マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

『教壇』を去る日

2010年03月18日 | 身辺雑記
 10月からの非常勤講師の役割、実質的に昨日(3月17日)で終了しました。

 本音を語ると、体力的にキツイ日々でした。最終的には、私からの希望で週3日の勤務日を月・火・水の連続する3日間にして貰いました。出勤すると連続4時間の授業。”現役”の頃も、1日に連続4時間は厳しかった事を覚えています。その厳しい勤務が3日連続、60歳を遥かに超えた身には、堪えました。
 教える楽しさと、難しさを感じた初日(10月6日)の頃と比較して、難しさの方が増していました。エネルギーに満ちた中学2年生集団を相手にするには、私にはエネルギーが枯渇しかかっていたとシミジミ思います。それでも快調に授業を進められるクラスもあり、その様なクラスでは、合間に自然と冗談も飛び出し、良い循環に入り、より快調に授業が展開出来ました。が、その半面、エネルギー不足から、こちらが押され気味のクラスでは、何とか抑えつけようと”怖い顔”で臨んだのでしょう、冗談の一つも語ることなく、”静かにしなさい!”と怒鳴る事ありました。中学2年生は”可愛い”ばかりではなく、”やんちゃ盛り”でもありました。

 漸くこの役目も終え、この面でもホットしています。

”四十九日”の法要終える

2010年03月16日 | 身辺雑記

 一昨日、母の納骨式(四十九日)を菩提寺「蟠龍寺」で行いました。親類等を中心に、僅か14名の参会者で母を送りました。戒名は「君花貞香信女」。昨年、通夜の席でご住職から「君花」とは蓮の花の事と伺いました。戒名を覚える必要はないのですが、”君、花となり、ただしく香る”と覚えれば忘れないなと一人納得しています。洒脱なご住職が熟慮して考えて下さった戒名だったのかも知れません。
 そのご住職、今日は故あってお勤め叶わず、副住職様(多分ご住職の息子さん)の読教で始まりました。約50
分の後、お墓の方へ。
 
 法要を終え、目黒雅叙園へ。父母が結婚式を挙げた場所を”四十九日”の会の場所にと考えていました。父が大工だった戦前、ここの建築に関わったようでもあり、妻の両親もここで式を挙げた事を最近知り、こことは縁が深いなと感じています。
 今日も目黒雅叙園は多くの人で賑わっていました。ここに「百段階段」なるものがあり、3月3
日までは「百段雛まつり」が開催されていました。姪たちの一人が、この階段を見に行きたいと言うので、今日見学出来るか否か聞いてみました。「普段は観れないのですが、今日は”きもの展”をやっていますから”きもの展”に入場すれば見学できます」との事。でも「きもの展」の入場料は1000円と聞いて、止めました。1時半~3時まで会食。
 
 一連の法事を終え、ホットしています。


円左衛門さんからメール

2010年03月15日 | 身辺雑記
 一昨日、円左衛門さんからメールがありました。彼は落語観賞会「やねせん亭」のプロデューサー。3月10日の「やねせん亭」の折、名刺交換をしていて、私の名刺にはメールアドレスが書かれています。それが切っ掛けで来たメールだと思います。
 メール件名は「ご来場 御礼」とあり、儀礼的な挨拶かと思い、読み始めましたが、途中でトーンが変わり、次の様な文章が登場して来ました。

 <ところで、ごく最近起きましたとても残念な出来事に、やねせん亭は翻弄されておりました。しかし、これも文化を支えて下さる皆様のお力で、思った以上に早期に乗り切ることができました>
 メールにはそれ以上の詳しい内容は書かれていません。彼のブログのアドレスが文末に登場していましたので、そこから入り、詳しい内容を知りました。こちらには次の様に書かれていました。

 <3月5日16時を幾らか過ぎた時、4階でやねせん亭の打ち合わせが終わり、受付に鍵を返しにゆくと、ふれあい館の館長に呼ばれ、以下のことを伝えられました。
 「ふれあい館の表に張ってある、やねせん亭のポスターを見た人がクレームを付けた。『入場料2,000円としてある。これは、収益を目的としているので、このような公の施設にはふさわしくない』なので、私はポスターをはがした。そして、これを所管の者に上申して、違反しているという判断が出た時には、やねせん亭には当会館を使用させない」>

 これに対して円左衛門さんは、館長に対し、「やねせん亭の目的は落語という文化の継承と発展であり、収益が主たる目的ではない。使用するための、やねせん亭の書類をすでに受理しておきながら、何の手続きもしない者の意見を優先するのは、違法なのではないか」等の異議を述べますが、館長は前言を撤回しないので、彼は文書で文京区役所に問い合わせます。最終結果として、今後、主催者を「円左衛門」から「やねせん亭実行委員会」に変更すれば良いとの回答を得ました。

 文化活動をお安い値段で提供しようとするとき、考えられる方法は、一つには公共の場を利用することです。次に考えられる事は、ポスター制作・ポスター貼り等の宣伝活動を含めて、いろいろな分野でボランティアの方に応援して貰うことです。「やねせん亭」を支えるボランティア活動は軌道に乗り始めたようです。会場使用では、論理的な「異議申立」文書を区役所に提出し、何とか事なきを得ました。
 「地域に落語文化を!」との円左衛門さんの情熱はより増したようです。(”アゲアゲ芸人”で検索すると彼のブログに到達可能です)

『一澤信三郎帆布物語』を読む

2010年03月13日 | 読書

 『一澤信三郎帆布物語』(菅 聖子著 朝日新聞出版発行)を再読しました。来月の4日から出掛ける京都・奈良への旅行で再度「信三郎帆布店」に行って見ようと妻と話し、この本をもう一度読み直ししておこうと考えました。

