マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

花と寺と

2013年03月30日 | 東京散歩

 3月29日(金)の昨日、旧安田楠雄邸の枝垂れ桜が気に掛り、ラジオ体操終了後安田邸へ向かったが、塀越しでは咲き具合は確認で出来なかった。そこで森鴎外記念館の前の大観音通りから、本郷通りへと廻り、一筆書きルートで帰宅した。この間に覗いたお寺さんは10ほど。この数日間の花冷えで、桜はかろうじて持ちこたえ、本堂などを背景として桜が美しかった。寺と桜は良く似合う。特に大観音で名高い光源寺の桜が見事で、昼過ぎ撮影に出掛けた。光源寺・目赤不動・天栄寺・圓通寺と廻った。
 今日は吉祥寺の枝垂れを撮影し、東京国立博物館へと出掛け、主として裏庭を散策した。少し寒かったが多くの人で賑わっていた。
 今日のブログは2日間の撮影記録。

 
          (光源寺)                (光源寺 大観音堂)
   

          (天栄寺)
 
         (目赤不動1)                                      (目赤不動2)


          (圓通寺)

 
     (目赤不動付近に咲く深山含笑)             (吉祥寺の枝垂れ桜)

  
      (上野桜木町 大黒天)                (大黒天は有名人の石碑多数)


     (土・
日開門の黒田門から東博の庭を観る)
 
     (寛永寺 開山堂の”御車返しの桜”)                     (開山堂内の枝垂れ)


      (東博に咲く”ヨシノシダレ”)


        (東博裏庭 その1)


         (東博裏庭 その2)


  (ご近所の江岸寺の御衣黄桜は3分咲き:4月1日撮影

 


伝法院『大絵馬寺宝展と庭園拝観』

2013年03月28日 | 東京散歩

 3月24日(日)、北海道から上京していた息子夫婦と「海上海」で昼食を摂り、タクシーで秋葉原へ抜けた。彼らはここから直通バスで羽田へ、私達はつくばエクスプレスで浅草に向かった。主たる目的は浅草の伝法院。ここで3月21日(木)~5月7日(火)まで「大絵馬寺宝展」と庭園拝観が行われいる。寺宝の絵馬も庭園も素晴らしいものと聞いていたが、めったには観られない。この日の来るのを楽しみにしていた。




 宮戸川からの観音像の示現以来、約1380年の由緒と歴史を持つ金龍山浅草寺。聖観世音菩薩を本尊としてたてまつる観音堂には、古くから観音信仰の証しの一つとして絵馬が掲げられたそうで、現存する絵馬、扁額は約250点。奉納願主の依頼により、その当時の一流の絵師が丹精を込めて筆を取った大絵馬が、今回の展示でも多数展示されていた。一例を挙げると
 「源三位頼政鵺(ぬえ)退治図」(高嵩谷作)
 「楠公桜井の別れ」「錣引(しころびき)」(長谷川雪旦作)
 「韓信股くぐり」(三代堤等琳作)
 「掘河夜討」(菊池容斎作)
 「一つ家」(歌川国芳作)
 「陣幕土俵入」(二代目歌川国輝作)
 「関羽」(二代目鳥居清元作)
などの大絵馬が展示されていた。屏風図は多々観て来たが、絵馬鑑賞は珍しい。いずれも故事に題材を取った作品で、絵馬そのものの鑑賞だけでなく、故事をも偲べ、実に楽しかった。

 そこから庭に出る。庭は小堀遠州によって築庭のされた、約1万平方メートルの回遊式庭園。
 初めて見ましたが、いや、見事極まる庭園でした。
 六義園よりはるかに小ぶりの池の周りを歩むにつれて景色が変化します。満開の枝垂れさくら咲き、間近に五重塔が聳え、その背後にスカイツリーが望める。その様子は写真に。無料のお茶接待も好印象。平成23年に国の名勝に指定されたというこの庭園、入園料は300円。最近では一押しの庭園。収益は全て東北復興義援金に回すとのこと。


 
  



 


    (背景の赤い色の建物が浅草公会堂)


     


染井霊園で花見

2013年03月26日 | 身辺雑記

 3月23日(土)、源氏の会の皆さん9名で、染井霊園の一画で花見の会を開催した。4月6日(土)に予定していた宴の2週間前倒しである。
 染井は
ソメイヨシノ発祥の地。六義園染井門前から東京スイミングへと通じる道には、江戸時代、多くの植木職人が住んでいたという。その道が突き当たる所に染井霊園は位置し、植木街の名残か、墓地のあちこちにソメイヨシノが植えられ、見事な花を咲かす。高村光太郎や岡倉天心の墓所もある。その霊園の一画に、花見の宴を張るに相応しい場所がある。静かな花見には恰好な場所である。場所取りの必要は少ないが、朝7時ころ事前にシートを敷き、ここ使用の”権利”を示す指標の貼り紙をした。(写真:敷いたシート)



