マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

仙台にて(三陸への旅 その3)

2012年08月29日 | 

 仙台では「ドーミーイン仙台アネックス」にチェックイン。弘前以来、ドーミーイン系のビジネスホテルが気にいっています。仙台でも、地下1200mから湧出の自家温泉を用いての露天風呂、無料の夜食ラーメンとズボンプレッサー、それに朝食が充実しています。その宿まで、家人の大学時代の友人にして今回クラス会の幹事Eさんが訪ねて来てくれました。
 車で早速向かったのが魯迅が留学時代に下宿していた家。続いて青葉城内にある魯迅の彫像。国文を学んだ家人にわざわざ見せてくれたようです。平地にあった東北大学が青葉城内に移転していて、広大な面積を持つ大学に大変身していたことも車で回って知りました。




 Eさんのお宅は”豪邸”と聞いていましたから、拝見するのを楽しみにしていました。立派な屋根がそびえる外観だけでなく、建物内部の、ヒノキの太い3本の8寸柱も見事です。広い庭から獲れた数々の野菜を奥様が調理してくれました。これが非常に美味しく、仙台の夜をお店で味わうことは中止になって、Eさん家での食卓で料理と会話を楽しみました。(写真:青葉城にて)

 明けて8月23日。仙台駅で各地からの参加者6人と合流。と、クラス会に関係のない私が書くのもなんですが・・・。熊本から飛行機での方もいます。昼食に仙台名物”牛タン定食”を食した後、再びEさん家を訪ね、青葉城から仙台市内を望み、その後荒浜と閖上(ゆりあげ)浜に向かいました。
 大津波直後「荒浜には200~300の遺体が打ち上げられています」との誤報が流れた地域が荒浜です。海岸から直ぐの地帯に広がる広大な平野に建てられた住宅街。家屋をも飲み込む高さの津波に襲われた時、逃げ場は全くありません。この様なシチュエーションから出た誤報だったのでしょうか。多くの方は車で高速道路の向こうに逃れられたようです。しかし家屋は根こそぎ持っていかれ、非情な風景のみが遺されました。 
 高速道路を挟んで、海側は田圃も荒れ放題ですが、反対側の田圃は緑一面の対照を見せています。(写真:荒浜の風景)


        (写真:荒浜の堤防)

 今年の3月4日(日)の日経新聞朝刊に、「鉄塔家族」で大仏次郎賞を受賞した佐伯一麦が「震災と歌枕」と題する一文を寄せていました。そこに閖上浜が紹介され、大よそ次の様に書かれています。
 「元禄十年、仙台藩第四代藩主伊達綱村が、小高いところに建立された大年寺に参詣した折りに、山門内から遥か東南の方角に波立つ浜をみて”あれはなんというところか”と問うと、近侍は”ゆりあげ浜であります”と答え、重ねて”文字はどう書くのか”と問えば”文字はありません”との返答に、綱村は”門の内から水が見えた故に、門の中に水を書いて閖上と呼ぼう”と言い・・・」とあります。かくして仙台藩専売の国字「閖」が出来たという訳です。
 その由来もさることながら、小高い寺から波が見えるとは、海岸一帯が低地にあることを示唆しています。この地からの脱出の大変さを想像しました。(写真:閖上浜)


     (写真:閖上浜で僅かに残った建物)

 仙台を後に、Eさん絶賛の
遠刈田温泉へと向かいました。


田野畑村『本家旅館』(三陸への旅 その2)

2012年08月27日 | 

 三陸鉄道(略称 さんてつ)北リアス線は、宮古⇔久慈間のうち、小本⇔田野畑間が未だ不通ですが、その間は県北バスが運行されています。
 8月22日(水)、宮古を振り出しに久慈から八戸に抜けて、夕方には仙台に辿りつく為に、朝6時17分宮古発小本行きの列車の乗客となりました。列車は、小本までの25.1kmの距離を、殆ど山間いのトンネルを走り、海岸の展望はひらけません。漸く海岸線が見え始め、列車が下って行った先が「田老」。3・11大津波が全長1350m、地上高7.7m、海面高さ10m という大防潮堤を越えて、集落を襲いかかったのでした。今回の旅ではここでの下車はならず、列車から眺めるしかありませんでした。

