マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

AbemaTV

2017年03月31日 | IT

 ”すべて無料で楽しめる”インターネットAbemaテレビが始まっている。
 多数の会員数を持つAmeba(アメーバ)を運営するサイバーエージェントとテレビ朝日が共同で、"インターネットテレビ局"として展開する動画配信事業が、2016411日(月)に開局していた。オリジナルのニュース番組や生放送番組をはじめ、アニメやドラマ、音楽、スポーツなど多彩な番組が配信され、約30チャンネルがすべて無料で提供されている。その存在を10ヶ月間知らなかった。 (写真:アベマテレビの一画面)
 
2月25日に、将棋A級順位戦最終局を初めて生放送で見て以来、何度もここを訪問している。韓流ドラマ・ゴルフ・格闘技などのチャンネルもあるが、将棋以外は見ないことにしている。
 
最近では「藤井聡太四段 炎の七番勝負」を毎週日曜日19時~2130分に、興奮しながら観戦している。
 14歳の藤井聡太君の活躍が凄い。マスコミに何度も取り上げられているからご存知の向きが多いだろうが、最年少142ヶ月で棋士デビュー。中学生でプロ入りを果たしたのは加藤一二三・谷川浩司・羽生善治・渡辺明に
続く5人目。デビュー後、現在まで10連勝中。もっと凄いのが詰将棋選手権3連覇中。それも2年間は50点満点での優勝。プロA級棋士をも超えている。(写真:7番勝負を戦う藤井聡太)

 7番勝負の第1局の相手は2016年の新人王・増田康宏四段。両者とも10代。その強敵増田に終盤に強烈な一手を指して圧勝した。
終盤の攻めが抜群と言われている。第3局の相手は斎藤慎太郎七段。今年度、B2級からB1級へ9勝1敗で昇級した精鋭。この一戦の解説者の“天才”鈴木大介九段は「終盤の受けも凄い。普通の棋士には指せない手。どうやったらこういう手が指せるのでしょうね」とうなっていた。プロなら絶対指さない手と言われる手を指して、その後解説棋士が絶賛した一手もあって、これまた快勝した。詰襟姿での対局は滅多に見られるものではなく、新鮮である。現時点で3局戦い、2勝1敗。(写真:藤井聡太四段と対戦中の斎藤慎太郎七段)
 7番勝負の最終局が4月23日(日)。対戦相手が永世名人羽生善治。天才棋士同士の一戦。若い天才棋士の活躍を長い間見てみてみたい。


天城高原は春まだ遠く

2017年03月29日 | 

 一昨日から昨日にかけて「ハーヴェストクラブ天城高原」へ行って来た。同行は元同僚のWさん(と書けば誰のことか分かる人もいるだろうが)。そのWさんから、3月初旬「近況報告」と題するメールが届いた。
 
間もなく卒業学年の担任を終えての定年退職、現任校での再任用が決まったが、新年度の分掌を聞いて愕然・茫然。再びの3年担任。定年退職後一息の休息もないままの激務の再開。定年は延長されたが勤務には担任などもありが都立校の現状とも書かれていた。フルマラソンゴール直前に、コーチからあと10キロ、と言われたようなもの。そこで、2・3日休養し英気を養える温泉を紹介して下さい、と結ばれていた。このややSOSにも思えるメールを読んで、一緒に温泉へ行こうと考えた。と書くと人助けが動機の様に受け取られるかも知れないが、そうではなくて、久ぶりに二人で旅行に出掛けようとの思いの方が強かった。百名山完登時、お祝いに「駒の湯山荘」まで駆けつけて来てくれた返礼の意味もあった。
 多分、妻以外では一番彼と過ごした時間が多いだろう。マラソン大会出場のため、皇居周回コース3周などの猛練習。その後の銭湯と軽い一杯。週に2回はやっていた。山にも一緒によく出掛けた。彼が管理職へと転出してからは激務が続き、ランニングや登山から遠ざかっていった。彼の定年退職は遊び仲間への復帰を意味していた。
 
