マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

京料理 「かじ」

2009年07月31日 | お気に入りの店

 前回のブログでミニクラス会の宴会は既に予約済みと書きました。そのお店は地下鉄「烏丸線」の「丸太町」下車徒歩5分の京料理のお店「かじ」です。
 このお店2年前に知りました。忘れもしない2年前の2007年3月31日、妻と私は平野神社へ向かうバス乗っていました。妻はその車中から、「かじ」の暖簾を見たそうです。次の日の朝、朝食を「進々堂」で取った帰り、妻は「かじ」の暖簾が変わった事に気が付き、玄関付近を掃除している若者に尋ねたのです。「昨日と暖簾が違うようですが」と。「暖簾は毎月変えています」との返事。その日は月が変わり4月1日でした。その返事を聞いて、近くに宿を取っていた私達は、今夜の食事はここにしようと即座に決めました。
 大層な門構えも無ければ、玄関でもありません。入り口のメニューの値段を見て、京料理ながら3000円台のコースがある事に一先ず安心して、”飛び込み”ました。
 二階へ案内され、料理を待つ間に、襖で仕切られたもう一室には、子供さんも交えたかなりのお客さんが登場のようです。料理は今朝方私達に答えてくれた若者が運んで来てくれます。どの一品も量は多くないが、美味い。それが第一印象です。更に聞くとも無く聞こえてくる隣室の声に耳を傾けると、どうやら、この地域の幼稚園ないし学童倶楽部の保護者+子供さんの集いの様です。40歳台の頃、学童倶楽部の役員をしたことのあるマーちゃんにとって、それは微笑ましいことであると同時に”有難い”事に思えました。「京料理」を掲げるお店が子供連れを厭わず、客として迎い入れる、その心意気に感じました。

 後で気が付いたのですが、京都のお店の多くは「地域に根付いている」と思います。京都をしばしば訪れるようになり、何軒かのお店に足を運ばせて貰う様になっての実感です。「地域に根付き」、ご近所の人気店となって、商売繁盛の後”中央進出”したお店とも知り合いになりました。でも”中央”といっても、やはりそこには又ご近所がある。だからi移転先きのお店にも行き易い、そんな遍歴を経ているお店もありました。

 食事を終え、階段を下りてくると1階はカンンター席が8・9つ、次回はこちらの席でと、再訪を心に決めました。
2回目からは1階カウンター席で頂いています。マスターや若い料理人達4・5人が甲斐甲斐しく調理するのを見ながら、食するのがとても楽しいのです。現在、コース「雪」を頂いての3700円は絶対にお安い。昨年5月まで、何度も伺いました。ただ残念ながら妻が病んで後、食事を多く食べられなくなってからは足が遠のいていましたが、今回のミニクラス会で久々の訪れです。
 インターネットを覗くと、オナーは「京都府の現代の名工に選ばれた」とか「道場六三郎と互角の勝負を繰り広げた」などの文言が飛び込んできます。マーちゃんには良く分かりませんが、「名工」に選ばれたの文を見て嬉しくなっています。
 「京都 かじ」で検索し、その先をご覧下さい。
 url 「 
http://r.gnavi.co.jp/k356400/ 」で「ぐるなび」が登場します。

 


「桂離宮」参観申し込み

2009年07月30日 | 身辺雑記

 秋に京都でミニクラス会を開こうと準備進行中です。10年前
の「花の京都」でのミニクラス会には17名の参加、今回も10
数名の方からの参加申し込みがありました。中学を卒業後52
年、50余名のクラスメイトのうちで、これだけの方が京都の旅、
へ。多い数と言うべきでしょうか。東京で開催の昨年のクラス
会には、イギリスからの参加も含め16名ほどの参加がありま
した。”気の置けない仲間”の集い、これがクラス会が長続きし、
比較的多くの方々が参加されている大きな要因でしょうか。

 旅となると前もって予約しなければならないのが宿と乗り物。
今回宿の予約は既に済み、京都までの新幹線指定券も1ヶ
月前に申し込めば、殆ど取れる事と楽観しています。
 宿がホテルなので、宴会場も確保しなければなりませんが、
こちらは、マーちゃんが良く行く「京料理」のお店がありますの
で、こちらに予約済み。問題は「桂離宮」「修学院離宮」です。

