マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

都立の星と、スカイツリーを横切る月を観た

2018年07月31日 | 身辺雑記

 一昨日は午前中に全国高校野球東東京大会決勝で、”都立の星”我が母校小山台高校の活躍を観戦し、夜には我がマンション屋上での「花火観賞会」で、満月の様な月がスカイツリーを横切る光景を見て、気持ちがハイのまま寝床に着いた。 

 母校がここまでやると予想もしていなかった。帝京高校に7-2で勝ったことは翌日の新聞で知った。大会決勝は10時から開催され、100回の記念大会の予選試合を初めて観た。4回表には3-1とリードした。勝って欲しいと願ったが、勝てるとは思わなかった。案の定、後半は一方的にリードされたまま敗れた。しかし満足だった。いい夢を見させてもらった。球場を去っていく球児の姿は爽やかだった。(写真:帝京に勝利した直後の小山台)


 試合途中で解説者が「小山台の練習時間は3時15分から4時45分までの1時間半に過ぎないのです」と語るのを聞いて、60年前と変わらないなと思った。60年前の1958(昭和33)年、私は小山台高校定時制に1年遅れで入学していた。4時15分に勤務先日本光学を退社すると一目散で学校を目指した。到着した学校のグランドでは野球班が練習をするかグランド整備をしていた。17時からのグランド使用は定時制に移るのだ。まだ殆どの定時制生徒が登校せず、グランドも使用しない状態だから、練習時間の少ない野球班が練習を願い出ても不思議ではない。しかしそうはしなかったのだ。今も変わらぬ短時間の練習で決勝まで進んだチームに、有難うと言いたい。 

 「花火観賞会」は19時から始まった。以前は高齢の方が多かったが今は子供が多い。その子どもたちが楽しみにしていたのが天体望遠鏡。準備をしてくれる住民がいるのだ。木星・金星・月などを観察できて子供も大人も満足。大人の満足は今回は、今年初めて用意した生ビールの10リットルの樽。これが大好評で「来年も是非」の声。










 今年の隅田川の花火、例年より12万人多い人出とあった。多分、立川や八王子の花火大会が中止となった影響が大きいと思う。隅田川の花火は1日順延され、私達の観賞会もそれに合せて順延。スカイツリーの両側から花火が上がるのが見えた。ふと見るとスカイツリーの傍にも花火。いや、よく見るとそれはお月様だった。スカイツリーを横切る、赤い、真ん丸な月も見られて満足度高い観賞会だった。

 明日から会津駒ケ岳に出掛ける為、ブログ更新は8月5日以降になります。











『天空の星たちへ』(著:青山透子 出版:マガジンランド )を読んで

2018年07月28日 | 読書

 ”天空の星たち”とは、33年前の、日航機墜落事故で亡くなった520名の方々のことを指している。
 1985年8月12日(月)、羽田発大阪行き日航ジャンボ機123便が御巣鷹山尾根に墜落。乗客乗員524名(乗客509名・運航乗務員3名・客室乗務員12名)のうち520名が死亡するという、単独機としては世界最大の航空機事故が起こった。後日、運輸安全委員会(かつての事故調査委員会)からは、事故原因の結論として「後部圧力隔壁破損によるもので起因は不適切修理と推定される」と発表された。しかし、33年を経過した今なお、「後部圧力隔壁修理ミス」という事故原因に納得をしていない人たちがいる。
 本書の著者で、元日航客室乗務員だった青山透子さんもその一人で、本書『天空の星たちへーー日航123便 あの日の記憶』は3年前の2015年に発表され、更にはその後知った事実に基づいて『墜落の新事実』を発表している。
 あの時から33年も経ってしまったんだと思う。今更なんで「日航機の墜落」なのかと思う人は多いだろう。私自身は「墜落原因」に納得が出来ず、何冊かの本を読んでは来ていたが、記憶の闇に埋もれかけていた。
 事故当日、いわゆるスチューアデスだった青山さんは、日航の女子寮で墜落を知った。その翌日の、アンカレッジ行き勤務機のなかで、亡くなった客室乗員の半数は彼女のいたグループの先輩たちと知り、衝撃は大きかったが、その詳細を知らずにヨーロッパ勤務へ。同じ寮の落合由美さんが救出されたことを知るのもアンカレッジのホテルだった。
 11日間のヨーロッパフライトから帰国後、この間の新聞記事を熟読。客室乗務員だった先輩たちが懸命に救助活動に従事したことを知る。彼女たちの為にも「墜落原因」が何であったのかを長い年月を掛けて調査し追究してきた。その原因として「謀略説」などが語られると嫌悪感も覚えたそうな。そんな彼女が、事故原因を「後部圧力隔壁修理ミス」とする説に疑問を抱くような様々な事実を知ることとなる。彼女なりに真の墜落原因を知ろうと努めて来た30年間の、渾身の努力の結果が『天空の星たちへ』とそれに続く『墜落の新事実』に結晶されている。『墜落』では驚くべき事柄が綴られている。


