暫しエルトゥールル号から離れます。 「伊勢五本店」というお酒卸問屋が千駄木3丁目にある。2年ほど前、そこの宣伝広告が入っていて、直ぐに行ってみると、入口の構えからして立派で、洋酒・焼酎だけでなく日本酒も名酒が多数揃えてあった。いっぺんにこのお店が気に入った私は、自宅から自転車で10分という至近距離にあることもあり、足繁く通い、〆張鶴などの吟醸酒や本醸造酒などを購入してきた。(写真:伊勢五本店入口)
つい先日ここのホームページを見ていると“中目黒に伊勢五本店 OPEN!!”との記述を発見し、目黒川沿いなので行くこともあるだろうと嬉しくなった。が、こちらのお店の名前に本店とあるのに違和感を覚えた。しかし良く調べてみると、このお店の正式名称が「伊勢五本店」で、その2軒目。本店や支店の区別があるのではないことを知った。
文京区千石に「伊勢五」という享保年間から続く米屋がある。建物は登録重要文化財の指定を受けている。さてこの「伊勢五」も「伊勢五本店」も同じ文京区内にあり、創業は共に江戸時代。何か関係があってもおかしくない。そこで「伊勢五本店」の方で「伊勢五」との関係を聞いてみたら「関係はありません」とにべもなかった。詮索・推理好きな私は勝手な推測をしている。根は一つだったが何かの事情で江戸時代に枝分かれしたのではないかと。次回はお米屋の「伊勢五」に聞きに出かける積り。
閑話休題。それはさておき、
”本店”で「〆張鶴 吟醸酒 純」(税込1620円)を購入し、4月2日の「源氏の会」の花見の席で皆さんに味わって貰うと、その中でSさんがいたく気に入って、「〆張鶴」を購入したいとのこと。6月の例会の帰りご案内した。白山上から浅草寿町行のバスを千駄木一丁目で下車し徒歩7分で、須藤公園の直ぐ上の「伊勢五本店」着。彼女は花見時と同じものと「〆張鶴 吟醸生酒」を購入し、飲み比べてみるそうな。
私は「獺祭(だっさい) 吟醸酒」の小瓶を購入しようと思っていた。最近あちこちで「獺祭 入りました」の文字を良く見かけるお酒だ。23%まで精米した「純米大吟醸」は720mlで5142円(税込)。ちょっと手が出ないお酒だが、その日はその隣に「獺祭 等外」という良く分からない瓶が並んで置いてあった。
そこで店員さんに聞いてみると「大吟醸と同じ山田錦を用いているのですが、好適米から外れた等外米を、それでは農家さんが可哀想と、旭酒造さんが購入して作ったお酒で、純米大吟醸と同じく23%まで精米してある獺祭です」とのこと。お値段をみると半値の2400円台。これは是非と購入し、その夜早速試飲して見た。香りが佳く、更に「〆張鶴 吟醸酒」より味が濃い感じだった。〆張鶴の方が私は好きだが・・・。
村上で〆張鶴を訪問したときに「伊勢五本店」の名を出すと部長さんは「沢山卸させて頂いています」と語っていた。まだまだ〆張鶴を味わうことが出来そうだ。
敬愛する女性登山家、田部井淳子さんが2年前にがんを煩い、闘病のさなかにあると知った。
25年ほど前、その当時進路部にいた私は「東京モード学園」主催の、彼女の講演を聞いたことがあった。女性として初めてのエベレスト登頂を果たしていた。筋肉隆々たるお方かと思いきや、小柄な華奢な体の方が現れたのには驚いた。偉大な足跡にもかかわらず、偉ぶったところが全くなく、自らの生い立ちから始まり、35歳でのエベレスト登頂・七大陸最高峰の制覇までを淡々と語った。細部の話は忘れたが、「運動能力が弱い私でも、好きな山登りに打ち込んできたお蔭で実現出来たことです」の様な話を記憶している。その話の内容と人柄に惚れた私は、彼女を、当時の勤務校の、向丘の「PTA講演会」の講師にお出で頂こうと、かなり積極的に動いた。しかし、事務所に講演依頼の電話をすると講演料50万円と聞き断念した経過がある。
その後の華々しい活躍もさることながら、山からのごみ持ち帰り運動と積極的に関わるなどの活動歴を知るにつれ、尊敬の念も増していった。3年前には常念小屋で、何人かの山仲間と談笑する姿も垣間見た。身近に感じられる登山家でもある。
その田部井さんが、がんに侵され、8か月間に及んだ、抗がん剤治療を終えたそうな。手や足に激しい痺れ、階段を登るのにも激しい痛みが伴い、辛そうな表情が場面に流れていた。
