マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

10月2度目の満月はマイクロムーン

2020年11月02日 | 地学・天文

 一昨日の10月31日(土)から翌日にかけては10月2度目の満月で、しかも2020年最小の満月「マイクロムーン」でもあり、当日はハロウィーンでもあった。10月31日は朝から雲一つない快晴で、これは月の出から満月が美しく見えるなと大いに期待して待っていた。(快晴のもと、スカイツリーも良く見えた。屋根が緑の寺は吉祥寺)








 月の出時刻は16時50分。その3分前が日の入時刻だった。そこでまずは自室で太陽が沈むのを待っていると、太陽は富士山からやや右に離れた地点に、赤々と燃えるように消えていった。後ひと月弱でダイヤモンド富士だ。

 





 それを見届けてから屋上へ。日没を境に辺りは一気に暗くなっていた。主役は太陽からお月様へ。16時50分をやや過ぎに東の彼方を見るも、月はまだ見えなかった。17時を過ぎてからだったか薄い黒雲の向こうに、微かに丸い円形が見え始めそれが満月だった。光の屈折の具合からか、昇るにつれて月は赤く見え始めた。今回も三脚は使用しないで、望遠レンズ付きのデジカメで撮影したのが右の写真。その日は旧暦の9月15日、十五夜でもあった。(写真の建物は南千住のビル群か?)




 実は今年最大の満月(スーパームーンと呼ぶこともあり)は、4月7日から8日にかけて見られた。月が地球に近づくため、1年でもっとも大きく明るく見えたのだ。その反対に満月でもその年最小に見えるものをマイクロムーンと呼ぶことがあるそうで、今回の満月がそれに相当することを知った。スーパームーンと比較して14%も異なって見えるそうな。今年その両方を見たが、見た目には全く気付けないことだ。(下段は今朝5時50分頃グリーンコートに沈みゆく月)

 
 


NHKスペシャル『黒い津波』を見て(その2)

2019年03月09日 | 地学・天文

 NHKスペシャル『黒い津波』では、津波が黒くなっていった主原因を、津波が削り取った海底のヘドロと分析し、最近まで知られていなかった”黒い津波”の、新たな脅威を報道していた。前回のブログに続いてその脅威を綴ると、


 

 ⑥水死した方の9割は溺死と判断されて来た。しかし、検死した医師たちは単なる溺死ではかなった可能性を指摘し始めている。300人以上の検死を担当した教授は、土や砂が肺に詰まり窒息した人もいたのではないか、と考えている。検死した法医学者へのアンケートでは、泥の誤嚥による窒息があったのではないかとの回答が多数寄せられていた。死者の増加に”黒い津波”が影響したと8割の検死した医師が感じている。

 ⑦黒い津波は、あの日を辛くも生き永らえた人々の命を脅かし続けている。「津波肺」という重い肺炎。ヘドロなどの粒子は細かいもので、その大きさは4マイクロメートル(4/1000ミリメートル)。肺の奥深くまで達するほどの細かさで、肺胞にまで達すると、肺から水分が抜けたとしても津波の粒子は肺胞に残り続け、炎症を拡げてしまう。(写真:保管されていた”黒い津波”の分析)


 ⑧黒い津波は乾燥した後に形を変え、粒子が粉塵となって被災地を覆った。それを大量に吸った結果、粉塵が肺に入り重い肺炎に繋がっていった。「黒い津波の脅威は生き残った方のほうにも事件が起こる」と語った医師もいた。(写真:入組んだこの国の海岸線)




 ”黒い津波”の発生の恐れのある、入り組んだ地区は日本各地に存在する。都市部の港湾地帯にも発生の可能性がある。川崎市などもその一つで、海底調査の結果ヘドロの存在が確認された。(写真:住民への説明会を開始した川崎市)
 明らかになって来た”黒い津波”の姿。巨大地震の発生の恐れがある今、専門家たちはそれに備えるよう住民に訴え始めた。”黒い津波”の来襲を前提に防災対策を進めることが急務とも指摘していた。
 番組の最後に有川教授は「津波が来る前に逃げ出す。家屋建築では”黒い津波”により浮力が増すという前提に立った設計が大事」と語っていた。

 2万人近くの命を奪った津波の実情にどこまで迫ることが出来るのか。その解明は今なお続いているのだった。


NHKスペシャル『黒い津波』を見て(その1)

