マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

サイクリングを、より安全に

2021年04月30日 | 身辺雑記

 4月に入ってサイクリングを再開した。出掛けようと思うのはやはり荒川土手だ。自宅から、田端・小台・隅田川などを経由して5kmほどで荒川土手に至る。都バスが走行する道路で、自転車専用レーンの整備が進んでいるが、このレーンに車が停車している場合には車道やや中央寄りを走行することになり、少し不安を感じている。(自転車マークが自転車レーン。田端駅付近で)







 折り畳み自転車の特性を活かして公共の乗り物の電車やバスを利用すれば良いと思ってはいた。昨年10月に国設昭和記念公園でのサイクリングに出掛けて行った際には、都バスと中央線に折り畳んだミニベロを積み込んだ。しかし、意外に苦労をしたのだった。購入した運搬袋が重たい上に、ミニベロがきちんと畳めていないと、自転車の袋詰めが上手くいかなかったり、多くの時間を費やしたりする。そこで自転車の運搬袋を変えたいと思った。軽くて、自転車をふんわり包み込むような袋が欲しいなと思った。(折り畳む前のミニベロ)
 

 その様な袋が市販されている訳はなく、妻に手作りが可能か相談すると、初めは難しそうな顔をしていたが、上手い方法を思いついたらしく、ホームセンター「オリンピック」に行くことになった。そこで購入したものは子供用自転車のカバー。これで折り畳み自転車の袋を作るのだと店員さんに語ったら、「それは無理です」と言われたが、妻には成算があったらしく、これを購入してきた。更に締め糸を付けて詰め袋が完成(完成した詰め袋にミニベロを入れた状態。写真下は上から撮影)
 


 かくして、4月23日(金)に荒川土手のサイクリングに出掛けた。     
 行程は 自宅→駒込病院→(都バス豊島5丁目団地行)→宮城2丁目→(荒川土手)→新河岸→高島平駅→(都営三田線)→千石駅→自宅 (赤字部分が袋詰めして乗車した区間。右写真で対岸は埼玉県)
 駒込病院から豊島5丁目団地行バスは駒込病院が始発駅で、空いている9時台のバスを利用した。これだと他の乗客に迷惑が掛かりそうもない。乗車25分で宮城2丁目着。そこから荒川土手は直ぐだ。
 サイクリングロードには海岸からの距離が表示されている。江北橋付近は17km地点。ここから岩淵水門などを経由して進むと、25km地点が新河岸。ここからは三田線の高島平までは知っている道なのでここでロードから離れた。僅か8kmの走行だったが、気分爽快。高島平からはミニベロを電車に乗せて帰宅した。全行程3時間弱。






 自転車の袋詰めは2度やったが、簡単に出来たうえ、運搬も楽で、これならば他のサイクリング場にも気楽に行けそう。ベストのものを手作りしてくれた妻に感謝!感謝!(岩淵水門)


小名木川を歩く

2021年04月23日 | 江戸の川・東京の川

 4月19日(月)、小名木川沿いを散策してきた。暖かい気候の午後、今年2度目の小名木川散歩だった。最近になって藤沢周平著『ささやく河』や『橋ものがたり』を再読し、江戸・塩の道への興味もあって前回は2月2日に出掛けて行ったのだったが、今回はあることを思い出したのが再訪のきっかけだった。(写真:クローバー橋)




 20年ほど前、母と私たち夫婦は箱根明神平に2泊したことがあった。その時妻は2晩かけて母の生涯の聞き取りをしてノートに記録していた。私は傍で何となく聞いていたが、その時母は「生まれは深川で船宿の娘」と語っていた。その頃は川への関心はあまり高くなく、それきり忘れてしまっていたが、最近になり川への興味が増すにつれて、その話を思い出し、小名木川や仙台堀あたりを散策しようとの思いが強くなっていた。(写真:隅田川岸辺)

