マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

忙中閑なし

2017年09月28日 | 身辺雑記

 何時も遊んでばかりいると見られがちだが、ヤラネバならぬお役目が連続することもある。特に9月下旬にそれが集中した。今日は時系列を逆にしての言い訳。
 9月27日(水)・・・交通安全の旗振り。毎年春と秋の交通安全週間中、町会からの依頼で、本郷通り「富士神社入口」交差点に1時間ほど立つ。小学1年生は入学後交通事故に遭うことが多いと聞いているので、特に春にはここを渡る、昭和小学校の児童の交通安全の確保に気を遣う。




 9月26日(火)・・・地域活動センターで「お話会」開催。この日は私の元同僚真中さんが「城下町としての江戸」を語った。それ故、主催者の1員に回った私は、2ヶ月前からの場所取りを始め、ご案内のビラの配布・当日の会場準備と仕事が多々あった。26名の参加者を得ての盛況な会となり、真中さんは大喜び、私達はひと安心。(写真:語る真中さん)



 9月25日(月)・・・お墓参り。久し振りに目黒へ行った。我が母校下目黒小学校の前を通り、俗称「岩谷弁天」へ。お墓を掃除し花を添え、線香を立てた。父母から見て4人目のひ孫誕生を報告。ふと、見上げればもうひとつの母校目黒3中の建物が見えた。

 9月23日(土)・・・東洋大学公開講座に参加。14日に講演をして頂いた学長先生による「仏教入門」の第3回は「大乗経典の真意」について。大学の一番大きな教室に200名以上の聴講者。先生は何時ものように、流暢な口調で90分を語り終えた。

 9月20日(水)・・・文高連の「社会奉仕の日」。私達富士前福寿会は富士神社の境内清掃がその仕事。数日前の強風で落ち葉が多数。6名の参加で1時間ほど汗を流した。椎の実が多数落ちていた。数日前ここを見た石川さんによると、椎の実は縄文時代の貴重な食糧だったとのこと。多数拾ってきて、どう調理するか悩んでいる。(写真:富士前福寿会のメンバー)





 9月18日(月・祝)・・・敬老の日のこの日は、文高連駒込5地区の高齢者クラブによる「芸能大会」。歌唱の苦手な私は舞台には立たない。そこで時として司会役が回ってくる。今年は午前の部の司会。この日の模様はテレビ撮影があり、「文京区民チャンネル」(地デジ11ch)でタイトル名”旬感文京タイム”として放送されている。9月27日~10月1日の12時・18時・21時から10分番組のなかで3分ほどの放映。小林会長は「トキオソーラン節」を踊っていた。私もほんの少々写っていたが、捜すのは難しいだろう。

 9月14日(木)・・・東洋大学学長先生講演会。これは既に書いた。
 
 (以下は敬老の日の集いでの写真)
   

    


「狩野元信展」を観る

2017年09月27日 | 映画・美術・芝居・落語

 9月19日(火)、サントリー美術館で「狩野元信展」を観て来た。サントリー美術館が、赤坂見付にあったサントリービルから六本木に移転してから10年。その10周年の記念展が“天下を治めた絵師”と題する「狩野元信」展だった。
 サントリー美術館は火曜日が休館日。その火曜日には展示ごとに会員向け内覧会が開かれ、特別講義が開催される。私は会員ではないが、会員に同行しての余得。その講義の冒頭、挨拶に立った支配人氏から面白い話が聞けた。
 
