マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

「花湯の森」へ

2016年03月29日 | 銭湯

 それは、マンションのエレベーター内での会話から始まった。
  「今日は温泉からの帰りです」と語る顔見知りの女性に、私は「どちらの温泉ですか」と問うと、「籠原です。素晴らしい温泉でした」との答え。籠原ならば我が妹夫妻の住む深谷の隣街ではないかと、直ぐにネット検索すると、深谷にある『花湯の森』がヒットした。この温泉の評価は非常に高く、この湯に間違いないだろうと確信し、義妹のマコちゃんに電話すると、彼女は何とそこの会員とのこと。深谷へは年に1度ほど訪れるが、その際には是非と、その温泉への案内を依頼しておいた。(写真:花湯の森の廊下)

 その日は意外に早くやって来た。325日(金)~26日(土)に掛けて一泊し、初日は「花湯の森」・「鉢形城跡」を案内してもらい、翌日には「足利学校」に足を延ばした。今日のブログは主として初日の様子を綴る。
 池袋から湘南・新宿ラインで籠原へ。特別快速に乗車し、池袋から僅か1時間5分で目的地着。こんなに短時間だったのかと驚きのスタート。待っていてくれた二人は新車だった。直ぐにスーパー「マミーマート内 魚耕」へ。この魚屋さん、お安くて、新鮮な魚を揃えている。マコちゃんはアジ9疋を捌いて貰った。これで「ミソナメロウ」を手作りするのだそうな。目が欲しい私は鯛と鰤の刺身を買添えた。(写真:魚耕の店先き)

 「花湯の森」は評判通りの日帰り温泉だった。入湯料は会員割引の恩恵を受け980円、オプションの岩盤浴はプラス100円。内風呂・2つの露天・窯湯・寝湯・サウナと、風呂は豊富で、しかも平日とあって空いている上に湯がさらさらしている。築9年のこの湯処は清潔でもあり温泉三昧。岩盤浴内での20分間の昼寝で心身ともにリフレッシュする。室内着に着替えの食事もお茶も可能な点が更に良い。(写真:内湯)
 籠原にあるホテル「花湯の森」からは送迎バスが出るとの事。件の女性が「籠原の温泉」と語った理由を納得。館内の様子は文末の写真で。

 その後、寄居町の鉢形城跡地へ。その手前で「エドヒガンザクラ」に出会った。案内人の彼らも知らない桜で、ほぼ満開。大きな木に見事な桜を咲かせていた。偶然のサクラとの出会いで気分が浮き立って来た。


 帰宅して夕食。食卓にはマコちゃん特製のミソナメロウを中心に数種類の料理が並び、石野さんは私の好きな「〆張鶴」を用意しておいてくれた。彼らのお父様と私達を交えた5人での夕食。石野家は、昭和40年代に故郷新潟をあとにし、お父さんや石野さんは都会に出て長い年月働いて来た。勤勉で寡黙な86歳の父上に私は好感を抱いていて、その夜には色々とお聞きしたくて、話題を意識的にお父さんに振った。普段より饒舌に、過去を色々と語ったお父さんも楽しそうだった。満足度いこの日、私は気持ちよく酩酊し、一番先に床に着いた。

   
             (壺湯)                          (足湯)
 

  
             (露天)                      (露天から内湯を眺める)


 
            (休息処)                                           (寝湯)



    





桜木会館から六龍鉱泉へ

2014年02月02日 | 銭湯

 「谷中コミュニティーセンター図書館」は現在建て替え中なので、台東区で借りた図書は、東京芸大付近にある「桜木会館」まで返却に行く。我が家から自転車で20分の距離にある。

 1月31日(金)の一昨日、その桜木会館へ図書の返却・受取に行き、上野高校の脇を回り込み、清水坂を下って六龍鉱泉へと回った。1月2日の谷中七福神巡りの際発見した、銭湯的鉱泉である。
 まずはこの「六龍鉱泉 黒湯」の基本データーを記すと
 住所 東京都台東区池之端3-4-20 電話 03-3812ー3826 定休日 月曜 
 営業時間 15:30~23:00 
 鉱泉の肌触りは東京の重曹泉と言う感じで、黒っぽく濁っている。(写真:六龍鉱泉正面)




 31日、16時にこの銭湯の暖簾を潜った。脱衣所から透明なガラスの向こうを覗くと、「錦帯橋」の銭湯絵。入湯者の数をざっと数えると20名余り。急いで湯船へ向かった。
 いや~、熱かった。強烈に熱かった。ぬるい方の湯温は45度、熱い方の湯温は48度。最近熱い湯に慣れている私でも、ぬるい方の湯にもいきなりは入れない。かなり水を加えて入湯した。浸かっている人に「いつでもこんなに熱いんですか」と尋ねると、「いや私もここ初めてです」との返事。皆風呂に入るよりも、湯船に腰かけて話し込んでいる。それとなく聞いていると、皆異口同音に「こんな熱い湯はここが初めて」と語っている。7人くらいで来ている団体もある。(写真:銭湯絵は珍しい錦帯橋)



