マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

王子は駅周辺が面白い

2021年02月26日 | 東京散歩

 緊急事態が出されているので外出は控え目だが、完全自粛を続けていると少なくも脚力は衰えて来る。毎日ラジオ体操後80分ほどの散歩をしている私は問題をあまり感じていないが、外出が極端に少ない妻は不安を感じるらしい。買い物などの外出時は行動範囲を少し拡げ、私も必ず同道する様にしている今日この頃。
 18日の東京新聞に「渋沢グッズや地元の名品 “北区の自販機”お目見え」の記事が載った。「王子駅前サンスクエア」の入り口に設置されたらしい。亀の子束子のスポンジを扱っているとも書かれていて、これを読んだ妻は一言「王子駅付近を散歩したい」と。とうい訳で王子散策と相成った。
 シルバーパスにとらわれず都営地下鉄南北線を利用すると、本駒込から王子まで僅か3駅、6分であっという間に到着する。この日は王子駅→サンクスエア→北とぴあ17階展望台→扇屋と、駅近辺を回った。
 ①王子駅前サンスクエア・・・この場所は1873年に、渋沢主導で作られた「抄紙会社」の工場があった場所。「渋沢栄一クイズラリー」に参加したのでサンスクエアが何処にあるかは知っていた。南北線出口1番を出るとそこがサンクスエア前で、自販機は建物の入り口に設置されていた。栄一関連グッズ以外に北区の名品など20種類の商品が揃えられていたが、私達は予定通り亀の子束子を購入。



 

 ②北とぴあ17階展望台・・・ここはクイズラリーの際に訪れていた。急いでいたので、そこに展望台があることには気が付かなかった。ラジオ体操仲間のMさんからのライン情報でここに展望台があることを知った。
 東京を一望するにはとても良い展望台だ。南方向には東京スカイツリーが、東方向には石神井川や筑波山などが望める。北方向には遥かに秩父の山々も見渡せた。富士山は展望台からは望めなかったが、一カ所だけ窓越に富士山が見渡せた(上の写真)。更に「山海亭」を利用すれば富士はバッチリ見えそうだ。眼下には新幹線が走っていた。大の鉄道ファンの、姪の長男の為にすぐさま動画撮影。(写真:左にスカイツリー。右に石神井川)

   

 ③扇屋・・・夕食のおかずの一品にと扇屋の厚焼玉子を買いに立ち寄った。落語「王子の狐」に登場する、江戸時代から有名な料理屋。現在の営業は玉子焼き販売のみらしい。前回は販売所に立ち寄ったときは教え子の顔は見えなかった。
 今回はそれらしい人物が販売店横で作業をしていたので、「早船君ですか」と問いかけると、吃驚したような顔をして「どちら様ですか」と。私が「向丘高校にいた川口です」と名乗ると、「あ!確か、数学を教えて頂きました」と。35年振りの再会だった。お店の様子を聞くと、やはり宴会部屋の方は畳んでしまって、ビル1階で玉子焼きの調理をしているとのこと。夕食に食する玉子焼きは久しぶりの味で、甘みがあり美味しかった。
 追記 渋沢栄一クイズラリーは30題全問正解だったが、「マイスター」の認定証はまだ届いていない。


見覚えのある図形だった

2021年02月19日 | 数学

 1ヶ月ほど前の1月16日(土)、妻が集めていたベルマークを近所の昭和小学校に持参したところ、現在は受付中止ということで、ビックリすると同時にガッカリした。しかし、箱の右上に貼られた「昭和小だより」(写真:右)に書かれてあった3つの図を見て、私の何かが強く反応した。見たことのある図だなと思いながら「昭和小だより」の全文を読んだ。






 「素敵な話をお伝えしたい」として校長先生の授業参観の様子が書かれていた。
 2年生の算数は分数の習い始めで、折り紙を折って4分1の大きさを作る学習をしていた。多くの子供は右図1のように折っていた。(対角線が折れ線となるような折り方)







 中に一人右図2のように変わった折り方をしている子供がいた。図1のようにぴったり紙を折らないでずらして折っていた。校長先生が「ぴったり折るんじゃないの」と聞くと、わざわざずらして折っているという。その紙を広げた時に校長先生は驚いた。その折り目を見ると、4分1の大きさが出来ていた。






