マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

北陸旅行最終日

2015年11月29日 | 

 新幹線開業に伴い造り替えられた金沢駅舎内を好奇心に駆られあちこち見て回った。ショッピング街やレストラン街など多くの店のどこも華やに雅びていて、京都駅をも上回ると感じられる賑わいだった。
 ドーミーイン金沢に宿泊した夜の食事は金沢の街を彷徨い歩かず、氷見で購入してきた海の幸を味わった。明けて11月14日(土)朝、窓外を見やると街は小雨に煙っていたが、バスの1日フリー乗車券を購入し、私よりこの地に詳しい妻の提案で、まずは武蔵ヶ辻にある近江町市場に向かった。
 
 ここも凄い賑わいである。「金沢市民の台所」として親しまれ、280年の歴史を誇る市場。市場は京都錦小路の様に一直線に結ばれるのではなく、数本の路地が交差している。市場への入口が7ヶ所あり、その点を線で結ぶと「女」という字になるとか。金沢・能登の特産品や加賀野菜、魚介類などの生鮮産品を中心に約180店舗がずらりと並んでいて、押すな押すなの人波だが、私は苦にならない。人混みの中をふらふらと歩くのも又楽しからずや。興奮気味に見て回ると、解禁となったばかりの蟹があちこちで売られ、店頭で生牡蠣を食べさせるお店もある。私のみ味見をしてしまった。磯の香りがして香ばしい。今回の旅は“花も団子も”味わえた。(写真:近江市場)




  
         (市場店頭風景 1)                      (市場店頭風景 2)

 そこから、長町武家屋敷跡に向かった。加賀藩の下級武士が住んでいた屋敷群。土塀に囲まれた狭い石畳の路地が続く。見ると表札が掛かり、現在も市民生活が営まれている。犀川から取水した用水が二本。「大野庄用水」と「鞍月用水」が街中を流れ、武家屋敷に趣を添えていた。人が生活するにはまず水の確保が必須であったことを改めて知るのだった。川のほとりの「和菓子 村上」で一服。ここで本格的に雨が降り出して来た。雨具の用意が乏しかった私達は散策を切り上げ、
近江町市場付近へとひき返しで昼食。16時38分金沢発の「かがやき510号」で帰路に着いた。かくして三泊四日の北陸旅行を終えた。(武家屋敷門構え)

 
    (大野荘用水)

    
  (土塀と石畳み)         (武家屋敷を今も流れる大野荘用水)


山手線1周ウオーキング

2015年11月26日 | 東京散歩

 11月22日(日)は、大泉高校卒業生たちとの高尾山への紅葉鑑賞ハイキングの予定だった。しかし、トシコさんの体調すぐれず、最終的には来年への延期と決めた。私ひとりで裏高尾の秋を味わいに出掛けようかとも考えたが、又の機会が来年にあるからと、それも止めにした。そこで思いついたのが「山手線1周ウオーキング」(山手線の総距離は34.5km)。何時かは実行したい思いつつも踏ん切りがつかなかった都心散策。絶好の機会到来とも思えたが、1日で全駅を回れるだろうか不安を感じつつ、スタート地点駒込駅を目指した。
 
山手線1周を思いついた頃は山手線の外側1周を考えていたが、それはかなりキツそうなので、山手線29駅全ての駅でスタンプを押すことを条件とする1周に変更した。(写真:駅スタンプ設置77駅)




 6時丁度駒込駅を振り出しに、右回り(周回内部を右手に見る回り方)に田端駅から品川駅・池袋駅などを経由して、17時50分駒込駅に帰って来た。無事完歩出来た!駅数は29、歩数は約70000歩、推定距離は42km。リュックにオムスビ2個、ペットボトルの水、カメラ、スタンプ帳のみを詰め込み、地図と傘とストックはメンバーに加えなかった。朝食は有楽町で吉野家の牛丼、昼食は恵比寿で横浜系ラーメン。

