マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

酒井抱一と江戸琳派の全貌(その1)

2011年10月31日 | 映画・美術・芝居・落語


 このところ琳派の作品を観る機会が多くあり、琳派の作品に親しみを感じるようになりました。その気持ちが、琳派の作品を再度鑑賞したいとの気持ちに繋がり、絵心の乏しい私も美術館に足を運ぶことになります。
 10月20日(木)、「酒井抱一と江戸琳派の全貌」を観に、家人と千葉市美術館に出掛けて来ました。初めて出掛ける美術館で、千葉駅からバスで5分ほどのところにありました。本八幡駅まではシルバーパスを利用し、JR区間だけ380円の交通費出費と言う費用節約をしての美術館行です。




 行く前から、この美術館の建物上の価値を聞いていました。
 美術館の入るビルのうち、1・2階のさや堂ホールは、1927年(昭和2年)に建てられたネオ・ルネサンス様式の旧川崎銀行千葉支店の建物を保存・修復したもので、現代の文化活動に対応できるスペースとして改修するため、ビルはそれを覆うように設計されています。(写真:旧川崎銀行1階内部)



 初代館長に辻惟雄
、2代目館長には小林忠と日本美術史の専門家を迎え、いわゆる「奇想の画家」を紹介する展覧会を積極的に開催しているそうです。


 (正面から見た建物)

 

 琳派。言うまでなく、俵屋宗達→尾形光琳→酒井抱一という流れがまず浮かびますが、狩野派の様にその手法が家系として連綿として継承されて来たのではなく、先達の絵画に魅せられ、謂わば”私淑”して、その結果として絵画などの手法が断続的に継承されて来ました。光琳が宗達に、抱一が光琳にそれぞれ傾倒し、その影響を受けながら、自らの世界を創り上げていったことが紹介されます。

 今回の出品総数336点(うち、抱一作品160点、鈴木其一作品60点)もの膨大な数の作品を展示するため、展示替えが2度も行われ、今回の展示では残念ながら「夏秋草図屏風」は展示されていません。抱一の「四季花鳥図巻」「月に秋草図屏風」「十二ヶ月花鳥図」や其一の「夏秋渓流図屏風」など、かって観た作品が展示されていて、旧友に会えた様な懐かしさを感じます。琳派の作品を観る度に感じるのは、その作品の色彩の豊かさです。華やかとも言えます。抱一生誕250年を記念してのこの展示。過去最大規模の展示だそうで、この機会に「夏秋草図屏風」鑑賞の為、再度ここへ出掛けたいと思っています。

 


「諏訪版物味湯産手形」を購入

2011年10月29日 | 信濃紀行

 我が山小屋は蓼科東急リゾートタウン内にありますが、そのタウン内にある温泉が鹿山の湯。その鹿山の湯に出掛けた日、壁に「諏訪版物味湯産(ものみゆさん)手形」のポスターが貼られていて、よく読むと”え~!”と驚く内容が書かれていました。
 この手形1000円で購入すると、例えばこの手形に記載された温泉18ヶ所の内、10ヶ所には1年間無料で入浴できるとのこと。その18ヶ所には上諏訪温泉・下諏訪温泉・八ヶ岳周辺の温泉などが乗っていて、どれもが有名な温泉や旅館ではありませんが、例えば横谷温泉旅館や明治温泉旅館、鉄鉱泉本館などが登場しています。
全部で10ヶ所の温泉を1000円で廻れるなら、平均して一つの温泉に100円で入浴出来る計算です。これはお値打ちと考え、購入することにしました。
 10月26日、飛騨古川からの帰りに下諏訪温泉の鉄鉱泉本館に寄り道し、この手形購入し、ここの湯に浸かりました。

 帰京する27
日にも、下諏訪温泉「旅館 奴」で利用しました。この旅館、諏訪大社下社秋宮付近で超有名な「みなとや旅館」と向かい合わせにあります。午前11時から入浴可能との事で、昼食前に入浴しました。露天風呂しか利用出来ないとのことでしたが、その露天風呂、石組に風情があり、温泉の柔らかい肌触りに大満足。帰京寸前にこの様に利用できる手形の有難さを噛みしめました。(写真:旅館奴の露天風呂)





