マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

金沢文庫へ

2018年01月31日 | 

1月24日(水)、妻の友人のトモさんと妻と私の3人で金沢文庫へ行って来た。「金沢文庫」とは北条実時が設けた日本最古の武家文庫だが、今は「神奈川県立金沢文庫」となっている。そこで特別展「運慶 鎌倉幕府と霊験伝説」が開催されていた。

 千石駅8時52発の三田線を三田で京浜急行三崎口行特急に乗り換えると10時13分には金沢文庫駅着。意外に近い。バスで「称名寺前」下車。女性二人はこの地へは2年振りの再訪だったが、私は初めて訪れる土地。見るもの何もかもが珍しかった。
いきなり目的地に着くのかと思っていたらさにあらず。まずは称名寺へ。その称名寺の景観が私好みで素晴らしかった。称名寺からトンネルを抜けるとそこが目的地の県立金沢文庫。中世の隧道がまだ残っている不思議。帰路に立ち寄った「紅茶飲処 友&愛」ではビックリする事実に出合った。という訳で、金沢文庫については、称名寺・運慶展・「友&愛」の3回に分けて綴りたい。(写真:称名寺と金沢文庫を分ける隧道)

 称名寺。何よりその佇まいの写真展。
 まず出迎えて呉れるのが1818年(文政元年)の創建の仁王門と、鎌倉時代に造られた高さ4mの仁王像。






 



 仁王門横の通用門を入ると、阿字ヶ池を中心に中之島・反橋・平橋を配した「浄土庭園」。庭園の向こうには、樹木豊かな金沢三山(金沢山・稲荷山・日向山)を背に金堂・釈迦堂・鐘楼が見えてくる。



  

  
 
 説明
板には概略次の様に書かれていた。
 「
称名寺は 金沢山称名寺と号し、真言律宗の別格本山として西大寺末の律院で 本尊には 木造弥勒菩薩立像( 鎌倉時代 重要文化財)が安置されている。




 本
寺は金沢北条一門の菩提寺で創建の時期は明らかにしていないが、1258(正嘉2)年金沢氏の祖と称されている北条実時が六浦荘金沢の居館内に営んだ持仏堂から発したと推定されている」とあった。見るからに堂々としたお寺さんは北条氏の菩提寺なのだ。金堂の隙間から微かに見える木造弥勒菩薩立像拝ませて頂いた。

 北条氏の滅亡後は伽藍の維持が困難となり、江戸時代に入ると創建当時の堂塔の姿は失われたとも書かれている。しかし、1987(昭和62)年には庭園苑池の保存整備事業が行われ、浄土式庭園が復元された。それ故、寺域は縮小はされたが現在の景観があることを知った。背後の山はハイキングコースとなり、四季折々にその美しい姿を見せてくれるという。現在は冬枯れだが、春・秋はより美しいだろうなと思わせる風景。次回には是非桜の頃に訪れてみたい。
トンネルを越えるとそこが金沢文庫の美術館だった。


熱海伊豆山へ

2018年01月28日 | 

 1月26日~27日、ハーヴェストクラブ熱海伊豆山に宿泊して来た。今回はホテルで温泉に浸かるだけの逸楽な旅。気に入っている宿なのでそれだけで充分と思いながら。(写真:フロント付近の展望台から)



 27日、朝5時20分の露天風呂は真っ暗だった。その分、夜空の星が良く見えた。久し振りのことだ。南の空に一段と輝いていた星は木星か。(写真:この露天風呂からは伊豆半島も望める)





 6時30分、ホテル内にある展望台に移動して日の出を待っていると、6時50分頃、水平線の彼方から陽が昇った。

  

 妻は露天風呂からの日の出を見ようとしたらしいが、夜に男女の風呂は入れ替わり、女性風呂からは大きな樹に遮られ、パーフェクトの日の出は拝めなかったとのこと。そう言えばここの湯は「南木の湯」と名付けられている。「南木」は”凪(なぎ)”と”南の木”の掛詞で、相模湾の凪とここ南の地の大樹の両方を著すネイミングかも知れない。





 妻がフロントで清算しているときに、「ホテル庭園内で糸桜開花」との掲示を見て、私は撮影に。











 昼食は「KICHI+」で三色丼。しらす+生しらす+桜エビ。桜エビは生だった。



 

 帰りの電車は初めてグリーン車に乗車。ジパング倶楽部で既に乗車券を購入していてもジパング倶楽部の手帳を見せれば3割引きで購入できるのだった。熱海から東京まで540円。
 帰宅して大相撲を観戦した。平幕栃ノ心初優勝。松鳳山に勝った瞬間、私は飛び上がった。2年前、怪我で幕下55枚目まで下がりながらの復活、との記事を読んで以来、勢以外にも好きになった力士。遠いジョージァからやって来て12年の、苦難の道のりの結果の快挙。快男児栃ノ心、優勝オメデトウ。