 準備は、当日、元生徒のヨツエちゃんに助けてもらった以外は殆ど私一人で行った。前日までに「おつな寿司」への”名代いなり寿司”と「とり多津」へのからあげの注文。
 当日の11時30分には平家物語は終了。ヨツエちゃんはいなり寿司を私は唐揚げを取っ来て合流し、会場への沿道で飲み物を購入。六義園から染井への道は既に花盛りである。

 今日の参加者は8名が女性。男性は私1人。女子会へ男性がひとり紛れ込んだ格好である。皆シートに座わり、12時30分にワインで乾杯し開宴。見上げると満開の桜のもとでの、楽しい雑談のひと時。頬がサクラ色となるご人も。読み合わせの会とは又違ったざっくばらん雰囲気が楽しい。

 宴半ば、私は前日に出掛けた石神井川の事を語った。と、去年尾瀬に同行したヒロさんから「私はその川の傍にある金沢小学校と加賀中学を卒業しました」との話が飛び出し、吃驚。火薬庫の話も加わったようだが、耳に難点のある私には聞き取れない部分があり、非常に興味深い話でもあったので、翌日メールで詳しい話を伝えて貰った。(写真:この桜の下で花見)

 『前田家の下屋敷だった所は、戦時中は造兵廠で、武器弾薬を製造していました。今も東京家政大学内にはレンガ造の建物が残っていて登録有形文化財に指定されているものがあります』との内容。前日の看板より踏み込んだ内容の貴重な情報を頂いた。

 さて宴を終え、墓地内を散策し、幾つかのお墓にお参りし、お開きとなった。(写真の右下、花の下に墓が観える)









 
      (ここが谷戸川の水源との掲示板)


石神井川を遡る

2013年03月25日 | 江戸の川・東京の川

 3月22日(金)、福寿会健脚3人組で、飛鳥山から石神井川を遡り、予定通り豊島園に達した。
 歩いたコースは概略  自宅⇒飛鳥山⇒王子稲荷⇒舟串橋⇒埼京線下⇒仲宿⇒東上線下⇒川越街道⇒環七通り⇒城北中央公園⇒副都心線氷川台駅付近⇒豊島園 
 
 この日は快晴に恵まれ、桜は至るところ満開で、絶好の散策日和。お寺や公園など観るべき多くのものに出遇ったが、重点的な遡行記を以下に綴る。
 ①福寿会々長KOさんと私は、8時40分に我がマンション前をスタートし、飛鳥山でKUさんと合流。石神井川を遡る前に王子稲荷を訪ねた。途中「石鍋久寿餅店」前で、89歳の石鍋秀子さん作成の地図を発見し100円で購入。ご主人に「おばあちゃんは健在ですか」と尋ねると、「その辺を散歩していますよ」との返事。更に進んだところで老婦人にお会いした。私は3年振りの再会で、この辺の”スター”を撮影させて頂く。(写真:石鍋秀子さんはお元気。)(2010/4/23と4/25のブログに登場)




 ②石神井川まで引き返し、舟串橋からいよいよ遡行開始。ここから帝京大学付近までは、川は蛇行を繰り返し、深山幽谷の面影を今に留め、渓谷を歩いている雰囲気である。水面は遥か下を流れるが、両岸から川面を覆うように咲き誇る桜がひときわ映えて見える。行き交う人も多く、金曜日なのに休日の様に感じられる行楽日和。






 ③金沢小学校から先は、今では”帝京大学ムラ”であるが、江戸時代は加賀前田藩の下屋敷があったところ。その下屋敷跡地の築山に「電気軌道(トロッコ)線路跡地”なる看板あり。戦前はこの辺一体に火薬製造所があり、その内側を通ったトロッコで、十条の鉄包製造所と結ばれていたとの事。突然の兵器登場に吃驚する。(写真:加賀下屋敷跡とある碑)


 




          (トロッコ跡か?)
 