 京都に出掛けると、妻に連れられて京都市三条にある「一澤帆布店」をよく訪れました。今はカバン屋さんです。最初の頃、私は余り気乗りしませんでしたが、何度か行くうちに男物のバックで、気に入ったものが眼に付く様になり、結局私だけでも、リュックサック的バック2つ、ショルダーバックひとつの合計3個を購入していました。

 その「一澤帆布店」で相続をめぐっての”お家騒動”が起こり、裁判で争われていると新聞で知りました。数年して、「一澤帆布店」の経営者であった「信三郎」氏側が、兄の「信太郎」氏側に敗訴し、「一澤帆布店」を出て、新たに、「信三郎帆布店」を設立したことも知るに至りました。
 この頃だったと思います。「信三郎帆布店」がどうなっているのか知りたいし、又買いたいものが展示されていれば購入しようと考えて再訪したのです。「一澤帆布店」とは道路を挟んで、向かい側に出来たこのお店、入場制限が出るほど繁盛していました。新聞記事を読んだだけの感覚ですが、苦労しながらこのお店を経営して来た「信三郎」氏側を応援したくなっていた私達は、安心し、繁盛を喜び、妻が手提げバックを一つ買って帰ってきました。
 数年後再度訪れると、「信三郎帆布店」は「一澤帆布店」の並びに店を構えていました。好奇心の強すぎる私達は、両店に行って見ました。「信三郎」店が大繁盛しているのに「一澤」店は閑古鳥が鳴く様な有様。裁判の結果はどうあれ、実質的勝負は「信三郎」店側の勝利で終わったのだなと、良かった、良かったとの想いでここを去りました。これは私達の体験談にすぎませんが・・・。

 しかし、この間の事情も含めた『一澤信三郎帆布物語』が昨年10月に出版されました。本は語ります。問題は、両者の父「信夫」が2001年(平成13年)に他界した時に遡ります。第1の遺言書は平成9年に作成され「一澤帆布店」の経営権を「信三郎」氏に譲る内容。第2の遺言書も出てきて、こちらの遺言書は、平成12年作成のもので、経営権を「信太郎」氏に認める内容。民法に規定によれば、日付けの新しい方が優先され、「信三郎」氏側が地裁に訴えでますが、高裁・最高裁で争うも「信太郎」氏側の勝訴。「信三郎」氏側は店を出ていく事になります。
 その後、「信三郎」氏の妻が再度高裁に控訴。高裁での逆転判決が出た後、最高裁で「信三郎」氏側の勝利が、最終的に確定したのでした。第2の遺言書の真贋を”偽”と認定し、第2遺言書無効の判決です。
 本書ではこれらの経過のみならず、「一澤帆布店」の5代に亘る歴史と「帆布かばん」の出来るまで、更には裁判最大の争点であった「筆跡鑑定」の現状が語られます。特に「筆跡鑑定」については興味をそそられました。これらの物語を再読しながら、筆者の訴えたかった事は「信三郎とその妻」さんの真摯な生き方と、誠実な物造りだった、と改めて思い至っています。

 
 


『長谷川等伯展』を観る

2010年03月12日 | 身辺雑記

 今日3月12日(金)、『長谷川等伯展』を観に「国立東京博物館」へ行って来ました。9時半入場開始のところを、30分前の9時には入口門に到着しましたが、既に70人ほどの列が出来ていました。昨日は15000人の入場者数とかの声が聞こえます。7日のNHK「日曜美術館」で放映された「夢の等伯 傑作10選」の影響も大きいと思います。かく言う私の背中を後押ししたのもこの番組でした。

 その番組、等伯の生涯をスケッチするとともに、彼の傑作10選を紹介し、等伯の絵の特徴をも語ってくれていました。10選の中で特に、「楓図壁貼付」、「松林図屏風」、「古木猿猴図」、「仏涅槃図」は直接鑑賞したいと思いました。「松林図屏風」は等伯の最高傑作と言うよりも、水墨画の最高傑作と言われています。

 この博物館に早めに入場する為には、前売り券が必須です。そこで勤務帰りの8日、上野駅「公園口」に、前売り券を買おうと出掛けましたが、ここは9時半からの当日券のみを扱っているとの事。勘違いをしていました。駅員さんに聞くと「JRでは、前売り券は”みどりの窓口”で扱っていますが、既に販売期間は終了しています」との事。已む無く、10日に、妻に「年間パスポート」を買って来て貰いました。4000円は高額ですが、この券で特別展だけでも6回の入場が出来ます。暇な時間が増えた昨今、この券を購入する年が増えました。

 9時35分、入場。多くの説明文は素通りし、まず「松林図屏風」の前に立ちました。墨一色で、霧の掛る松林とそのシルエット、遠方遥か雪山も描かれ、描かれてはいない”霧”が表現されていました。
 国宝「楓図壁貼付」は、楓、萩、菊等が咲く秋風景。楓は紅葉ばかりでなく、くすんだものや、まだ緑の葉等が混じっていて、色彩豊かです。緑と金箔のコントラストが鮮やかでした。
 11時少し前、会場を出ると既に長蛇の列。「入場までには1時間10分はお持ちください」との放送が流れていました。

 帰宅して、録画しておいた「傑作10選」を再度鑑賞しました。観てきた直後のビデオ、色々な事を気がつかされます。1ヵ月ほど前、「東京ケーブルテレビ会社」に連絡し、500ギガバイトのハードディスク内蔵のものに交換していました。50時間の録画が可能で、簡単にDVDへ
のコピーも可能な製品、1万円ほどで製品交換が済んでいて、気楽に録画出来ます。その記憶媒体DVDが今や1枚100円以下で購入出来、10年前と比較すると大幅なプライスダウン、有難い事と思っています。