 小本発7時10分のバスは田野畑着7時40分。駅から徒歩15分ほどの本家旅館を目指しました。
 旅館へは海岸への道ではなく、高台への道を行きます。懐かしい建物と、そこからの海と浜を写真を収めたかったのです。無断で敷地内に入り撮影していると、電気が灯っていることに気がつき、声をかけると、おだやかな感じの女性が現れました。津波のお見舞いの後、「女将が入院とのことで、残念ながら宿泊は叶いませんでした」と述べると、後から男性が1人顔を出し、「昨日電話をくれた方かね」と。後は居間に通され、冷たい飲みものと果物のご馳走にあずかりました。

 若く見えた男性は盛岡の人で、自前のトラックで巡回商店を経営していた八百屋さん。この方を仮に八さんとお呼びすれば、八さんは、3・11当日この近辺の「島の越」で被災されました。最初の女性は、旅館の長女にして千葉へ嫁がれた方。その2人の話は、
86歳の女将のことと3・11当日のことに及びました。
 女将は元学校の先生。普段は優しい人だが、仕事になると大変厳しい。50人の宿泊客相手に、洗濯機の無かった頃には洗濯物を深夜までこなしたこともあり、今年4月の旅館再開後も今まで通りの料理にひとりで奮闘なさったとか。その様な頑張りが原因で今回は熱中症となってしまったそうです。
 終戦後、復員したきた夫と結婚後、共に始めた旅館。その夫さんは震災1ヵ月前に亡くなっていましたが、津波対策として2000万円を費やして建てた塀が女将照子さんの命を救ったようです。津波は塀の中ほどまで上がってきていたそうです。(写真:本家旅館玄関)


        (写真:平井賀海岸)

       (写真:本家旅館付近から見た海)

 さて、八さんは車で、自分が地震に遭遇した地点の島の越と、北山崎を案内してくれるとのことで、ご厚意に甘えました。島の越は平井賀の南にある集落で、水門を入って直ぐの所に人家が立ち並びます。大地震の直後、水門を閉めてしまえば、直ぐに車は帰れなくなるから、急いで水門の外へ出ろとの村人の親切に背いて、「車より命が大事」と、すぐさま山へ車を回したそうで、避難者第1号、”てんでんこ”を実践したのでした。そこから海を眺めていると「津波は噴水の様に襲いかかって来た。3日間避難所のお世話になり、漸く盛岡に戻れました」とのこと。
 お得意さんの壊滅で八百屋は廃業、その後転職は5回。パワハラスメントにも遭ったそうで、本家旅館の女将に拾われて今日がありますとも語ります。職を失った方の前途は厳しいものがあることを改めて知りました。(写真:島の越海岸。破壊された防波堤)

 田野畑⇒(北リアス線)⇒久慈⇒(JR久慈線)⇒八戸⇒(東北新幹線)⇒仙台 で夕方仙台着。


田野畑村『本家旅館』(三陸への旅 その1)

2012年08月25日 | 

 本家旅館は岩手県田野畑村平井賀にあります。深田久弥の著作に紹介されていたのをきっかけに3度ほど訪れた事がありました。10種類にものぼる魚料理と、そこからの陸中海岸の眺めがご馳走です。吉村昭も宿泊したことがありました。
 しかし昨年の3・11大津波で、高台にあつたが故に浸水等は免れたものの、女将はショック等で営業はやめていました。その本家旅館が営業を再開したことを知り、三陸鉄道も宮古⇔小本間と久慈⇔田野畑間運転再開をニュースに聞いて、近いうちに再訪をと考えていました。家人の大学時代のクラス会が8月23日~25日の2泊3日で、仙台を中心に行われるのに便乗して、私もその会に参加させて貰い、併せて本家旅館再訪の旅計画を、6月に立て始めました。(写真:歳月を物語り、建物は古びています)