 何度も京都へ足を運んだが「桂離宮」や「修学院離宮」へ行っ
た事が無いという人も多いでしょう。ミニクラス会参加希望者で
もここを訪れたと言う方は極く僅か。今回は是非、両「離宮」参
観を実現したいものと考え、色々調べ、実行に移しています。
 参観案内の詳細閲覧や申込はインターネット上可能ですが
先ずは「申込要綱」を入手。同じく幹事を勤めるBさんが郵送し
てくれました。

 それによれば申し込みの方法に3つあり。
 ①郵送による申込
 ②直接窓口(宮内庁京都事務所)での申込
 ③インターネットによる申込
 (いずれの申込も3ヶ月前の1日から可能。詳しくは要綱で)
 そうでなくても倍率の高い参観許可、紅葉のシーズンとなれ
ばなお更の事、要綱では見えて来ない事柄は直接電話で聞
きました。最初の電話で判明した事は①・②枠と③枠は独立
している事。つまり予め枠内人数が決められていて、その中
で各々抽選するという事。

 私達は③のオンライン予約で行く事に決め、申込開始日に向
けて準備を開始しました。これに外れたら①郵送のよる申込を
しなければならないわけで、そうすると、その結果が分かるの
は何日か?この点も知りたくて再度電話。今年は8月1日が土
曜、2日が日曜なので、8月3日かその翌日くらいとの返事。因
みに倍率を聞くと「紅葉の時期」は50倍くらいとの返事。”宝く
じ”並みの倍率と判明。それでは一層①の郵送に切り替えよう
かと、その旨を話すと、①と③は同時申込が可能との事。要綱
の読み込みが弱かったのか、ここで漸く、両方を同時に申し込
んで良い事を知りました。
 郵便による抽選の方法も聞き出した結果、8月1日の消印の
ある郵送がベストらしい事を感じたマーちゃんは、昨日、「桂
離宮」と「修学院離宮」の往復はがきによる申込書を完成。8
月1日の投函を待つのみとなっています。
 たとえ抽選にもれても、クラスメイト10数名と、紅葉で名高い
「真如堂」など幾つかの”名所”を訪ね、秋の京都を楽しんで来
たいとの想いで、4ヶ月後の準備を進めています。

 (宮内庁参観案内への入口の url は次の通りです
   
http://sankan.kunaicho.go.jp/        )
 


100枚の銅貨(パズルの世界へ その1)

2009年07月29日 | パズルの世界へ

 「数独」以降のブログを書き始めて思うことは、ある事がらに
ついて書き出すと、その事柄に拘わった昔の事が思い出され
る事です。「パズルの世界へ」を書き出すと、図書館で一冊の
本に夢中になっていた中学時代を思い出します。その本の名
前はなかなか思い出せません。覚えている事は著者が確か
「海野十三」のはず。それに解いていたパズルが「虫食い算」
だったことです。
 インターネットで色々調べました。
 まず、オンライン登録してある「文京区図書館」にアクセスし、
「海野十三 パズル」で検索するも該当資料なし。「海野十三」
のみでアクセスすると、100冊もの作品が登場。詳しく調べて
も当書なし。
 そこで、「日本の古本屋」へアクセス。「海野十三 パズル」検
索では該当書なし。少し悩みましたが「海野十三 虫食い算」で
調べたら、ありました。それが下図の画像です。

 

 著者は「佐野 昌一」。”探偵小説”作家海野十三の本名で
した。マーちゃんは殆ど知りませんが、主として戦前に探偵小
説やSFで活躍した作家のようで、だからでしょうか、検索で図
書館所蔵の本が多々挙がってきました。
 今はインターネットの威力に頼りますから、居ながらにして
正解にたどり着けました。もし、インターネットを利用しないと
なるとどうしただろうかと考えます。「国会図書館」へ行き検索
するのがベストでしょうか。
 この本の売価3800円、買うか否か悩ましいところです。
 ともかく、この本が、自分とパズルの関係の第一歩でした。

 第二歩は高校3・4年生の頃数学を教えて下さった「柴野拓
美」先生。数学の授業内容が素晴らしく、自分が高校で数学を
教えるようになってからも先生の説明方法を何度も真似させて
いただきました。三角関数導入の凧揚げ、積分のかなり難しい
定理の証明方法など幾つもあります。
 それにも増して印象に残るのは、授業の合間に出されるパ
ズル。パズルファンになったのも先生のお陰だと思います。
 「パズルの世界へ」は、マーちゃんがその後出会った、素晴
らしいパズルの幾つかを紹介し、考えていただこうと言うコーナ
ーです。性に合わない方は読み飛ばして下さい。
 