春休み中の宿はどこも予約で一杯だった。そこでホームグランドの天城高原へ行きましょうと返信した。(写真:このホテルの売りは駿河湾・富士山・相模湾の展望)

 早川の「わらべ菜魚洞」で昼食を取り、伊東からは東海バスでホテルへ。標高を上げるにつれて雪景色に変わっていった。標高900mにあるホテル付近では前日に20cmほどの積雪。万次郎岳は冠雪が多いことが展望出来た。
 夕方には天候が回復し富士山も眺められた。
ゆったりと湯に浸かり、彼持参の吟醸酒を味わい、色々と話し込んだ。定年後即担任とは「ふざけるな」と思うだろうが、客観的には有力な人材と思われている証。直接は語らなかったが、そんな思いは伝わったろう。(写真:風呂やベランダからの展望)
 

 15歳も歳が離れているがウマが合う。博識の彼から仕入れた情報は、値段は高いがゆったり寝られる奈良への夜行バスと三重県にある榊原温泉と付近の農家民宿。私からは新設のAmebaテレビ放送と鉄道情報、などなど。
 
もう一泊する彼とは伊東の駅で別れた。積雪の為か速度を上げないバスは伊東着が10分以上の遅れ、止む無く20年振りに「踊り子号」を利用して、待ち合わせの約束時間に辛うじて間に合った。。


『盤上の夜』(著:宮内悠介 創元SF文庫)を読む(その2)

2017年03月26日 | 読書

 「人間の王」文中の“わたし”、とりも直さず著者の宮内悠介が、チェッカーの“無敗の王者”に深い関心を示した様に、私もティンズリーの生涯に興味を抱いた。“わたし”のインタビュー結果とも言えるレポートを纏めたい。(写真:チェッカーの一局面)

 1927年、ティンズリーはオハイオ州に生まれた後、ケンタッキーに引っ越し、少年期の彼は数学者を志した。
 
1941年、オハイオ大学で数学を学んでいた14歳の彼は、図書館で偶然チェッカー入門の本を読み、この本を通じてたちまちチェッカーに魅了され、1日8時間、週5日をチェッカーに費やした。成人してからもチェッカーの勉強を続け、学んだ局面全てを記憶出来たらしい。
 1947年にアメリカのジュニア・チャンピオン。
 1954年にオハイオ州のチャンピオンなどの栄冠を次々に獲得。連戦連勝し、間もなく世界チャンピオンとなる。
これ以降40年間無敗。途中で引退し12年間のブランクを経て再度チャンピオンとなり、その後16年間もタイトルを保持し続ける。人間界に彼に敵う相手はいなくなり、戦う相手が強ければ機械との対戦をも渇望することとなる。
 
1990年、チェッカーのプログラムを開発することとなるシェーファーが初めてトーナメント戦に参加。その後、人工知能の研究者シェーファーは開発に専念。
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990年、アメリカとイギリスのチェッカー連盟は、コンピューターに脅威を感じ、コンピューターの参戦を禁止。(日本将棋連盟は遅れること15年、2005年にコンピュータとの対戦禁止令を出している。現在は解除)
 1991年、上の禁止を知った64歳のティンズリーは、16年間守り続けた世界チャンピオンを返上し、”シヌーク”との対戦を希望。無敗の王者は栄冠よりも、強者との対戦を強く望んだのだ。
 1992年、シェーファーの開発した“シヌーク”とティンズリーが対戦。人間側からみて4勝2敗33引き分け。
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994年、両者は再戦。試合途中でティンズリーが病の為試合を放棄し、翌年に死亡