 一度職員室に戻った後、どうしてその様な方法を思いついたのかを聞くために再度教室に行き、何故その方法を考えたのか担任に聞くと、「昨日、2分の1を作るときに右図3のような方法ができたからだと思います」と。その方法を考えた子供は図3の発想が基になり、それを柔軟に活用して図2が出来上がったと校長先生は気が付いた。







 「だより」を立ち読みしている途中で、私はある図形を思いだしていた。1969年から13年間、都立向丘高校に勤務していた頃、授業で、私の趣味だったパズルを出しては生徒ともども楽しんだ。そのパズルの1題に次の様な問題があった。
 「右図4の十字形にもう一本の線を引き、十字形を同じ形をした4つの図形に分けた後切り抜き、それを寄せ集めて正方形にしなさい」。少し難しいパズルだが正解に達する生徒も何人かいた。ここでは、ご自分で正解を考えようとする方の為にスペースを開け、正解は10行ほど下に書くと。







 正解図。右の図(5図)の様に、もう一本の線を書くと、4つの同じ図形(合同な図形)に分かれている。この線に沿って鋏を入れ4つの部分に分けたのち、

 

 

 

 





 組み合わせると図6のように正方形になる。この図形が「だより」の図2に似ていたのだ










 
 ここまでこのブログに付き合ってくださった方がいたら、ご苦労様でした。

 追記1 ここまで書いてきたことを、昭和小学校の校長先生宛に、文を整えて封書で郵送したところ、今月に入って返信を頂いた。「そちら様からの手紙を、算数の授業を担任に伝えました。担任も学校だよりのことをすでに子供らに伝えて、一緒に喜びあっていたので、手紙のことを知らされたことで、さらに喜んでいました」とあった。
 更に「・・・私も、教員になって以来、算数一本で研修を重ねてまいりました。それだけに、地域の方と算数・数学のことでお話が出来たことは、この上ない喜びです」とあり、私も嬉しかった。
 
 追記2 ここから先はその後考えたこと。高校生に出題したパズルを逆にすると別のパズルになる、と気が付いた。

 問題「図7の正方形に1本の線が書かれている。①もう一本の線を書き込み、正方形を4つの同じ図形に分けなさい。

 ②更にそれを切り抜いて寄せ集め十字形を作りなさい」。(正解は図6の様に線を加え、切り抜いて図5の様にする。「昭和小だより」図3より少し難しくなっているが本質的には同じ問題で、最終結果が十字形に到達するのが面白い)




 追記3 教員現役のころは教材作成プログラム「Studyaid」を使用し、図形も含めプリントを作成していた。退職し、パソコンを買い替え「Studyaid」はインストールされていない。そこで図形を手書きで描いたのだが見栄えの良いものにはならなかった。一工夫が必要と思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


『心淋し川』(著:西條奈加 出版:集英社)を読む

2021年02月12日 | 読書

 本作品が第164回直木賞受賞に決まった直後の、東京新聞著者インタビュー記事にこうあった。「・・・今作の川のモデルは幼いころに遊んだ北海道・帯広の細い川。“空港から市街地に向かう間の何もない景色が好き。今年中に帰りたい”」と。十勝空港から帯広へと向かう車の中で私たちも同じ風景を何度も見た。西條さんが音更小学校・音更中学卒業とも知った。孫たちの通学区域の小中学校だ。個人的な思い入れもあり、翌日、本屋さんへ直木賞作品を買いに行くと、全品売り切れですとの事で、ネット予約。10日ほど経って漸く到着した。
 6編の連作だった。最初の編「心淋し川(うらさびしがわ)」で作品の主舞台が分かる。中心人物は千駄木町の一角の心町にある長屋に住んでいる。「明けぬ里」には目赤不動も吉祥寺も登場する。そう、私が生活し、散歩に出かけたりする場所が舞台。作品がぐっと身近に感じられた。
 根津権現付近を南北に流れる藍染川。その支流のひとつに心川と呼ばれる小川がある。登場人物の誰も生きづらい環境の中に身を置かれ、日々の暮らしにあくせくしている。だからか主人公たちの川への心象風景は「溜めこんだ塵芥が重すぎて、川は止まったまま、流れることがない」のだ。
 登場人物は皆貧しく底辺に生きる人々。
 「心淋し川」の主役“ちほ”は飲んだくれの父を持ち、針仕事をさせられている。仕立て屋を通じて知りあった、思い人の元吉は腕を磨く修業のために京に去ってしまう。
 「閨仏」の“りき”はこの長屋で六兵衛に囲われているが、妾は4人に増え、共同生活を始めねばなくなり言い争いが絶えない。
 「はじめまして」での主役は飯屋を営む与吾蔵。根津権現で小さな子に出会い、かって捨てた女“るい”との間に出来た子かと期待するが、そうではないと告げられる。
 「冬虫夏草」の吉はかって日本橋薬種問屋の内儀だった。夫の死から不幸が相次ぎ、大怪我を負って歩くことも出来なくなった息子と二人での、ここの生活を余儀なくされている。
 「明けぬ里」の“よう”の夫は賭場で妻の稼いだ金まですってしまい、夫婦喧嘩が絶えない。
 このいずれにも登場するのが世話好きな、差配の茂十。最終章「灰の男」でその茂十の過去が明らかになる。物乞の楡爺に親切にして来たのには深いワケがあった。
 どの物語の最後には仄かな希望が待っているが、最後の最後に目出度い結びが用意されていた。第1章に登場の“ちほ”は仕立て屋の手代に縁付くことが決まり、間もない婚礼で茂十は挨拶をすることになっている。差配として世話を焼きながら、その実、灰の様になっていた自分を日常に還してくれたのが心町の住人だったと悟る茂十。住んだものたちには「生き直すには悪くない土地」と感じられる心町。
 読後感が爽やかだ。この作に導かれて、中山義秀文学賞受賞作『涅槃の雪』を読み始めた。
 