 旅館に電話すると女将が出て、予約受付より前に「眼下の家々がマッチ箱の様に流されて行きました」と津波の凄さに話が及び、そのシュックの大きさを知るのでした。その後多くのお客さんからの”是非再開を”の声に後押しされての営業開始であったとも語っていました。

 虫が知らたのでしょうか。出掛ける直前の8月20日(月)の午後に電話すると、比較的若い男の方が電話に出て「この暑さで、女将熱中症に倒れ緊急入院しました。料理等女将が一人で切り盛りしていましたので、暫し休業です。私は留守番を任されたものです」と。吃驚すると同時に慌てました。新幹線指定券を含めキップは既に購入ていました。旅の前半部分はキャンセルしようかとも思いましたが、残念な気がして、宮古・小本を中心に代替宿を求めて電話申し込をするも何処も満室。何度かの電話の後、宮古のビジネスホテルに辿りつき、8月21日(火)に出発と相成りました。

 上野⇒(東北新幹線)⇒盛岡⇒(JR山田線)⇒宮古 で宮古到着13時4分。

 今回の旅では、遅きに失してはいますが、大津波で
被災した土地の様子を一目見ておきたいとの思いがありました。バス出発地点の宮古駅付近までには津波は押し寄せて来なかったようです。浄土ヶ浜へのバスは被災した街中を巡ります。海岸すれすれを行きます。コンクリートの土台のみが残り、無情にも夏草が背高く生い茂ります。そこから僅かの高台には民家が立ち並び、著しい対比をなしていました。当たり前すぎることですが、僅かな標高差が運命を分けたのでした。(写真:宮古駅まで500mほどの地点にある岩手銀行宮古支店前)



 かって修学旅行引率で巡った浄土ヶ浜は、その時と同じような穏やかな姿を見せてくれましたが、「レストハウス」内に貼られた写真が、当時の津波を物語ります。松の幹の変色部分から津波の高さが推定すると、屋上をも一飲みにしただろう津波の高さです。この地は幸いなことの、海直ぐに山が迫り、急な道路を昇れば安全な場所への避難が容易だったようです。(写真:この日は穏やかな浄土ヶ浜の海)


     (写真:浄土ヶ浜を特徴づける岩塊)


     (写真:シーサイド館内の写真より)

(写真:同じく館内の写真より)

 宿泊は不可能となった田野畑の本家旅館へは、やはり明日行って見ようと決心してから床に着きました。
 


蓼科新発見

2012年08月21日 | 信濃紀行

 8月18日(土)、晴れていれば「栂池自然園」に家人を連れて行く積りでした。かって白馬岳登山の帰路、栂池方面に下山したことはありましたが、自然園には私も行った事はありませんでした。ゴンドラリフトとロープウエーを乗り継いで湿原展望台に立てば白馬三山を望める、花の湿原です。

 しかし生憎の雨模様。栂池行は断念して、蓼科探索に切り替えました。まず向ったのが「会員制 テラス蓼科 リゾート&スパ」です。ここはトヨタ自動車グループの持つ保養施設ですが、入浴は一般にも開放されていて、ここの露天風呂からの八ヶ岳展望の景観は蓼科随一と言っても過言ではない眺めです。但し入浴料金が1500円という高値。私は2度入浴したことはありましたが、最近は控えていました。ところが「物味湯産手形」に、ここが登場していて、半額料金750円で入浴可能な事を発展し、敷居が高そうだからと言って嫌がる家人を無理やり口説いて、一緒にやって来たわけです。(写真:背景は八ヶ岳連峰)


 清潔感と高級感
に溢れる温泉です。そこからの八ヶ岳の絶景に、家人も、又この湯を訪れたいと語っていましたから、私の誘いも無駄ではなかったようです。(写真:露天風呂からの見る八ヶ岳主峰。左から横岳・赤岳・阿弥陀岳)