 苦労したことは駅スタンプがどの改札口にあるかわからず、毎回駅員に尋ねなければ分からなかったこと。渋谷駅など新南口改札で係員に尋ねると、「東口を出た緑の窓口にあります」と言われ、そこまではかなり回り込まねばならず、疲れていたので不本意ながら入場券を購入してしまった(入場券はスイカなどでの購入すると二重払いか?)。そのスタンプ、インクが切れかかっていて、鮮明なスタンプとはならない不満が残った。このスタンプヶ所は首都圏に77ヶ所あって、自分のスタンプ台持参で巡回する人も多いとか。(写真:駒込⇒田端。現在、山手線唯一の踏切)


   (日暮里付近に特急列車の看板あり)

 中学生の頃から数えると60年近くなる。何かの用事があったり、散策した経験があったりで、駅と駅の間の道筋の多くは歩いていたので進み方に不安は無かった。
 しかし問題があった。29駅間の中でも、線路が大きめな円弧を描いて曲がる区間がある。具体的には、駒込⇔田端、品川⇔大崎、池袋⇔大塚。この区間は遠回りしても良いからと幹線道路を歩くのならばそう難しくはないが、最短を行こうとするとかなり難しい。幸いにも駒込⇔田端、池袋⇔大塚は地元なので何度か歩いたことがあったが、品川⇔大崎は全くの初体験。未知の道を行くのはワクワクするのだが不安もあった。品川駅前にある地図掲示板を撮影し、その映像をも頼りに御殿山へと昇り、更に進んで御殿山小学校を左折して谷側に下っていった。この間には高級な住宅街があり、ハイセンスなお店あり。無事大崎駅に着けたが、今回の散策で一番変化を感じたのがこの大崎駅近辺だった。

 興味津々だったのは有楽町から新橋に掛けて。美味しそうな店構えが数軒並ぶ。10時前にも拘わらず、開店前に長蛇の列が出来ているお店もあった。「美登利寿司総本店」。これは何時訪れたいと思いながら素通り。(写真:品川駅付近の地図看板)

  
    (秋葉原⇒神田間の神田川)                   (美登利総本店)

 一番辛かったのが田町⇒品川。第一京浜を歩いても歩いても品川駅に着かない。帰宅後この間の距離を測ると2.2km。この間に新駅を作ろうとしているのも頷ける。一番楽だったのは巣鴨⇒駒込。熟知した区間でもあり最終区間でもあった。この日、自宅で飲んだ缶ビールは格別に美味だった。(付記:スマホのナビのお世話にはならなかった。より詳細はいずれ






 以下写真展
 
    (出発点に戻っ来て)                    (池袋⇒大塚間にある跨線橋)

          
(西日暮里駅付近。この街道は今後調べたい)       (大崎駅付近の目黒川)

  
 (大崎駅”新駅舎とお台場”とある)              (新宿駅”新宿停車場”とある)

  
(池袋駅”鬼子母神とすすきみみずく”とある)            (大塚駅”駅舎と都電”とある)

  
   (駒込駅”六義園とつつじ”とある)           (有楽町駅”歌舞伎座”とある)

 


北陸旅行3日目

2015年11月23日 | 

 北陸旅行2日目の宿泊は氷見北端の宿「ひみのはな」。3日目の朝の眼ざめは早かった。晴れていれば、ここの露天風呂から富山湾越しに立山連峰からの日の出が見られるはずなのだ。日の出時刻は6時23分。朝6時過ぎにはカメラを持参し、露天風呂に浸かりながらその瞬間を待ったが、なかなか陽は昇って来ない。6時40分になっただろうか、剣岳のかなり左側から陽が光り出した。幸運にも富山湾と立山連峰と日の出の光を同時に撮影出来た。11月10日のグログに登場させたような写真は撮影出来なかったが満足だった。(立山連峰の日の出)



 この日の、氷見の宿から金沢までの行程を記すと
 ひみのはな⇒≪加越能路線バス≫⇒JR氷見駅⇒≪徒歩≫⇒氷見漁港(昼食)・番屋街⇒≪徒歩≫⇒JR氷見駅⇒≪JR氷見線≫⇒高岡駅⇒≪JR城端線≫⇒新高岡⇒≪北陸新幹線≫⇒金沢⇒ドーミーイン金沢
 
