マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

焼きそばを作る

2010年03月25日 | 身辺雑記

 昨日(3月24日)、ラジオ体操後、早朝散歩は『やせねん』へ。勤務の日々には谷中銀座を抜けて通勤していましたが、勤務を終えた後、少し足が遠のいていました。昨日は久し振りの『やねせん』です。
 この地域の中で谷中銀座はどちらかと言えば観光客向けですが、その通りと垂直に交わる『よみせ通り』の方が地元民向け。だんだん両者の相違が分かってくるにつけ、私には『よみせ通り』の方が親しく感じられます。
 朝7時過ぎ、谷中銀座のお店も、よみせ通りのお店も殆どまだ閉まっていますが、『大沢製麺』は開いています。ここで出来たての焼きそばと生ラーメンを2つづつの計4個を360円で購入。狙いは昼食での焼きそばの使用。少し暇な時間が出来、気持に余裕も回復していましたので、今日の昼食は私が作ろうの想いがありました。

 焼きそばは色々な場面で作って来ましたから、妻からのアドバイスも不要です。
 ①野菜(今日はキャベツ・玉ねぎ・もやし・エノキダケ)をきざんでおき
 ②冷凍の豚肉を解凍後フライパンで炒め
 ③そこへ野菜・ほぐしたやきそば玉・焼きそばの素・ソースの順に入れつつ、良くかき混ぜて炒め、終了です。21日に、地蔵通りで買ってきた玉ねぎスープを添えて、簡単な昼食としました。
 妻の感想は「今日の焼きそばは美味しい」と。勿論私の腕では無く、買ってきた新鮮な焼きそば玉を褒めたのです。『おひとりさま道』の険しさ・厳しさを思います。


『行政書士無料相談会』に参加

2010年03月24日 | 身辺雑記

 

 3月23日、行政書士無料相談会に参加しました。昨年の8月以来2度目の参加です。午前中の担当者10名ほどで、文京区役所シビックセンター地下2階の広場に机・椅子を並べ、旗を立て準備を完了し、相談者の来訪をまちました。

 

 

 


 

 今日の相談会には、珍しく、この道20年のベテランで税理士のK女史も参加していました。私はその相談振りを拝見してはいませんが、Mさん曰く「相談振りを傍で聞いているだけで勉強になります」との事。最初に相談に訪れた方がKさんの前に座りましたから、私はKさんの直ぐ隣に座り、相談者の話を聞くと同時にKさんの相談の様子をも拝見しました。私より年齢を超えているかに見えるベテランKさん、まずじっくりと相手の方の話を聞きます。そして直ぐに明快なお答をしていました。長い経験で培われた知識と税理士ならではの税に関連する話しも交えてのアドバイス。税の知識の必要性も感じました。

 
 今日私が受けた相談は3件。内容は相続・共同家屋での管理規約・成年後見制度です。
 最初の相談は相続の遺留分に関する相談。遺留分とは、難しく定義すると、次の様にります。
 『遺留分とは、一定の相続人に留保された相続財産の一定の割合であり、被相続人の生前処分または死因処分によって奪うことのできないものをいう』となります。
 例えば、被相続人が遺言で全財産の相続を愛人に指定してしまった場合、妻や子供たちが「それはないだろう。夫(あるいは父)名義の財産とは言え、家族皆で協力して作り上げた財産、私達の生活の為にも必要」などと言える権利で、民法1028条に規定されています。”外”に流出しかねない財産を、一定限度”内部”に残す為の制度。
 全財産の2分の1を総体的遺留分として認め、その総体的遺留分を、法定相続分で比例配分した額が請求者の個別遺留分になります。ここで重要な事は被相続人の兄弟姉妹には遺留分は認められていない事です。
 これらの事をお答した後、分からない部分はより詳しいKさんにバトンタッチをしました。

 いよいよ、4月3日から相続・遺言専門の「黒田塾」の講義がスタートします。より詳しい専門的知識と実践的方法を学ぶ必要性を痛感する日々に待ち遠しい4月3日です。


『沖縄密約』(西山太吉 岩波新書)を読む

2010年03月22日 | 読書

 今日(3月22日)は、我が家の味噌作り。妻の友人のTさんと私を含め3名で22Kgの味噌を作る予定は3月7日でしたが、Tさんが怪我をし、妻の体調が思わしくなかった事も重なり、今日まで延び延びになっていました。

 味噌作りは、総計ではかなりの時間を必要としますが、大豆を茹でている間は暇です。この間を利用して、半分ほど読んでいた『沖縄密約』を読み終わりました。
 今から38年前、当時毎日新聞記者であった著者西山太吉さんは、沖縄返還に関する「密約」の機密電文を入手し、それを社会党(当時)横路議員(現衆議院議長)に手渡します。横路議員はこの電文のコピーを基に国会で政府を追及し、世論は政府を強く批判しました。当初は西山記者に拍手喝采を送り、西山さん逮捕を言論弾圧と政府を非難し、西山さんを擁護した国民やマスコミは、著者が外務省の女性事務官と”ひそかに情を通じ、これを利用して”唆して文書を入手したとの検察表現を境に”バッシング”に転じます。最終的には”国家機密漏洩教唆の罪”により、懲役4ヶ月(執行猶予1年)の有罪が確定します。
 最近この秘密文書の存在が政府により明らかにされました。漸く「国家のウソ」が白日の下に明らかになり、これに伴い西山さんがマスコミに再登場して来ました。先日の衆議院外務委員会に参考人として出席もしました。