 窓の外を見ると、太陽が富士山のやや左上に沈みかけていた。ダイヤモンド富士かも知れないとカメラを向けた。ダイヤモンド富士には1日早かった様だ。しかし、今日は
晴れないかも知れないので次善手だったかも。


先手必勝か後手必勝か(その2)

2018年01月25日 | 数学

6日前のブログの問題の解答です。(問題文はそちらをお読み下さい)
 その問題の具体例を右に再掲する。


 この問題の奇数番目の合計は0+8+7+3+5=23となり、偶数番目の合計は、1+4+2+6+9=22となる。先手が毎回奇数番目のカードを取れれば先手の勝ちとなる。毎回、奇数番目のカードを取れる上手い方法はあるだろうか?その方法があることを(b)の論理的方法で証明したい。
 証明というと中高校生の頃に学んだ幾何(あるいは図形)に“証明せよ”という問題があって、これで数学が嫌いになったという話をよく聞くが、ここではその様な記号は何も登場しない。数学記号なしで証明したい。記号無しの文章でも、人が成程と納得する文章ならばそれも証明と、私は考えている。果たして読者の皆さんを納得させられる文章となるだろうか?
 一般的な証明も具体例の証明に倣えばよいので、具体例で先手必勝を証明することとする。

右図は最初の段階で、これから先手がカードを取ろうとしている局面。左端は奇数番目(1番目)にあり、右端は偶数番目(10番目)にある。この様に両端が、奇数番目と偶数番目からなる状態をA状態と呼ぶことにする。

A状態から先手が1番目のカードを取った状態が右図。その結果、カードの状態は両端とも偶数番目(2番目と10番目)となる。この状態をB状態と呼ぶことにする。
 その状態から後手はカード1枚を取るが、両端とも偶数番目なので偶数番目のカードしか取れない。その結果は上図又は下図となるが、いずれの場合も両端を見ると、両端のカードは奇数番目と偶数番目(上は2と9、下は3と10)にある。要するにA状態に戻る。    
              
                   

 A状態に戻って再び先手がカードを取るのだから、先手は奇数番目のカードを取ることが出来る。その結果、両端が偶数番目のB状態となり、後手は偶数番目のカードしか取れない。
 これを繰り返すが、
先手はA状態でカードを取るので奇数番目のカードを取れ、後手はB状態からカードを取らねばならず、必ず偶数番目を取らされ、その結果A状態となり、先手に手を渡さねばならない。先手が正解手を取り続ける限り、状態だけを記せばA→B→A→B・・・・を繰り返す。
 而して、先手は必ず奇数番目のカードを選択出来、後手は偶数番目しか選択できない。よって、先手の得点合計は後手の合計点を上回り、先手が勝利出来る。要するにこのゲームは先手必勝なのだ。

 (a)のコンピュターを用いて全てを探索し尽くす方法について
 先手がカードを取るのは右端か左端の2択。後手がカードを取るのも右端か左端の2択。これを9回繰り返す。後手の最終だけは最後に残された1枚のカードを取るので選択の余地はないので、両者のカードの取り方の組み合せは、2の9乗。即ち2×2×2×2×2×2×2×2×2=512で、カードの取り方の組合せ総数は512通り。この程度の数ならばコンピュターは一瞬に計算をし、先手が奇数番目を選択し続ければ先手必勝であることを簡単に示すことが出来る。
 問題は並べるのがトランプのカードでは無くて、1~100までの数が書かれた札であった場合に、その札100枚を一列に並べて、同様なゲームをするとする。両者の選択の場合の数は、2の99乗となり、その数は31桁の数となってしまう。コンピュターを以てしても計算をするのは容易ではない。(b)の論理的証明の方が(a)の方法より優ることとなる。
 長々と書いてしまったが、どちらの証明からも先手必勝が分かる。


新春浅草歌舞伎を観る

2018年01月22日 | 映画・美術・芝居・落語

 今年も新春浅草歌舞伎を2回観られることになった。東京新聞のチケット申し込みに当選した分は第1部で、やはり当たった方から頂いた分は第2部だった。どちらも3階席からの観劇だが、浅草歌舞伎は浅草の新春の華やかな雰囲気に触れられて、私達の気分も華やいでくるので好きだ。







 11日(木)11時から第1部を観た。
 演目は1.義経千本桜より『鳥居前』 2.元禄忠臣蔵より『御浜御殿綱豊卿』で、義経千本桜は『吉野山』を昨年ここで観ていて、演目の粗筋は知っていた。忠臣蔵は4年前に橋之助の徳川綱豊(後に徳川6代将軍)を観ていたが、やはりプログラムを購入し、開演前にストーリーを読み終えた。

 開演に先立ち《年始ご挨拶》は、この日は坂東新悟。遠目にも細面が良く分かるいい男。浅草歌舞伎は若手の活躍する舞台なのだと改めて思う。
 『御浜・・・』の主人公綱豊を演じるのが、座長役の尾上松也。相対する、富森助左衛門役が巳之助。
 舞台の甲府徳川家の別宅御浜御殿(現浜離宮)からは海が見渡せている。綱豊の寵愛を受けるお喜世(中村米吉)は、今宵の能に吉良が参上することを知り、兄で赤穂浪人助左衛門の
吉良の隙見を願い出ると、綱豊は隙見以上はしないことを条件に浜遊びを許すのだった。綱豊は仇討を志す赤穂浪人に侍心を見出していた。