①「虫食い算」は古書購入後に回します。
②その柴野先生から教えて貰った「100枚の銅貨」の問題
 『100枚の銅貨が10枚ずつ重ねて、10束並べられていま
 す。この銅貨の正常なものは、考え易いように、1枚1gとし
 ます。ただこの束のなかの、ある束だけは、全て1枚が2g
 です。どの束が全て2gのものか確実に指摘するには、目盛
 り秤の目盛りを最低で何回読めばよいでしょうか。
 ただし1gの銅貨か2gの銅貨かは持っただけでは分からない
 し、どの束からも何枚でも自由に取れるものとします』

 暫くお考え下さい。


 


トムラウシ山 3 (再びの百名山 その1)

2009年07月28日 | 再びの百名山

  トムラウシ山々行記録 前回のブログの続きです。

 第4日 ヒサゴ沼避難小屋→(徒歩:3時間20分)→
       トムラウシ山→(徒歩:1時間30分)→前トム平
      →(徒歩:2時間)→カムイ天上分岐→
      (1時間50分)→トムラウシ短縮コース登山口
      →(車:20分)→トムラウシ温泉・大雪荘

 この日の予定は、ヒサゴ沼避難小屋をベースキャンプとして
、五色原周辺の散策。のんびりと高山植物の群落を楽しもうと
の計画でした。しかし、夜来の不安は現実のものとなりつつあ
りました。早くもラジオの天気予報を聞いた方から、「今日の天
候は荒れ模様」の声が掛かります。ラジオ放送に耳を傾けると、
今日から明日にかけては雨との予報。Sさんと相談し、五色原
周辺の散策を断念し、早めの下山を決めました。

 今から思うと16年前は何と幸運に恵まれていたかが良く分
かります。入山前夜、地上では細川政権誕生のニュースで沸
き返っていました。その入山から下山までの5日間、全く雨は
降らず、快晴続きだったのです。

 小屋を経つとき、既にツアーパーティーは出発していました。
下山ルートは私達と同じトムラウシ温泉側と聞いていましたが、
その後会う事はありませんでした。順調に下山されたのでしょ
う。「日本庭園」辺りから雨が降り出し、風も強くなってきます。
登るにつれて風は強さを増し、吹き飛ばされそうにもなります。
 
 屋久島山行でも強風に逢い、岩場で私は吹き飛ばされた経
験を持ちます。後ろを歩いていた同行のKさんとSさん、私が浮
くのを見て、”ハットしたと”。何度も聞かされた言葉です。

 その二の舞を繰り返さないよう必死の想いで岩場を越えて行
きます。今回の山行で最初に訪れた難局です。ただトムラウシ
から一気に高度を下げると、次第に風は弱まり、前トム平まで
下って来ると、雨は止み、風はおさまって来ました。天候に煩わ
されることなく昼食をとった記憶があります。この時の雨と風は
トムラウシ山頂上付近だけのものかと安心したのです。
 しかし、実はここからが大変でした。強風は去ったものの雨
は再び降り出し、道はぬかりみ始め、何度か尻餅をつきそうに
なります。地図表示の標準タイムを遥かにオーバーする歩み
、下山ルートがこんなに長く感じたのは「魚沼駒ケ岳」以来。漸く
の思い出で、「短縮登山口」まで辿りつきました。

 標準コースタイムを遥かに超え登山は2つあります。快調に
歩みを進めたにも拘わらず、1.5倍以上の時間を要した山は
「岩手山」と「妙高山」の所謂裏ルートです。私的偏見では、裏
ルートでのコースタイム測定者(?)は超ベテラン。もの凄く足
の速い人が実踏しているのでは無いでしょうか。

 下山口にたどり着き、ふと見ると、一台の車、必死で手を振り
ます。明日の登山の入口を視察に着たとの事、ずぶぬれの状
態での乗車を詫びながら、車中の人となりました。そこから車で
20分も掛かりました。このコンディションのなかで、歩いたら
2時間は掛かったでしょう。感謝!感謝!の気持ちで一杯でし
た。
 宿はトムラウシ温泉・国民宿舎大雪荘。飛び込みなので正規
の部屋に空きはなく、大広間の雑魚寝。後から聞いたところに
よればこの宿、国民宿舎の人気度でベストテンに入る宿とか。

