マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

『やねせん亭』、東京新聞に載る

2010年07月29日 | やねせん

 第10回「やねせん亭」が7月28日(水)に「不忍通ふれあい館」で行われました。私は所用があり、残念ながら参加出来ませんでしたが、この会への参加のお誘いを含めて、円左衛門さんから≪やねせん亭、新聞に載る≫と題するメール送信があり、早速東京新聞に載った記事を読むと、大筋次の様に書かれていました。
 ≪1年半前に始まったやねせん亭が今月第10回の節目を迎える。先代円楽さんが挫折した、寄席での若手を育てる夢を、直弟子の円左衛門さんが継承。落語中興の祖・三遊亭円朝の菩提寺もある下町で、”げた履きでふらっと入れる”ような寄席の会が続いている≫

 円楽の弟子が多くが「○楽」とか「楽○○」と楽の一字を入れての芸名を名乗るなか、円左衛門さんには何故か楽の字は無く、円の一字を入れての芸名にしています。谷中に20年住むその彼が「自分は寄席で若手を育てるという師匠の遺志を引き継ぎたい」との思いから始めたやねせん亭。最初は一人で会場の確保に奔走したり、地元商店を一軒一軒回ってポスター掲示を頼んだりしていましたが、今では多くのサポーターと共同してこのイベントを継続しています。その様子が東京新聞に紹介され、苦労の一端を知っていた私も、嬉しくなる記事でした。
 円左衛門さんがプロデューサーを兼ねて高座に上がる一方、そこに集う若手とは、主として三遊亭兼好(40歳)、三遊亭王楽(32歳)、三遊亭きつつき(31歳)の、活きの良い3名。第9回(5月24日のブログに登場)では、欠席のはずだった、きつつきさんが「今日は急に良い仕事がキャンセルされたので、急遽ここへ駆けつけました」と語り、下ネタで大受けしていましたが、この4人の遠慮のない語りの場を、私は末永く聴き続けたい思います。

 
 


やねせん亭(その2)

2010年01月14日 | やねせん

 1月8日(金)夜、久し振りに「やねせん亭」の落語を聞きに、『不忍通りふれあい館』に行ってきました。今回が第7回の公演、前回行ったのが6月7日でしたから、7ヵ月振りの事になります。ふれあい館地下ホールには約150の席が用意されていましたが、満席の大入りです。

 今日の出し物は
  「太閤記 日吉丸誕生」  宝井琴柑 (講談)
  「狂歌家主」         三遊亭円左衛門
  「辰巳の辻占」        三遊亭兼好
        ---中入り---
     「野狐三次 木つ端売り」 神田織音 (講談)
  「藝の油」           三遊亭きつつき
  「一文笛」           三遊亭王楽


 (上:左兼好、右円左衛門 下:左きつつき、右王楽)

 講談は前回と同様、何れも女性講釈師。講談の世界は落語と比較して女性が多いようです。

 きつつきさんの語りは軽妙です。2003年に三遊亭圓橘に入門。前座名が橘つき。2006年の二ツ目昇進のときに漢字の”橘”をかなに改め”きつつき”名に。インターネットには「異空間から飛び出したような不思議な雰囲気を持つ。人呼んで”オペラ座の怪人”ならぬ”落語の怪人”」とありました。賞を幾つか受賞してもいます。この日の語りでもその片鱗を存分に見せてくれました。いつも、天才肌を感じます。

 王楽さんは去年真打ちに昇格し、あちこちで”真打ち記念落語会”の様な催しが行われています。面白い事に、円楽の弟子の一人が「笑点」でお馴染みの好楽(2番弟子)、王楽は好楽の息子ながら円楽の27番弟子。要するに、好楽・王楽は親子ながら、兄弟弟子同士でもあるわけです。
 折しも「週刊朝日」(1月22日号)の「親子のかたち 182」には三遊亭好楽・王楽の対談が載っています。親子なのに、友達同士のような雰囲気の対談で、好楽が「お前が落語家になりたいというので、私がどこでも紹介してやるけど、俺はお前の師匠にはならないよ、といったら。お前に、はいそのつもりです、と返されてカチンときたけれど」に、王楽が返して「親子で、兄弟弟子も面白いかなと。兄弟子と言っても、親父から教えてもらったことはなく、こっちが教えたことはいくつかあったけど」に、父は「バカヤロー!読者が本気にするじゃねえか」と、飾らないで、気さくな会話が続きます。