 本書は上記の経過については余り書かれていません。書かれていることは「沖縄返還」交渉の経緯と「密約」が生まれた背景。
 「緊急時には沖縄に核を再持ち込み、通過する権利を認めよ」が米側の要求。これは「非核三原則」を唱える日本の世論と相矛盾します。米側の要求をのみ、日本の世論を納得させる(=欺く)為には、表向き「核抜き・本土並み」での返還を謳い、一方で「密約」により米側要求を”飲む”手法です。
 もう一つの問題点は返還に伴う補償や財政負担の問題。「土地の原状回復補償費」400万ドルを、米側が負担したかに見せかけて、実は日本側が”肩代わり”負担した事実。これも「密約」でした。
 これらが「密約」をせねばならなかった、日本政府側の、特に外務省と財務省(当時大蔵省)の置かれていた状況。数々の文書を通じその事実が述べられていました。
 読み終えて、政府の”密約否定”はとうていあり得ないと納得出来、本書で述べられた「国家のウソ」は氷山の一角ではないかという想いを強くしました。
 

 

 

 


六義園の年間パスポート購入

2010年03月21日 | 身辺雑記

 昨日(3月20日)、六義園の年間パスポートを購入しました。普通1200円のところ、シニア割引で半額。これがあれば、向う1年間、開園日には何時でも入園出来ます。3月19日か3月31日まで「しだれ桜と大名庭園のライトアップ」が開催されていますから、この時期に購入するのがベストです。昨日は「まだ蕾です」の掲示が出ていて、”枝垂れ”を一目観ただけで帰って来ましたが、今日訪れると「開花」の表示。入園後、直に枝垂れ桜を観に行きました。

           (正門に”開花”の掲示)


          (染井門入口)


      (枝垂れ桜は開花したばかり)


 確かに枝垂れ桜は、開花間もない感じで、花弁がちらほらですが、この花の枝ぶりがしっかり見渡せ、これはこれで良いなと思いました。その裏手の枝垂れは、やや高い所に咲いていて、見上げるとこちらは満開。待っていた、漸くの春の訪れです。

      (枝垂れ桜が微かに開花)


      (満開の枝垂れもありました)


 (六義園での満開第1号です)



 今日は、巣鴨の地蔵通り商店街に用事があるので、六義園の池一周は避けて、馬場跡を真っすぐ染井門へ。染井門で六義園を出た後は、一直線に染井霊園へ。ここはお墓参りの人で混み始めています。午後になればより多くの人で賑わう事でしょう。桜はまだ蕾です。

 霊園を抜けて「とげぬき地蔵」通りへ。この辺り、この3連休は「どんがら祭」とやらで、その謂われは知りませんが、珍しい物を安く販売したり、ランチがお安くなっています。私達は洋食店「アルプス」で、100円引きのランチ。2人で2000円で済ませました。昼食後とげぬき地蔵通りで用事を済ませ、数軒のお店を覗いた後、六義園に舞い戻り、甘酒を食して帰宅。3連休の一日を地元散策でお安く過ごしました。
 


『大相撲』をテレビ観戦

2010年03月19日 | 身辺雑記

 昨日(3月17日)は、ホッとした気分で久し振りにゆったりと『大相撲』をテレビ観戦しました。

 今場所は上位陣が安定し、昨日も順調に白星を重ね、今のところ優勝争いが面白そうです。朝青竜引退後、「それぞれが目標を持ち、プレッシャ-の中にいる」と解説の舞の海さんは語っていました(
向正面の解説は元武双山の藤島親方)。確かに白鷗には”一人横綱”の重圧が、関脇把瑠都には目前の”大関”が。大関陣にも気合が感じられ、名物横綱無き後の土俵には緊張感が色濃く感じられました。ただ”結び”前3番に登場する6人のうち、日本人は稀勢里のただ一人。これが少し寂しい。

 私の贔屓力士は西前頭5枚目の豊真将。次の様に書かれた新聞記事を読んだのが切っ掛けです。
 <埼玉栄高校では全国大会に出場して活躍し、その後日本大学に進学。入学当初からレギュラー格で活躍するも、蜂窩織炎が悪化したため1年で相撲部を退部。一時は相撲を諦め、警備員などアルバイト中心の学生生活を送っていた。その後蜂窩織炎の状態が良くなったこともあって再び相撲を志し、日大を中退してアルバイト先の社長の紹介で開設されたばかりの錣山部屋(親方は元寺尾)に入門>
 一度は捨てた相撲への想い断ち難く、年齢ぎりぎりで大相撲の世界へ入門。私は、こういう経歴の持ち主に極端に弱いのです(将棋界で言えば瀬川昌司)。その豊真将をテレビで見て、姿形や振舞いが美しく感じられ、贔屓になりました。

 大相撲は”栃若時代”から観戦していますが、毎日の取り組み結果に一喜一憂するほどの贔屓力士は、今までに僅か4人。初代若乃花・大関清国・大関霧島と豊真将。豊真将は敢闘賞・技能賞をダブル受賞するほどの大活躍をした場所もありましたが、2009年の5月場所では千秋楽に漸く1勝をあげ、危うく全敗を免れて涙ぐみ、その姿を見て感動したと「声の欄」に載ったこともありますが、私はそのような事で感動するのでは無く、三役の一角に定着してほしいとの想いで観戦しています。