2019年03月07日 | 地学・天文

 間もなく、3・11東日本大震災から8年目がやって来る。
 3月3日(日)にNHKスペシャル『黒い津波』を見た。ご覧になった方も多いことだろう。
 ”黒い津波”に底知れない恐ろしさを感じるとともに、一個人の機転に続く専門家の調査・実験・分析などにより、”黒い津波”の実態の一端が、8年目にして漸く明らかになったことに驚かされもした。

 地震発生から40分後、初めに近づいて来た津波は透明で地面が透けて見えていた。しかし僅か1分後に押し寄せて来た津波の色は黒かった。時間が経つにつれてドス黒くなっていった。八戸・宮古・大船渡・気仙沼・塩釜。三陸のリアス式海岸など入り組んだ湾や港のある場所でも同様なことが起こっていた。津波は何故黒さを増していったのか?

 8年前採取された津波がそのままの状態で見つかった。1432名が犠牲になった宮城県気仙沼に住む、ある男性は翌日津波をペットボトルに詰め、8年間そのまま保存していた。異様な黒さに驚き、あの日の津波を伝えるのに役立つのではと思いたち、長年保管して来たものをNHKに渡した。
 その保管液体を、津波のメカニズムを研究する中央大学理工学部有川教授らが分析・調査した。分かってきたこと
 ①黒い部分の多くは海の底に沈殿していたヘドロ。油や重金属などの有害物質も混ざっていた。粒子の大きさは1000分の1ミリ単位。その細かさが様々な脅威に繋がっていった。重さは普通の海水の1.1倍。重さが、20%、25%、30%増の海水も発生していたのではないかと推定される。

 ②津波は重くなるほど押し流す力が強くなる。力を増した津波が人々が逃げるのを難しくした可能性が高い。津波の高さが50cm程度で足をすくわれ転倒し、亡くなった方がいる。遺族の痛恨の感想「兎も角、なにもかも捨てて逃げること」

 ③壁にぶつかる時の瞬間の力は水は256Kg重/平方メートル。”黒い津波”は驚くべきことに、その2倍の556Kg重/平方メートル。著しく破壊力が増す。






 ④一般に浮力は密度が高いほど大きくなる。”黒い津波”は押す力だけでなく浮かせる力も大きかった。1mか50cmの浸水で浮かされ、流されてしまった家屋が多数ある。気仙沼での全壊家屋16000棟。




 ⑤発生源となった海底を調べると水深は震災前より7mも深くなっていた。黒いヘドロ100万トン(推定値)が海底から削り取られた。気仙沼湾を目がけて大量に押し寄せた津波は湾などの狭いところに来ると行き場を失い、通り道を拡げようとして海底を大きく削り取った結果だった。

 ⑥
市街地では急速に水嵩を増していった。津波到来から30秒足らずで危険水位に達していた。逃げられなくなるような水位に達する時間が短くなり、10秒、30秒が生死を分ける重要な要素になって来る。
 黒い津波の急激な水位上昇に見舞われた鹿折地区では206人が犠牲になった。僅かな時間の差が人々の生死を分けていた。例えば酒屋を営む女性の方は自宅の2階で津波が迫っていることに気が付き階段を駆け下りて、玄関にいた夫を引き上げよと手を伸ばし、手を取ったその瞬間に凄い波がきて夫はすっぽり水に飲み込まれてしまった。

 ”黒い津波”は辛うじて生き延びた人々のその後の日々にも大きな大きな脅威となっていった。(続く)


 

 

 


東へ行くほど日の出は早いか

2019年01月08日 | 地学・天文

 単純に、東へ行くほど日の出時刻は早いと思っていた。しかしそうでは無いことに気付かされることを実際に体験し、漸くある事実に気が付いた。
 今年の元旦、帯広・音更町の息子宅付近で、車道に出て日の出を待っていた。東京の日の出時刻は、毎年自宅マンション屋上から観察していることもあり、6時50分と知っていた。ならば、詳しくは調べてはいないが、東京より経度の高い(より東にある)帯広の日の出時刻はより早いだろうと考えて6時40分から日の出を待っていた。しかし6時50分を過ぎても陽は昇らず、やっと6時58分になって建物の上から光が洩れ始めた。気温が氷点下のなか、カメラに触る素手は感覚が失われそうだった。(注:後日調べると、東京の緯度139.76度で、帯広の緯度143.212度)
 息子宅に戻り、ヤヨイちゃんにそのことを話すと、直ぐにスマホで帯広の日の出時刻を調べてくれた。「お父さん、6時58分ですよ」とのこと。私もスマホに聞けば直ぐに答えてくれることを思い出し「帯広の初日の出は何時か」と声を掛けた。賢いスマホ君は「6時58分」と答えてくれた。