 4月19日(月)は次の様に回った。
 都営新宿線住吉駅→小名木川橋→扇橋閘門→萬年橋→隅田川川端→芭蕉記念館→都営新宿線森下駅
 訪れる前に「江戸東京重ね地図」で調べると江戸時代にこの川に架かっていた橋は、西から萬年橋、高橋、新高橋の3本のみで、新高橋から東の中川番所まで全く橋は架けられていない。今では最東端の番所橋まで14本もの橋が架けられている。車や人の往来が頻繁となるにつれて橋の建設も増えていった結果だろう。
 住吉駅で下車し「四ツ目通り」を400mほど南下すると小名木川橋に至る。クローバー橋の東隣の橋だ。今回は小名木川のほど中央にあるこの橋から隅田川を目指して歩き始めた。かつては川の両側には大名屋敷が軒を並べ、夜ともなれば常夜灯が灯ったであろう風情はマンションなどのビル群に覆われその面影は全くない。それでも川の畔の散策は気分を爽快にしてくれる。(写真:名残の常夜灯)

 小松橋を過ぎると扇橋閘門だ。大きな掲示版に閘門のしくみが書かれている。初めてここを訪れた人でもその構造が理解できるというわけだ。






 ここを過ぎ少し進むと南北に流れる横川との交差点。この角に中川番所とは別に「猿江船改番所」あったことを初めて知った。ここの仕事は船稼ぎを統制することにあって、年貢・役銀を徴収したり、川船年貢手形や極印の検査を行うことだったらしい。(写真:横川と交差する地点)




  大富橋を過ぎると東深川橋だ。ここで一時川から離れ、川の北側を川に平行して作られている高橋夜店通りへ向かった。夜の方が繁盛の様子を見られるだろうが、昼間でもそれが窺える商店街だ。その通り沿いに深川一中や深川小学校が存在していた。帰宅後、ここ深川小学校の前身が深川尋常小学校であったことを知り、ここが母の出身小学校かも知れないと想像を膨らませた。(写真:高橋夜店通り)







 小名木川に戻り、西深川橋・高橋を過ぎると川の西端「新小名木川水門」で、この日水門は開いていて、折しも通行船が門を潜って行った。萬年橋を過ぎると隅田川。突然雄大な景色が飛び込んでくる。江戸時代「大川」と呼んだのもさもありなんと思える。この辺りでは実に幅広い川だなと実感する。下の写真に見えている橋は清洲橋。(写真:新小名木川水門)


 この川端を進み隅田川から離れると芭蕉記念館。なんとこの日が建設40周年記念日だとか。本日来館の10名様にと、その記念にと絵葉書を頂きハッピーエンドの川旅となった。(写真:下左芭蕉句。右は萬年橋)
 


広重『名所江戸百景』のうち「中川口」の今昔

2021年04月16日 | 江戸の川・東京の川

 歌川広重が描いた『名所江戸百景』中の61景「中川口」は塩の道(水路)と中川が交差する場面で、行き来する舟が数艘描かれている。塩の道は別名行徳川とも呼ばれたから、中川と行徳川の交差・合流地点でもある。その地点へ私は今年、東側からも西側からも到達していた。













 その場面を「江戸東京重ね地図」で見ると右図の如くで、舟は右行徳方面から新川・中川を経て小名木川へと比較的スムースに航行出来たように見える。小名木川への入り口には中川番所(中川御関所)も描かれている。中川船番所資料館発行のパンフレットによれば、1647年頃に小名木川西端、隅田川口に深川番所ができたが、その番所は1661年に東端の中川口に移転されたとある。中川番所の設置である。





 今番所跡付近に建てられた番所資料館に立って対岸を見渡すと、当時の面影は全くない。中川は旧中川と呼ばれるようになり、東側に新たに造られた荒川と平行するかの如く中川が流れ、その両川の間を首都高速4号線が走っている。