足立の花火 

2018年07月25日 | 東京散歩

 「富士鷹」に寄ってから足立の花火を観に行くことが決まって直ぐ、熊倉さん(熊ちゃん)から「酒を一杯ひっかけて、花火を見に行くなんざ、江戸っ子になった気分ですね」とのメールが入り、私は「そうだ」と思った。江戸っ子の実態は詳しくは知らないが、江戸時代に大人も子供も大川の花火を楽しみにしていたことだろう。陽が落ちれば川面には涼しい風が渡り、夜空を彩る光の輪。広重「名所江戸百選」(右図)にも描かれた。一杯ひっかけた江戸市民も多かったことだろう。江戸から東京へ、今も変わらぬ納涼風景、夏の風物詩。



 大川の花火は中断の時はあっただろうが「隅田川花火大会」へと受け継がれて来た。その頃は、現在の荒川は無かったが、その荒川の土手を利用しての40回を数える「足立の花火」である。
 その歴史を少し紐解くと、”千住の花火大会”が衣替えして、1979年(昭和54年)に第1回が「荒川の花火大会」との名称で開催されている。2011年は3・11大震災で多くの花火大会が中止されたが、荒川の花火は10月に延期し開催された。私が初めて足立の花火を観たのはその翌年でやはり秋に実施され、北千住側の土手からの鑑賞だった。実に大きな輪が頭上に花開いた。最近では隅田川花火大会の1週間前の、7月の第3土曜日に開催されている。東京の花火大会皮切りとしての存在でもある。今回は40回の記念大会とのことで、13600発が打ち上げられるとのことで、大きい期待を持って出掛けていった。

 この花火大会、荒川土手の両側から見ることが出来る。御徒町で乗車した日比谷線を北千住で乗り換え小菅へ。開会の1時間前の6時半頃だったが、久し振りに味わう物凄いラッシュ。やや空いている西新井側から見ようと電車で荒川を越えたのだ。
 花火鑑賞には千住新橋と西新井橋の間がベスト。しかし、菅原さんも熊ちゃんも凄い人に圧倒されたか、席が取れないと心配したか、千住新橋手前で「席を取りましょう」となり、土手の一番高いところに席を確保した。私は右写真の椅子を3つ用意しておいた。







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時半から20時半までの打ち上げ。夜空に大きな光の輪。ほろ酔い故かあっという間に時が過ぎていった。ただ、花火打ち上げ現場から遠く離れていたので、前回ほどの迫力は感じられなかった。遠くへと帰らなければならない2人は終了10分前には席を立った。来年は奮発して有料席を確保しましょう!
 今年は3週間連続の花火鑑賞。来週がマンション屋上からの「隅田川花火鑑賞会」で、8月4日に「いたばし花火大会」を南長崎にあるマンションから見る予定。こうやって、猛暑の夏を幾らかでも凌ぎたいものだ。


「30日間飲み放題 ¥3000円」に落とし穴はないか?

2018年07月22日 | 家事

 6月に御徒町燕湯に行った帰りのこと、秋葉原まで歩いた時に右のポスタ―を見た。「30日間飲み放題 ¥3000円」とある。1ヶ月間毎日飲むことが出来て3000円。何かの間違いではないかと思った。もしそうであるにしてもきっと裏や落とし穴があると考えた。
 数日後にそのお店の前を通るとはポスターは以前のまま。思い切って「富士鷹」に電話して、「料理などは何も注文しないで、例えば毎日生ビール数杯飲んでも3000円ポッキリですか」と聞くと「そういうお客様もいらっしゃいます」とのこと。要するに、私が尋ねたことはOKということだった。少しその気になって、ランチ方々実踏・偵察に行った。美味しい定食で、接客態度もしっかりしていたので、再度内容を確かめて3000円のパスポートを6月28日に購入した。
 帯広から帰京し数日後にチャンコ鍋店「富士鷹」に行った。この間に、九重部屋の料理長を務めた元力士が味の監修・指導をしていることをネットで知った。
 17時丁度の入店で、何も注文しないでも良いのだが、気が咎め、ツマミ3点セット900円を注文し、プレミアムモルツ2杯、吟醸生1合を飲んだ。その日はそれだけで帰って来たが、900円を支払い、2600円ほどの飲食。怖いお兄さんなどには出会わず、優し気の若いお兄さんと親しく口をきいたりした。飲み放題の内容が「角ハイボール」など豊富であることも分かった。(写真:普段、飲み放題はこの場所で)
 数日後の2度目も同じツマミで生ビール2杯に加え、吟醸酒2合は増えていた。完全に安心できるお店なので、友人知人にこのお店の事を話し始めた。
 7月21日(土)の昨日は第40回荒川の花火。山仲間の菅原さんと熊倉さんを誘い、花火の前に「富士鷹」に寄ることにした。会員でない客は1人1000円で飲み放題。二人ともこのシステムに興味を抱いていた。この日は土曜日だったので、1階席に案内された。矢張りツマミ2セットに生ビール3~4杯。日本酒党の私は生ビール+吟醸酒2合。ツマミの味も良かった。ただ席料500円が私には不満だったが、3人ともほろ酔い気分で足立の花火へ。その話は次回に回して。(写真:昨夜は1階の個室席で)

