マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

『古九谷の暗号』(著:孫崎紀子 出版:現代書館)を読む

2019年03月31日 | 読書

 新聞広告で見た本の題名「古九谷の暗号」に惹かれた。特に”暗号”なる文字には直ぐ反応してしまう。文京区の図書館でいずれ購入してもらおうと、一応検索してみるといきなり本書にヒットした。今年1月29日に出版された本著は既に蔵書されていたのだ。数日前に借りてきて読み終えた。

 著者は「はじめに」で次の様に書いている。
 「表題の古九谷とは『伝世品古九谷平鉢』と呼ばれる焼物に限ります。その特徴は、独特の見事な色絵ですが、そのほとんどが肥前有田で焼かれた磁器素地の上に描かれています。加賀藩はこの素地を移入し、加賀で色絵は描かれました」と。
 当時の加賀藩々藩主前田利常が
古九谷を作らせたと考えられる。何故彼は古九谷を作らせたのか、その動機はなんだったのかと、まずは暗号ではなく、第1の謎が提出される。
 一方、宣教師のローマへの報告には「日本で活発な教会は、長崎、大村、金沢」との記録があるが、現在の金沢にキリスト教の影は全く残っていない。これは一体どういうことか?第2の謎が出される。
 それらの謎を解き明しつつ、著者は「『伝世品古九谷平鉢』には、暗号としてキリシタンマークと水の意匠が描かれている。暗号の送り手は藩主前田利常であり、受け手はキリシタンだった藩士」へと読者を誘っていく。
 
謎解きと暗号解読。推理小説を読む時に感じるワクワクした感覚で本書を読み進んでいった。

 利常の父である藩祖利家は高山右近を加賀藩に招き、加賀藩ではキリスト教の布教は手厚く保護されていた。しかし、家康のバテレン追放令により右近はマニラに追放され、兄利長が亡くった後三代目藩主となった利常は幕府側として「夏の陣」に参戦し勝利を収めた。幕府の禁教令に忠実に従い、藩内では厳しい態度で臨んでいた。
 しかし、藩内の事情は複雑だった。それまで加賀藩では、主だった藩士は右近の影響下、ほとんどすべてがキリシタンになってしまっていた。利常は表向き幕府の禁教令に従いながら、隠れ切支丹を容認していた。加賀藩全体が隠れキリシタンだった。
 キリシタンであった藩士は「夏の陣」で3200個の首を討ち取った。これは3200人の殺人。キリスト教では禁じられた行為を犯してしまった者たち。その罪を、精霊による洗礼により清め、無事神の国に入れるようにするために、利常は洗礼盤としての『伝世品古九谷平鉢』を作り、キリシタンだった藩士312名に恩賞としてこれを送った。これが第1の謎解きの答えだった。

 本著後半では、挿入絵で暗号が示されている。古九谷焼の中のキリシタンマークとして、十字・鳥と枝の交差・エルサレム十字などが挙げられている。実に多数の色絵に登場するキリシタンマーク。キリシタンでない私にもその暗号がキリシタンマークかも知れないと思え始めている。本書に登場した古九谷のひとつを右に示した。(写真:古九谷色絵鶴かるた文平鉢)。
 下は、それを45度回転した部分絵だが果たして十字に見えるだろうか?


 

 

 本書では色絵が焼かれた場所を「蓮台寺」(現在名蓮代寺)付近にあった飛び地と推理・特定していた。それが正しいかどうか関係者の検討が行われるかも知れないが、一民間人がここまで到達した執念は凄いなと思いながら本書を読み終えた。
 
 
 

 
 
 

 
 


神田川・染井霊園・吉祥寺へ

2019年03月29日 | 身辺雑記

 ”都内でもサクラ見頃”の便りに誘われて3月28(木)の昨日、あちらこちらへ桜見物に出掛けた。 
 ラジオ体操を終えて直ぐ神田川に向った。都営三田線を春日で小滝橋行のバスに乗り換え「関口一丁目」下車。そこからは徒歩5分で神田川に出る。桜は6部咲程度。川沿いを江戸川公園から江戸川橋までのんびり歩いた。気持ちの良い朝で、散歩を楽しむ人多数とすれ違った。





