マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

東北へ

2011年06月30日 | 

 今日6月30日(木)から7月3日(日)まで東北への旅に出ます。JR東日本が「新青森開業記念」として、東北地方を4日間連続利用できる特別切符を売り出していました。昨年までは3日連続で12000円。それを1000円アップで一日増加。宿泊可能日が2日から3日に伸びます。この1日の差が大きいので乗りました(列車にはこれから乗りますが・・・)。
 残念ながら人気の「はやぶさ号」をご利用の場合は、別に有料の特急券を購入しなければなりませんが、新幹線利用で東京⇔新青森往復だけでも32340円掛かるところを、この値段は有難い限りです。

 齢69歳の私に出来る事は、義捐金拠出と東北地方での消費くらい。東京→新青森→青森→弘前→酒田→鶴岡→山形→東京と巡ります。狙いは弘前と鶴岡。洋風建築とコーヒーの街弘前では街歩きと津軽じょんがら節の生演奏を、鶴岡では藤沢周平記念館と、茨城のり子眠る浄禅寺からの海の眺めを楽しみにし、期待もしています。


第516回TBS落語研究会へ

2011年06月29日 | 映画・美術・芝居・落語

 昨夜(6月28日)、国立劇場≪小劇場≫で行われた、第516回TBS落語研究会に出掛けて来ました。実は、中学時代のクラスメイトから、「主人が行っております、TBSの落語研究会の券が1枚空いています。三遊亭兼好さんが出ていますから」ご都合如何ですか、との有難いメール連絡があり、喜んで参加させて頂きました。私が兼好さんを贔屓にしていることを良くご存知なのです。

 ”主人”とは、このブログでも紹介させて頂いたことのある馬場紘二さん。ブログ「轟亭の小人閑居日記」の著者です。その馬場さんからも連絡があり「午後6時開場、6時30分開演です。終演9
時30分ごろになるので、いつもお仲間と近くの居酒屋さんで軽く一杯やってから出掛けています。気のおけない仲間なので、よろしければ、そこからご参加ください。2500円程度です」と、これまた願ったり叶ったりのような嬉しい連絡があり、この日の来るのを心待ちしていました。

 国立劇場へは半蔵門線半蔵門駅下車が便利です。かってこの駅を1週間に1~2度の割合で利用していました。駅出口徒歩1分のところに「バン・ドゥーシュ」と言う名の銭湯があります。ランニングに凝っていた頃、知人Wさんとここで着替え、皇居を2~3周し、入浴後軽く一杯を繰り返す日々がありました。暑かった昨日、まずはこの懐かしの銭湯で汗を流し、その後「酒蔵 いさり火」に向かいました。
 集いし仲間は私を除いては4名。皆、馬場さんと同じ大学の、同じ学部のご出身のようです。お一人の方を除いては皆同学年。話の内容から、多分、第一線は退かれての優雅な日々を過ごされている方々とお見受けしました。このお店、実に気さくなお店のうえ、出されてくるものが丹精込めて調理されていて美味しく、今後半蔵門での一杯に使わせて貰おうかなと思っているとと、馬場さんが目敏く「閉店のご挨拶」を見つけました。事情があり7月には閉店とのこと残念です。

 さて落語研究会ですが、プログラムは以下の通り。
      ≪演目≫
   真田小僧●金原亭馬治
     百川●三遊亭兼好
  
源平盛衰記●桂 平治
      ≪仲入≫
  よかちょろ●五街道雲助
     刀屋●古今亭志ん輔

 馬場さんに伺うと、毎月1回開催されるこの研究会には最初から今回の516回まで欠かさず参加との事。割り算をすると43年来ここに通って来ていることになります。1回に5つの演目が掛かるとすれば、今度は掛け算をすれば、この研究会で2580本の落語を聴いた事になります。脱帽です。
 私は今日の落語家では、馬治と兼好の二人しか知りません。6月26日の小熊英二、6月27日の吉井英勝、6月28日の落語と3日連続して人の語りを聞いてきて、我が耳の衰えを痛感しました。前から3番目の席で聞いた吉井英勝氏の話は良く聞こえたのですが、それ以外は聞き取り辛いことがありました。落語の大事な”フレーズ”が聞き取れず、悲しいかな、周りが笑っても私には意味不明という場面が何度かありました。この様なときの補聴器の使用を検討しなければならないかも。
 昨日の落語は、じっくり聞かせる語りに耳は苦戦しました。その中にあって、平治の「源平盛衰記」は発する声が大きく、更に笑いを取る場面が多く、一番面白く聞けました。


