マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

『ヤマキ醸造』へ

2013年10月30日 | 

 深谷に住む義理の妹夫妻に誘われて、台風一過の10月27日(日)、「ヤマキ醸造」を中心に、車で、埼玉県北部を案内して貰った。昨年からこの小旅行に誘われていたのだが、私が風邪を引いたりして、3度も中止となってしまった因縁の計画。今回も台風の影響でお流かと思える瞬間もあったが、辛うじて台風は一日前に、太平洋々上に抜けていた。

 上野発8時39分発宇都宮行きアーバンは9時40分籠原着。直ぐに車で向かったのが「隠れ河原のかりん糖」。一昨年の4月に荒川を案内してもらった時にもここに寄った。その名の様に荒川の河川敷そばの河原に本店・工場がある。店頭には30種類ものかりん糖が並んでいて、平成15年に、全国菓子大博覧会で名誉総裁賞を受賞した「ごま大学」や、「七味唐辛子」の激辛ものもある。試食自由で、私は気に入った「黒ガマ」など4種類ほどを購入。






 そこから一気に「ヤマキ醸造」を目指した。途中、児玉の中心街を抜け、金鑚(かなさな)神社前を通過して、11時20分ヤマキ醸造の「御用倉」に到着。ここには味噌・醤油・豆腐の工場があるだけでなく、販売店・飲食店などもあり、特に工場に隣接する別棟「紫水庵」の豆冨会席が有名らしい。”食を味わうひととき御膳”(2940円)は予約が必要で、台風を懸念して、前日になって初めて予約の電話をいれるも既に満杯だったとのこと。ここでのランチは諦め、工場の様子を2階から見学した。販売部では特に何種類もの豆腐を試食出来る。とくにゴマ豆腐が絶妙に美味い。何度も試食して、結局今回は何も買わずに帰って来たが、伊奈の「かんてんパパ」を彷彿させるヤマキ醸造だった。(ヤマキ醸造「御用蔵」正面)


   
        (味噌作りを見る)

    (かって用いられた味噌樽)

 深谷市の「杏座」で遅い昼食の後、熊谷市にある天田屋本店へ廻った。ここは地元産を始め、特定の日本酒のみの販売店。私の知っている清酒では「雪中梅」が置かれていた。この酒を手に入れるのは非常に難しいので、
この店のレベルが高い事がわかる。迷ったが、「亀の翁」で名高い久須美酒造の「七代目」と、広島県宿根雄町の「竹鶴」を購入。
 義妹夫妻の家に寄って、刺身などの御馳走を頂きつつ、その両酒を比較しながら味わった。竹鶴は濃厚な辛口で、七代目は透明で、すっきりした辛口。甘味さえ感じられる。私の好みは「七代目」。余り深酒をしないで、帰路に着いた。(写真:天田酒店入口)

 


『洛中洛外図と障壁画の美』を鑑賞(その1)

2013年10月28日 | 映画・美術・芝居・落語

 10月8日(火)~12月1日(日)、東京国立博物館で「京都 洛中洛外図と障壁画の美」展が開催されている。洛中洛外図は以前にも何回か観ていて、特別の関心があった私達は、早速、22日(火)に出掛けて来た。数ある図の中でも、今回は狩野永徳筆の「上杉本」(国宝)や、岩佐又兵衛筆「舟木本」(重文)を始めとして、国宝・重文に指定されいる7件全てが展示されるという。かってこの様な例はなかったので、期待を込め出掛けて来た。期待以上の内容で、洛中洛外図の持つ面白さを充分に味わう事が出来た。







 
 入館してまず驚かされるのが、「舟木本」の映像である。4×4メートルの大型スクリーン4面に、
高精密映像で舟木本6隻全てが映し出される。更には特定部分が大きく映し出される映像へと変化する。(写真撮影は日本橋三越3階)







 武士、貴族、かぶき芸能人、南蛮人、農民や職人など、この図に中には2700人余りの人々が生き生きと描かれている。特に五条大橋を、花見帰りに浮かれ、身をくねって、踊りながら渡って行く集団。その先頭の酔った様な姿が、大型画面で大写しになり、ユーモラスな感じがして、これだけでも観に来た甲斐があったと思える映像だった。(写真:五条大橋で)

