マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

みたびの教壇

2010年09月30日 | 身辺雑記

 頼まれて10月から、またまた、週2回ほど数学・算数を教えに出掛けることになりました。三河島にある「多文化共生センター」というところで、日本の正規の学校ではありません。中国人やフィリピン人やタイ人やモンゴル人等の、16歳~18歳くらいの生徒さんが教える対象です。

 蓼科から帰京した翌日の25日(金)にセンターの中心的役割を担う王先生を訪ね、打ち合わせを兼ねて様子を伺ってきました。
 親が母国を離れ日本に来て働き始め、こちらで長期に働く見通しがつくと母国から子を呼び寄せる事が多いそうです。親の仕事の都合で母国を離れなければならない、子にしてみれば迷惑な話です。親しい友達とも別れ、言葉の全く通じない日本での生活。いとせめて、中学で学ぼうとしても、日本の中学は年齢制を採っているので、例えば16歳の子供は中学校に入れません。そこで高校受験を目指すことになります。
 
 高校に入りたくても入れない外国にルーツを持つ子どもたちの多くの存在を知り、王慧槿(
ワン フイ ヂン)さんは25年間勤務した都立高校を、定年を待たずに退職し、彼らの学習支援をするため「多文化フリースクール」を開設します。2007年には生徒数が70名を超え「特定非営利活動法人 多文化共生センター東京」を三河島で立ち上げるに至ります。

 数学を教えるのみならず、日本語にも配慮した指導をお願いされました。全くの初体験です。教えることやこの様な背景を持つ子供たちとの触れ合いに不安がないわけではありません。王先生の知り合いで、私達との長いお付き合いの I さんは定年後ここに勤務して既に1年半。 I さんの取り持つ縁で三度の教壇と相成りました。王先生や経験を積まれた I さんに助けて頂きながら、この仕事を続けて行けたらと思います。この歳でまだ私を必要とする仕事にめぐり合えたことを有難いとも思っています。
 
 今日は授業見学と自己紹介を兼ねて「多文化」を訪れました。ところが、早速個人教授で教える事を頼まれました。相手の生徒さんは日本に来て間もないとの事、日本語があまり通じないので、英語交じりの会話で算数を教えました。10月の勤務は午後4時20分~5時20分の1コマ。11月からは生徒数も増えるので午前中の”受験対策”中心の授業を2コマお願いされました。
 


『料理倶楽部 いとう』

2010年09月29日 | お気に入りの店

 

 蓼科からの帰り「料理倶楽部 いとう」に寄りました。”縄文のビーナス”で名高い「尖石遺跡考古館」の直ぐ近くにあるこのお店が出来たのは10年ほど前のこと。この付近には康耀堂美術館・縄文の湯などが軒を並べ、三井の森にも近く、お気に入りの場所の一つで、よくこの付近には出掛けていました。その折に偶然に見つけ、その瀟洒な建物のみならず、箸を使用して頂く西洋料理が気に入って幾度となく訪れました。(写真:レストラン入口)



 何度か訪れた折に壁に掲げられた村上信夫さんの色紙を発見し、その関係を尋ねると、「料理の師匠です」とのお答え。そうです、ここのオナーシェフ伊藤健吉さんは、帝国ホテルの料理長であった村上信夫さんのもとで料理の修行をして来たのでした。さらには諏訪
湖を見下ろす高台にあった有名レストランでシェフとしてフランス料理を作っていたこともあったそうです。(写真:花壇が良く手入れされています)



 ただ家人の食が細くなってからはここを訪れることは途絶えていました。家人の食も少しは回復し、数年振りの9月24日(金)に久し振りにここを訪れたのでした。 

 
 このレストランで登場する野菜は殆ど全て自家栽培です。建物の脇と裏には大きな自家菜園場があり、各種の野菜を栽培しています。採り立ての新鮮な野菜をメインに据えての西洋風懐石料理。家人は「カレイフィレのムニエル」を私は「車海老フライ」を注文しました。







 どちらの料理もライスとメイン料理の他に小鉢が二つとサラダが膳に乗って出てきます。膳に乗った野菜の多いこと!ズッキーニ・ホウガン・茗荷・カボチャ・キューリ・トマト・ナス・大根・インゲン・シシトウ・キャベツ・ドジョウインゲン・しその葉と13種類もの野菜の登場です。なかでもズッキーニを炒め鰹節を和えた煮物と冷えたホウガンが特別に美味です。これで1600円はお安いと思います。(写真:車海老フライ)

 

 以前は採り立て野菜のお土産が付きましたが残念ながら今はなし。それでも満足度高く、雨のあがった蓼科からの帰途に着きました。



『清里ライン』を行く

2010年09月27日 | 信濃紀行

 今回の蓼科旅行も小淵沢でレンタカーを借りました。ここから普段は「エコーライン」を利用し、八ヶ岳の南側を通りビーナスラインに出て信州側から八ヶ岳を望み、東急リーゾート内の山小屋に至ります。今回は気が変わりました。少しドライブを楽しみたいのとの思いが強かったのです。小淵沢から佐久に抜け、中仙道の芦田宿へと回るルートを選びました。
 小淵沢から佐久へほぼ北に伸びる街道沿いで、確か「八ヶ岳高原道路」と書かれた看板を何度か眼にしましたが記憶に自信はありません。yahooの地図では調べると「清里ライン」と書かれ、更に北では「佐久・甲州街道」と呼ばれています。小海線と並行してほぼ真北に走りるこのラインからの、八ヶ岳のたおやかで美しい山岳風景を写真で何度も観ていますが、残念ながらこの日、山頂は雲に隠れ見えません。


