マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

パルスオキシメーターなどネット購入

2021年01月29日 | 身辺雑記

 コロナ禍以前から、食料品や日常品などは、「大地を守る会」や「生協」などからインターネットを通じて購入していた。妻は古書なども楽天で購入して、便利さを実感する日々だった。
 昨今の状況ではネット購入の傾向が強くなっている。必要を感じて買うものもあるが、鬱積する日々に何か楽しみたくて遊び心で購入するものもあった。最近購入したものでこれはと思えるものを4つほど書き出してみる。
 (1)加湿器・・・冬場に入り湿度が相当下がってきている。そこで昨年暮れに「SHARP」の加湿器を購入した。朝2リットル強の水をタンクに満たした後電源を入れるだけで作動開始。朝30%台の湿度が数時間後“快適範囲”の45パーセント~65パーセント内に届くことが多い。1日に2リットルもの水が水蒸気化することに驚いている。

 (2)体重計・・・体重計などは一生モンだろうと思っていたが、長年使用してきたものが古びてきていた日々に、“通販生活”の広告に「電池不要の体重計」とあった。太陽光を電気に変換する装置付かなと思ったがそうではなく、「足で踏むだけ」とあったので、面白いなと思い買い替えた。確かに中央のボタンを踏むだけで、約1分間の電気が発生するらしく、乗れば体重を表示してくれる。





 (3)パルスオキシメーター・・・とある自治体の長がテレビで「コロナ感染の自宅療養者には1人1台パルスオキシメーターをお配りしたい」と語るのを聞いて、医療崩壊に近い現況での必要性を直感し、品切れにならないうちにと1月上旬にネット注文した。安値のものがネット人気一番だったが、医療品としての安心出来そうな値段のものを購入した。これは「血中酸素飽和度(SpO2)と脈拍数を、採血することなく、指先などに光をあてることによって測定する装置」で、その数値が96~99が標準値だそうで、私の場合毎朝測定すると98が多く、安心値となっている。
 最近ではこの装置の人気が出始めてネット購入でも待たされるとか。
 数日前ハチミツ次郎さんの様子がテレビ放映されていた。彼は急性心不全と呼吸不全に陥った経験があり、昨年12月には39度の発熱。買い置いたパルスオキシメーターで体内酸素を測定すると88。慌てて救急車を呼び搬送された。1週間意識不明となったが奇跡的に生還。新型コロナ検査は陽性だったそうな。
 この計測値からコロナ感染の有無は即断出来ないが、標準値から離れた場合、自分の体に何かが起こっている可能性を想定し、掛かりつけのお医者さんに直ぐに相談電話を掛けようと考えている。その先がどうなるか、現在の東京都の医療態勢に大きな不安はあるが・・・。
私よりも妻の方が心配である。
 (4)コーヒーメーカー・・・朝はドリップ式コーヒーメーカーで私が、午後はドリップ式を使い手動で妻がコーヒーを淹れている。“通販生活
”でフィールター交換不要のコーヒードリッパーが発売されていると知り最近購入した。1人分淹れた後フィルター相当部分を水洗いするだけでもう1人分を淹れるても味は落ちていない。外観の見た目がシンプルで美しい。


渋沢史料館へ

2021年01月22日 | 歴史

 1月14日(木)、予約しておいた渋沢史料館へ行って来た。飛鳥山公園内にある史料館は昨年の11月19日にリニューアルオープンし、その入館はオンライン申込による完全予約制となっていた。そこで11月下旬に予約ページにアクセスするも、12月の予約は全て埋まっていた。止む無く12月1日になってから1月14日の予約をしたのだった。(写真:渋沢史料館入口)



 1月7日に東京都にも緊急事態宣言が発出され、我が家の周りの庭園などはみな休園状態となった。六義園然り、旧古河庭園また然り、都立ではない小石川植物園も続いてしまった。渋沢史料館もこれに倣うのか心配していると、前日の13日に「リマインドメール」とかが届き、一安心したのだった。(小石川植物園は13日より再開)
 全体感想から書いておこう。感染リスクを極力減らそうとする史料館の強い決意が感じられ、実に多数のスタッフが丁寧で親切な対応をしてくれた。入口でのアルコール消毒などではスタッフがスプレーを掛けてくれた。入館料300円で、史料館のみならず青淵文庫と晩香蘆も見学することが可能で、少し離れた建物まで係員が付き添いで案内をしてくれたりしたのだった。常設展示は2階で開催されていた。(写真:会場図)


