頃、マリー・ローランサン』 加藤和彦 ☆☆☆☆☆
加藤和彦1983年発表のソロ・アルバム。私が加藤和彦の音楽を聴くようになったのはごく最近なのであまり詳しくないのだが、ファンの中ではこれが彼の最高傑作という人が多いようだ。有名なヨーロッパ三部作のあとに発表されたアルバムで、バックのメンバーはヨーロッパ三部作と同じくYMOの3人プラス矢野顕子が主体になっている。
私はヨーロッパ三部作の曲は一曲だけ昔聴いたことがあり、非常にデカダンスかつ耽美的な音という印象があったので、このアルバムを聴いた時はその実にナチュラルな音の響きに驚いた。ピアノ、ドラム、ベース、ギター、どれをとってもナチュラルで自然体、見事にオーセンティックな音である。特に矢野顕子のピアノがとても良い。曲調も特に暗くも重たくもなく、一曲目のタイトル・チューン「あの頃、マリー・ローランサン」のイントロなんて、まるで春風が吹きつけてくるようだ。とても心地よい。
そこに加藤和彦のあの、へなへなしたヴォーカルが乗るわけだが、これもまたヨーロッパ三部作の頃の耽美性や退廃的な香りはきれいさっぱい拭い去られ、リラックスしたヘタウマ感に溢れている。自然体である。何が斬新というわけではないが、耳に優しい。これはまあ、時代の空気もあるのかも知れない。YMOも81年の『BGM』『テクノデリック』の頃はバリバリに厚化粧していたし音も重かったが、83年の『浮気なぼくら』では春風のように明るく自然体になっている。
この心地よさはもしかすると、いや多分間違いなく、それまで時代の最先端を走っていたアーティストがことさらに最先端であろう、先鋭的であろうとする意識をサラッと脱ぎ捨てたことから来るものだろう。それまで最先端の音楽を創り出してきた人々たちであるからこそ、彼らが到達した自然体の境地は芳醇だ。素晴らしいコクがある。だからこそ、このアルバムの演奏はいくら聴いても飽きが来ない。
ちなみにWilipediaによれば、このアルバムは全員がいっせいに演奏する方式で録音され、どの曲もほぼワンテイクで完了したという。かつ、加藤和彦の歌はデモ用の仮歌がそのまま最終テイクとして採用されたらしい。
どの曲もナチュラルな音、ナチュラルなアレンジであると同時に、過剰ではない程度にノスタルジックな味があり、それはストリングスの響きだったり、アコーディオンの音だったり、あるいはオルガンだったりするのだが、その程よい匙加減もまた美しい。ガチガチに狙ってやったのではなく、彼らの血肉となっている豊富な音楽の素養が自然に滲み出したという風である。いいねえ。
一般にはしっとりした「ニューヨーク・コンフィデンシャル」あたりが人気のようだが、私はどの曲も演奏も甲乙つけがたく、またアルバム全体の空気感が素晴らしいと思う。
加藤和彦1983年発表のソロ・アルバム。私が加藤和彦の音楽を聴くようになったのはごく最近なのであまり詳しくないのだが、ファンの中ではこれが彼の最高傑作という人が多いようだ。有名なヨーロッパ三部作のあとに発表されたアルバムで、バックのメンバーはヨーロッパ三部作と同じくYMOの3人プラス矢野顕子が主体になっている。
私はヨーロッパ三部作の曲は一曲だけ昔聴いたことがあり、非常にデカダンスかつ耽美的な音という印象があったので、このアルバムを聴いた時はその実にナチュラルな音の響きに驚いた。ピアノ、ドラム、ベース、ギター、どれをとってもナチュラルで自然体、見事にオーセンティックな音である。特に矢野顕子のピアノがとても良い。曲調も特に暗くも重たくもなく、一曲目のタイトル・チューン「あの頃、マリー・ローランサン」のイントロなんて、まるで春風が吹きつけてくるようだ。とても心地よい。
そこに加藤和彦のあの、へなへなしたヴォーカルが乗るわけだが、これもまたヨーロッパ三部作の頃の耽美性や退廃的な香りはきれいさっぱい拭い去られ、リラックスしたヘタウマ感に溢れている。自然体である。何が斬新というわけではないが、耳に優しい。これはまあ、時代の空気もあるのかも知れない。YMOも81年の『BGM』『テクノデリック』の頃はバリバリに厚化粧していたし音も重かったが、83年の『浮気なぼくら』では春風のように明るく自然体になっている。
この心地よさはもしかすると、いや多分間違いなく、それまで時代の最先端を走っていたアーティストがことさらに最先端であろう、先鋭的であろうとする意識をサラッと脱ぎ捨てたことから来るものだろう。それまで最先端の音楽を創り出してきた人々たちであるからこそ、彼らが到達した自然体の境地は芳醇だ。素晴らしいコクがある。だからこそ、このアルバムの演奏はいくら聴いても飽きが来ない。
ちなみにWilipediaによれば、このアルバムは全員がいっせいに演奏する方式で録音され、どの曲もほぼワンテイクで完了したという。かつ、加藤和彦の歌はデモ用の仮歌がそのまま最終テイクとして採用されたらしい。
どの曲もナチュラルな音、ナチュラルなアレンジであると同時に、過剰ではない程度にノスタルジックな味があり、それはストリングスの響きだったり、アコーディオンの音だったり、あるいはオルガンだったりするのだが、その程よい匙加減もまた美しい。ガチガチに狙ってやったのではなく、彼らの血肉となっている豊富な音楽の素養が自然に滲み出したという風である。いいねえ。
一般にはしっとりした「ニューヨーク・コンフィデンシャル」あたりが人気のようだが、私はどの曲も演奏も甲乙つけがたく、またアルバム全体の空気感が素晴らしいと思う。