 途中に石碑が建てられていて、そこに山本松谷の絵『江戸川の夜桜』が登場していた(右写真)。明治時代に江戸川(今の神田川)を舟で川下りしながら夜桜を楽しむ人々を描いた絵で、現在と較べて川が浅かったことが良く分かる。昭和年代まで神田川は暴れ川で何度も氾濫も繰り返してきた。治水対策として大規模な護岸工事が行われ、川面は随分と下がり、最近では氾濫は止まった。舟での夜桜見物を羨ましいと思う反面、護岸工事はむべなるかなとも思う。



 山本松谷については、お話会で「お殿様の散歩道」を語った際に知った明治時代に活躍した画家さんで、『根岸御行松』・『駒込吉祥寺』・『団子坂の菊』・『九段坂』などの明治時代の東京名所を多数描いていた。(今思い出したが千鳥ヶ淵へ行った時にも、山本松谷の『九段坂』が説明板に登場していた。右写真は『明治東京名所図会』の表紙図に描かれた谷中天王寺)



 
 午前中「地蔵通り」に用事があり、自転車で向かう途中「染井霊園」に寄り道した。墓地のあちこちにソメイヨシノの大きな樹が植えられている。染井は”ソメイヨシノ”発祥の地と言われ、江戸時代にはこの辺一帯に多くの植木屋さんが存在していた。有名人の墓を訪ねる団体の賑やかな声やベンチで寛ぐ高齢者など、ここが墓地であることを一瞬忘れる雰囲気になる。

   

 夕方、千駄木の銭湯「ふくの湯」へ行った。そのとき必ず通るのが吉祥寺境内。鐘楼先の枝垂れは見頃を迎えていたが、参道の枝垂れはまだこれから。本堂脇の枝垂れ桜や経堂脇のソメイヨシノなど見栄えのする咲振りで、六義園に引けを取らない景観だ。
 今年は例年に比べ桜開花が早いようだ。
 (最下段に27日撮影の六義園の夜桜)



 

 
 


千鳥ヶ淵と六義園へ

2019年03月27日 | 身辺雑記

 千鳥ヶ淵には昨日行って来た。桜は4分咲き程度。六義園へは25日(月)の夜と26日(火)の早朝に。枝垂れ桜は見頃を迎えていた。

 26日(火)朝、千石で一番早い5時6分発の三田線を神保町で乗り換えると5時16分には九段下に着いた。まだ薄暗いが千鳥ヶ淵を見下ろす緑道を歩いているうちに明るくなってきた。散歩する人や撮影する人、ランナーもちらほら。桜は4分ほどで、ライトアップは3月27日~4月7日とあった。




 ここでは桜のトンネルと遠見のサクラが楽しめると昨年知ったばかり。ボート乗り場で引き返して来た。九段下6時1分発の新宿線に乗ると、ラジオ体操にはギリギリ間に合った。





    

 朝は六義園へ。8時45分には正門前に到着。既に20人~30人が入場券購入の列をなしていた。パスポートを購入しておいたが、その時になって初めてパスポートを忘れてきたことに気が付いた。大失敗!。慌て宛て自宅に戻り自転車で取って返した。8時55分頃に再度正門前にやって来ると、待ち行列は無くなっていた。・・・このことから推測するに、8時50分には門は開いたと思われる。



 枝垂れ桜は見頃で、人皆桜を遠巻きにして撮影していた。枝垂れの前に立つ人は誰もいない。私も数枚をカメラに収めた。その間2・3分か、ほぼ9時に係の人からの「ご協力有難うございました」との声で、人の流れは枝垂れ周辺へ。
 昨年は、数年前に比べると桜の勢いが少し弱くなったと感じたが、今年はそうは感じなかった。見事な枝垂れを今年も観られた。

 以下1枚は千鳥ヶ淵で撮影。その下は六義園で。最下段は夜桜。
 

 

 
 

 


 