 展示は3つのテーマで解説されていた。
 ◎栄一の思いにふれる・・・映像・回想・関連資料から栄一の「日常」や「思い」に触れてもらおうというコーナーで「曖依村荘(あいいそんそう)」の額などが展示されていた。
 ◎渋沢栄一をたどる・・・91年の生涯が年齢ごとにユニットで展示されていた。実に多数のユニットには説明が書かれ、写真が添えられていた。ここが常設展の中心部分。
 
◎幅広い活動を知る・・・栄一が携わった様々な事業や活動などの内容を更に掘り下げるコーナーで、ここは随時展示替えを行うそうだ。

 “人生をたどる”コーナーが本展示の中心だった。
 例えば
 1840年 武蔵国榛沢郡血洗島(ちあらいじま)村で生まれる・・・
 1863年 尊王攘夷思想を抱いた栄一は高崎城夜襲計画に参加するもこの計画は中止。幕府の取り締まりを逃れるため京都へ逃亡。・・・
 1864年 一橋家家臣となる・・・
 1866年 幕臣となる・・・  などなど
 ここまでが僅か11枚のパネルで紹介されていた。実は「渋沢栄一クイズラリー」に参加すると並行して『雄気堂々上下』(著:城山三郎)を読んでいた。尊王攘夷思想を抱いた栄一が幕臣となるまでの心理的葛藤が多数のページにわたって丁寧に描かれていて、大変興味深く読んでいた。史料館の展示としては、ここから直ぐにその後の商業活動などに重点を移していた。ここから60数枚ほどのパネルは
 1868年 商法会所を設立し初代頭取となる・・・
 からスタートし
 1931年 91歳で死亡。
 までの60年余りにわたる膨大な活動が展示されていた。“日本の近代経済社会の基礎を築いた”と言われる渋沢栄一は、私からは見上げるような巨人で、遠くにある人だった。5年前、深谷で彼の生家を見学し、昨年クイズラリーに参加して少し身近に感じ始めだしていた。
 初めて知る活動が多く、この説明を全部読んで噛みしめるのは大変な時間と労力がいると思え、自宅でじっくり読もうと写真に撮って読み始めている。今日のブログは史料館の様子に絞り、栄一の活動や思想については、今後折に触れて綴りたい。(写真:リフレッシュルーム)
 史料館を後にし青淵文庫と晩香蘆へ。こちらは今回は写真展示のみに留める。(写真:下左青淵文庫、右晩香蘆内部)





 

  
 

 


関野吉晴写真展「新グレートジャーニー」を観賞

2021年01月15日 | 映画・美術・芝居・落語

 墨田区出身の探検家関野吉晴さん(71歳)が日本人のルートをたどった七年間の探検を記録した写真展「新グレートジャーニー」が開催されていた。墨田区役所併設のすみだリバーサイドホールギャラリーで開かれているとの東京新聞記事を読み、その翌日の7日(木)に出掛けて行った。
 墨田区役所のビル前を何度か通ったことがあったが、ビル内に入るのは初めてだった。そのビル1階の広々としたホールに展示された写真展には、旅で出会った人々の様子や壮大な風景の写真75枚が展示されていて、どの画像にも引き込まれるような素晴らし写真展だった。










 「ごあいさつ」を読んで、関野さんがどのような旅をしてきたのかがよくわかった。東京新聞の解説をも交えながら概略を綴ると
 1993年~2002年、アフリカで生まれた人類が世界中に拡散していくなかで、最も遠くまでのホモ・サピエンスの旅路(イギリス人考古学者はこの旅路のことを「グレートジャーニー」と名付けた)を逆ルートで辿る旅。南米最南端からアフリカ大陸まで約5万3千キロを徒歩やカヌー、自転車など自身の脚力と腕力で踏破した。(写真はメコン水源。世界地図は最下段に表示)

 2004年~2005、人類が日本列島にどうやってたどり着いたかを辿る旅に挑んだ。シベリアから北海道稚内までの“北ルート” に挑戦。  
 2007年~ ヒマラヤ山脈から始まり、インドシナ、中国、朝鮮半島経由して長崎県対馬までの“中央ルート”の旅。
 その後7年かけて、インドネシアから沖縄石垣島までの“海のルート”を徒歩や丸木舟などで探検。
 よくもこんなに歩いたなとただただ驚き、畏敬の念さえ抱くような旅路だ。 

 この写真展では北方ルートと中央ルートの中で撮った写真の中からピックアップしたものが展示されていた。旅の途中で出会った人たちと生活を共にし、親しくなった現地人の写真が多数。シベリアのトナカイ狩りやアジア諸国の色鮮やかな民族衣装を着た人々の素朴な表情。厳しい自然が見られた一瞬を撮影した写真もあった。