 この日に訪れたかったのは氷見漁港と氷見番屋街。
 富山湾随一の水揚げを誇るのが氷見漁港。日本でも有数の好漁場として知られ、四季を通じて沢山の魚が水揚げされる。市場では朝6時頃からセリが始まり、その見物に訪れる観光客も多いらしい。
 私達はセリには到底間に合わないが、市場食堂海寶(かいほう)を目指したのだった。駅から歩き始めるとすぐに富山湾が見え始め、その向うに立山連峰も微かに望めた。
 上空には20数匹の鳶が舞飛ぶ姿が目に入った。駅前にある掲示板に書かれた地図で漁港への大凡の道筋は頭に入れておいたが、鳶舞う方向を目指せば間違いないだろうと方向を定め進んでいった。
 鳶はすぐ近くまで舞い降りてきて「ひょろろ」と鳴いた。”鳶がくるりと輪を描い”てもいたのだ。
 漁港建物2階にある市場食堂に到着し、私は「よくばり刺身定食」を、妻は「かぶす汁」を注文。定食の7種類の刺身はどれも新鮮で美味しかったが、特にブリの刺身が絶妙に美味。富山湾から上がる寒ブリの、朝獲れを直ぐに頂くのだから、こんなに美味いものはめっに食せない。これで氷見に来た甲斐はあったと思えるお味だった。(定食の刺身盛り合わせ)

 

         (氷見漁港)

 
           (寒ブリ)

 氷見の番屋街の位置は店員さんが指さしで教えてくれた。

 氷見「道の駅」は以前は漁港の近くにあったが、2012年10月に「氷見番屋街」として装い新たに、漁港から徒歩10分の現在地にオープン。「番屋」というのは、漁師の作業小屋のことで、施設全体が番屋をイメージして作られたと説明がされているが、「番屋」のイメージを遥かに越えて、清潔感に溢れ活気ある商店街だった。氷見漁港直送の回転寿司、氷見うどん店、氷見牛・氷見カレーなどの地元人気グルメ、氷見の新鮮な鮮魚売場、様々な海産物・加工食品や地元の銘菓のお土産店など、32を超えるテナント店舗が出店。その日は平日にも拘わらず大勢の客で賑わっていた。余りに安い鮮魚を買いたい衝動に駆られたが、残念ながら買う訳に行かず、帰宅した夕食用にと鱒ずしなど加工品を購入するに止めた。ここへは是非もう一度旅の最終日に保冷バッグ持参で訪れたい。(番屋街付近から見る富山湾越しの立山連峰。左端が剣岳)


 天候に恵まれていれば氷見線の雨晴駅で下車し海岸散策も考えていたが、午後には朝の好天は既になく、一路高岡を経て金沢へと向かった。(写真:残念ながら見られなかった風景)


『はじめて能』を観る

2015年11月22日 | 映画・美術・芝居・落語

 ラジオ体操仲間の大橋さんから、ご都合が悪くなられたそうで、能のチケットをいただいた。見ると、『はじめて能』とある。能はほとんど観たことのない私には、願ったりである。初心者でもない妻もつき合ってくれた。会場は、東中野にある、梅若能楽学院会館、なかなか年期の入った建物、環境であった。(右が「はじめて能」のパンフレット)


     
   (「道成寺」の観世清和)

 入りはかなり良く、10分前に着いて、正面4列目の端にやっと席を取れた。「はじめて」と銘打つだけに、実に親切。仕舞を2つ「紅葉狩」と「松風」を鑑賞した後、山階彌右衛門さんが、種々の約束事、足の運びなど実演付きの説明、「謡稽古」までして乗せてくださる。その親切・丁寧さは、能『殺生石』で極まった。始まる前に、物語の背景・登場人物の紹介などは勿論あったのだが、途中、山階さんが登場すると、進行がストップ。必要なことを詳しく説明してくださる。「こんなことをやってるのは、私くらいでしょうね。家元の弟だからゆるされるのかな?」だそうである。観世宗家の実弟で、永らく絶えていた「山階彌右衛門」を継いだそうである。すっきりと背が高く、仕舞姿も美しい。

 『殺生石』は九尾の狐玉藻の前の話だから、「妖狐」で、動きも激しく、「はじめて」にはふさわしい演目だった。殺生石の中での「替わり」もちょっと見せていただいた。1時間半が、初めてなのに少しも退屈せず、大変短く感じられた。最後に、来月、水道橋にある「宝生能楽堂」での山階さんの公演の紹介があり、心が動いたが、結構高額なので迷うところである。(写真:山際彌右衛門)