 実はこの様な商法が流行り出しているらしい。「サブスクリプション」と呼ばれるモデルだ。7月11日の朝日新聞には「おいしい定額制飲食店続々」と題する記事が載った。コーヒーは月3000円で飲み放題、ステーキが月7万円で食べ放題。東京秋葉原の個室居酒屋「柚柚」(ゆゆ)を訪れた会社員は「30日間飲み放題」と書かれたカードを示したとか。私が持っているカード(右の写真)と同じ文章だ。
 このような商法で店はやっていけるかと心配になるが、店側の狙いは顧客囲い込みにあるようだ。お得感を感じる客はその店に何度も足を運び、飲み物にかける費用を食べ物に回す様になるという。
 3回ほどの来店で親しくなった、若いお兄さんは「チャンコ1800円のところ900円の半値で提供させて頂きます」と語り、私達3人は30日にチャンコを食しに行くことを決めた。安さに釣られ囲い込まれつつあるのは私かも知れない。


ブルーベリー狩りは暑かった

2018年07月19日 | 信濃紀行

 今年も、ブルーベリーを摘みに長野県富士見町に出掛けていった。7月18日(水)の昨日、朝7時10分、指圧屋「SUCROSE」の水野さんの車が、我が家の前に到着。中央自動車では大した渋滞にも合わず、10時に農園付近着。











 初めての事だが、農園に通じる道
路は工事中のため通行不可。右図で説明すると、車を中央線線路手前[A]で停めて、農園主平出夫人を待った。1年振りに会った彼女は日焼けし、元気そうだった。彼女の車先導で農園へ。案内されたルートは跨線橋[B]で反対側に出、[C]を経て狭いトンネル[D]を潜って農園[E]に。車擦りそうな狭いトンネルで、地元の人以外は絶対に分からないルートがあったのだ。

 猛暑のなかでのブルーベリー狩り、能率は上がらなかった。1時間以上かけて2Kg。ここには10数回通っているが過去最低の量。摘んでおいて貰ったのと併せて3kg。3300円を支払い、お土産にトウモロコシを頂いた。(写真:ブルーベリーの一部は昨夜真夜中、ジャムと果実酒に変化した)
   
   

 「蓼科自由農園」では新鮮な桃・トマト・苺が溢れていたが、量が多すぎるためパスし、ズッキーニ・ジャガイモ(インカのめざめ)など日持ちのよい野菜と赤いルバーブ(原料)などを購入。12時を過ぎていたが、今回は水野さんを「かんてんぱぱ」に案内したかったので、空腹を我慢してもらい伊那を目指した。
 水野さんもここが気に入ったようだ。園内の何処のショツプでも楽しそうに働く店員さん達。私達は帯広「六花亭」を連想したが、水野さんは
特に「伊那谷弁当」を絶賛していた。私は山で食するお菓子を購入。(写真:右は完成したゼリーカプチーノ。下は「伊那谷弁当」)

  
 

 次いで「ツルヤ伊那福島店」へ。このお店初めてで、天竜川を挟んで反対側にある。999円の果実酒用焼酎3本など諸々を購入。
 事件はカード支払いを済ませた直後に起きた。購入した物を段ボールに詰めようとして、私はウイスキーを倒してましい、瓶は床に落下。大きな音がして瓶は粉々に砕け散り、床は御酒でびちゃびちゃに。茫然自失。係の方3人が飛んできて清掃して呉れた。清掃半ば、割ってしまったウイスキーと同じ、南アルプス・マルスウイスキー「3&7」(右写真)を持って係員がやって来て、「又お出で下さい」と私の手へ。恐縮しながらも、有り難く頂いて来た。「ツルヤ伊那福島」は、ネット評価でも好感度抜群。行ける限り何度も行きますよ!



 かくして”お買い物ツアー”は終了。出発して丁度12時間後の19時に帰宅。長い運転の水野さんお疲れ様でした。有難うございました。
 十勝も良いが伊那もまた良い。