 ぬるい方の湯に慣れてきたので、48度の方に挑戦した。足を下の方に近づけると火傷をした様な感じで「あっっ」と言って飛び出すと周りから笑われた。一旦はここに入るのを諦めかけたが、ここで止めては”ヒトがすたる”と敢えて再チャレンジ。静かに、ゆっくりと体を沈め、足は下に着けず宙ぶらりんにして入湯。60まで数えて慌てて外に出た。入った人は私ただ一人。
 その後、45度の方の湯に浸かると、これが非常にぬるく感じるから不思議なものである。ここを去るとき番台の女将に「48度の方に入り、体、芯から温まりましたよ」と語ると「え、熱い方に入ったんですか!」と驚かれた。その言い草はないだろうとひとりごちた。

 脱衣所に2種類の看板あり。一枚は衛生試験所の検査書。それを見ると「東京市衛生試験所 昭和6年」の検査とある。もう一枚は「主治効能」書き。ヒステリーなどにも効くそうで、22個の効能が書かれいる。歴史と風情が感じられ、人気の高いここの銭湯、450円払っても、もう一度は訪れたい。(写真:試験検査署)

 





        (主治効能書)


    (湯船中央に、湯攪拌棒)


さよなら『おとめ湯』

2013年07月01日 | 銭湯

 文京区の銭湯の灯がまたひとつ消えた。
 千石の「おとめ湯」が、昨日の6月30日をもって、創業以来60年続けて来た営業を終えたのだ。建物と煙突の老朽化がその原因と、貼り紙には書かれていた。2年前まで11あった文京区の銭湯は、3・11大地震時に煙突が壊れ、根津神社すぐそばにあった「山の湯」が店を閉じて10に減少。昨日で遂に9となってしまった。文京区に限らず、都内の銭湯も同じように減少一途の運命を辿っている。銭湯を愛するものの一人として、非常に残念なことだ。






 「おとめ湯」は、男湯・女湯の仕切りに、岩石を主役とした植え込みがあり、浴室から、水槽を泳ぐ鯉が眺められた。又湯から出た一画に休憩出来るスペースがあり、親子連れが寛ぐ様子や、軽く一杯引っかける人の姿も見られ、入浴+アルファーが楽しめる湯として人気が高かった。”神田川”に歌われたように、”いつも私が待たされた 洗い髪がしんまで冷えて 小さな石鹸カタカタ鳴”るようなことは起こらなかったはずだ。私は3ヵ月に一度ほどの割合で、独りでここに通っていた。(写真:男湯・女湯の仕切り)






 既に3ヵ月以上前から、6月30日をもって閉店との貼り紙が出され、最終日には必ず入湯しようと決めていた。この日の入浴料金はなんと75円。昭和49年5月の料金表が掲示され、今日はその当時の料金で入れるというサービス。嬉しい気分になり、足を一歩脱衣所に入れると、大勢の入湯者が目に入った。ざっと数えると30名はいるだろうか。









 ここの”薬湯”も気に入っている。温度は42度位で長湯には最適の温度だ。湯船に腰かけ銭湯談義をする二人の話に耳を傾けると「この辺りの銭湯密度は日本一、いや世界一」と語る人あり。私「本当ですか」と尋ねると、「ここの隣の宮下湯(豊島区)で、銭湯組合の方から聞いた話です」とのこと。正確な話か否か確かめようもないが、何故か頷ける話だ。(写真:薬湯)
 銭湯去り際に「長い事お疲れ様」と声をかける人多し。私も番台に一声かけて「おとめ湯」を後にした。






東京ドーム温泉『Spa LaQua』へ

2013年06月28日 | 銭湯

 我が家から徒歩25分以内の距離に、少なくも2つ温泉がある。一つは、かの北島康介を生んだ東京スイミングクラブに隣接する東京染井温泉「Sakura」。開店して8周年目を迎えている。宣伝文句は『地下1800mから湧出した温泉は、東京ではめずらしく無色透明。約1000万年前の地層から、天然のミネラルをたっぷり含んで浴槽に注がれると琥珀色に輝く』とあり、岩盤浴が可能。ここへは2度入浴した。
 もう一つが東京ドーム温泉「Spa LaQua」。こちらの宣伝文句は『地下1700mにある約400万年前の新生代第3世紀上総層から湧き出している天然温泉で、化石海水といわ、約3万年以上前の氷河期の海水が地中に閉じ込められたもの』とある。数十年前なら、こんなところに温泉が湧出するとは考えられなかったが、現在は掘削技術の進歩で、地下深くまで掘ったり、温泉の定義が緩やかになった為、温泉が都心にも登場する。
 どちらの温泉も、文京区民であることを有効に活用すると、お安く入れる仕組みがある。 

