マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

”新東京丸”に乗船し、東京港を見学

2015年06月29日 | 東京散歩

 6月25日(木)、『新東京丸で行く!東京港見学会』に参加して来た。このイベント、東京都港湾局所有の視察船「新東京丸」に乗船し、竹芝小型船ターミナルを出港、船内から東京港を見学しつつ青海に至り、徒歩で「東京みなと館」に移動し、同館を見学するというもの。所要時間は2時間半で、無料。
 このイベントは「東京都港湾振興会」が主催し、ネット上などで参加への募集要項が掲示され、ハガキやネットで参加を申込むのだが、今回の参加希望は高倍率で、何と26倍だったそうだ。







 この幸運は降って湧いたようにやってきた。とある知り合いの方がネット申し込みを繰り返し、毎回落選していたが、今回漸く当選。しかし、その方はダブルブッキングになってしまったので、密かに私に「代わりにどうぞ」、とうい訳けで、この間の事情を何全く知らない私に幸運の女神が舞い降りたという訳である。クルーズに大変興味を持っている私としては勇んで参加して来た。

 私の全く知らない世界を駆け足で覗いてきた感じで、大変興味深かったのみならず、「東京港の実態の一部を垣間見られたな」を実感するイベントだった。
 まず出発地点に到達するのが大変だった。そこは、かって行ったことのある竹芝桟橋ではなく「竹芝小型船ターミナル」なのだ。ゆりかもめ「竹芝駅」から行くとすれば日の出駅方面へ進み、とある地点を海側に曲がり、更に進んだ、奥まった一角に出港地点はある。その日私は、三田線芝公園から徒歩でターミナル港に漸く到着出来たが、その地点に到達するのが難しいからか出発定刻10時を過ぎても、定員60名のうち7名の方が未到着。船は、無情にもその7名を待つことなく、定刻10時には出港した。

 乗船した船は大型で、3階建のスマートな船だった。総トン数は197トン。一階は、中央の大型のテーブルを囲む様に椅子が配置され、窓際にも椅子席が設けられていた。その席に座り、係員の説明を聞きながら東京港内にある数々の施設を見学したのだった。詳細は次回ブログに。(写真:船内1階)


「かたりと」公演を聴く

2015年06月26日 | 銭湯

 6月19日(金)は偶然にも太宰の桜桃忌。「殿上湯」で開催された「かたりと」公演は、男女の脱衣所の仕切りを取り外し、女性の脱衣所側に舞台と観客席を、男性の脱衣所側にも観客席を設えて行われた。聴衆は40名ほど。
 今回の副題が“テルマエ太宰”とあった「語りと和楽の芸人衆」の、この日の出し物は実に変化に富んでいた。
一、津軽三味線曲弾き 小池純一郎
一、語り 「瘤取り」    府川 和枝
一、筝   演奏      山田 雅生(まさお)
一、語り 「灯篭」      北原久仁香
一、お楽しみ


   (舞台はいたって狭い空間)

  「かたりと」の公演は7・8回は聴いているが、今回の公演は今までとは異なる点が幾つもあった。一つは、語り手に布川和枝さんが加わり、彼女が司会進行役を兼ねていた。津軽三味線の小池純一郎さんが弾きの合間にトークを入れていた。3つ目は北原さんの語りが30分強と短かった。最後の「お楽しみ」では、何と三味線と筝の演奏による「歌声喫茶」になった。今までにない趣向が用意されていた。(写真:左から山田、北原、小池)


 司会の府川さんは、北原さんと二人して太宰の作品を語るに至った経緯を語った。それによれば、北区のとある酒場で女二人が盃を重ね、酔った勢いで「次回は太宰でどうか」と意気投合した結果だそうで、女二人とは、勿論北原さんと府川さん。翌朝、酔いが醒め、「太宰でいいのか!」と思ったが、決めてしまった以上やるしかないと、三鷹市の「太宰治文学サロン」などへ何度か足を運んでは太宰について調べたそうな。太宰は甲府での新婚生活の後、三鷹市下連雀の新築の借家に移り、終生の棲家とした土地が三鷹だった。

 小池さんは「津軽じょんがら節」など3曲を弾いた。その間に津軽の民謡をも弾き、北原さんが独唱した。彼女が歌うのを初めて聴いたが、声量豊かで艶のある声だった。小池さんの弾きにはいつものことながら迫力があった。合間に「殿上湯」の宣伝が入り、津軽三味線に纏わる話が続いた。この湯の近所に住んでいるらしい。となると北原さんも小池さんも北区の住民。「殿上湯」の店主原さんは、銭湯組合の北支部長でもあり、北区の繋がりで「殿上湯」でのライブが実現したものと推測している。