「記念展第4段は日本の絵画の本道とも言うべき狩野派の展覧会です。元信は一般的には孫の永徳やその又孫の探幽より些か知名度は低いが、ご専門の方々と話していると“元信なければ狩野派なし”と言うくらい大変大きな存在でした。作品が多数残っている絵描きではないが、その代表作と言われる、一つが私達の所蔵している「酒伝童子絵巻」で、皆様方には何度か観て頂いているのではと思います。
 内々の話になって恐縮ですが、この作品を所蔵したのが1981年。その作品のみならず元信という存在が学芸員魂に火を付けまして、この「酒伝童子絵巻」が重要文化財になったら必ず元信の展覧会をやろうと、歴代の学芸員が引き継いできました。2015年にやっと今回その夢が叶ったわけです。サントリー美術館としては念願が叶った意義深い展覧会です。その念願を叶えましたのが池田学芸員。前回の広重の展覧会とは趣の違う展覧会ですがお楽しみ下さい」
 学芸員池田氏曰く「元信展は初めてです。狩野家第2代目。江戸時代まではこの元信こそが最も高く評価されていた。室町時代に活躍し83歳まで長生きした、狩野派の確立者です。「酒伝童子絵巻」が赤坂見付けにあった頃から、この作品は重要文化財になるのではないかと期待され、そうなった暁には「元信展覧会」を開こうと、私だけではなく多くの学芸員の間で語られて来ました。2015年に指定を頂き、この展覧会の運びとなりました」と。展示に至る、エピソードが伝えられることなど滅多にない。興味深く聞いた。
 彼女の「Power Point」を併用しての説明から色々なことを学んだ。
 
元信は中国絵画の名家たちの「筆様」を整理・発展させ、真・行・草の三種の「画体」を生み出し、その「型」を弟子たちに学ばせることで、集団的な作画活動を可能にした。
 また、父・正信が得意とした漢画に加えて、やまと絵の分野にも乗り出し、広い需要に応えた。
 私は真
・行・草の分類を気にしながら作品を鑑賞した。その中では、書体で言えば”漢字”に当たる「真体」が私の感性に合っていた。一番興味深く観たのは、「四季花鳥図」(重要文化財)と、「酒伝童子絵巻」(重要文化財)。ただ残念ながら「花鳥図」も「酒伝童子」も、ポスターに使われた冒頭の図と右上の巻は今回は展示されていなかった。次回以降に展示替えがあるそうなので、又余得に預かろう。


百ます計算

2017年09月25日 | 数学

 かつて「百ます計算」と呼ばれる、算数の計算システムがマスコミに大きく取り上げられ、一世を風靡した時期があった。『徹底反復百ます計算』は300万部を超えるベストセラーともなった。その「百ます計算」のプリントは現在でも小学校の算数の授業で使われていることだろう。
 「百ます計算」とは右に見られるように、縦と横に1910個の数を配置して、100個のマスを用意する。児童
はその交差するマスに足し算(時に掛け算)の結果を記入していくプリントだ。蛇足だが、10個の数には同じ数が登場することがある。
 1980年代に当時小学校教員だった陰山英男氏を通して有名となり、小学生の計算力向上に成果を見せ、陰山メソッドとして話題となった。この方法に疑問を呈する学者もいるが、使い方を誤らねければ非常に有効な方法と、私は思っている。
 8月22日のブロブに「算数ドリルを作る」と題して、とある母親から相談を受けて、「エクセル」を用いての、足し算と引き算の計算ドリルを作成したと書いた。算数の悩みを相談された母親から、そのドリルを用いて子どもが喜んで計算に取り組んでいるとうい嬉しいメールも頂いていた。
 その過程で、遅まきながら気が付いたことがあった。実は算数が苦手な子どもは多い。私が作った計算ドリルはその子どもさんだけを念頭に置いて作成したのだが、他の多くの子どもさんにも使ってもらえる汎用性を有している。そこで私達の姪の子どもや、私達の友人のお孫さんで、小学生や小学校入学前の子どもさんにもそのドリルを使用して貰おうと、メールに計算ドリルの添付を始めた。
 
更には、足し算や掛け算のドリルだけでなく「百マス計算」をエクセルを用いて作成しようと思い至った。いわゆる「百マス計算」は紙に印刷され、そのマスに解答を書き込んでしまうので再利用が出来なかった。パソコンの「エクセル」上では計算結果を入力すると、即座に、正解ならば「〇正解」と出て、正しくない答えのときは何も出ないように作成した。「マクロ」を組んで、縦横の数値を変えらるならば、何度でも利用できるはず。そこで「マクロ」を組んで、即座に数の配置を変化させられるようにした。下の写真2枚は変化させた様子である。
 
