マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

再びの百名山(会津駒ヶ岳。標高2132.6m)

2018年08月05日 | 再びの百名山

 8月1日~3日、会津駒ヶ岳に登って来た。3日間とも天候に恵まれ、気心の知れた仲間との楽しい山旅だったが、取り分け会津駒ヶ岳から中門岳へと続く尾根筋では“雲上の楽園”と呼べる風景に出合い、思い出深い山行となった。その山旅を綴っておきたい。

 1日、草野・菅原・若菜の皆さんに私を加えた4名は草野車で11時に巣鴨を出発。東北自動車道「那須IC」を経由し、途中昼食に「10割蕎麦」を食し、前沢「曲家集落」に立ち寄ったりはしたが、5時間で檜枝岐の「温泉民宿あづま」に到着。荷物を置くと直ぐに、そこから徒歩3分ほどの尾瀬檜枝岐温泉「燧の湯」へ。源泉かけ流しの湯で、緑に包まれた露天風呂は野趣に富んでいたが、多くのアブから身を守る”たたかい”も必要だった。

 2日。駐車場5:23→7:15水場7:25→8:50会津駒の小屋9:09→9:30頂上9:40→10:15中門岳10:30→11:20駒の小屋(昼食)12:20→15:20駐車場
 登山口までは国道から外れ、車で10分弱だが、ほぼ満車状態だった。標高1100mの地点から標高差で1000mの頂上を目指した。水場のあるベンチまでは樹林帯の中の急登だが、コースタイム通り1時間半で到着。そこで単独行の方に撮影してもらった写真が右。条件の良い中での登山、皆いい顔をしている。

 登山路の所々には、山頂までの距離が表示されているので歩きやすい。












 水場から道は緩やかになり、山小屋付近には木道も掛けられ、更に歩き易くなってきた。小屋には8時50分到着。この小屋トイレは有料で100円ながら山には極く稀な実に立派なトイレだった。池塘の向こうには目指す山頂。9時半には頂上到着。(写真:会津駒ヶ岳山頂で)




 そこから中門岳へは緩やかな下り。ところどころに池塘や高山植物が点在し、燧ケ岳や至仏山などの山々が見渡せた。遥かには尾瀬ヶ原も望める。中門岳とはある山の山頂を指すのではなく、大きな池の周り全体を指す様だ。尾根筋がミニ尾瀬ヶ原だ。(写真:多くの池塘が点在する)





(左が燧ケ岳、右が至仏山。その左に微かに尾瀬ヶ原)

 途中脚が攣りそうになった私は、ここで主治医お勧めの「68」を飲んだ。それを見て「私達集団の平均年齢68歳と同じだ」の声に皆大笑い。(写真:中門岳はこの辺りをいうとのこと)







 
引き返す道すがら、この稜線上に豊富に咲くハクサンコザクラを求めるハイカーに出合った。直ぐそこに群生する紫色の高山植物を指さすと、彼女たちは嬉しそうな顔となり一目散に駆け寄った。その事から、私達もその花の名をハクサンコザクラと知ったのだった。忘れ得ぬ高山花となった。






 小屋で昼食を取り、12時20分に下山開始。15時20分に駐車場に戻って来た。下山路でも少し足が辛くはあったが、殆どコースタイム通りの比較的楽な登山を終えた。
 実は私は4度目の山頂だった。1度目は多分1968年、最初の勤務校大泉高校での先輩石川さんと。2度目が塩沢の学生村からの帰路に妻と。3度目が城北高校のワンゲル部の引率。他の2回と比較して、石川さんと登った時の印象が強烈で、山頂付近の豊富な池塘に魅了された。石川さんとの登山を会津駒ヶ岳までと思ったが、その時だけは中門岳まで行ったのではなかったかと思い直している。今回同行の皆さんの感想も中門岳まで行って大正解とのこと。(写真:稜線上に群生するハクサンコザクラ)
 入浴後は夕食も含め就寝まで完登祝い。ビールは途中で購入しておいたが、ワインと日本酒と肴は各自が持参していた。私へは妹夫婦からの〆張鶴吟醸酒が届いていた。帰宅して知ったがそれは二人の金婚式へ甥が持参した3本のうちの1本で、宿宛てに送ってくれたのだった。宿の山菜料理はサンショウウオの天ぷらも出て、美味しかったが、登山後の御酒は格別に美味で、その席上来年は鳥海山に登りましょうかとまで話は進んでしまった。


