マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

『「弥生時代」の発見』(著:石川日出志)を読む(その2)

2023年04月30日 | 考古学

 1884(明治17)年3月、東京大学の裏手向ヶ岡弥生町で出土したひとっの壺から「弥生式土器」、「弥生時代」という名前が誕生する。本書では名称誕生の過程が書かれていた。
 発見者の1人有坂鉊蔵から向ヶ岡で発見された壺を託された坪井正五郎は、『東洋学芸雑誌』に「帝国大学の隣地に貝塚の跟跡有リ」と題する報告を行い、それから3年経った1892年には、現・西ヶ原貝塚を発掘調査した。その際に、多数出土した、縄文土器とは異なる土器の一群を発見し、それらは向ヶ岡弥生町の貝塚から出土した土器と類似するという認識が生まれ、東京大学人類学教室の面々の間で「弥生式」という愛称が用いられるようになった。(写真:1884年向ヶ岡貝塚で発見された壺)

 更には、1896年になって、在野の考古学研究者の蒔田鎗次郎(まいだ そうじろう)が駒込の自宅で発掘した土器を精密に調査記録し、分析成果を『東京人類学会雑誌』に「弥生式土器(貝塚土器二似テ薄手ノモノ)発見二付イテ」の論文として発表し、「弥生式土器」という用語を初めて活字にした。それ以降、弥生式土器(現在名は弥生土器)の名称が学術用語として定着した。
 やがて弥生式土器の類例は多くの場所で知られるところとなり、後に弥生式土器が使われたのは縄文時代と古墳時代の間をつなぐ期間を占めることが明らかになって、「弥生時代」の発見に繋がっていった。本書には「弥生時代」の発見は蒔田鎗次郎に負うところが大きいと書かれている。
 
 
 


『「弥生時代」の発見』(著:石川日出志)を読む(その1)

2023年04月25日 | 考古学

 弥生土器「第1号」出土場所を「異人坂」の、坂が分岐するあたりを有力視する明治大学教授石川日出志氏の著作に『「弥生時代」の発見』があることを朝日新聞記事で知り、早速図書館から借りてきた。本著は新泉社刊行の「シリーズ“遺跡を学ぶ”」の一冊で、多くの写真や図が挿入されていて、初心者にも分かりやすく書かれていた。
 石川氏は「「弥生式土器第1号」が発見された地点は、現在特定できない状態にあり、諸氏により5ヶ所の候補地があげられているが、中でも異人坂分岐点を有力視する理由を次のように述べている。
 発見者の一人坪井正五郎が土器発見から5年後に『東洋学芸雑誌』に発表した報告書に坪井自身が描いた発見現場(向ヶ岡貝塚)のスケッチが載り、そのスケッチ図と「崖に面した場所」という証言と、異人坂付近の地形がよく一致する。他の候補地は崖から離れすぎているとの難点があるという。(下図はそのスケッチ図)

 私などが異人坂分岐点に立って、スケッチ図と見比べても、100年以上の時の隔たりもあり、同じとは想像できないが、石川氏は「向ヶ岡貝塚ヨリ上野公園ヲ望ム景」と説明文の付されたスケッチ図をこう説明している。「人物の足元の点々は貝塚であろう。人物後方の高まりは現在も残り、貝塚の位置を復元できる」と。
 
 それでもなお発見地点が曖昧となるのは発見時の当事者である坪井と有坂の証言の曖昧さからくると断言している。出土地点論考の最後に、「向ヶ岡弥生町遺跡を「弥生式土器第1号発見現場」発見地点や貝塚に限定するのではなく、集落遺跡として押さえることがいっそう重要なことであろう」とまとめている。


弥生土器「第1号」出土場所の謎

2023年04月21日 | 考古学

 もう半年以上も前のことになってしまったが、その頃朝日新聞をとっていなかった私に、中学校時代からの友人馬場さんから9月26日の夕刊の切り抜き記事が郵送されてきた。“まちの記憶”と題する連載ものらしく、今回のテーマは『弥生かいわい』で、「土器も まなざしも 漂うロマン」と書かれていた。この近辺をよく散策する私へ、面白いことが書かれていますよ、と知らせてくれたのだった。記事では弥生式土器の出土場所の謎以外に、「弥生美術館」や甘味処「芋甚」なども登場してくるが、弥生式土器に関する部分が特に興味を引いた。
 出土の模様については多くの方の知るところとは思うが、概略を記しておこう。
 1884年(明治17)年3月、大学予備門生の有坂鉊蔵は、東京大学生坪井正五郎、井上光太郎と共に、東大裏手にあった向ケ丘弥生町の貝塚で、表面に文様のついた、ほぼ完全な赤い土器を見つけた。後に弥生式土器と呼ばれる「第1号」発見の場面だ。

 その後、各地で類似の土器が見つかり、縄文土器とは明らかに異なる特徴があり、使われた年代もより新しいことから、これらの土器は、発見された地名にちなんで弥生式土器(現在は「弥生土器」)、土器が使われた時代を「弥生時代」と呼ぶようになった。土器出土の地名の弥生から「弥生時代」が導かれたのだった。
 ところがである。土器の正確な出土場所が分からなくなってしまっているそうな。その候補地の5つの中でも特に東大工学部敷地内にある「弥生二丁目遺跡」の可能性が高いとされているが、明大石川日出志教授などは「異人坂」途中の、坂が二つに分岐するあたりを有力視している、と書かれていた。(写真:異人坂。坂がVターンしている箇所)