 6月24日(月)に出掛けたのが「Spa LaQua」で、3ヵ月に一度の割合でここにやって来る。塩分の割合が非常に高いため、保温効果が高いらしい。温泉そのものは、内湯に熱めの湯・温めの湯の2つ、サウナ2つ、水風呂2つ、それにジャグジー。露天にも温度差のある湯が二つ。温泉好きな私は、色々の湯に入れて満足度が高い温泉だ。
 勝浦で水風呂に入りだした影響があると思うが、冷水と熱めの湯に交互に入る「温冷交互浴」を真似し始めている。冷水は入る時は非常に冷たく感じるが、暫く経つと冷たさを感じなくなり、気持が良い。熱めの湯も銭湯の熱さに慣れた身体には熱さは殆どなんでもない。この「温冷交互浴は昔から健康法の一つとして知られ、そ
の効用としては、抹消血管が拡張し、血行がよくなるため、乳酸などの疲労物質他老廃物を排出しやすくなり、疲労回復に大きな効果があるとか。基礎代謝のアップやダイエット効果もあると言われているが、その点を信じるより、気持ち良い入浴法と感じ、銭湯でもたまに試みている。

 「Laqua」には昼寝にはもってこいのリラクゼイションルームやレストランなどもあるのだが、そちらは眺めるにとどめ。24日は余り長居せず、1時間半の入浴で帰って来た。




銭湯『月の湯』へ

2013年02月13日 | 銭湯

 銭湯の減少傾向に歯止めがかからないらしい。文京区に限っても、2年前まで11あった公衆浴場組合加盟の銭湯のうち、3・11の大地震で煙突が破損した、根津神社そばの「山の湯」は廃業し、今年中に「おとめ湯」も廃業との噂が流れている。
 現在100円入浴可能な、文京の銭湯は10ヶ所あるが、9ヶ所は既に入湯していた。いまだ訪れていない銭湯は1ヶ所で、目白台にある「月の湯」である。ここの湯が、2月1日の東京新聞に「ケロリン桶 50周年」と題して紹介されていたのをきっかけに、未だ行っていない最後の湯に浸かろうと、2月12日(火)に、中学勤務の帰り、JR目白駅へ向かった。(写真:月の湯入口)

 その時、豊島区の「のぞき坂(胸突坂)」や文京区の「幽霊坂」をも併せ探索しようと思い立った。どちらも関口台地から神田川方向へ下る坂。特に「のぞき坂」は1月14日(月)の大雪の翌日、テレビに登場していたそうで、”東京で一番の急坂”と言われている坂である。この日は
 目白駅⇒のぞき坂⇒日無坂⇒小布施坂⇒幽霊坂⇒胸突坂⇒月の湯⇒江戸川橋 と巡った。

 「月の湯」は昔ながらの銭湯だった。番台があり、脱衣した衣類は竹駕籠へ。番台に座る年配のご婦人と話し込んだ。東京新聞だけでなく、2月上旬には朝日テレビにも登場したとか。週のうち、火・木・日の3日間のみの営業は「私が勤務出来る日がその日だけなの」とか。周りにあった幾つかの銭湯も消えていったと寂しそうに語った。
 板の間の天井が非常に高い。銭湯内部の壁絵はやはり富士山だが、中島盛夫の絵ではない(彼も2月10日の3チャンネルテレビ”課外授業”で教師として登場していた)。それは一目で分かる。湯には薬湯など特別な工夫はなされていないが、41・2度の湯は非常に心地良く、長湯をしてしまった。この数年、銭湯に通ううちに、だんだん高い温度の湯に慣れて来ているような気がする。
 建物の外観も、銭湯内部もレトロな雰囲気濃厚で、昭和30年代にタイムスリップしたような気分だ。(写真:由緒ありそうな高い天井)




       (写真:壁絵の富士山)

 月の湯が東京新聞に登場したのは黄色い「ケロリン桶」の故。その新聞記事を要約すると、
 『銭湯の創業は1933年(昭和8年)で、都内では現存最古級の湯。誕生当時から「ケロリン桶」を使用。プラスチックだから木桶に比べ丈夫で衛生管理も楽な上に、広告媒体なので”ただ”。いいことずくめの桶、と店主山田義雄さんは笑った』とある。
 そういえば、他の風呂屋さんでもこの桶を見たことがあったが特に意識したことは無かった。1963年に富山市「内外薬品」が鎮痛剤・ケロリンの広告用に作ったそうだ。記事は後半、そのケロリン桶の栄枯盛衰物語となり、これこれで面白いのだが、ここでは省略。(写真:ケロリン桶)

 「湯ざめしないようにネ」との、番台さんの暖かい言葉に送られて月の湯を辞した。これで文京区10の銭湯全てに”完湯”したことになった。