 谷中に住む円左衛門さんはこの「やねせん亭」の企画者、プロデューサー。地域活動への熱意が強い方です。今回の公演はすべて出し物が当日直前にも知らされていません。公演終了後放送がありましたが、マーちゃんには良く聞きとれません。そこで、円左衛門さんがプログラムに書いた記事を頼りにネットにアクセスするも、「このホープページは不具合です」の表示。このブログに「なねせん亭」を書くのが遅れたのはその為です。困ってしまい「やねせん亭」事務局に電話するも留守、留守電を入れておいたら、2時間ほどして、円左衛門さんから直接に連絡があり、もう一つのアクセス方法を教えてくれました。そのアクセス方法で漸く出し物の名称が分かりました。姿形から受ける印象もそうですが、実に誠実な感じの方。学研肌の雰囲気をお持ちです。

 兼好さんは、かって一献飲み交わした方。これが贔屓の遠因かも知れませんが、いつも上手いなと感心します。朝日新聞に載った「円楽追悼公演会」の記事の中でも感心された様に、一段と語りが冴えてきています。
 今日の”まくら”も絶妙です。「今年は寅年、百獣の王ライオンとどっちが強いか専門家に聞いてみました。互角なんだそうですね」(小笑い)「爪は虎の方が強いそうですが、歯はライオンが強いんだそうです。歯よく磨いてるからだそうです」(爆笑)「虎はオスは365日発情しているんだそうですが、メスは年に僅か2日しか、発情しないそうで、他の日にタイガーは何しているか、これも専門家に聞いてみました。ゴルフばかりやってるんだそうです」(爆笑)と枕で笑いをとり、滑らかに本題に入って行きます。かって「まくらでは既に真打ち」と言われた
面目躍如です。
 今日の語りは心中場面、特に女性を演じるのが絶妙です。細い体つきも女性らしさを感じさせますし、声の質も高く、なよなよとした感じを上手く表現していました。
 寄せがはねたのは9時過ぎ、2000円で2時間半を楽しませてもらいました。

  


『谷中暮色』を観る

2009年11月01日 | やねせん

 昨日(10月31日)、「シネマアート新宿」へ『谷中暮色 Deep in the Valley』(舩橋淳監督作品)を観に行きました。事前に見たパンフレットに、上映前に監督初め主演の男女優のトークショーを予定と書かれていた事もあり、開場20分前には30人ほどの列が出来ていました。観劇料シニア1000円を払い入場。この料金設定は有難い限りで、定年間近の日々には心待ちしていたものの一つですが、意外と活用していません。今年に入っても観た映画は「点の記」と「女神の報酬」の二本だけ。久しぶりの映画鑑賞です。
 
 この映画が10月末に上映されることを知ったのは「やねせん」散歩のときでした。ポスターが、谷中銀座入口付近のお店に貼り出されていました。又10月半ばに、若い元同僚と一献傾けたお寿司屋さんで、店主にその話を振ると、無口だった店主は急に饒舌になり「そのポスターに登場する赤い自転車、うちの孫のものでね」とそのポスターに登場する店脇の小路地に案内してくれました。そこにはちゃんと赤い子供用の自転車も置かれていました。観る前からこんな面白い情報が入ってくればいやが上にも盛り上がります。


    (ポスターに登場する赤い自転車)

 「新宿シアター Screen1」は座席数60ほどの小劇場。10人ほどの立ち見が出来、程なく監督と主演男優(野村勇貴)と主演女優(佐藤麻優)が登場。簡単な挨拶の後上映開始となりました。


        (新宿シネマ 6階)
 


         (上映前の挨拶)