『奇想の系譜展』を観る

2019年03月25日 | 映画・美術・芝居・落語

 3月15日(金)、都美術館で『奇想の系譜展』を見て来た。都美術館は第3水曜日ならば65歳以上は無料で、その資格は十分過ぎるほどあるのだが、この展示がNHK番組でも取り上げられ、相当な混雑が予想された。そこでその日は避けて、展示時間が延長される金曜日の夕方に訪れることにした。その結果か、多くの作品を一番前で観賞することが出来た。(入館料は大人1600円のところ65歳以上1000円)








 随分以前に読んだ、辻惟雄氏の名著『奇想の系譜』で取り上げられた画家は、岩佐又兵衛・狩野山雪・伊藤若冲・曽我蕭白・長沢芦雪・歌川国芳の6名だった。世にあまり知られていなかった絵師たちが一躍有名となったのは本作のお陰と言われている。例えば、2000(平成12
)年に京都で開催された『没後200年 若冲展』に訪れた9万人に対し、2016(平成28)年の都美術館の『生誕300年記念 若冲展』では5倍の45万人に膨れ上がっていた。





 その6人に白隠慧鶴と鈴木其一を加えての8名。白隠慧鶴以外は何度か見たことがあった。牛に引かれて善光寺参りさながら、定年後は度々美術館を訪れることとなっていた。美しいと思える作品だけでなく、面白いと感じられる作品にも出会えた。今回の展示でも以前に何度か見たことのある作品に再会した。これが嬉しいのだ。以下、私的過ぎる感想を綴ると、
 8人の中では特に若冲と又兵衛と芦雪が好きだ。それも動物の登場する大柄な絵と、絵巻物語を好んで観賞することとなる。
 若冲がトップバッターで登場し、いきなり《象と鯨図屏風》が目に飛び込んで来た。”奇想”の2文字に相応しい作品だ。この様な作品をよくぞ構想したなと思う。《乗興舟》に再会。淀川を伏見から天満橋に下る途中の岸辺の風景を描いたもので、何度か見たがその度に心なごむ。
 芦雪の《白象黒牛図屏風》もあった。白象の上の小さいカラスと黒牛の腹脇の子犬が可愛いし、大小の対比が面白い。無量寺の《虎図襖》は残念ながら登場していなかった。
 岩佐又兵衛の作品では《山中常盤物語絵巻》は”奇想”と言う以上に、普通では考えられない作品だが、今回も食い入る様に絵巻を眺めた。《洛中洛外図屏風 舟木本》と《豊国祭礼図屏風》は前期のみの展示で、これを見逃したのは返すがえすも残念だった。
 (写真は上2幅が芦雪『白象黒牛図屏風
』でその下3幅が若冲『乗興舟』)

 









 
 
 
 
 


花見の季節到来

2019年03月23日 | 身辺雑記

 3月21日(木)、東京でも開花宣言が出され、今年も花見シーズンがやって来た。河津ザクラは既に散り、オオカンザクラや陽光は散り始めているが、染井ヨシノはこれからだ。富士神社でも2分ほど咲き出した。(写真:富士神社階段脇に咲く陽光)






 今朝の散歩で播磨坂へ足を向けると、受け入れ準備は完了している様に見受けられた。サクラ祭りは3月23日(土)~4月7日(日)の16日間と長目に取ってある。提燈が飾られ、注意書きの看板も置かれていた。それによれば場所取りは「当日のみ」とあった。参加団体の数に対して場所に余裕のない会場では朝取りが原則になっている様で、神田川沿いもそうだった。今日は寒い天候だが、播磨坂には1団体のビニールシートが張られていた。この寒さの中でも宴をはるのだろうか。

    

 私の予定は、30日(土)が「源氏の会」の飛鳥山そぞろ歩きで、4月2日(火)が「元向丘」同僚の飛鳥山花見+豫園宴会。13日(土)が塩山での桃の花見。二人で何処へいくかはこれから決めるが、初めて舎人公園へ行って見ようとか思っている。私ひとりでの早朝千鳥ヶ淵は外せない。今日は午後から六義園の年間パスポートを購入に行く予定。(写真:今朝播磨坂で見たビニールシート)