マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

プロジェクターを購入

2019年12月26日 | 文高連

 文高連の機関誌『文高連だより』に投稿を依頼して来たMさんから、11月に入って、小林会長を通じて「私達のクラブの誕生会でお話をしてくれませんか」との話があった。『だより』には“散歩おたく”と題したものを綴ったのだが、それに類する話をして下さいとのことだった。
 
OKしたいと思ったが少し躊躇った。私は洒脱に話が出来る人間ではない。12月の「協働のまちづくり講座」でもプロジェクターを通しての映像を頼りにして語ったのだった。プロジェクターが準備可能ならばこの話引き受けてもいいなと思った。高齢者クラブは普通プロジェクターを持っていないし、開催を予定している活動センターにもプロジェクターは置いていないとのことだった。
 行政書士を開業していたころプロジェクターがあればいいなと思ったことがあり、量販店に行って調べると少なくとも10万円はして手が出なかった。最近はどうかとネットで調べると、多くは4万円から5万円はするが、“人気ランキング”10位以内に何と1万円台のものが登場していた。多分外国製のものだろうが、これならば手が出ると思い、思い切ってAmazonでネット注文した。「YABER Y60」プロジェクターという製品で、ネット価格は11900円だった。
 製品が届いても果たして写るか不安があったので、用事で「こまじいのうち」に電話した際にプロジェクターの有無を聞いてみると、最近購入したとのことで「何時でも使っていいですよ」との話。ネット注文にしろ、こまじいのうちから借りるにしろプロジェクターの手配は可能となったので、小林会長を通じて依頼された話「OKです」との返事をした。(写真左上の4200LMとは明るさのレベル。最低2000LMは欲しいとされている)



 注文して2日後に製品は届いた。やはり外国製のもので、マニュアルは英語で書かれ、日本語版は簡素化されたものだった。設定で苦労したがなんとか何とか写った。更に本駒込地域活動センターでも試してみた。外部からの光をほぼシャットアウトすれば良く見えた。(プロジェクターとパソコンを接続する右のような部品は職場でもよく見ているがその品名がVGAケーブルということも初めて知った)。ホームシアター用としても使用してみたい。


『文高連だより』に掲載される

2019年10月03日 | 文高連

 一昨日夜、孫の七五三参りを終え北海道から帰京した。その事は次回のブログに廻したい。帰宅すると、文京区高齢者クラブ連合会の機関誌『文高連だより』が届き、その4ページに私が投稿した記事が掲載されていた。そちらから綴ることとする。
 『文高連だより』は最近では年に3回発行され、今年の10月1日号で通算498号となっていた。カラフルな4ページ構成の見事な機関誌だ。高齢者クラブの機関誌としてはなかなかのものだと、文高連の先達のここに至るまでの努力・実績を知ることともなる。
 昨年だったと思うが、編集部の人事が入れ替わり、新編集部は新たな企画を始めていた。この機関誌に投稿してくれそうな人の1・2名のピックアップを各クラブに
要請して来たのだ。我が富士前福寿会では小林会長から(他の方もいたかも知れないが)私にどうかとの話があり、私はOKの返事をしていたところ、今年の6月に具体的に投稿依頼が来た。このシステムの良いところは、いずれ投稿依頼が来るだろうなと予想し心の準備が出来たり、予め原稿を書いておく方ことが出来る点にある。
 
私も依頼が来ればこんなことを書こうと思っていたので、原稿は直ぐに完成し、締め切り7月に問題なく間に合った。その原稿が10月1日号に掲載された訳だ。内容はブログに書いてきたことと大分重複している。「話題の人」とのタイトルだが、話題があって、私がそこに登場した訳ではないだろう。この記事を読んで、あるいは話題となるかも知れないという寸法だ。投稿のお礼の言葉を頂いていたが、発行日10月1日は私の78歳の誕生日と重なり『文高連だより』は良い記念となった。こちらから感謝したい。
 以下最初に498号の私の投稿文。その下に496号の「田町みのり会」の宮原一敏さんの文。
  

  

 


僥倖に恵まれて、準優勝

2019年07月21日 | 文高連

 一昨日の19日(金)、文高連主催の第34回輪投げ大会がシビック内シルバーホールで行われ、私達の富士前福寿会はラッキーなことに準優勝した。

 前回優勝の播磨坂クラブAと準優勝の寿神明クラブAは都大会に出場し、両チームの活躍は目覚ましいものがあり、高得点を挙げたと聞いていた。
 18日(木)の予選会で寿神明クラブBは5回の投擲のうち3回が100点を上回り、合計得点499点と破竹の勢い。対して私達のチームは100点以上引き離されての6位での予選通過。

 決勝ラウンドでの播磨坂Aチームの第1投の得点は155点。多分1回での得点としては文高連新記録。神業とも思える得点で、他チームの戦意を喪失させるのに十分の得点だ。私達は僅か83点。この時点で優勝は諦め、いとせめて6位以内に入り、城北大会への出場権を得られればいいと、目標を低く定めざるを得なかった。
 4連覇を成し遂げたのは僅か1年と5ヶ月前のことなのに、この間の播磨坂クラブや寿神明クラブの台頭は目覚ましく、私達からはかっての勢いが失せたかに見えた。

 それでも5投終了時点では2位。何とか2位をキープして美酒を味わおうと全員気合を入れて最終ラウンドに臨んだのだが、結果は酷かった。一桁点数者が3名。合計点も72点。これでは2位どころではない。4位か5位もありかなと、落ち込んだ気分で閉会式の列に並んだ。
 成績結果が発表され、私達は何と2位だった。518点という高得点ではない準優勝。後で、他チームの得点を見ると、2位争いをしていた播磨坂Cチームなど数チームの最終投は軒並み低得点。辛うじて2位の賞状と賞金を頂いた。サイゼリア後楽園での祝賀会兼反省会にはほっとした空気が流れ、珍しく痛飲する御仁も出たほど。(決勝戦での得点表は最下段に)

 前日1位だった寿神明クラブBは6位。都大会で大活躍した寿神明クラブAは最下位の24位に沈んだ。このゲームではこんなことも起こるのだ。しかし、乱高下がありうる輪投げゲームで播磨坂チームの安定感は揺るぎないようにも見える。私達は最終結果140点も差を拡げられての敗北。その座を脅かすことは可能だろうか?