 ④仲宿で旧中山道と交差。2年前にここを歩いたときは、ここで川と分かれ、街道を北上したが、今回は、街道沿いに昼食を求めて一時南下、確かスーパー「ライフ」で買物。旧中山道を行き交う人は多く、商店街はそれなりの賑わいを見せていた。








⑤KUさん作成の”橋一覧表”によれば、今回のスタート地点から終点の豊島園までには70弱の橋が架かっている。面白い名前の橋が幾つも。「下頭橋(げとうばし)」「耕整橋(こうせいはし)」「湿化味橋(しつけみばし)」「学校橋」「向屋敷橋」等々。ただどう詠むのかは難しい。更に、語尾が”はし”なのか”ばし”と読むのかはまるで分からない。橋には漢字名とひらがな名の両方が書かれて、それで呼び名を確認。
 橋中央に縁台が置かれていて川鑑賞が出来る橋もある。花も桜のみならず、辛夷やユキヤナギなどが今を盛りと咲いていて、目を楽しませてくれる。





             (山崎橋)

 ⑦この散策コースのなかで、最も広い公園が城北中央公園。400メートルのトラックあり。野球場あり。かって向丘高校で陸上部の顧問をしていたころ、部活動引率で何度かここを訪れたことがあった。その時は気がつかなかったが、
園内には栗原遺跡の竪穴住居跡が復元されていて、茂呂遺跡の遺跡もあるとのこと。かってこの辺りには縄文人が住んでいた名残りだ。(写真:公園内に咲く辛夷)







 ⑧15時過ぎ、豊島園着。ゴールの豊島園に隣接して「庭の湯」がある。但し入浴するには2250円を要し、私達3人は、ここは素通りして銭湯を捜した。「辰巳湯」には露天風呂も付属していて大満足。この銭湯人気が高いようで、かなり混んでいた。ここで汗を流し、この日は一献を傾けることなく、18時15分頃帰宅。歩いた総歩数32500歩。
 
 快晴に恵まれた桜散策であった。


『文京をとことん楽しむ!』講座に参加

2013年03月23日 | 

 3月19日(火)の夜、文京アカデミー特別講座に参加した。会場は文京区シビックセンター26階にある「スカイホール」。その下の25階は展望ラウンジで、ここからは、東京スカイツリーや新宿副都心の高層ビル群が望め、富士山・筑波山を初め多くの山々が見渡せる。東京の夜景も楽しめる。レストラン「椿山荘」もあり、何度も訪れていたが、26階での催しには初めての参加で、どんな会場なのか、そこにも関心があった。
 
 会場は100人強の収容能力はある、半径の大きい円形の会議室で、やや高い壇上で講義をすることも出来る様に作られている。今夜の「文京をとことん楽しむ」講座の講師は、イラストレーターにして著述家の林丈二氏。1977年に出版した写真集「マンホールのふた」がデビュー作で、以後数冊の本を出版。路上観察の第一人者であるという。パワーポイントで作成した作品をプロジェクターで拡大しての説明。生徒数は約70名ほど。
 まず”前座”として文京建築会のユースの会副代表栗生はるか氏が登場し、会の活動の様子を語った。1日で60体の狛犬を撮影してまわったり、文京の坂道を訪ねその名前の由来を考えたり、銭湯のタイルをなぞったりしているとのこと。私も同じようなことをしているなと思いながら話を聴いた。(写真:プロジェクターによる映像。文京区の”区”は挿入ミスとのこと)

 真打ちが林氏で、彼の紹介する楽しみは具体的なテーマを決めて区内を歩きまわること。具体的にこんなことをして来ましたと幾つものテーマが紹介された。
 ”明治24年11月8日に樋口一葉が歩いた道をたどる”
 ”明治25年3月9日に樋口一葉が歩いた道をなぞって歩く”
 ”かつて文京区にあった牧場を巡る”
 ”マンホールのふたを撮影する”(マンホールのマンとは、この穴には人間がようやく入れる程度の大きさしか無いから、人間のマン+ホールと呼ぶことを初めて知った)
 ”郵便ポストを探す”
 それ以外にも、防火水槽・消火栓・照明灯・小さな路上植物園などなどを探して撮影して来た
様子が、写真と共に紹介された。文京区立誠之小学校出身者らしく、文京区のこんなことまで知っているのかと、うなるほど細部のはなし。彼の勧める「文京をとことん楽しむ」方法は、煎じつめれば「テーマを決め、細部にこだわって区内を隈なく探索する」こと尽きる。分かりやすい方法論で私も既に実行している事ではあった。(写真:こんな幅の薄い階段も発見したとの話)





 終わり近くに、テーマは照明灯になり、そこで富士神社の照明が登場した。その説明によると、この照明灯は、明治10年に築地に灯されたガス灯と同じ様式とのこと。私が毎日通うラジオ体操の広場にすっくとたっている照明灯が明治10年代のものとは。全く知らないことであり、本当にそうなのか、ラジオ体操の長老沢さんに聞いてみたが、分かりませんとのこと。これはもう確かめようが無い感じで、面白い話なので信じることに決めた。(写真:富士神社内にある照明灯)