 彼のエピソードが幾つか紹介されている。特にシェーファーとの関係が興味を引く。
 シェーファーが初めて参加したトーナメント戦会場で挙動不審に見られた彼のところに近づいて「何かお困りですか」と声を掛けたのがティンズリーだった。イベント主催者のところまで案内してくれ、宿まで手配してくれた。優しい人柄であったらしい。
 シェーファーは研究者らしく、ティンズリーの強さを分析する為、何度もティンズリーと対戦した。ある対戦でシヌークが10手目を指したとき、ティンズリーは「それは悪手だ」と言った。プログラムの形勢判断から有利を確信していたシェーファーは、その言葉が正しいことを26手先で知ることとなる。 「第六感としか言いようのないものを持っていた」と言っていたシェーファは、この”第六感めいたもの”を、彼の並外れた記憶力にあると分析した。記憶する局面は増えて行ったから、彼は老いるほどに強くなっていった。並外れた記憶力の持ち主ティンズリー。
 
ティンズリーは引退中はフロリダ大学の数学教授として代数的整数論・組み合わせ的行列論などを教えていたことでエピソードを終えよう。
 一方、人工知能の研究者シェーファーは、2007年にチェッカーの完全解を発見。

 無敗の王者がプログラムに敗れ、しかも完全解までも発見されてしまう。この話の裏に隠されているもの・・・それは私たち皆にとっての問いなのだ。「人間の王」は”知性において、人工知能が人間を超える特異点”すなわち“シンギュラリティ―”以降を人間はどう生きるのか、という問題提起の魁だと私は思う。
 翻って日本では4月1日に電王戦が行われる。叡王戦の覇者で、将棋名人佐藤天彦対ponanza将棋電王トーナメント戦の優勝者)の第1戦。今まではコンピュター側を応援して来た私は初めて人間側応援に回る。


『盤上の夜』(著:宮内悠介 創元SF文庫)を読む(その1)

2017年03月24日 | 読書

 『盤上の夜』は5年前に第33回日本SF大賞を受賞した、宮内悠介のデビュー作品集である。6つの短編から構成され、“盤上”とは盤上遊戯すなわち卓上ゲームのことで、囲碁・チェッカー・麻雀・チェトランガ(古代インドの遊戯の一つ。将棋やチェスの起源と考えられている)・将棋が登場する。ゲームとプログラミングの関係に興味を持っていた私は、何時かは読みたいと思っていた作品で、その短編のなかで、チェッカーを題材にした「人間の王」が格別の面白かった。

 チェッカーはチェスとはルールも使用する駒も違うが、使用するボード8×8マスは同じで、日本では馴染みが薄いが、ヨーロッパでは9割の人々が遊んだ経験を持つと言われるゲームで、私は見たことはあるが遊んだことはない。ルールは幾つかあるがここでは省略。そのチェッカーに“無敗の王者”と言うべき人物が存在した。日本では無名に近いが、彼の名は、マリオン・ティンズリー。彼は1927年、アメリカはオハイオ州に生まれ、1995年に膵臓癌の為68歳で死亡。




 彼の経歴を書き始める前に、この作品の構成から綴らねばならない、と思う。
 語り手は、ジャーナリストである“わたし”。“わたし”がティンズリーにインタビューをする。それも、既に死んでしまったティンズリーを蘇らせて。即ちSF構成である。インタビューの会話文に続いて、”わたし”がインタビューを整理し、推理・推測する地の文が続く。
 “わたし”が調べた結果は、
 
ティーンズリ―は無敗ではなかったが、推定対局1万に対して3敗。まさに”人間の王”であった。
 その彼の前に、1990年のトーナメント戦でシェーファーが登場する。彼はその後チェッカーのプログラム化に取り組み、“シヌーク”を完成。
 1992年 人間ティンズリー対プログラムのシヌークが対戦。結果はティンズリーの4233引き分けで、ティンズリーの勝利に終わってはいるが、無敵の王者が機械に2敗を喫したことは重大事件であった。
 1994年再び両者は対戦。66引き分けの勝負途中で、ティンズリーは体調を崩し、試合は中断。がんが進行中で、彼は以降誰とも対戦することなく死亡。
 