  次の部屋には
  国宝「洛中洛外図屏風 上杉本」狩野永徳筆(山形・米沢市上杉博物館蔵)
 重文「洛中洛外図屏風 舟木本」岩佐又兵衛筆(東京国立博物館蔵)
 重文「洛中洛外図屏風 歴博甲本」(国立歴史民俗博物館蔵)
 重文「洛中洛外図屏風 勝興寺本」(富山・勝興寺蔵)
 の4つが展示されている。

 特に触れておきたいのが舟木本と上杉本。
 「舟木本」は滋賀の舟木栄氏が所蔵していた屏風ゆえ舟木本と云われ、右隻には秀吉が建てた方広寺を大きく描き、左隻には家康が建造した二条城を対峙させている。この頃(1615年)の政治状況を反映しているかのようだ。

 右隻は大仏殿の他、豊国神社・三十三間堂・八坂神社など洛外の名所が見え、四条河原の喧噪も書き込まれている。左隻では巨大で華麗な幌を担いだ母衣武者たちがひときわ目につく。人形歌舞伎・遊女歌舞伎などの芝居小屋も数多く描かれ、この時代の人々の生活の熱気が溢れ、行楽へのエネルギーがひしひしと伝わってくる。この屏風に描かれている建物の名前をしっかと覚え、現在の京都の地図の中で再度捉えなおそうとの目的で図録を購買してきた。
 岩佐又兵衛、渾身の舟木本。上杉本についてはいずれ。(写真:歌舞伎小屋で)



 
     (巨大な幌を担ぐ母衣武士)                      (二条城)


            (方広寺)



天生湿原へ(その2)

2013年10月26日 | 山旅


 上の地図は籾糟山(もみぬかやま:標高1744m)・天生湿原探勝マップ。
 10月19日(土)、菅原・熊倉・私の一行3名は、8時40分に登山口Aをスタートし、A→B(天生湿原)→C(ブナの巨木)→D(ブナ探勝路)→E(籾糠分岐)→F(木平分岐)→G(木平湿原)→H(カツラの巨木)→B→A と回って12時30分に元の登山口に戻って来た。歩いた時間は4時間弱。登山というよりはハイキング。それも既に落葉が始まっていて、大量の落ち葉踏みしめてのハイキングだった。
 A→Bは北アルプス見晴らしスポットだが、この日はやや雨模様の天気で、前日には見えていた笠ヶ岳も展望出来なかったが、垂れこめた雲が墨絵の様に漂う、飛騨の山々が遠望できて満足。
 Bの天生湿原こそ今回のメイン。湿原を取り巻く紅葉を期待していたのだが、今年は寒暖の差が激しくなく、例年の様な見事さは無い、とは登山口にいた係り員の弁。確かに紅き葉は数少ないが、黄色の葉が織りなす天然の色彩をゆっくり味わった。ただ湿原はやはり青葉の頃や高山植物咲き乱れる頃に訪れるのがベスト。再度ここ訪れるとしたら5月~7月がベストだろう。この湿原は木道が整備されていて、一周出来るようになっているので、ここだけを鑑賞して帰ることも可能。
 どうした訳か、Dのブナ探勝路の印象が殆ど無い。撮影した写真も少ない。多分話に夢中になっていたのだろう。Eの分岐は籾糟山へ登るかぐるっと回って帰って来るかの分岐点。今回は山へ登る時間的余裕がないので、周回コースを取ることとした。(写真:飛騨の山々)


           (天生湿原)


          (湿原の紅葉)

 E→F→Gは静かな山歩きを楽しめる樹林帯。ブナやダケカンバの原生林の中の森林浴。殆ど人とは会わない。熊の生息地なので、持参の鈴を大きく鳴らしながらの前進。木平湿原からは急な下り。カツラの巨木の脇で昼食。栂池湿原は火気禁止であったがここは可。湯を沸かし、カップラーメンを食した。山で飲むコーヒーはことのほか美味しい。
 帰路は白川郷方面へ下った。ここは標高差800mもある厳しい下りだが、道幅は広く、前方に白山を見ながらの運転は快適だった。トンネルばかりの北陸自動車道を経て、16時過ぎ松本へ帰って来た。




  


天生湿原へ(その1)