 
 

 


「バーゼル問題」について

2021年02月05日 | 数学

 最近読み出した和算についての一冊に『江戸の数学教科書』(著:桜井進 出版:集英社)がある。第1章で江戸時代に和算がフィーバーした様子が語られ、第2章で円周率を求めようと奮闘した和算家たちの挑戦の様子が語られている。その中で「バーゼル問題」が紹介されていた。
 「バーゼル問題」など初めて目にする御仁も多いことと思う。数学アレルギーの方には見たくもない数式が登場するかも知れないが、ここで私が紹介したいこと、えっ!ということが4つほどあり、それをご覧頂きたいので最後までお付き合い願えればと思う。




 えっ!(1) 「バーゼル問題」とは右に掲げてある“自然数の平方の逆数の和”の値を求めよという問題で、式の後半に「・・・」とあるのは、無限に足すという意味だ。スイスの数学者ヤコブ・ベルヌーイはその値が確定することを証明したが、値を求めることは意外に難問で、解答を得られずに1705年に死去してしまった。ベルヌーイが暮らしていたスイスの都市バーゼルの名から「バーゼル問題」と呼ばれ、多くの数学者がその値を求めようとしてきた。

 この問題を解決したのがオイラーで1735年のことだった。右がその最終解答で、その式をご覧いただこう。左辺に登場するのは自然数だけなのにその無限個の和の結果の右辺にΠ(円周率パイ)という超越数という数が登場する意外性。オイラー自身がその結果に驚いたと伝えられている。これがえっ!(1)だ。

 えっ! (2)実はこの問題、オイラーの発見より13年前の1722年に和算家建部賢弘が解決していた。彼は、和算を知らない人でも聞いたことのある関孝和の高弟の一人。色々な業績があるが、円周率を小数点以下41桁まで算出していたことでも知られている。ヨーロッパ先んじて江戸中期の享保年間に日本で解決されていた。えっ!(2)だ。

 えっ!(3)時代は一挙に現代に飛ぶ。「バーゼル問題」の証明はいろいろあり、この語で検索すると証明が現れる。今回は高校数学の範囲内での証明を読んだ。更にはYou Tube上でも証明は現れる。白板を用い講師が熱心に証明している。この方法だと、理解しづらい箇所では画面を一時stopし、熟慮しながら証明を読むことも可能だ。You Tube上での証明は今風だ。

 えっ!(4)You Tubeでの証明をいろいろ見ていたら、「中学数学の範囲内での証明法」が現れた。三平方の定理(ピタゴラスの定理とも呼ばれる)と円周角の定理(円周角は中心角の半分という定理)のみで証明していた。無限に加えることは中学校では学ばないのでこれだけは中学数学のレベルを超えているが、それ以外は基本的には中学数学の範囲内での証明だった。2002年にある数学者が証明したそうだが、この証明には心底驚いた。興味のある方はYouTube上で“中学数学でバーゼル問題”で検索を。