しかしそんな状況にも関わらず、完登率60%の富士山に、登山経験の全くない高校生86名全員を登らせようとのプロジェクトを実行に移したのだ。題名は『一歩一歩 あと一歩』。 福島県は三春出身の彼女。被災地東北への思いは人一倍深い。東北の高校生に向けた右写真の呼びかけをした。登山を通じて、若い人たちを応援したいと考えたのだ。「一歩一歩登っていけば、必ず目標を達成できるということを、体で感じてほしい」。これこそが、彼女が伝えたいメッセージ。「モード学園」の講演会で私が聞いた事柄に通じる。この呼びかけに86人もの高校生が参加を決意。参加動機には多くの若者が「前を向いて進むキッカケがほしい」と綴っていた。
当日は午前2時スタート。7時間はかかるこの登山に一人の脱落者も出さずの山頂という快挙。田部井さんは、歩けなくなった高校生を幾度となく励ましていた。「どんなに辛いこと、苦しいことも、自分の足で一歩一歩、地味な努力を続けていけば越えられる」。彼女が登山から得たものは、人生にも通じる。言葉からの励ましだけでなく、一緒の”成功体験”を通じて高校生に伝えたかった”遺言状”。私を含め、この番組を観た、多くの人に励ましというご褒美をくれたことだろう。
(山頂で高校生一緒に歓声をあげる田部井さん)
(写真:エベレスト女性初登頂時に)
(カルステンツ・ピラミッド登頂直後に)
山旅から帰ってきて、数日後に階段登りを再開した。山登りに備えて、その2ヶ月前からトレーニングを開始するのが今までの習慣だったが、今年は、少し考えるところがあった。折角ついた筋力が落ちてしまうのが惜しかったし、大げさに言えば、山登りだけでなく、今後も元気に、いろいろな運動・活動できる脚力を維持したいと考えての結果だっだ。今後も末永く続けるとすれば、他の場所も利用してみたいとの”浮気心”が芽生えてもいた。
私の住む周りには、坂は多いし、階段も多い。東洋大学の裏手・白山神社裏・小石川植物園傍の簸川神社等々。「文京の坂」に登場する曙坂は坂ではなくて階段。お化け階段も登場している。何処の坂に行こうかと、少し迷ったが、一番近い白山神社がベストに思え”実踏”に行ってみた。階段数は44段。富士神社ほど急坂ではないが、それなりの勾配と標高差(推定8mくらい)があった。1回の上り下りに要する時間が、1分8秒ほど。1回に要する時間は、富士神社のそれよりも短時間で終わりそうでもある。神社の裏側にあるので、それほど人の往来も多くなさそうなので、当面ここと決めて、白山神社に通い出して4日目。20回の上下運動を始めた。まだ暑くならない内の有酸素運動。糖尿病予備軍の私には、その面でも良い選択か。(写真:正門)
(神社裏側の階段) 8月24日の今日は日曜日。6時5分に白山神社を後に、巣鴨駅付近にある宮下公園に回った。日曜日は富士神社のラジオ体操は無い。前日に、公認一級ラジオ体操指導士の資格を持つ渡辺さんから、毎日曜日は宮下公園に出掛けていると聞いた話がヒントになった。私もここへと思い、この日は自転車で移動。6時15分公園着。この公園に5年間のご無沙汰。周りや公園内の写真撮影に精を出していると、6時25分に、みんなの体操が始まった。渡辺さんの華麗な体操に見惚れていると、足の辺りが非常にカユイ。蚊の熱烈歓迎を受けてしまったのだ。周りを見ると半ズボン姿は私一人。蚊は私一人を集中攻撃。大きなミスをしたことに気が付いたが、後の祭り。慌てて公園の外へ出て、何とか第1と第2のラジオ体操をコナシタ。
富士神社の体操ではお互いの姿が見渡せるのに対して、ここでは、鬱蒼と茂る、多くの樹木に遮られて、全体は見渡せないが、60名を超える方々がラジオ体操を嗜んでいた。(写真:指導員お二人。左、渡辺さん)
三遊亭円左衛門から、第29回のやねせん亭は「兼好卒業公演!」とのご案内メールが届いた。多分、三遊亭兼好が売れに売れ始め、多忙を極めているので、このやねせん亭への出演まで手が回らなくなったのだろうと想像出来たが、一応その辺の事情を確かめたかったし、兼好を気楽に聴ける機会が遠のくことでもあり、これは是非と、妻と、「不忍通りふれあい館」に出かけた。
18時半開場の10分前には会場着。最前列の席を確保した。 暫く振りのやねせん亭。右写真に見るごとく、この日の演目がコンパクトに印刷されたプログラムが用意されるようになっていた。実際は前座の登場より前に、円左衛門・兼好・王楽の3人が登場し、円左衛門の司会で、兼好の人となりを、兼好と王楽に語らせるという趣向が用意されていた。