 夕方、お喜世の酌で杯を重ねる綱豊のもとにやって来た助左衛門。互いの真意を探りながらの会話から、不意打ちにしても吉良を討とうとする助左衛門の思いと、浅野家再興と仇討は両立しないとの綱豊の思いの違いが明らかになって来る。この劇の見所はこの二人の緊迫感みなぎるやりとりにあった。
 「貴方様が遊興に耽るのは六代将軍を望む証し」と負けずに立ち向かう助左衛門。両者は次第に激して来る。前回見た時よりも演じる役者が若い故か、その激し方のテンポが速い。

 夜更けて、『望月』を舞う舞台へと向かう吉良を、助左衛門は不意打に襲うが、面が取れて現れた顔は綱豊だった。驚く助左衛門に「自分だけ吉良を討てば良いのか。全員で至誠を尽くしてこそ真の仇討」と諭す綱豊。

 翌日の12日には芸者衆10人が観客を出迎える”総見”があったそうだが、残念ながら頂くチケットでは、その様なあでやかな瞬間は訪れない。


先手必勝か後手必勝か(その1)

2018年01月19日 | 数学

 ドイツの数学者ツェルメロの名前は、大学時代に集合論を学んだ際に知った。集合論では、創始者カントールに並び称されるエルンスト・ツェルメロは『集合論の基礎に関する研究』を発表していた。しかし「ツェルメロの定理」なるものは昨年、ゲームの必勝法に関する小論文を読んだ時に初めて知った。

 ここからは少し理屈ぽい話になります。読み難いと感じられる方は、最終の9行まで飛ばしてお読みください。

 さて「ツェルメロの定理」の、その概略は
 「ゲームが(1)2人のプレイヤがゲームをして、片方のプレイヤが勝つときはもう片方が負けることが保証され、(2)自分と相手の状態が全て公開され、(3)有限手数で必ず終了するならば、両プレイヤが最善手を指し続ければ、ゲーム初期局面は、先手必勝、後手必勝、引き分けのいずれかになる」というものだ。
 定理の仮定の部分(1),(2),(3)を満足するゲームは“有限確定二人零和完全情報ゲーム”と呼ばれるが、日本で馴染みの将棋や囲碁のみならず、オセロ、チェッカー、チェス、シャンチー(中国象棋)などのゲームがこれに相当し、その結論として、引き分けを除いて先手か後手の必勝が保証されているとなる。

 問題は必勝が保証されているとしても、先手必勝か後手必勝か(又は引き分け)は不明だし、各ゲームでその必勝法を見出すことは更に難しい。(写真:シャンチー)


 しかし、研究が進んできて、例えば「どうぶつしょうぎ」では後手必勝が証明された。この将棋は、2008年に北尾まどか女流初段によって発明され、2009年にコンピュータを用いて後手必勝が証明されていた。(写真:どうぶつしょうぎ)
 又、チェッカーについては2017/3/26のブログ「盤上の夜」にも書いたが、2007年に多数の計算機を用いて引き分けとの”完全解”が発見・証明された。
   
 私などが子供の頃よく遊んだ五目並べは、1992年にマシンを用いて先手必勝が証明された。

 

 以上のようにコンピュターの力を借りて、ゲームの全ての展開を調べ尽して、結論を導いている方法に対して、“論理的”に証明されたゲームもある。ご存知の方もおられると思うが“三山崩し”がそれだ。ゲームのルールなどの説明は省略するが、最初に石の置かれた状態により、整数論的に、先手又は後手が必勝になることが論理的に完全解析されている。(写真:チェス)




 ということは、完全解の存在の証明方法に2通りあることとなる。(a)全てを探索し尽くす方法と(b)論理的な証明による方法がある。
 昨年あるパズル問題集を解いていて解決後、その完全解の存在の証明方法が(a)でも(b)でも可能であることを知った。その問題を若干変更してここに書くことにする。その解答は次々回のブログに書きますので、御用とお急ぎでない方はお考え下さい。

 問題『トランプのうちから1~9までのハート9枚とジョーカーの合計10枚を用意し、良く切って横に表にして一列並べる。この状態から先手は両端のいずれから1枚のカードを取り、取ったカードのナンバーを先手の得点とする。その後、後手も両端のいずれか一方から1枚のカードを抜き出す。得点の数え方は先手と同じ。ただしジョーカーは0点とする。これを繰り返し、両者が5枚づつのカードを取り出してゲームは終了。その得点合計を計算し、合計点の高い方を勝ちとする。
 このゲームで先手と後手のどちらかが必勝となるのだろうか。又必勝の方法論を述べて下さい
』という問題です。
 以下に例えばの具体例を示します。