 府川さんの語りは初めて聴いた。題目は、太宰作『お伽草紙』より「瘤取り」。後日、ネットで「青空文庫」にある「瘤取り」を読むと、声色を二つ使い分け、地の文と会話文の表現に対応して声色を変化させていた事に気が付いた。
 山田さんは生田流筝曲師範にして語り・人形劇・芝居などにも出演している。今回演奏のなかでは、私にも馴染みのある「さくら」はリズミカルな演奏で、流れる様な速い弾きは迫力満点。筝とはこんなにも激しいものだったのか。今回は、北原さんの語りに添えるのではなく、筝曲を独立して聴かせた感じだった。 

 北原さんは、感情表現が巧みである。万引きをせざるを得なかった女性の微妙な心理を、声と表情に熱を込めて語った。今回の語りが短かった故に、他の演者の出番が長くなったのではないだろうか。

 最後のお楽しみでは、「いい湯だな」・「東京音頭」など、聴衆皆が知っている曲を、手拍子を添えての大合唱となった。終了は21時を越えていた。木戸銭1500円で都内共通入浴券付。これでペイしているのか要らぬ心配をしてしまった。兎も角楽しめた公演だった。追加公演は7月3日(金)19時から。この日は「殿上湯」の定休日。


みたび、国会前へ

2015年06月25日 | 政策

 22日夜の衆議院本会議は、国会の会期を9月27日まで95日間延長することを、与党などの賛成多数で正式に決定した。通常国会としては戦後最長の延長幅だ。政府与党の狙いは明らかである。安倍首相は「95日という最大の延長幅を取って、十分な審議時間を取って徹底的に議論していきたい」と語ったそうだが、これは“語るに落ちた”というべき発言である。安保法制に関する、首相の国会答弁を聞いていると、向けられた質問にしっかり答えられず、的外れの領域に逃げて、饒舌を繰り返すばかり。24日までの通常国会で成立がなされないならば、廃案として引っ込めるか、またはその是非を民意に問えばよい。解散し衆議院選挙に打って出ればいいのだ。

 24日に「戦争をさせない1000人委員会」などが、国会前での集会を用意していたのは当然であったろう。戦争法案(=安保法案)の行方の決着がついているか、仕切り直しが明らかになっている日なのだ。残念ながら会期は延長されてしまったが、今夜の国会包囲には、主催者発表で3万人が集結したとの事。私も16日、22日に続いて今日が3回めの参加だった。
 国会周辺は参加者で溢れかえっていた。警察の規制は一層厳しくなり、参加者は一定領域内に閉じ込められていた。権力側はデモ隊が膨れ上がるのを恐れている証と私には思えた。異常に多数の警察官があちこちにたむろしていた。澤地久枝・佐高信などの著名人の発言もあった。知り合いでは、連日座り込みに参加するA夫妻の姿があった、お二人とも声が出なくなっているという。ただただ頭が下がる。Tさんの姿もあった。

 日米安保や集団的自衛権について様々な考え方があるだろう。そこは大事な問題点であるが今は置いておこう。それを越えて、問題とされているのは憲法違反の問題である。憲法が時の内閣によって恣意的に、解釈を変えられた上での法案成立。となれば、立憲主義の、民権主義の危機に私たちは直面しているのだ。これはマズイ、将来に向けて大きな禍根を残すことになるが多くの人々の共通な思いだろう。
 今後は毎週木曜日に国会周辺での集会が予定されている。今は10人の評論家より、1人の行動者が必要とされているときだ。集会参加者が5万人を超えれば、うねりは大きく変わる。その勢いが東京新聞や朝日新聞など特定の新聞だけでなく、主要日刊紙でも報道せざるを得なくなり、紙面を飾れば、流れは大きく変わるだろう。一度で良い。是非国会周辺に足を運んで下さいと、たまにしか参加しない私が呼びかけます。


週末は殿上湯で”かたりと”のライブを聴く

2015年06月23日 | スポーツ

 先週一週間はときが慌ただしく過ぎていった。。
 
14日~15日は深谷へ出掛け、16日(火)に国会前に座り込んだ事は既に書いた。
 
16日(水)は勤務の後、「東京都美術館」に出掛け、大英博物館展を観て来た。毎月の第3水曜日は、ここも含め都立の美術館などでは、65歳以上は入館料無料。その為か、5月の該当日は入館40分待ちだったとか。この日は雨模様が幸いしてか、待ち時間ゼロ。展示は大英博物館からの、100の作品(=モノ)を通して世界の歴史をたどろうとする壮大な試み。非常に為になった。
 17日(木)には、東老連主催の、輪投げ「東京都大会決勝」が渋谷区スポーツセンターで開催された。選抜された、私たち富士前福寿会は6名が参加。結果は散々だった。私は前半3投の合計点が僅か10点。💮も初めて経験した。どう投げても入る気がしなくなった。後半は81点で、総得点91点。何とか面目を保ったが、会長夫人のみ目標達成の、他の5人は無念の涙。全体合計493点で、練習時に出した600点台に遠く及ばなかった。参加77チーム中36位。参加者の最高年齢は97歳!。地元に戻り「グラッチェ・ガーデン」で猛省会。といってもビールとワインでお疲れ様会になった。良い方向に解釈すれば、初参加で順位が中位なら上出来とも言える。(大会会場)