 関野さんの経歴も紹介されていた。
 一橋大進学後探検部創設。1970年代から南米のアマゾンを何度も訪れた。医療不足に直面する現地の人と交流する中で「役立ちたい」と医師を志し、横浜市立大学医学部に入学。勤務医を務めながら探検を続けてきた。1999年に植村直己冒険賞を受賞。
 この写真展で彼が伝えたかったメツセージは「日本列島には、いろいろな所から人類がやってきた。それが今のわれわれまで続いていることを伝えたい」だ。


 
 


コーシン牛乳サブレ

2021年01月08日 | 身辺雑記

「コーシン牛乳サブレ」をご存じですか?
 このサブレはコーシン牛乳(正式名はコーシン乳業KK)から発売されているものですが、千葉地区限定販売の製品ゆえ千葉県以外で知っている人は少ないでしょう。いや千葉県民でも知らない方の方が多いかもしれません。多角経営をする会社が増加してる現在、コーシン牛乳も牛乳販売以外に、牛乳に関連する製品なども生産していました。




 そのことを気が付かさせてくれたメールが昨年の年末にブログ「轟亭の小人閑居日記」の著者馬場さんから届きました。そこには次の様に記されていました。
 「本日、「等々力短信」の読者で長く『雷鼓』という同人誌を編集していた八千代市在住の岩本紀子さんから、産地限定「コーシン牛乳サブレ」を送っていただきました。年中は店頭になく、12月になって、やっと並んだ品物だそうです。12月17日の「マーちゃんの数独日記」で「コーシン牛乳」を拝読しておりましたので、ほんの少しばかりですがお裾分けを、お送りしました。楽しみにしてお待ちください」とありました。
 暫くして届き、早速開封すると、右の様な牛乳瓶の形をしたサブレが現れました。中央には「コーシン牛乳」の文字。食すると牛乳の味わい濃い、甘味を抑えたサブレで、一枚が結構大きくて食べごたえがあり美味しくいただきました。サブレは鎌倉の「鳩サブレ」が有名ですが、コーシン牛乳サブレもそれに劣らないサブレだと感じた次第。

 このことを妻が八千代市に住む「源氏の会」のFさんに話しました。彼女は早速サブレを買いにとあるスーパーに出掛けると販売していたそうです。地元だからでしょうね。1月7日に予定されている「Last 源氏の会」の皆さんにお裾分けする積りでもあったようでした。ところが緊急事態宣言発出が色濃くなった4日、妻は会の中止を決め、連絡をすると、Fさんはなんとこのサブレを2箱を送ってくれました。1箱に2袋。1袋に4つのサブレ。6日に届き再びの僥倖となりました。




新年が明ける

2021年01月01日 | 身辺雑記

 「明けましておめでとうございます」と書くのが躊躇われるような状況のなかで2021年が明けた。コロナ感染の一刻も早い終息を願わずにはいられない。
 昨夜の大晦日は何処へも出掛けなかった。毎年除夜の鐘を撞かせて頂いている「徳源院」へ電話すると、今年は実施しませんとのことだったので、二年参りは断念。“紅白”を観ることもなく早々に就寝した。
 初詣は氏神さま「天祖神社」へ。こちらは初詣が可能との掲示がなされていたので、人出の少なそうな今朝5時30分に参拝。予想通り境内に参拝者は疎らだったが本殿にまだ灯は灯っていなかった。コロナ禍で私に出来るはことは終息を願う神頼みのみ。続いて富士神社へ。23階段を昇り本殿にお参り。(写真:富士神社本殿)


 その後宮下公園でのラジオ体操に。私が普段行く富士神社でのラジオ体操は三が日はお休み。代わりに宮下公園にお邪魔する。顔見知りの方々と新年の挨拶を交わし、「みんなの体操」と「第一体操」をやった後、「第二」はスルーして自転車で帰宅。
 今年の元旦は東京では初日の出がバッチリ見られるとのことで、日の出時刻の6時50分に間に合う様に帰宅して、直ぐに屋上へ。6時55分頃に雲の上から陽が昇るのが見え始めた。一昨日の30日にたっぷり雪を纏った富士山は朝陽を浴びて神々しい。


   

 屋上を開けておきますと語っておいたKさんも見えられた。来年は是非この様なイベントを企画をして下さいと言われてそうかとも思った。再度天祖神社に出掛けると本殿に灯は灯り、参拝の方がチラホラ。コロナ禍の元旦朝はかく過ぎていった。