円左衛門は質問その1で、いきなり話題をワールドカップに振った。兼好は大学時代にラグビーをやっていたので「サッカーもかなりやっていましたが、着物を着るようになってからは、運動することが少なくなり、スポーツは観るだけです」と。
すかさず円左右衛門、その着物に関して、「多くの落語家の中でも兼好君は、何時も着物、これには理由があるのか是非聞きたかった」と。兼好の答えが面白い。「忘れ物の多い私。着物を着っぱなしでいると、帯や足袋を置き忘れすることがなくなることに気がついて以降着物。又、着物姿は憧れではなく、かって現円楽師匠から、”有名になったら目立たない様に背広。有名でないうちは目立つように着物”と言われ、いまだにその言を実行しています」と。その志や良し。
王楽との関係の話も面白かった。兼好が好楽に入門当時、7歳年下の、師匠の息子一夫(後の王楽)は落語家になるような素振りはまるでなく、家族ぐるみの付き合いのなかで兼好は一夫に奢ってもらったこともあったそうな。しかし、王楽が先代円楽に入門後は、兼好を兄(あに)さんとも思い、兼好の背中を見ながら修業に励んできたそうな。
最後に抱負をと問われ、兼好は「こちらへは頑なに来ないというのではなく(大笑い)、又機会がありましたら、こちらへ参りたい」と語ったが、その機会はかなり減るのを見越しての”卒業”なのだと理解した。
さて兼好の『お見立て』。吉原の花魁に惚れた、田舎の金満家が久しぶりに吉原へやってきて、若い衆を通して、件の花魁をご指名。この豪農が嫌いな花魁は中間に何とか断ってくれるように頼む。花魁と豪農の間に立った、この若い衆の困惑表現が見もの。
馴染みの観客の前で、気負いは感じられず、のびのびと表現する兼好。喜び・悲しみ・困惑・怒りなどの表現が、単に言葉だけではなく、全身で、特に眼と表情で語る様子が、最前列なのでよ~く見えた。卒業公演に相応しい熱演でもあった。兼好を堪能した一夜。
夕食は、徒歩3分の海上海へ。焼きそば・餃子・マーボ豆腐の3皿で、私たちには十分。〆て1920円だった。
2年ほど前、私のような者に、私が暇人であることを良くご存じの方から、日本退職教職員協議会・「日退教」の編集委員への依頼があり、頼まれるとNOと言えない私はその役割を引き受けた。2ヶ月に一度ほどの編集会議に出席することと、時折、機関誌の編集後記を書くことが主な仕事だが、時に動員要請が来ることもある。
2月20日(木)に「介護保険制度の充実を求める院内集会」が参議院議員会館で開催され出掛けてきた。
「日本高齢・退職者団体連合」(略して退職者連合)という連合体の主催だった。
連合体の目的とするところは、高齢者の生活を守り平和で豊かな福祉社会を建設し、その実現のための諸活動を全国規模で推進することにあり、「日退教」もその一員である。
「介護保険制度」が2000年に開始されてからこの4月で14年になる。この間私は、親の介護も含めて介護をほとんどしたことがない。母親は妹夫婦が面倒をみてくれた。それもあり、介護に関わる費用は1割負担程度の知識し持っていない。私の弱点の一つ。今後介護したり、されたりすることが予想され、少しは学んでおこうとの思いもあり、この集会に参加した。
入館するには特別なカードがいる。集会場所は広い、立派な講堂である。政党からの挨拶は、民主党の『次の内閣』ネクスト厚生労働大臣山井和則参議院議員、社民党々首吉田忠智氏など。この問題に深く関わってきたらしい山井氏の話がわかりやすかった。
社会保障制度が揺らいでいる。社会保障制度改革国民会議の報告書には、その最大の原因は「高齢化・少子化」にあるとしている。改正に名を借りた、改悪となるような案が国会へ提出される前に、退職者連合として行動を開始しようというのが今回の集会の狙いだったように思う。
自治体間格差が拡大する問題、サービス水準が低下しかねない問題、社会保険制度の原則にかかわる問題が懸念されている。私自身が学ばねばならないことに気づかされた集会だった。
帰路は三田線日比谷駅までと歩き始めると、皇居周回コースを走るランナーが目に入った。20数年前、週に何回かWさんと走った懐かしさから、皇居の周りを歩くことに決めた。目的は神保町にある中華料理「源来軒」の焼きそば。約50分で到着。時刻は1時5分前。満席に近かった。
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