ただ、2ケタ+2ケタ(2ケタ+1ケタ)の足し算や引き算の場合は縦に数を並べての計算の方が良いことが多い。そこで縦計算のプログラムの作成も開始した。

 

 


東洋大学学長来る(その2)

2017年09月23日 | 学び舎

 この日の参加者は、学長・副学長の両先生を含めて28名と、予定の35名をかなり下回ってしまった。使用した部屋の定員は消防法上36名。まだ参加を連絡されてこない方もいそうなので、定員を上回ることが予想され、コッソリと、自前の椅子を持ち込む準備も整えたほどだ。しかし、直前に病となった方や、うっかり開催を忘れた方などが合計9名。飛び入り参加者が2名いたので、結局は359228名となってしまった。(写真:講演する学長)






 
定員を上回ることを恐れて“今ひと押し”ビラを作成しながら配布しなかったことを悔やんだ。自分たち主催者も含め、お誘いする対象者の多くが後期高齢者。このことを肝に銘じながら準備しなければならない、と反省した。今後このようなイベント開催の時には、同じ様な失敗を繰り返さない方法を思い付いた。その方策は、次回この様な機会の成功時に記します!(写真:冒頭に挨拶する小林会長)

 竹村先生の講演は公開講座でお聞きしたように流暢で淀みのない話しだった。ただ、この方面に全く不案内なマーちゃんには簡単にまとめることが難しい面もあり、学長先生には申し訳ないが、講演の要約ではなく、私が理解した範囲内のことに付いてのみ記す。

 
     (熱心に聞き入る参加者)

 〇大学の紹介。
 東洋大学は今年創立130周年を迎え、この記念の年に法学部4年の桐生君が100m9.98の記録を出した。白山・朝霞・川越・板倉などの校舎の他、赤羽台に新設校舎も完成。赤羽台と白山で赤と白。紅白で大変お目出度いではないかという人もいる。全部で13学部。学生数が32000人を要する総合大学にまで発展してきた。
 最初は小さな学校で、哲学館と称した。麟祥院の部屋を間借りして開いた。その哲学館を始めたのが井上円了。妖怪博士とかお化け博士としても有名。中野区の哲学堂公園も円了が造った。
 〇次に井上円了の略歴
 
1858(安政5)年の生まれで、1919(大正3)年61歳で逝去。哲学を学び、哲学を基礎にした民衆教育に生涯を捧げた。哲学館設立を目指して日本の全国を巡行の他、海外の教育事情視察の為、3回の外遊。この大きな世界旅行を通じ地球の隅々にまで行った。
 〇井上円了の教え(彼の膨大な著作『仏教活論序論』などからの引用)
(先生はこの部分に一番時間を掛けて語られたのだが、なかなかまとめきれずに悪戦苦闘した結果、次の一言でここのまとめとする)
 
「諸学の基礎は哲学にあり」
 〇妖怪について
 所謂妖怪とよばれる現象を多数蒐集した。古今東西の文献を良く調べ不思議現象の解明に当たり分類した。単純に全てが科学で分かるわけではない。究極の不思議がある。天地万物は不思議に満ちている。それみな妖怪。例えば春に花が咲くのも、秋の月も妖怪。詩句で「老狐幽霊怪物でないものはない。清風明月これ皆怪」と書いた。
 〇活動主義について(『奮闘哲学』より)
 『奮闘哲学』に「天然にある物みな活動している。しからば私達も活動すべきである。吾人も古今東西の哲学を研究し、人生の目的は活動に外ならぬと知った。吾人の天職は活動によって、人生を向上させることを自覚した」と記している。
 〇向上門と向下門について(『奮闘哲学』より)
 哲学には、絶対の真を極めんとする向上門(理論門)と、人に益をもたらす応用としての向下門(実際門)を併置しておかねばならない。向下するため向上するのだ。向下門が目的で、向下するための方便として向上門がある。余は近来はもっぱら向下門に全力を注いでいる。例えば極楽往生した人はそこに安住せずに、苦しんでいる人の救済の為に娑婆に戻って来るという考え方に繋がっている。
 〇まとめとして、学長先生が強調され建学の精神
 「他者の為に自己を磨く」と、学生諸君には述べています。