 
 


富士前福寿会、地元の小学校と交流

2019年07月09日 | 文高連

 7月5日(金)、私達富士前福寿会は地元の小学校と交流のひと時を持った。多分、小学校のほうから、高齢者クラブの活動室を通じて「輪投げを指導してくれる高齢者クラブを紹介して下さい」という様な話があったのだろう。地元であり、輪投げでは有名な私達のクラブに打診があり、相談を受けた会長の小林さんを含め5人で、小学校にお邪魔した。
 活動室の方が運んできた「輪投げ」一式を、私達は体育館に4組セットし、待っていると、現れたのは4年生の2クラスで、合計人数は45人程度。3時間目の授業だっただろうか。この日は、”太巻き寿司作り”と”輪投げ練習”の2つのコースが用意されていて、寿司作りを指導するのは、やはり、ご近所の高齢者クラブ゛浅嘉長寿クラブ”の皆さん。その方々と私達5人が前に立って紹介されると、「宜しくお願いします」と、元気な、大きな声が返って来た。
 全員が担任の先生によって2つのコースに分かれた後、輪投げを選択した23人の生徒を前に小林会長が輪投げ起源などを説明し、会長夫人が模範演技を披露した。輪投げは4つセットされていたから、私を含めて4人が模範投擲を披露するのかなと、張り切りもし、緊張もしていたのだが、私を含め他の3人の出番はなかった。(写真:説明する小林会長)











 児童23名に先生1人を加えた24名を4つのコートに分け、各コートの6名が輪を投げ合計点を競った。通常は5m先の得点台に投げるのだが、小学生用はやや短い3m離れたところから投げた。私達は審判員になった。最初は台を越えてしまう投擲が多かったが、段々慣れてきて見事得点棒に入る輪が増えて来た。得点を掲示しチームで競い合うようにしてあったので、熱中する子供さんも多数いた。6人の投げた得点合計が100点を超えるチームもあった。6人が6回投げてゲーム終了。










 輪投げの指導というより、授業のお手伝いになっていた。最後に、太巻き寿司組の作った手巻き寿司を私達も頂いた。形がやや崩れたお寿司もあったが美味しかった。
 平均年齢80歳に近い高齢者クラブと小学4年生の出会いは交流になっていただろうか?児童たちが夢中になる姿を見て、立派な交流になっていたと思う。
 跡見学園との交流に続いて小学生との交流。文京区の高齢者クラブが地域で果たす役割は少しずつ拡大されているように見える。
 


輪投げ大会で惨敗

2019年02月21日 | 文高連

 実は昨年の夏に行われた、文高連第32回輪投げ大会で、私達富士前福寿会は3位に終わり、連続優勝は4回で途絶えていた。今第33回大会は予選会・決勝ラウンドが2月19日(火)~20日(水)に行われ、昨日の決勝戦で私達は9位と惨敗した。
 普通、前大会の6位まではシードされ、予選会には出場しなくてよいのだが、今回は出場チーム数の関係で、シードは2位までで、3位だった私達は予選会から出場した。 
 予選会は得点443点(5投)で参加47チーム中の2位通過。1位の「播磨坂クラブA」は全てのゲームで100点を超えるという、輪投げ大会史上初めての快挙で、合計546点で予選を通過していた。私の得点は43点。今までで最低点だった。
 20日が決勝大会。
 朝のラジオ体操の時、会長の小林さんがやって来て「不調は前日までの旅行が原因では?決勝では投げる順番を1番目にして、気分転換を図ろうか」との話。私はトップバッターの得点が低ければチームの士気に係わると思い、その提案には乗らなかったが、心使いは有難いと思った。
 ただ投げ方のどこをどう変えれば分からないで気分は暗く、出来れば出場したくないななどと思ったりした。しかし試合当日には不可能なことで、私は上着から靴、靴下など着ていたものは全て替えて気分転換を図り大会に臨んだ。

 決勝大会(6投)では我がチーム全員の調子が悪かった。おなじコートで3番目に投げる播磨坂チームは100点以上を連発するに対して、私達は60点台が3回、100点以上は1回。まるで勝負にならなかった。目標点600点に遠く及ばない459点。私は辛うじて100点を超えていた。前日の審判を勤めていた、丸山延寿会の伊藤さんから「投げ方は良いのですが、投げた輪が得点板を超え過ぎています。投げる位置を少し後ろにずらしたら」とのアドバイスがあった。それを実行した結果惨めな成績で終わらなかった。こうしてアドバイスをしてくれる人がいることをしみじみ有難いと思う。
 隣組の寿神明クラブAの、初の準優勝と寿同志会の古豪復活は少し悔しいが嬉しさの方が大きかった。
 反省会は「サイゼリア」で。文字通りの反省もした。662点も出した播磨坂チームとの得点差は200点以上。衝撃的敗北だ。このチームの得点を上回ることは尋常では出来そうにない。運を天に任せるのみではどうしようもない。果たしてどうすれば良いのか?