 この手形に、主として上諏訪温泉は無料の部には登場してきませんが、13施設の内6ヶ所は半額での利用が可能とのサービスもあります。その温泉の中には「ぬのはん」や「ホテル紅や」、「ホテル鷺乃湯」など超一流旅館の上諏訪温泉が掲載されていて、こちらも機会があれば利用してみたいものです。
 ところでこの様な手形発行は温泉・旅館側にメリットはあるのだろうかと考えてしまいます。確かに温泉利用者は増え、新たな利用者の発掘には寄与するでしょうが、なかなか現金収入が増えることに結びつくとは思いません。利用者の激減した昨今の状況を少しでも活気あるものに変えようとの狙いでしょうか。それとも日帰り入浴を通して旅館の良さを味わって貰い、宿泊に繋げようとの思いでしょうか。見{物}
・{味}覚・{湯}・物{産}などにも特典も付いた”ものみゆさん”手形、その発祥の地の「南信州版」もあります。長野県は観光に相当に力を込めて動き出したとも思えます。自分が恩恵に預かるのを喜ぶだけでなく、この様な地域活性化を目指した活動が一層の効果をあげて欲しいと思います。


安房トンネルのその先へ

2011年10月28日 | 信濃紀行

 山荘の店仕舞に来た3日目の10月26日(水)は晴天との予報でしたから、予てからの予定通り、伊那にある「見晴らしの湯」へ出掛ける積りでした。が、前々日行った「かっぱの湯」で、露天風呂に浸からながらの親子連れの会話に登場してきた”上高地”の言葉から、上高地の紅葉を思い浮かべ、出掛ける場所を伊奈から上高地に変更しようと家人に話すと、意外な答えが返ってきました。上高地まで足を延ばすなら、いっそのこと安房トンネルを越えて飛騨古川へ行きたいと。
 というような経緯で、飛騨古川へ出向くことになりました。家人は4・5年前に友人とここへ出掛け、素晴らしい所だったとの感想を述べていましたが、私は初めてここを訪れます。長野県と岐阜県を繋ぐ安房トンネルを抜けたその先にある小都市くらいの知識しか持っていません。家人の話からいっかは訪れて見たいとは思っていましたが・・・。

 早朝7時半山荘出発。長野自動車道を松本で下車。ここから暫くは松本電鉄沿いの一般道を進み、新島々を過ぎてからは数多のトンネルを潜ります。上高地への道と別れるとすぐ安房トンネルです。トンネル通過時点でここまでの所要時間を調べると約2時間。この様な短時間で岐阜県に到達できるのもこの安房トンネルのお陰です。かって交通の難所と言われた安房峠をバスで越えたことがありましたが、バスの後部座席にいて、下を覗くと崖という恐怖の峠越を味わいました。その峠を越えずに岐阜県に行ける様になったこのトンネルは1997年の完成で、全長4370mあります。
 そのトンネルを僅か4分で越え、更に一般道を1時間ほぼ西に進んだ所に飛騨古川はありました。町村合併後の正式名称は飛騨市古川。岐阜県の最北端に位置し、富山県に接します。この辺では高山市に次ぐNO2の都市です。


 例によって観光案内所でパンフレット貰い、それに従って歩き始めます。歩き出してすぐ、40年前の津和野にタイムスリップした様な感じを味わいました。白壁土蔵の古い街並み。街中を流れる小川の中を泳ぐ多くの錦鯉。数十年振りに出合った風景に懐かしさを覚えながら町を散策します。見事な黄葉に古寺が映えます。
(以下の写真も全て:小川付近での撮影)










 飛騨の匠文化館にも立ち寄りました。そこには木造建築の歴史をつくってきた飛騨の匠の技と術の粋が展示されていました。私は右の写真の”知恵の輪の木組み”を買って来ました。ばらばらに解体するパズルですがまだ挑戦してはいません。(写真:購入してきたパズル)






         (匠の技)



     (飛騨の匠文化館よりの風景)

 ここを後に桃源郷温泉に向いましたが、残念なことに水曜日は閉店の日。今回の、古川での滞在時間は僅か4時間。ここ古川には一泊はしてじっくり散策したいと思いを抱きながら午後2時には古川を後にしました。この日の走行距離300Km、やや疲れました。

 


甲州から信州を巡る旅(その3 マレットゴルフ)

2011年10月24日 | スポーツ

 蓼科山登山を終えた翌日の10月18日、午前中はマレットゴルフで過ごしました。御代田の別荘から車で10分程度の距離にゴルフ場はあります。

 このマレットゴルフなるもの、世に言うゴルフと基本形では同じで、起点に置いたボールをスティックで叩き、遥か離れた目標点(=終点)のホールにボールを入れます。その過程で叩いた回数の少なさを競います。普通のゴルフと違う点はボールの大きさと、ボールを叩くものが右図のような木槌(マレットの語源)だという点です。
 



 もっともウイキペディアでは次の様に紹介されています、
 『昭和52年、福井県で誕生したスポーツ。体力をそれほど必要とせずプレイでき、またゴルフに比べ非常に安価にプレイ(1プレイ数百円程度)できることも手伝い、老若男女の生涯スポーツとして定着している』