(付記:「三遊亭兼好独演会」についての詳細なブログ「轟亭の小人閑居日記」は「高砂や」・「親子酒」の2席のマクラと本篇が綴られ、都合4回で終わりを見たと思われます。是非通して読まれますことをお勧めします。念のためURLはhttp://kbaba.asablo.jp/blog/ です)


北陸旅行2日目

2015年11月20日 | 

 北陸旅行2日目は宿泊した宿(富山:ホテル和休)を出発点として高岡を経由し、富山県北端に位置する氷見市九殿浜(くでんはま)温泉までの延々たる旅路だった。経路は
 
富山⇒≪あいの風とやま鉄道≫⇒高岡駅⇒(高岡市内散策)⇒高岡駅⇒≪JR氷見線≫⇒氷見⇒≪加越能路線バス≫⇒九殿浜⇒宿「ひみのはな」

 この日の見所は何といっても、高岡にある国宝瑞龍寺。“あいの風とやま鉄道”という、第三セクター方式の鉄道に初乗車し、高岡駅下車徒歩15分ほどで瑞龍寺着。ここの寺は国宝の二文字を冠する如く、山門・仏殿・法堂が国宝である。そのことは知っていて、ここを訪れることは今回の旅行の大きな楽しみの一つで、予め知識を仕入れておいた。
 曹洞宗瑞龍寺は加賀藩二代藩主前田利長の菩提を弔うため、三代藩主利常によって建立が開始され、1663(寛文3)年に完成。3棟が近世禅宗様建築の代表作として、1997(平成9)年国宝に指定されている。私は特に前田藩の藩主よりもこの国宝建築に大きな興味を抱いていた。

 総門を抜けると山門の全体像が姿を現す。門という概念を遥かに越えた、堂々たる建物である。思わず、南禅寺の山門に匹敵するねと妻に語りかけた。回廊を歩み仏殿に至り、仏殿を裏側から抜けると法堂。瑞龍寺の伽藍配置はこの3つの国宝が一直線に並び、回廊はほぼ正方形を形成し、寺院全体が端正な感じである。法堂で尋ねると、件の久隅守景作「四季山水図襖」は全てサントリー美術館に出張中とのことだった。
 流石、加賀百万石の実力か、巨大にして豪華で品格のあるお寺と感じながら、利長公墓所は遠慮して高岡駅に引き返した。(写真:正面から見た山門)


    (裏から見た山門)

 
         (仏殿)                      (法堂)
 

        (広々とした大茶堂)

 高岡市内に見所は幾つかあったが、時間の関係で「土蔵造りの町並み山町筋」のみを散策した。ここには伝統的建造物が数多く残っていた。それはここが高岡城下を通る旧北陸道沿いに発展した商人町だからだ。

 散策に疲れコーヒーブレイクすると、これが“雛には稀な”喫茶店で、アンティークなテーブルで美味しいケーキとコーヒーを頂いた。更に道路挟んで“喫煙所”と書かれた建物に入っていくと、ご主人から着席を勧められ、何かと聞かれ話し込み、前日に岩瀬で買った、桝田酒造の吟醸酒“満寿泉”の話をすると、今度は諏訪の酒“真澄”を勧められ頂いてしまった(勿論無料)。多くの人を闊達に招き入れる、いかにも旦那といった雰囲気のご主人の振舞に商人町の名残を感じた。その後は「富山銀行本店」の赤レンガ建築の建物を撮影し高岡駅に引き返した。(休憩した「山町茶屋)

 高岡から氷見線と路線バスを乗り継ぎ、17時過ぎに氷見市の端に位置する本日の宿「ひみのはな」着。翌朝6時30分頃に富山湾越しに、立山連峰から昇る日の出を楽しみに寝床についた。


   (山町茶屋で出された大野のケーキとコーヒ)



  (喫煙所の庭を垣間見る)

  
  (土蔵造りの町並みで見た伝統的建物その1)         (伝統的建物その2)

   
    (赤レンガ建物の富山銀行)              (高岡 御車山会館)


(氷見線から見えた立山連峰。画面上の左端が剣岳)