 かって、何度も「異人坂」を上り下りした私は、記事を読んだ次の日の朝、有力視される現場地点を自分の目で確かめたくて、ラジオ体操終了後に異人坂を訪れた。バスを根津駅前で下車し、不忍通りを渡り、上野台地を背にして、本郷台地目指し坂を上り始める。縄文海進の頃はこの坂のどこかまでに海面は上昇して来ていただろうなと想像しながら上った。途中から坂はVターン(Uターンではない)し、根津方向へと戻るように分岐する地点に達した。そのターン場所が有力視されている場所で、本郷台地中ほどの高さにあった。


朝食には野菜をたっぷり召し上がれ

2023年04月16日 | 調理

 一人で暮らすようになって一番大変なのは三食の食事の準備だ。スーパーからお弁当を買ってきたり、外食にしたりすることはあるが、毎日の食事は出来るだけ自分で調理したいと思っている。食事を何にしようか考えることから始まり、その為に必要な食材を考え、それを購入して来る。漸くそこから調理が始まるのだが、兎も角大変だ。これを世の主婦(時に主夫)さんは毎日・毎食やっている訳だし、亡き妻さんも元気な日々はやっていた。遅まきながら、大変だったろうなと思い至る。私とは頻繁にメール交換をしたり、身近に接する機会の多い義妹や妹は、私が食事準備で息が切れそうになっていると感じたのだろうか、助け舟を出してくれた。2人とも我が家にやってきて、朝食に野菜を摂る上で貴重なアドバイスや実演をしてくれたのだ。
 深谷に住む義妹のマコちゃんが夫さん共々、遥々我が家までやって来て、簡単な野菜料理の実習をしてくれたのは、昨年12月の22日だった。この日は持参した人参とブロッコリー、アスパラガス菜を茹で、皿に盛ってくれた。茹でた後タッパーに入れ、冷蔵庫に保管して置き、朝食の時に皿に盛って、ドレッシングをかけて食べると良いとのことだった。あれから3ヶ月、あまり好きではなかった人参が今では甘く感じられるようになった。(写真:人参やブロッコリーを茹でたもの)






 妹がやってきた3月6日(月)、電子レンジ調理器「温野菜」持参だった。この調理器は二重構造になっていて、下段に大さじ2杯の水を入れ、上段に人参・ブロッコリー・白菜などの野菜を入れ、蓋をして電子レンジ(600Wで4分弱)で温める。野菜はほぼ何でもよく、ウインナーやベーコンを入れることもある。出来上がりは湯気が出ていて食欲をそそる。

 こちらの方法とマコちゃんから教えて貰った方法を交互にやっている。どちらにしても、野菜が美味しく、沢山食べられて非常に心地よい。どちらの方法も、妹たちからの「お兄ちゃん、朝食には野菜をたっぷり召し上がれ」のメッセージを感じ取っている。


オトコの料理教室へ

2023年04月12日 | 闘い

 富士前福寿会の冨田さんから「川口さん!今度オトコの料理教室で修業しませんか」とのメールが届いたのは3月10日のことだった。炊事に難儀していた私は、これは励ましを兼ねた有難いお誘いだと感じ、直ぐに「お願いします」と返信した。その時から丁度1ヶ月後の4月10日(月)に今年度第1回目の例会が「アカデミー向丘」で開かれ、私は期待を込めて参加して来たのだった。その感想は一言で表すならば「参加出来てすごく良かった」である。
 「オトコの料理教室」とは世間向けの呼び名なのだろう。文高連の一組織「味わいクラブ」が正しい名称で会員数は25名ほどか。調理を主目的とした、全員が男子のクラブだ。既に富士前福寿会に所属している私は準会員として迎え入れて頂いた。実は5年ほど前に行われた『文高連創立50周年記念祝賀会』の時に「味わいクラブ」の方々とは同じテーブルを囲むという御縁があった。
 さて当日、参加者14名は全員がエプロンをかけ、頭に三角巾を被って4つの調理台の周りに立った。程なく講師の先生からお声がかかり、メイン調理台の前に集合。レシピが渡された。そこにはこの日に調理する料理が3つ書かれていた。(写真:炊きあがった炊き込みご飯)
 ①竹の子と牛肉の炊き込みご飯 
 ②和風ロールキャベツ 
 ③茹でキャベツのごま和え 


 配られたプリントには〈材料〉と〈作り方〉が紹介され、それに基づいて先生は説明を加えながら実際に調理して見せてくれた。その説明を聞いてから、私たちは調理台に戻り、4人が協力しながら調理を進めた。多くは私ほどの年齢の方々で、多分ここの古くからの会員だろう、手際が良かった。特にリーダーがいるわけでないのに滞りなく調理が進んだ。私も包丁作業とか皿洗いなど自宅でこなしている作業をやった。午後1時の開始から約1時間45分ほどで、全品目完成。(写真:和風ロールキャベツ完成間際)

 会話を交わしながら食事が始まった。私のテーブルの他の3人の方は偶然にも塩見小学校卒とか。年齢もほぼ私程度で、和やかな会食だった。余ったものはタッパーに入れて持ち帰り夕食にした。②の和風ロールキャベツはキャベツを茹でながら葉を一枚一枚剥がしていくのが難しそうだが、①は私にも出来そうなので、近々にやってみる積りだ。