 谷中がどのように撮影され、紹介されるのかを観たい、これが一番大きな動機です。が、観る前から”構成”はやや複雑で重層的と知っていました。その通りでした。時制が3つ登場し交差するのです。現在、過去、大過去です。
 谷中に存在した五重塔が炎上・消失した昭和32年が過去。それを撮影した8ミリフィルムの存在を知り、その行方を追い求める男女の織り成すドラマが現在。そこに幸田露伴原作「五重塔」の劇中劇の大過去が挟まれ、現在と大過去が交互に登場します。
 現在は面白い”構成”です。8ミリフィルムを捜し歩く俳優の演じる二人が実在の人々を訪ねインタビューするのです。言わば”虚”が”実”を訪ねるのです。”実”で登場する地元の人々は多彩です。墓標の戒名を記す書の達人・山車人形作りの五代目・かんな使いの名棟梁・了ごん寺住職・炎上する五重塔を撮影した写真家・初音小路の飲み屋・常在寺の墓守などのみなさん。仕事振りが撮影され、過去と五重塔への思いが語られます。観ていて一番楽しかった場面です。
 8ミリフィルムを捜し訪ねるという脚本の基に進められた撮影。”実”の世界への訪問の過程で、8ミリフィルムに到達したのです。谷中明王院に存在していた事が分かったのです。その様に脚本を作り変え、その8ミリフィルム再生の中で、塔の炎上場面が登場します。物凄い勢いで炎上する五重塔、最後には崩れ落ちていきます。ここが圧巻でした。
 映画を観、パンフレットを読んで気が付いたことが幾つかあります。推測も交えてですが、
 ①この映画は2009年第59回ベルリン国際映画祭で絶賛されたこと
 ②監督舩橋淳は前作「ビッグ・リバー」に続いて、この作品でもベルリン国
   際
映画祭ワールドペレミアムという快挙となったこと
 ③五重塔は谷中墓地内「感応時」(天王寺)に建てられていたこと
 ④
「新宿シアター 2」ではコーヒーの無料サービスがあったこと
 ⑤五重塔再建運動が推進されていること
 ⑥谷中の地名は本郷台地と上野台地の間の深い谷の中にあった事に
  
由来するらしいこと
などなどです。
 購買してきたパンフレットでは著名な映画評論家や映画監督から、その作品の意味するところが語られ、賞賛の辞が述べられていました。その中で私が共感を覚えたのは次の指摘です。
 『炎上する五重塔の映像以上に、”不在”であるはずの塔が
  この町に住む人たちの心にいまも確固として存在していることに心を
  うたれた。
  この映画が描くのは塔へのノスタルジアではなく、その”不在”の大き
  さである。
  仲俣暁生(文芸評論家)』


       
(上映後の監督と主演女優)
  
 ここに登場する「谷中映画保存協会」は「映画保存協会」の事ではないでしょうか。「映画保存協会」は歩いて15分の距離。日曜だけの開館、今日訪れて確かめたいと思います。
 
 

 

 


 
 


鋸(のこぎり)屋根

2009年10月22日 | やねせん

 見るべき眼を持った人が見ると、凄い事に発展するのだと実感する場面に遭遇しました。昨日の勤務帰り、日暮里駅で下車し、夕やけだんだんを下り、谷中銀座を素通り、「Cafe Vulgar」のコーヒー一杯で疲れを癒した後、夕食の食材の買い物がてら,、よみせ通りを散策していた時のことです。「吉田敬子 鋸屋根写真展」に出会いました。今までに何度もその前を通った事のある、”妙な”形をした屋根のある建物の中での写真展です。「鋸屋根写真展」と題された写真展、10月18日から25日までの開催です。


       (建物に貼られたポスター)
  
 
         (写真展より)

         (写真展より)


     
(ポスターには第二会場地図も)