2007年、シェーファーによって“完全解”が示された。
 これらの事実を知る前に、”わたし”は、「完全解が発見され、言わばチェッカーというゲームに終止符が打たれた後に、それまで無敵だった王者はその後をどう生きたのか?」との問いからティンズリーについて調べ始め、完全解が発見される以前に彼が死んでいたことを知ることとなる。問い自身、意味を持たなかったのである。

 ここからは私の文。
 ”わたし”に仮託した著者宮内はティンズリーに大変興味を覚え、愛着さえ感じたことが行間から伝わってくる。
 その内容は次回のブログに回すことにして、”完全解”について綴っておくことにすると、
 二人で対戦する卓上ゲームで、最初の一手を指す前に、先手必勝・後手必勝・引き分けのいずれかであることが分かってしまうことを”完全解”が発見された、と言っている。五目並べは先手必勝が1992年に証明された。囲碁や将棋では、人工知能が人間に勝利しているとも思われる状況だが、完全解が発見されているわけではないし、完全解など無いかも知れない。この物語のチェッカーは先手も後手も最善手を指せば引き分けに終わることが、18年間コンピュターを稼働させた後に発見された!

 


妹夫婦来る

2017年03月22日 | 身辺雑記

 321日(火)の昨日、久し振りに妹夫婦が我が家に遊びに来た。私一人で、時として妻と一緒に高島平へ出掛けることは良くあったが、二人が我が家へ来るのは久し振りのことだった。妹からはブログでの写真アップの仕方に不明の点があるので、説明してほしいと言われていた。直接会って説明した方が手っ取り早いし、今年は、例年の花見4人旅行は止めていたこともあって「我が家へおいでよ」と誘っておいた。

 お客さんが来るときは、錦糸町の「魚寅」に刺身を買いに行こうと決めていたので、早速実行に移した。駒込富士前から本郷三丁目駅前までは秋葉原行の、本郷三丁目駅前からは錦糸町行の、都バスを乗り継いで、1時間で目的地着。開店10時前に「魚寅」のマグロ売り場の前に並んだ。ここのマグロは三崎から直送される。それ故かマグロのブツ切りが100g270円と安い上に新鮮。私は、マグロ400gとタコブツを200g購入した。妻も他の何種類かの魚を購入していた。
 今回は、最近良く行く吉池の前をバスで素通りした。
帰宅は1135分で、往復2時間半。帰宅後、妻が何品か手作りし、私は山芋を料理した。有り難いことに全て完食。食後のコーヒーは私が淹れた。いやコーヒーメーカに水とコーヒ粉をセットしただけだ。


       (数年前は100g250円だった) 

 実は妹もブログを書いているが、私とは違って「Ameba」ブログ。縦長の写真をアップすると、横向きになってしまうので、どうやって解決するのが良いかと相談を受けていた。私は「goo」でのブログ作成で、縦長の写真をアップすると横向きになってしまうが、アップ後修正が可能で問題を感じていなかった。「Ameba」ブログで、私も、縦長写真をアップしてみたが、90度回転してしまい、その後の修正方法は分からなかった。
 このようなとき有効な方法が、ネット上で解決策を教えてもらうこと。”Amebaでは縦長写真をアップすると横向きになってしまう”と検索に掛け、一番分かり易そうなサイトで調べた。(下記 サイト)
 https://www.healing-solutions.jp/blog/archives/1497/
 そこで、スマホ写真などには、多くの写真情報が含まれていて、その情報によって写真が横向きになることを知った。ではその情報を無効にするには、具体的にはどうすれば良いのか?私には全く未知の世界。止む無く、色々と試行錯誤した。途中経過は省略するが、最終的には「ペイント」などのソフトを用いて、該当写真を開き、それをそのまま上書き保存すればいいことに気が付いた。「goo」でも「Ameba」でも何度か実験し、それで横向きにならない事を確信し、妹夫妻が来たときにそれを実際にやってみると無事成功。

 今日の一葉(辛夷咲く。日本医大付近で撮影)