 コースも普通のゴルフ場ほど広くはありません。河川敷のコースもあれば山岳コースもあります。利用代金も全く違います。ここ御代田のマレットゴルフ場は山岳コースにして、利用代金は無料です。地域の中高年から高齢者に利用者が多いのは、代金が無料だからでしょう。兎も角、地域の高齢者の運動場としての役割を果たしています。
 Tさん、妹夫妻、私の4人とも、自身が高齢者であるという自覚に乏しのですが、4人の平均年齢は70歳、立派な高齢者と言えます。その4人の中で、妹夫妻はこのコースで何度もプレーをしてきた経験者。私は3度目のマレットゴルフ。Tさんは初体験です。18ホール、パー72のコースを巡って妹がスコア60台で優勝。義弟が準優勝。妹が勝つのは珍しい様ですが、最近は練習の成果かこの様なことも偶にあるようです。Tさんと私は80台。私が最下位に沈みました。
 このゴルフに限らず、私は運動の反射神経が鈍いようで、スウィングを修正しなければならない、とは義弟からの厳しい指摘です。ただこのゴルフ、始めると病みつきになる魔力を秘めています。山岳コースゆえ、1ラウンド廻ってくるとかなりの高低差を上下したことになり、健康増進にも役立ちます。


 ゲーム終了し、ゴルフ場から外へ出れば、浅間山が快晴の空を背景に端正な姿を見せてくれました。
 親しい4人で巡った甲州から信州への旅、費用もあまり掛からず、楽しく終わりました。(写真:ゲーム終了後仰ぐ浅間山)






 全く話は変わりますが、一言自慢話を綴りますと、帰京した翌日のペタンク大会で我が富士前福寿会は、32チーム参加の33回大会で見事4位入賞で敢闘賞受賞。私はその中心メンバーの一人でした。
 今日から、山荘の今年の店終いに向います。帰宅は10月27日(木)、その後のブログ再開を予定しています。 
 


甲州から信州を巡る旅(その2 蓼科山)

2011年10月22日 | 山旅

 旅の二日目の10月17日(月)、朝8時過ぎ、山荘を後にして今回の主目的蓼科山(標高2530m)に向いました。八ヶ岳から北八ヶ岳へと延びる山岳群の更に北に聳える、独立蜂の蓼科山。山頂への登山口は4つ。竜源橋からのもの、女姫茶屋からのもの、五社大神から辿るもの、御泉水口(七合目)からのもの。かっての4回の入山は全て女神茶屋を起点にしていましたが、今回初めて七合目から蓼科山を目指すことにしました。この登山口の標高が一番高く、一番短時間で頂上に到達出来るコースでもあります。
 比較的快晴の中、9時20分過ぎスタート。緩やかの傾斜の道をたどります。馬返しを過ぎる辺りから傾斜がきつくなり、イシコロの多い山道をゆっくりと進みます。紅葉はちらほら。時折振り返ると、車山方面が見渡せる程度で展望が開けない山道を登り、途中一本の休憩を入れ、80分で将軍平到着。
 ここは、北八ヶ岳方面へと延びる道、前掛山へ続く道、天祥寺原へと下る道が交差する鞍部。この地点に立つと蓼科山が良く見えます。私の感では頂上まで20分程度の距離。そこで、小屋の脇に荷物を置いてピストンすることにしました。

 しかしここからの山道が一番大変でした。傾斜は一層厳しくなり、岩の多い登山路です。平日にも拘らず多くの登山者がこの辺りに集中していて、かなりの数の下山者ともすれ違います。難儀して登る事35分で漸く頂上へ。富士山は姿を見せませんが、360°の展望が開けます。近くは八ヶ岳の峰々が。遠くは槍の穂先も遠望出来ます。待ち望んでいた一瞬です。ただ頂上は風強く、かなり冷え込んで来ているので、記念撮影の後、急いで下山の途に着きました。(写真:蓼科山々頂にて。遥か後方は御嶽山)



  (八ヶ岳主峰:左赤岳、右阿弥陀岳)



    (蓼科山山頂から槍ヶ岳遠望)


 下山は登りより難儀をしました。急勾配の岩場での下山。一番楽なルートかと思って登り始めたこのコース、意外に大変でした。将軍平へは、登りと同じ35分を要しました。改めて蓼科山方面を見やると、頂上と勘違いした丘は前山で、山頂はこの後ろに隠れていました。ここで自家製おにぎりで昼食。昼食後60分で七合目まで戻ってきて本日の登山終了。ここから御代田の別荘に向いました。(写真:蓼科を去る途中、蓼科牧場付近から望む蓼科山。鞍部辺りに将軍平。手前の森林帯は少し紅葉しています)