 18日(金)は、勤務の後、谷中に至り中央図書館谷中分室で本を借り、コシヅカハムで買い物。夜は「殿上湯」で「かたりと」のライブを聴いた。素晴らしい公演内容は次回に回し、今日は殿上湯について記しておく
 5年前まで、日曜日の朝風呂によく出かけた殿上湯は駒込駅から徒歩10分強に位置する。井戸水を使用した備長炭風呂。その特徴は、兎も角もあたたまるのだ。冬の、寒い早朝に浸かっても湯冷めしないで自宅に戻れた。その殿上湯で、6月19日(金)、「テルマエ太宰」と銘打って、「かたりと」の公演が開催されるとの連絡が来たのは4月中だったか?私がよく知っている両者のコラボレーション。その出会いも知りたかったし、何故「テルマエ太宰」の公演かも興味があり、この日の来るのを楽しみにしていた。(写真:5年前撮影の富士)







 その殿上湯、以前と違って日曜日の朝風呂は無くなっていた。風呂絵は6月14日に絵師中島によって刷新されていた。5年前に描かれていた富士と似ているが、より見事な富士の姿があった。大きく雄大な富士だ。その絵をじっくり味わいたくて、6月21日(日)に再度殿上湯を訪れた。公演に際し都内入浴券がオマケに付いていたので、早速それを活用したのだ温めの寝湯に入り、絵を眺めていると、この湯の良さがしみじみと感じられた。文京区の、100円券での風呂を利用するようになってからは、この湯を訪れなくなってしまったが、この風呂にも再三入りたいとの思いが湧いてきた。
(写真:6月19日に撮影の富士)


   (6月19日撮影の富士)
 
            (殿上湯玄関)         

 
            (天井)                             (清潔な内部)                 

 


渋沢栄一生地へ

2015年06月21日 | 

 6月15日(月)、尾高惇忠生家から渋沢栄一生地へと向かった。車で3・4分の至近距離だった。堂々たる門構えをくぐり、一歩邸内へと進むと二階建ての広大な建物が目に入って来た。前庭に建てられた栄一像の気迫あふれる若者の姿がいい。
 ここでもボランティアの方が詳しい説明をしてくれた。この地深谷では、渋沢栄一のことを、尊敬の念を込めて、栄一翁と呼ぶそうだ。今日のブログでは私も以下栄一翁と書こう。実は栄一翁が生まれたのは現存するこの家ではなく、それ以前に建てられていた家。母屋は1895(明治28)年に建て替えられ、渋沢家の住宅等として使われてきたこの家は「中の家(なかんち)」と呼ばれ、栄一翁は多忙の合間に時間をつくり、年に数回帰郷し、この屋敷でときを過ごしたそうだ。(写真:正門)




 
                   (母屋)                (栄一翁立象)

 中の家は代々農業を営んでいたが、「苗字帯刀」を許され、栄一翁の父市郎右衛門(元助)のときには、養蚕や藍玉つくりで相当の財をなしたとか。藍玉も展示されていて、説明は「今のお金で年に数億の利益を上げたと思われます」と。雑貨屋・質屋も兼ね、大変裕福だった。その経済力の為せる「中の家」の広大さ。母屋を囲むように、副屋、数個の土蔵、正門、東門が建ち、当時の養蚕農家屋敷の形をよくとどめているそうだ。
 残念ながら母屋に上がることは出来なかった。屋敷の周りを見学すると、丁度15日は風入れの為に開け放たれた土蔵があり、その蔵は盗賊からの避難の目的にも用いられたと聞いて吃驚。
 更に屋敷の外を散策し、栄一翁が青淵と号した謂れの池に至った。その当時の面影は失せているだろうが、池は現存し、傍らにそれを記念する碑が建てられ、「中の家」の背後には草原状の平地が広がっていた。

 思えば、飛鳥山にある「青淵文庫」を訪ねた時から5年の時が流れていた。


               (謂れの池)
 
             (土蔵の一つ)                        (「青淵」謂れの碑)

 帰路、上越新幹線駅付近の蔦屋書店に立ち寄った。ワンフロアーながら広大な売り場面積を持ち、品揃え豊富な「本庄早稲田支店」内には「TULLY’S COFFEE」があり、会計前の本を2冊持ち込め、自由に読めるシステムがあった。これは素晴らしい仕組みと思え、近々、代官山支店へも出向いてみたいと思考している。