 この激変は荒川放水路開削に端を発する。岩淵水門付近で隅田川と分流するこの水路は全長22 km、幅約500 m。1913年から1930年にかけの、17年に及ぶ難工事の末に完成した。その開削は下流で中川を分断することになった。
 右は東墨田3丁目付近の地図で、荒川放水路(現荒川)開削以前①から②へと流れていた中川は、荒川③によって分断され、①から④へ流れるように作り変えられた。こちらは中川放水路と名付けられていたが、現在は中川と呼ばれ、荒川に並行して東京湾に流れ注いでいる。
 ②側は流れを堰き止められ、荒川と接する2ヵ所には、水門が設けられた。上流にあるのが木下川水門で、下流にあるのが荒川ロックゲートである。






 この荒川ロックゲートが面白い。荒川と旧中川とを結ぶ閘門である。荒川と旧中川の水位差は最大時3mほどあり、船舶が両川を行きすることは来出来なかったが、ロックゲートと呼ばれる立体交差装置によって2005年以降行き来可能となった。





 ここの利用料は無料で、船舶の長さ、幅員、高さ、船底高の条件を満たす船舶であれば、原則としていかなる船舶でも通航可能。「東京水辺ライン」は、土曜日の特定日に荒川ロックゲートを通過する観光船を運航しているそうな。扇橋閘門は通過したがここは未経験。是非通過してみたいものだ。
 
 


桜、散ゆく(その2)

2021年04月09日 | 草木・花

 今年の桜開花は例年より10日以上早かった。それ故、散り行くのも早く、小学校などの入学式まで待ってはくれなかった。この間少し遠出をして撮影した吉野桜をご覧ください。(番号は前回の続きということで連番)
 ⑥千鳥ヶ淵・・・朝一番の地下鉄を乗り継いで、九段下下車。早朝にもかかわらず皇居外堀は意外に多くの人出。3月27日は満開だった。
  
 
 ⑦飛鳥山・・・ラジオ体操終了後徒歩40分ほどで飛鳥山到着。この桜の下で向丘同僚との花見をしたかった。
  
 
 ⑧上野公園・・・「宴席禁止」の張り紙があちらこちらに貼られていた。通路は一方通行。桜はコマツオトメ。
   

 ⑨播磨坂・・・今年も「さくら祭り」は中止された。ワンちゃんは本物です。
  

 ⑩小石川植物園・・・「年間パスポート」なるものを購入。ここの吉野桜も見事だが、新緑は新鮮だった。
  

 ⑪神田川沿い・・・都バスを江戸川橋で下車し上流を目指した。肥後細川庭園で折り返し。
  
 


桜、散ゆく(その1)

2021年04月02日 | 草木・花

 東京では、吉野桜が散り始めた。桜はやはり友人達とあるいは家族と、樹木の下で一献傾けながら観賞するのが一番楽しいなとしみじみ思う。この1ヶ月ほど、主としてラジオ体操後に、あるいは体操前に、ときとして日中にあちこちに出掛けた。次回も含めて花模様を綴りたい。緊急事態宣言は解除されたのに六義園は未だに休園中だ。都知事の意地か?この数年間では今年初めて六義園の枝垂れを見られなかったのが残念。今回はご近所の様子。
 ①富士神社・・・河津桜(左)がまずは春の訪れを伝えてくれる。続いての陽光桜(右)は色鮮やか。良い場所でラジオ体操を続けているなと毎年思う。
  

 ②富士前公園・・・富士神社すぐ傍の公園。樹木が少しずつ大きくなってきた。左は薄緑の花を咲かせるウコン。紅白の対は桜か梅か、判断がつかない。
  

 ③吉祥寺・・・参道の枝垂れが多くの人に知られるようになってきたが、本堂奥に咲く桃は豪華だ。
  
 

 ④江岸寺・・・今年も緑色の花咲く御衣黄桜を鑑賞出来た。
  
 ⑤圓通寺・・・1本の大木がすっくと聳える姿が美しい。左は樹木真下から、右は我がマンションからの撮影。