聖岳目指して(その3)

2014年08月10日 | 再びの百名山

 8月3日(日)、山旅の3日目。漸く聖岳(標高3013m)登頂の日がやってきた。早朝4時20分に、標高2260mの聖平小屋を出発。本当は4時にはここを出たかったのだが、“三度寝”の為に起床がやや遅れてしまったのだ。気になる天候はと、東の空を見ると微かに明るいが、全体にはどんよりとした曇り空。山頂での佳き展望を願いつつのスタートとなった。
 まず目指したのは、小聖岳(標高2662m)。何とその途中、晴れ間が拡がりはじめ、光岳に掛かる虹が見え、その虹が2本となる瞬間をも眺め、3人で感動したのだった。更に進むと、富士山のシルエットが姿を現し、5時少し前、ご来光をも眺め拝んだ。超ラッキー。
 聖岳への最後の一本は標高差350mの登りで辛かったが、2本の虹・富士山・ご来光と、願っても叶えられない風景を見た後なので、自然と活力が漲り、一気に山頂へ。小屋からの所要時間は150分

 山頂からの展望も素晴らしかった。南には、光岳から易老岳・上河内岳を経て、ここ聖岳へと続く稜線。目を北に転じれば、特に赤石岳の山容が圧倒的な迫力で目の前にあった。20年前の、若かった(?)頃、20キロの荷を背負い、向丘高校の若手教員と登頂を果たした時よりも感激は強かった。この歳で、再びこの山頂に立てたことがことのほか嬉しかった。“百の頂に百の喜びあり”だ。


        


         (ご来光)

          (聖岳)


         (赤石岳)

 記念撮影を終えて間もなくだったと思う。突然、霧が山頂を覆い始め、展望はきかなくなってしまった。あと20分遅れていたならば、絶景を眺められなかっただろう。その幸運を感謝した。(写真:山頂での菅原さんと私)


 小屋に戻ると、雨空となり、予定していた上河内岳方面へのルートは完全に断念し、車を停めておいた便ヶ島への下山を開始した。コースタイム180分とある標高差1300メートルの下りはキツかった。体には疲労が溜まり、下りは結局6本のアルバイト。あの空中ケーブルも操作し、漸く下山を果たした。この日は上り750m、下り2000mの標高差。万歩計は45000歩を超えていた。熊倉さん曰く“この山は、滑落・落石などの危険が多々待ち伏せるアドベンチャー・ワールドだ”。正にその通り。

 帰路に落石に遭ったことは既に書いた。車中で、遠山郷にある、ペンション「かぐら山荘」の予約をし、宿着は18時20分。まだ予期せぬ展開が待っていた。
 

        (記念となる一枚の写真)
  

 


聖岳目指して(その2)

2014年08月08日 | 再びの百名山

 8月2日(土)、この日は標高1918メートルの「ハイランドしらびそ」から、車で一気に1000メートルを、遠山川まで下り、川沿いの悪路を、標高970メートルの登山口「便ヶ島(たよりがしま)」まで詰める。更にそこから、2260メートルの聖平小屋まで登り返す。車での1000メートルの下りと、徒歩での1300メートルの登り。聖岳山頂には至らないが、気力と体力を必要とされる日だった。