『福島原発事故は二重の人災』吉井議員の講演から

2011年06月28日 | 身辺雑記

 昨夜(6月27日)、茗荷谷にある「新婦人中央本部」で、文京革新懇主催「みんなで考えよう原発問題」の学習会があり参加して来ました。講師はNNNドキュメント「原発爆発 安全神話は何故崩れたか」の中で、衆議院の委員会での質問映像で登場していた、日本共産党の吉井英勝議員。そのドキュメントのなかでは全電源喪失による炉心溶融の危険性を指摘し、保安院長寺坂氏を追及した人物。この人の話を肉声で聞きたかったのが出掛けた最大の理由です。

 参加者は200人以上。狭い会場にはビッシリの入場者が詰めかけ、1時間15分に亘る講演と、30分以上の質疑応答に密度濃い時間を過ごしました。講師紹介で、吉井氏は京都大学工学部原子核工学科卒、衆院議員7期目、共産党中央委員、党原発・エネルギー問題委員長などの要職にある事を初めて知ります。非常に聞きやすく、分かりやすい話でした。話は多岐に亘りましたが、ここでは2点に絞って書きます。
 ①福島原発事故をどう規定するか・・・想定外の津波による天災ではなく、二重の人災であること。
 一つ目の人災は、多くの指摘があったにも関わらず、事前に十分な安全対策を講じなかったこと。二つ目の人災は、3月11日に全電源喪失が起こり、炉心内で燃料棒頂部が水面上部に露出するという重大局面に至ったその日の内に、政府が東電に対して断固としてベント(水蒸気を抜き気圧を下げる作業)と海水注入をさせられなかったこと。
 4月6日の衆議院経済産業委員会で、全電源喪失問題で保安院長や元原子力安全委員長を追及。彼らはただ謝罪を述べるだけでした。海江田経産省大臣にも質問を浴びせます。いまだ海水が注入されない翌12日の重大局面で、首相と現原子力安全委員会斑目委員長はヘリで現地上空へ。この間にも、それに続く”空白の10時間”にも、東電へ注水命令は実行されませんでした。これが第2の人災と指摘します。
 (ネット上で、4月6日の吉井義勝氏の委員会質問の録画が見られます。専門的知識豊富を駆使した質問に終始しています)

 ②原発利益共同体の存在。・・・”全電源喪失”の委員会質問で、ネット上でも有名となった吉井氏のもとへ、海外メディアからの取材が殺到し、多くの質問が「東電の秘密主義は何故か」と。「この事を簡単に説明するのは難しいのですが、東電・原発メーカー・政治資金を受け取る政党・政治で動く官僚・大学・マスコミ等が形成する一大利益共同体の話をして理解してもらっています」と、私たちにもその話を語りました。


 まだまだ重要な問題、東電の地域独占と総括原価の問題・自然エネルギーの問題・工程表の問題・固定の放射線量モニタリングの問題・学者の社会的責任の問題・東電の補償問題・作業員の被爆問題など広範囲に渡りました。これらの問題については、又の機会に書きたいと思います。(配布された資料から 赤色:大地震が起きた地点 黄色:原発立地原発立地と大地震地点が重なるのは日本が最大です)


ジョセフ・クーデルカ写真展『プラハ 1968』を観る

2011年06月27日 | 映画・美術・芝居・落語


 昨日(6月26日)、チェコの写真家ジョセフ・クーデルカの写真展「プラハ 1968」を観に、恵比寿にある東京都美術館に出掛け、併せて社会学者小熊英二の講演を聞いてきました。(会場入口のポスター)





 1968年プラハ。「人間の顔をした社会主義」のスローガン。ドゥプチェクに代表される共産党々内改革派が主導する「歴史的実験」。二千語宣言に象徴されるチェコスロバキアの改革運動はこの年の8月20日、ワルシャワ条約機構軍のプラハ侵攻により挫折し、プラハは春から長い厳冬期に逆戻りしたのでした。
 ジョセフ・クーデルカ(1938年、現チェコ共和国生まれ)は、このチェコ事件が起こったこのとき、団結して兵士達に抵抗する市民の攻防を写真に収めました。
 しかしプラハの春が終焉を迎え、ソ連が導く共産主義への「正常化政策」が敷かれる状況では、これらの写真は国内では発表できる記録ではありませんでした。密かにアメリカに持ち出され、翌69年に「プラハの写真家」という匿名者によるドキュメントとして発表され、ロバート・キャバ賞を受賞します。


 撮影されてから43年、その多くの写真が日本で初公開されました。
 怒り・悲しみ・抗議・沈黙・放心・ほほ笑み、市民や労働者は様々な表情を見せます。それに対して兵士たちは一様に無表情です。自分たちの正当な政府と、自分たちの進める改革を、”帝国主義の謀略に乗せられた動き”として、侵攻して来た同盟軍。何故だ!の思いが強かったことでしょう。その激しい無念の思いが伝わって来ます。