 何故か、の思いを抱きながら帰京し調べた。「元旦の初日の出一覧表」で検索し下の図を見つけた。下図の曲線は日の出時刻が同じ地域を結ぶ、いわば”等高線”、いや”等時線”。下図を見れば東京の方が帯広より日の出時刻が早いのは一目瞭然
 
 

 そのとき初めて悟った。日の出時刻は、日にち・その地点の緯度と経度と標高の4つによって決まって来るはず。その4つの要素の関数なのだ。日にちは元旦に指定してあるからこれは度外視し、標高もこの際無視すれば、元旦の日の出時刻は緯度と経度によって定まってくるはず。このことは中学の理科で習ったことかも知れないし、これを読まれている多くの方はご存知の事かも知れないが、恥ずかしながら私は77歳にして初めて知ったのだった。
 緯度が一定ならば当然”東へ行くほど日の出は早い”は正しい。日本国内を東西に移動するならば緯度の変化はあまりないから、その場合概ね”西へ行くほど日の出は遅い”が正解のはず。東京は既に薄暗くなっているのに沖縄の空がまだ明るいという映像はお馴染みだ。

 以下理屈の駄文を重ねる。
 少し考察を進め、今度は経度を一定にした場合「北に行くほど日の出は遅い」が正しか?と考えたが、さにあらず。冬至付近の日と夏至付近の日では事態が逆転する。元旦を含め冬至付近では緯度が低い(より北に位置する)ほど日の出は遅いのだが、夏至付近では逆転し緯度が低い(北)ほど日の出は早い。経度にあまり差のない銚子と礼文で比較すると、例えば今年の6月22日、銚子の日の出は4時20分だが、遥か北の礼文では3時46分に夜が明ける。
 下記のURLのサイトを利用して秋分の日や春分の日の日の出時刻を調べると、緯度により差異はあまり見られなかった。
   

 



https://keisan.casio.jp/exec/system/1236677229
 これらの原因は、太陽の周りを公転する地球の公転面に対して、地球の自転軸(地軸)が66.6度が傾いているからだと思われる。愚考はこれにて終了。

 


上弦の月を撮る

2018年08月20日 | 地学・天文

 一昨日は上限の月。夜10時、三脚を持って屋上に上がり、月を撮影したものが右の写真。月表面の“海”もはっきり見えて満足できるものだった。
 上限の月か下弦の月か迷う人もいるが、私はこの月を少し時計回りに回転すると、弓の弦が上に来るから、上限と覚えることにしている。





 実は、2年前にネット経由で購入した中古カメラの写りが悪くなって来ていた。そこで今回は中古ではなく”新品”を購入したいと考え、何度か「ヨドバシカメラ アキバ」へ掛けた。その時に気に入ったのがキャノンの「Power Shot SX60 HS」(右写真)。高性能のコンパクトカメラで、マクロ機能に優れ、光学65倍ズーム(望遠端で1,365mm相当)。パンフレットには撮影された月の写真が添えられていた。
 今までは、持っているカメラでは月などの撮影で満足できるものが撮れなかった。このカメラならば何とかなるかとの期待を込めて7月下旬に、4万5千円で購入してしまった。マクロ撮影と遠く離れた山などの撮影がズーム機能で簡単にチェンジ出来るのも魅力だった。

 会津駒ヶ岳へ出掛ける直前の購入で、マニュアルをしっかり読む余裕はなかった。帰宅した翌日が「板橋の花火大会」。この時もマニュアルを読まないで花火の撮影で、満足な写真は撮れなかった。
 18日は
全生庵での「圓朝寄席」だったが、帰宅時間に月はまだ夜空に残っていた。(写真:板橋の花火)
 このカメラが今生の買い納めか。使いこなそうと思う。