 右の地図で言えば地図真下中央に位置する小淵沢から、小海線に沿うように、地図右側にある「南牧」「小海」「佐久穂」を経由して「佐久」を目指したわけです。
 今から20年ほど前、向丘高校に勤務していた当時、生徒部に席を置いていた私は、若い先生の運転で合宿地の実踏に出掛け、その時にこの道路を通った事がありました。その頃は自動車運転は怖いものと思っていましたから、年を経て自分が運転をするなどとは思いもよらぬことでした。しかし何度も友人の車の前の席に乗せてもらい、車に乗る楽しさを知った私は、自分でも運転したいとの思いに駆られ、免許を取得したときは既に50歳代。あのときから20年の歳月を経て、再びこの道を辿るのはそれなりの感慨を抱きながらのドライブでした。
 9月21日、山岳風景は観られないものの、3連休の終わった直後ゆえ道は空いていたお陰で快適なドライブが楽しめます。

 佐久で左折し芦田宿を目指しました。地図上では真上に位置する「長和」を目指したことになります。
 長野県の、主として”中信”には「ツルヤ」と言うスーパーマーケットが点在します。特に中軽井沢にある「ツルヤ軽井沢店」は別荘族ご用達と囁かれ
有名ですが、どこのお店の商品もお安く、その上ツルヤ特製の品々は美味なので私達のお気に入りのスーパーです。つまらない例えですが「えびすビールロング缶269円」がそれを象徴しています。蓼科へ遊びに行くたびに芦田宿近辺にある「ツルヤ」迄足を伸ばし、買出しをして来ていました。普段だと茅野方面から蓼科山脇を越えて芦田の「ツルヤ」に出掛けるところを、今回は佐久経由で芦田の「ツルヤ」を巡った事にもなります。
 1時間ほどの買出しの後、蓼科山を経由して山小屋に到着しました。八ヶ岳の周りをぐるりと反時計回りに3/4回転したことになります。小淵沢を出発して3時間40分が経過していました。
 


高遠ブックフェスティバル(その2)

2010年09月25日 | 信濃紀行

 (前回ブログの続き)
 9月22日(水)朝10時10分山小屋を出発。茅野から杖突峠までは急峻な昇りですが、そこから高遠までは15kmもの長い長い緩やかな下り道がほぼ一直線に続き、高遠が山裾にある事を実感します。
 
 11時30分高遠着。まずは大会本部を訪ねるとフェスティバルは城址公園内で開催されるのでは無く、街の商店の20数軒が、俄に古本屋さんに変身しての開催と知りました。そこで、街の中心街を古本屋さんのみならず、色々な商店をのんびり訪ね歩きました。(写真:店頭にも古本が)





 “古本屋”内には本は勿論の事、手作りの工芸品や菓子類も置かれていて、平日にもかかわらずどのお店にもそれなりの人が入っています。家人はミステリー本2冊と手ぬぐい3本を購入。私は新刊本「日本花名山」(信濃毎日発行)を買いました。東京ではあまり見かけない本で、今夏出掛けた燕岳の写真に惹かれた衝動買いでした。(写真:街に点在する蔵造りの建物)


折しも「灯籠祭」の最中で、歩道には街の方の作品と思われる和歌や俳句が書かれた灯籠が置かれ、街並みの所々には蔵造りの建物が点在します。写真展や焼き物展も開催され、高遠の文化の高さが窺え、古きまちを実感できました。

 昼食は、本部で紹介された「高遠蕎麦」のお店“壱刹(いっこく)”へ。高遠蕎麦なるもの初めて食します。コシがあり、タレもやや辛めで、量も多く満足度高し。付け出しに出された焼き味噌の美味さ初めて知りました。(写真:壱刹の玄関と看板)








            (高遠蕎麦)

 帰途、北沢峠への入り口にあたる長谷まで足を伸ばし「道の駅 南アルプスむら」に寄りました。低廉で、甘い味付けのミニクロワッサンで有名なこのお店、袋には予約済みの札が多数貼られ、大繁盛していました。

 


高遠ブックフェスティバル(その1)

2010年09月24日 | 信濃紀行

“たかとほは 山裾のまち 古きまち
     ゆきあふ子等の 美しき町“

 街中に田山花袋の歌碑が建つ高遠を久し振りに訪ねました。我が中学時代の担任田山瑞穂先生はそのお孫さんゆえ、花袋にはある親近感を抱いてきました。(写真:田山花袋の歌碑)



 
高遠。数年前までは高遠町でしたが、合併後は伊那市高遠。高遠城址公園に植えられた1500本あまりのコヒザンザクラが余りにも有名で、蔵の街でもありますが、それ以上にその名前を美しいと思います。

 コヒガンザクラの咲く頃に何度もここを訪れています。友人と、同僚と、山仲間と、妹夫妻と、家人と。運良く何時来ても満開で、城址公園の高台に立つと、淡いピンク色の花びらの向こうには雪化粧した中央アルプスの山並みが望め、そこには春まだ浅い信濃路がありました。
 紅葉祭(高遠祭)は秋半ば、2年前のことでした。城址公園内には手作りの工芸品が数多く展示され、カヌーを作り、川を下ったとの高遠中学の研究発表に感嘆した事を昨日の事の様に思い出します。(写真:本部入口に貼られたポスター)



 その高遠で“第2回ブックフェスティバル”が9月18日~23日にわたって開催される事を知ったのは朝日新聞のコラム欄。丁度、蓼科滞在の期間と重なる日があるので、足を伸ばそうと決めていました。(次回ブログに続く)