2013年10月24日 | 山旅

 天生と書いて”あもう”と読む。天生湿原を知ったのは、今年の5月の末。飛騨古川の湯宿「季古里(きこり)」に一泊した折りに目にしたパンフレットには、”天生湿原  岐阜の宝もの”と紹介されていた。その湿原は、岐阜県の最北に位置する天生県立自然公園の中にある、標高1400mの高層湿原。自然公園の中にはミズバショウの群生地もあり、籾糠山に至る登山路はブナの探勝路。紅葉の見どころでもある。
 登山口の天生峠は、泉鏡花著「高野聖」で、語り部である僧侶が、かっ
て難儀を重ねた旅をした地として登場する。これは是非紅葉の頃に訪ねようと、山仲間の菅原さんと熊倉さんに声を掛け、3人で、10月18日(金)~19日(土)に出掛けて来た。
 

 10月18日、新宿発7時の高速バスは10時16分松本着。直ぐにレンタカーに乗り換え、取りあえずのドライバー私で安房トンネルを目指す。このトンネルのお陰で、相当の時間を要した信州・飛騨間の峠越えは、その下を所要時間5分のドライブで通過出来る様になった。11時50分に安房トンネルを抜けると、後は下りの一本道。昼食は「ルフト・ヒダ」の1200円ランチ。ここのビーフカレーは美味い。今回は古川町には寄らず、一気に本日の宿「季古里」へ。14時20分着。チェックインには少し時間があり、入浴券を貰い、直ぐそばにある「桃源郷温泉」へ。
 「季古里」のウリは食事と湯と建物にある。特に檜で出来た内風呂と石囲いの露天風呂を二人は気にいったようだ。まだ他の客が到着しないうちに、適温の湯に存分に浸かった。(写真:季古里の内風呂)


      (季古里の露天風呂

 明けて10月19日(土)、朝7時40分国道41号線を北上し、角川(つのかわ)から「中部縦貫道」に入る。この道路、名前こそ立派だが、ヘアピンが連続する、険しい、細い山道の様な車道。悪戦苦闘の運転を強いられ、50分の運転で漸く天生峠到着。ここは飛騨の奥深い山中である。しかし意外にも駐車場には多くの車が駐車しているが、全て岐阜・富山・関西のナンバー車。安房トンネルを越え、中部縦貫道を経由してくる様な物好きは私達のみ。8時40分、入山料500円を支払い、天生湿原へと歩みを開始した。

 


『山月記』を聴く

2013年10月22日 | 映画・美術・芝居・落語

 「隴西(ろうせい)の李徴(りちょう)は博学才頴、天宝の末年、若くして名を虎榜(こぼう)に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃む所頗る厚く、賤史に甘んずるを潔しとしなかった」
 かたりと・北原久仁香さんは、正面の一点を凝視しつつ静かに語り始めた。

 10月12日(土)夜、旧安田楠雄邸で行われた「かたりと 和らいぶ」の会でのことである。”かたりと”の公演は今までに「奉教人の死」(著:芥川龍之介)・「恋愛小説」(著:北村薫)・「高瀬舟」(著:森鴎外)と3回聴いて来た。教科書にも登場する、主として、近代文学の短編作品を、時に、筝の演奏を交えての語り。その幻想的な世界に引き込まれつつあった。今回は、中島敦作の「山月記」。何度か読んだ作品であり、特に、どの様に語られるのかに興味抱いて、家人と二人旧安田邸を訪れたのだった。


           (かたりの舞台と客席の一部)


     (津軽三味線:小池純一郎)


          (箏:山田雅生)

 聴衆は40人を超えていただろう。見事なかたり、だった。今まで聴いたなかでも特に聴き応えがあった。静かに語り始められた物語は、しかし、李徴の思いを語る段になると、気持ちの吐露に、時に激しく、時に物哀しく変化する。50分にも及ぶ作品を殆どミスなく語り通す。芸人だから当たり前とも云えるが、その記憶力と集中力には感心するばかり。珍しく一ヶ所、言い淀んだのはご愛嬌か。授業で扱ったことも含めて40回はこの物語を読んで来た家人は、その場面で”あっ”と思ったと終演後語っていた。(写真:かたりでの張り詰めた表情)




 今までと違う点は、語られた地の文のワンセンテンスを易しく説明する語りが直ぐ後に続き、これが数回繰り返されて、このまま最後まで続くのかとやや不安を覚えたが、3センテンスほどで終わったのは良かったと思う。津軽三味線は小池純一郎・箏は山田雅生。
 今後も、表現の端正な起伏のある作品を探り当てて、かたりの場に登場させて欲しいとは、家人と私の共通の思いである。(写真:障子を開けるとると、李徴の今のおもいを、即興に読んだ詩が現れるという趣向)
  

 
 
 
          (語りを終えて)