 翌朝のラジオ体操時に、この講演の感想を聞いた。「難しかった」と語った方もいる一方、良かった・面白かったとの感想もあった。「大学時代に戻ったみたい」とか「哲学の話になるから難しいのは覚悟していた」との思いを語ってくれた方もいた。学長の講演内容ではなく、主催者を自己採点をすれば辛うじての合格点だったか。
 富士前福寿会は、4月の副学長講演会・7月の輪投げ大会3連覇に続きこの学長講演会と、又々大きな山を乗り越えた。

 



東洋大学学長来る(その1)

2017年09月21日 | 学び舎

 丁度1週間前の9月14日(木)、東洋大学学長竹村牧男先生が『東洋大学の創立者・井上円了の人と思想』と題する講演をして下さった。主催は私達富士前福寿会で、開催場所が「本駒込地域活動センター」。

 発端は東洋大学が主催する公開講座だった。『学長による土曜講座「仏教入門」~日本人の心に脈々と生きる仏教とは何か~』の第1回講座を聴いて来たラジオ体操仲間がいた。「大変面白かった」と語っているのを、ラジオ体操に参加している、東洋大学副学長松原先生が聞いて、「そのうち学長に講演に来てもらいましょうか」と言って下さった。身近で学長先生の講演が聞けるとは大変に有難いお話で、これは是非と、こちらから講演会をお願いしたところ、わざわざ「地域活動センター」まで足を運んで下さった。
 以下はその講演会へのご案内文で、ラジオ体操仲間を始めてとして近隣の方々などに配布したものである。この間の経過など重複する部分もあるが、小文字化するなど若干の編集をした文章。
 
『講演会へのご案内
 
「東洋大学の創立者・井上円了の人と思想」
  
”東洋大学学長 竹村牧男先生来る”
  
日 時  9月14日(木) 13時30分開場 14時講演開始
  
場 所  本駒込地域活動センター 4階A室
  
講 師  竹村 牧男先生(東洋大学学長)
 
 主 催  富士前福寿会 (入場無料・一般参加歓迎)
 
私達が住む街から一番近くにある大学が、学生数3万2千人を擁する東洋大学です。この4月からは学長先生による公開講座「仏教入門」が開催されています。かつて箱根駅伝で“山の神”と呼ばれた柏原選手や、大相撲で大活躍している御嶽海の母校でもあり、馴染みの深い大学です。大学構内には学生食堂のみならずレストランもあります。
 
今まで以上に大学を利用させて頂こうと思っていた矢先、はからずも松原先生とのご縁から、学長先生自ら足を運んで下さり、「東洋大学の創立者・井上円了の人と思想」と題する講演をして下さることになりました。これを機会に東洋大学と私達との交流をより深めたいと思っております。
 
井上円了は「諸学の基礎は哲学にあり」という教育理念を掲げ、「余資なく優暇なき者のために教育の機会を開放する」という趣旨のもと、29歳という若さで「哲学館」を創立しました。東洋大学の前身です。
 竹村先生の公開講座を小林会長と川口は受講していまして、淀みない語り口と分かり易く聞きやすい講演を毎回楽しみにしています。創立者の人と思想を分かり易くお話して頂けるものと期待をしているところです。皆さま、是非ご参加下さい。
 竹村牧男先生略歴
 1971年 東京大学文学部卒
 
1974年 東洋大学文学部哲学科教授
 2007年 東洋大学文学部長
 
2009年 東洋大学学長(現在に至る)
 著書に『入門 哲学としての仏教』、『大乗仏教のこころ』、『日本仏教 思想のあゆみ』などその他、多数。 
 
所属学会、日本印度学仏教学会、国際井上円了学会などで活躍中』
 (その後、東洋大学4年桐生祥秀選手が、9月9日に行われた「日本学生陸上競技対校選手権大会」で、100m9秒9.8の日本新記録達成した)
 講演会の様子は次回ブログで。