 午前3時50分、朝まだ暗き高原から、急カーブ連続の舗装道路を慎重に下った。私は、車の運転免許取得後、蓼科リゾート内での山道運転を繰り返してきたので、山道運転は全く苦にならない。しかし、下り切って
のからの川沿いの道は、慎重の上にも慎重な運転が求められる悪路だった。至る所に”落石注意”の看板があり、川幅4メートル弱の際は、所により絶壁。更に未舗装道にある落石を下手に踏めばタイヤパンクの恐れあり。時速20キロ以下での走行は意外に時間を要し、登山口到着は6時少し前。本当はここにある「聖光小屋」に宿泊するのがベストなのだが・・・。山小屋主人病のため小屋は今夏は営業せず。

 6時15分いよいよ登山開始。10分も行かないうちにトンネルに出会う。登山路にトンネル?普通ありえない風景。NHK番組「日本百名山聖岳」によれば、かって遠山川沿いに、木材運搬の為の「遠山森林鉄道」が建設され、昭和48年に廃線となった名残なのだ。進むこと45分で西沢渡(にしざわど)に到着。この渡し、かっては橋が架かっていたが、水害により何度となく崩壊し、現在は手漕ぎの”空中ケーブル”が造られていて、自力で向こう岸に渡らねばならなかった。これも今回初めての経験。いや~マジニ疲れた~。(写真:西沢渡のケーブル)



 西沢渡の標高が1098メートル。ここからが本格的な登り。私たちのパーティーは、”50分歩いて10分の休憩”を1本と呼んで、ここを登り切るまでに6本を予測していた。急な斜面が多く、登山道の至る所がガレ、滑落の危険があって、登り辛い。苔むした原生林は、そのまま朽ち果てた倒木が至る所で道を塞ぐ。結局6本の登りで稜線到着。最後の登りで、トレーニングを積んできた
同行のお二人でもかなりバテたようだ。私は幾らでも歩ける、一定のスローペースでの、ゆったりとした登り。その為か、あまり疲れを感じない。(写真:同行の2人)


    (原生林の中を行く)

 稜線に出てから
聖平小屋までの下りは、ニッコウキスゲ豊富なお花畑。のはずだった!しかし、鹿害によりニッコウキスゲは絶滅し、全く見られない。今回の山旅で一番がっかりした点である。
 14時小屋到着。思い起こすと、20年前に聖平小屋のキャンプ場でテントを張ったことがあった。当時小屋は
食事を出さなかったが、現在は夏期だけ食事が出る。それ故か、宿泊者が大変に多い。この日は土曜日で超満員。狭いところでの窮屈な睡眠となった。この小屋の最大の利点は水が豊富なことである。(写真:聖平小屋のテント場)
 




 (小屋周辺に微かに咲いていた高山植物。以下同じ)




聖岳目指して(その1)

2014年08月06日 | 再びの百名山

 昨夜、熊倉さん・菅原さんと私の3名で行った聖岳登山を“無事”終えて帰宅し、この5日間の山旅を思い起こしている。今までに300以上の山登りをして来たと思うが、今回初めて出会った、二つの出来事の印象は特に強烈である。一つは虹の絶景である。小聖岳付近に差し掛かった時に、光岳方面に大きな円を描く虹が眺められ、暫くすると、その虹のその外側にもう一本の虹が発生した。同時に二本の、同心円状の虹が空を彩ったのである。(写真:光岳と虹二つ)






     
 
 もう一つの出来事は、聖岳下山後の帰路、”落石注意”の狭い道を走行中に、落石に遭遇したことである。“ドスン”という大きな音が車内に響き、後刻気が付くのだが、落石が運転手側のドアを直撃していた。落石の位置が、あと10cm上ならば、サイドガラスを打ち破り、運転していた私の顔面に当たり、大事故となっていたことだろう。谷沿いの道でのこと、今思い出してもぞっとする出来事だった。強烈な印象に引きずられ、少し先走り過ぎてしまったようだ。時刻を8月1日、7時20分に戻そう。