 今年の遭難の報に、私達が下山に遭遇した雨風より遥かに
強烈であったのではないかと思います。全く同じコースを辿っ
た私達が受けた雨風はそれに比べればより緩やかでしかも
短時間であった事が幸いしたと思います。詳しい原因分析は
今後に待つとしても、トムラウシ直下の北沼からの瀧の様な
雨水を全身に浴びられた事が、大変な事態に繋がる遠因にな
ったであろう事が想像されます。
 振り返って、アンダーシャツが木綿製である事、防水能力がか
なり弱くなっている雨衣を着続けている点など、自省すべき事柄
が数多くあることを実感しています。

 第5日 終日 大雪荘

 第6日 大雪荘→(バス)→新得→札幌→新千歳空港
      →羽田
 
 トムラウシ山々行記録を終えるにあたり、再度、遭難に逢わ
れた方々のご冥福をお祈りいたします。


トムラウシ山 2 (再びの百名山 その1)

2009年07月27日 | 再びの百名山

 トムラウシ山々行記録、前回ブログの続きです。
 
 第3日 白雲避難小屋→(徒歩:3時間40分)→忠別岳
      →(徒歩:1時間20分)→五色岳→(徒歩:1時間
     20分)→仮雲岳→(徒歩:1時間)→ヒサゴ沼避難
     小屋)

 いよいよトムラウシ山目指しての出発です。起床して直ぐ天候を気にする。昨日ほどの絶快晴ではないが、遥か彼方に冠形のトムラウシがはっきりと見えている。朝食を素早く済ませ5時にスタート。
 ここからヒサゴ沼までは距離は長いが、ゆったりとした尾根コース。豊富な高山植物の群落を間を縫う様に、快調に進みます。ただ、このコースは”ヒグマ生息地”、一番緊張度が増す地域でもあります。
 徐々に徐々にトムラウシが大きく見え始めます。

 トムラウシへのアプローチコースは大きくは5つ考えられます。その1は「十勝岳オプタテシケ山縦走」コース。
 その2は沼の原・五色沼を経るコース。
 その3はトムラウシ温泉からの、直に頂上を目指すコース。
 その4は天人峡からの登り。
 その5は私達が目指した白雲岳からのコース。
 
  どのコースも長い長いアプローチ。その苦労に比例する魅力に富んでいると思います。(マーちゃんはその1とその2は未経験です。語る資格はありません。三たびへの想いはありますが実現していません)

 私達が進まんとするコースは、その5。このコースの特徴は白雲避難小屋からトムラウシまでの高低差が少ないこと。小屋の標高が2000mくらいでしょうか。途中通過する忠別岳が標高1962m、五色岳が1868m、化雲岳が1954mで、目標とするトムラウシの2141mと比較しても分かる通り、通過する峰々とトムラウシの高低差は殆どありません。トムラウシを眺めつつアップダウンの少ないコースの尾根歩きを、一日楽しめる点に最大の特徴があります。イワカガミなどの高山植物咲き乱れる中をです。



 しかし問題はこの辺り一帯がヒグマの生息地、一番恐れたのはこの事です。夏最盛のこの時期でもこのコース上に人影はまばら。ズルをさせて貰いました。賑やかな6人パーティーのやや後ろからの行進。
 五色岳まではほぼ真南に進路を取ります。
 五色岳から化雲岳に掛けては進路をほぼ直角に曲げて真西に。この近辺はお花畑を前景にトムラウシを見るにはベストビューポイント。ただ残念なことに、頂上付近には雲が掛かり始めてました。明日への微かな不安を抱きつつ、先行6名様にやや遅れながら無事ヒサゴ沼避難小屋に到着。小屋には関西方面からのツアーパーティーが十数名、先行6名様、私達2名も含め収容能力内の人数、この日もテントのお世話にはなりませんでした。
 
 16年前は、特に小屋内の様子を確認する事も無く、テントを張りました。食事の準備を終え、その日の行程のあれこれを振り返りながら、酌み交わすひと時は、別天地にいる感覚になります。テントかたわらのヒサゴ沼水面に映る山肌、見渡ば残雪も豊富で、小屋内泊まりに勝るのはこの点でしょうか。
 
 夜中に起きてトイレへ。雨こそ降ってはいないものの、強風が吹き始め、天候急変の様子を感じ、安眠できない、浅い眠りとなりました。 (次回ブログに続く)