 次に訪れたのがコーヒー店「楚々として」。私的には気障なネイミングと思えるのですが、茅野駅周辺にこれと言った喫茶店が見当たらないので、家人は何時かは行ってみたいと思っていた様です。茅野駅の掲示板に貼ってあった地図を頼りに、捜すこと30分、漸く発見出来ました。正式には、花と器と珈琲の店「楚々として」。







 ここ茅野市は、小布施市と同じように「オープン・ガーデン」を実施していて、そのお宅の庭に自由に出入りし、庭と花を愛でる事ができます。その第17号店でした。器は、富士見町に窯を持つ島田真司氏の焼いた皿などが展示されています。








    (写真:オープンガーデン内)

 東京で37年働いて、多分定年で帰郷し、実家の蔵で、趣味溢れる喫茶店を開いた女性と話し込みました。
 蔵の中には彼女が制作した数々の衣装と、島田氏作の器が展示され、コーヒーを味わいながら庭の花を楽しむ事ができます。楚々と言うよりは、凛とした雰囲気の彼女の娘さんは駒込駅付近の中学卒と聞いて、おやまあ。です。


 蓼科も茅野も奥が深いと感心しています。


『たてしな自由農園』

2012年08月20日 | お気に入りの店

 2ヵ月に一度くらいの割合で蓼科に通い始めたのが1995年。畑を借りて農作物を栽培したときもありました。蓼科東急リゾートと年間契約を結び、栽培された野菜を自由に獲って来て食材としたこともありました。自作の野菜を販売する「宮坂農園」の新鮮な野菜の美味しさに魅せられていた日々もありました。しかし2000年に忽然と登場した「たてしな自由農園」は衝撃的でした。野菜の美味しさを存分に味わわせて呉れました。苦手だったトマトを美味しいと初めて思ったのもこのお店のトマトでした。

 後に知ることになるのですが、デパート勤務を退職して、この農作物直売所を立ち上げたのは山本活夫さん。今ではこの様な直売所は長野県で300個所以上あるそうですが、当時は大規模な所はそれほど多くなく、口コミで、消費者と多くの出荷農家の方がここに集まりました。2・3回通って知ったのですが、農家の方が、作物の種類・時期・時間などを、名前通り「自由に」店へ持ちこめるシステムでした。 

 この辺りでは、農作物は、主として農協を通して販売されているのですが、私には、このお店、農協とは無関係に、と言うより農協に喧嘩をうって、自由に販売を行おうとする新しい経営方式の店の様に見え、味もさることながら、その意気や良しと、以降野菜は主としてこの「たてしな自由農園」で購入することになりました。

 地元蓼科高原で取れるトマト・大根・キャベツ・ズッキーニなどの新鮮な野菜や、リンゴ・白桃・ブドウなどの果物、それに野沢菜漬けやトマトジュースなどの厳選した加工食品も並びます。評判が評判を呼び、地元の住民だけでなく、蓼科高原の別荘族や、口コミで話を聞いた観光客が次々と店を訪れるようになり、5年後の2005年には、ビーナスライン沿いに2号店が開設され、2007年に完成した原村店は広大な売り場面積を持つに至り、物凄い繁盛振りとなっていました。(写真:原村店)







        (写真:これで980円)



 さて今年も、原村店を訪れると、新たに「808キッチン」なる看板の掲げられた建物が完成していて、早速入店して見ると、野菜をベースにした料理を提供するレストランでした。”
808”は”やおや”と読めます。野菜を主としたランチが1000円以下で数種類用意されていて、満席の盛況です。(写真:新たに建てられた「808キッチン」)









    (写真:店内にはあるオシャレな販売部)




 野菜販売部の方を覗くと100円での”ジャガイモ詰め放題”があります。家人はキタアカリを夢中になって詰め込んでいました。
 「自由農園」はまだまだ発展途上にあると見えました。