 8月1日(金)、新宿高速バスターミナルを7時20分発の京王バスは10時35分上諏訪着。レンタカーで中央高速道を南下し飯田ICで下車。その日の宿「ハイランドしらびそ」着が14時過ぎ。実は、この「ハイランドしらびそ」は、ラジオ体操で知り合ったKさんから教えてもらった宿だ。標高1918mの高台にあり、西に中央アルプスを、東に南アルプスを望める「しらびそ高原」の一角に建つ西洋風の建物。そこから東側の、標高差1000mも下がる谷合は遠山郷と呼ばれる秘境。その向うに、南アルプスの重畳たる山並みが続く。
 この日は残念ながら雲多くして、どちらのアルプスの山頂も姿を見せては呉れなかったが、見晴台に立ち、深い谷と遠くの山並みを見つめた。”遠山郷”、初めてその名を目にした時、その文字の美しさに魅せられた。その里は遙か彼方に霞んでいた。
 この宿の良さは、展望と建物だけではなかった。地元の食材を豊富に使用した夕食は満足度高いものがあり、翌日4時にはスタートしようと、飲酒もほどほどに早めの床に就いた。(写真:「ハイランドしらびそ」のHPより)
 


金峰山へ(その2)

2014年06月18日 | 再びの百名山

 6月15日(日)、絶快晴のこの日の金峰山登山は、最近では珍しいほどの充実感に溢れた、素晴らしい山行だった。数ある山行の中でも思い出深い山旅となった。

 この山の山頂に至る上りルートは、縦走路を別にすれば、2つある。信州側からの登山路と甲州側からの登山路の二つ。甲州側すなわち、瑞牆山荘をスタート地点しての登山路は、地図を見ると危険個所とされるポイントが2ヶ所ある。最近、以前より弱気の私は、一緒に登山することとなった3人に、金峰山荘を起点とする信州側からの登山を打診してみたが、3人とも甲州側からが希望だった。そのルート選択は大正解だった。晴れた日には、登山路から見える展望が凄いのである。見渡せた山々は富士山・南アルプス・中央アルプス・御嶽山・乗鞍岳・八ヶ岳を初め、微かに北アルプスも、近くには瑞牆山の岩場も望める。
 この山の最大の特徴は岩にある。山頂直下の五丈石のみならず、登山途中で見上げた大日岩は、高さは15mほどの岩稜で、圧倒的な迫力があった。雨が降れば危険と思える岩場をも歩き抜けた。(写真:遥か遠く白銀の塩見岳)


      
(後方は白峰三山:右から北岳・間ノ岳・農鳥岳) (五丈石)

 

 一方、この時期の花はシャクナゲ。標高1800mの富士見小屋から2300mの砂払の頭にかけてシャクナゲを満喫しながらの登山となった。天城縦走では見られなかった石楠花を金峰山で見ることとなった。
 岩と石楠花と展望の良さが金峰山の三大特徴。








 この日のルートと時間を記すと
 上り 瑞牆山荘→(45分)→富士見小屋→(55分)→大日小屋→(30分)→大日岩→(40分)→砂払の頭→(75分)→金峰山  正味合計時間4時間5分
 下り 金峰山→(60分)→砂払の頭→(70分)→大日小屋→(40分)→富士見小屋→(35分)→瑞垣山荘  正味合計3時間15分

 早朝5時15分に瑞牆山荘を出発し、元の地点に戻ってきたのが16時5分。往復にほぼ11時間を費やし、歩いた歩数は35000歩。往復で推定14Km、それなりに大変な山ではあった。車でのアクセスが良いので、駐車場には多くの車が停められていて、金峰山は多くの登山客で賑わう、人気の高い山となっていた。(写真:山頂まであと僅か。目印は左上の五丈石)

 往きは、六郷の自宅から宿泊地まで、帰路もほぼその逆を一人で運転してくれた甥には感謝!感謝!。元同僚たちの甥の評価は”好青年”で、叔父さんは面目をほどこした。このメンバーでの再度の山行を計画しよう。


      (山頂での4人)


   (中央右が八ヶ岳主峰赤岳)


       (瑞牆山)


        (大日岩)