 実は私が妙な屋根としか見ていなかった屋根、「鋸屋根」だそうです。鋸(のこぎり)の形をしたこの鋸屋根とは工場建築に用いられた屋根の一形式で、ギザギザの形をした三角屋根のこと。通常、北側のガラス面(採光面)から光を取り入れ、天候に関わらず均一の明るさを得て糸を織る事が出来る、という大きな利点があるので、織物工場に多く採用されているそうです。その屋根が、このよみせ通りに面する谷中に現存していたのです。
 この建物は明治43年に建築され、1954年までは「千代田リボン製織」の織物工場であったが、今現在は印刷会社の所有だそうです。
 その「鋸屋根」に魅せられた写真家の吉田敬子さんは、300余りの鋸屋根の現存する桐生市をはじめ、日本に残るこの屋根を訪ね、その撮影した鋸屋根工場は1000棟を超えるとの事。こことは場所を別にした第二会場ではそれらの写真が展示されていて、10月24日(土)夕方には彼女のスライドトークも開催されるとの事。夜の谷中散歩も良いなと思います。
 
 その第一会場には山崎範子さんの「月刊 のこぎり屋根0号」が置かれていました。もうお一方鋸屋根に魅せられた方がいたのです。桐生市の「のこぎり屋根」の写真の数々が登場するこのパンフレットで、山崎さんは語ります「彼女(吉田敬子)の写した鋸屋根を自分の目で見てみたい。そして、まだまだ知らない鋸屋根を、彼女のあとを追いながら探し歩きたい」と。0号と書かれた決意表明号、1号からは旅の様子が載るものと期待します。
 
 この建物の現存する台東区谷中、よみせ通りを境に文京区千駄木と接します。今は区界のこの道、かっては藍染川が流れていました。パンフレットはその事にも触れ「藍染の反物を洗った川沿いには、染物屋が散見した。そして明治のこのころ日暮里・谷中辺りは、ネクタイ工場が集積する織物の町という顔もあった」


     (谷中ののこぎり屋根:今朝写す)


     (建物反対側駐車場より撮影)


       (朝日を浴びる鋸屋根)

 谷中の知らない面を教えてくれた写真展、吉田さん、山崎さん、有難うございました。

 


土曜日の”やねせん”

2009年09月27日 | やねせん

 昨日はラジオ体操の後”谷根千”へ。
 土曜日の”やねせん”の朝は早い。朝7時前によみせ通りを歩くと、この近辺のホテルに宿泊したと思しき女性の一団が、買い終わったものを手に手に街を散策しています。行き交う人も普段より多く、何件かのお店は既に開店しています。
 よみせ通りを左折、谷中銀座を抜けて「ゆうやけだんだん」を昇りきると、野菜を売っている露店がありました。きゅうりの漬物(200円)を買い、トマトが見当たらないので、”店主”のおばさんに尋ねると、「5時半にはもうみんな売り切れてしまったよ」との返事。ついでに何処から来ているのか聞くと「我孫子だよ」。朝取りの新鮮な野菜を、素早く運んできたのでしょう。我孫子と日暮里は常磐線「快速」で30分の距離です。後刻、時刻表で調べると4時42分我孫子始発は日暮里着5時13分でした。それとも車移動でしょうか??
 谷中銀座もいつもとは違い、土曜日はお店を開いている処がちらほら。選挙期間中に鳩山党首がやってきてメンチカツを買い、お釣りを貰わなかったことでも有名になった肉屋さんはまだ開店していませんが、メンチカツで有名なもう一軒のお店、既に揚げ始めています。「メンチ何時から販売?」と聞くと「11時からです」との返事。あと4時間後、諦めて「武蔵屋」でおからドウナツを2つ(160円)購買。
 よみせ通りに戻り、「澤屋のジャム」を軽井沢店と同じ値段で売っているパン屋さん「ラ・スール・リマーレ」では抹茶のシフォンを2つ(380円)。大沢製麺では焼きソバの玉を2つ(180円)。「このお店、いつ頃からやっているの」「80年まえからだよ。親父と私で2代だよ」こういった何気ない会話が楽しい。
 これだけの買い物をして千円札1枚で、80円のお釣りがありました。

 お昼には再びよみせ通りへ。「すずらん通り」入り口にある「寿司海鮮処 ととや」でお得なランチ海鮮丼(1000円)を食し、最後は「カフェ・ヴォルガー」の水出しコーヒー(450円)。昨日は”一人やねせん”でした。

 今日から4日間ほど暫く東京を離れます。ブログは10月1日から再開の予定です。