 このとき、プラハ市共産党委員会は「偶発的な抵抗は控えよう」なる声明を出していました。暴力的な抗議行動より、非暴力的抵抗や抗議を示す民衆の姿。街に座り込む多くの人々、戦車を取り囲む若人たち、抗議のこぶし。何が問われていたのか。年月が明らかにしてくれましたが、この写真展からもそれが伝わって来ます。

 この写真集は「プラハ侵攻 1968」として出版されています。朝日新聞26日(日)の読書欄でも紹介され、解説者は「ベラ・チャスラフスカ 最も美しく」で、この事件にも触れた後藤正治です。
 
 
 
 


『入れ札』(著:菊池寛)を読む

2011年06月25日 | 読書

 「人生を変えた時代小説傑作選」と題して、山本一力・児玉清・縄田一男の3人が”人生を変えるほどの衝撃を受けた”短編小説を二編ずつ選んだアンソロジーが文春文庫に収められています。6つの小作品のどれも楽しく読みましたが、とりわけ菊池寛作「入れ札」が面白かった。

 ときは江戸時代末期。主要登場人物は国定忠次(忠治とも:ここでは忠次で)。所は上州は利根川付近の高原。そこに、赤城を追われ、隣国信州への国越えを試みる忠次一行12名の姿がありました。赤城に籠った当座50人近くいた乾児(こぶん)も今は11名。しかし代官を斬り、関所破りをした忠次が10余名の乾児を連れて他国を横行することは出来ない相談です。
 手ごろな2・3人を連れて行くとしたら誰にしようか、心のうちでは既に顔ぶれを定めた忠次ですが、その名を言い出せず、自分ひとりで信州へ落ちて行く積りだと、切り出します。これには子分たちが大反対。「お前さん一人を手放すことは出来ない。お前さんが此奴だと思う野郎を名指ししてお呉んなさい」と言われてしまいます。
 暫しの沈黙が続くなか、籤引きにしようと十蔵が妙案とも思える案を口走りますが、最後には「入れ札」に落ち着きます。

 11名各自が一票づ投票し、得票の多い順に3名を選ぼうと決まります。「入れ札」とは今で言う選挙です。いよいよ投票が始まります。ここまで読んできて、
私には「自分に投票するのはありかな」とツマラナイことが一瞬頭を過ります。
 ここからは本物語の主人公九郎助の心理描写です。彼はこの集団の長老ですが、最近の喧嘩場での不始末から自分への声望がめっきり落ちている事を実感していました。長老たる自分が選挙で落ちるような事があれば、面目丸潰れです。思いあまって自分の名前を書いてしまいます。日頃面倒をよく見ていた弥助は「お前さんに入れたよ」と言わんばかりの微笑を九郎助に向けます。
 内心、九郎助は自分に投票したことを恥じますが 開票の途中結果は、浅太郎が4票、喜蔵が4票、嘉助が1票、自分が1票。残り1票の段階まで開票が進んで、九郎助は、”自分が入れた1票と弥助が入れた1票の合計2票で”自分が3位で、選に入ったと確信しホットします。がどっこい、最後の1票は嘉助に。九郎助は落選しました。

 かくして忠次一行4名と別れる段がやってきて、九郎助は、落選した失望より自分の浅ましさを恥じます。が秩父へ落ちようと山を降りかけると、弥彦が後を追いかけてきます。「11人中、お前の名前を書いたのは俺ひとりだったな」と。この野郎嘘つきやがってと抜き打ちに斬ってやろうと刀の柄を握りしめますが。しかし、その訳を口にすることは自分の浅ましい行為を語らねばなりません。
 暗い気持ちの九郎助とは対照的に、行く手に蒼々と聳え榛名の山を描いて物語は終わります。

 ”自分には投票しない”。このへんが、かっての日本人の心の敷居だった。それが今は下がって来ていると山本一力は座談会で嘆きました。

 これと似たような仕組みを体験したことがありました。かって、学校内では各分掌の主任を選挙で選んでいました。苦労だけ多い主任などに誰もなりたくはありません。ですから自分に投票する行為は殆どなかったでしょう。ただ面子とかを考えればそれもあったかも知れません。
 又初任校で、組合の本部委員を選ぶ直前に、自分などその柄ではありませんよと公言していた人が、満票10票の得票を得て落ち込むのを思い出しました。斬り合う場面も登場しないこの異色の時代劇を大変面白く読めたのはその影響があったと思います。