マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

奈良から伊勢志摩へ(その3 松阪)

2012年11月30日 | 

 旅の3日目は大移動日でした。奈良から一気に志摩半島の南端賢島への移動です。この日の20日(火)から22日(木)までの3日間は松阪で途中下車したり、伊勢湾沿いに賢島⇔伊勢神宮を2回にわたって往復移動することもあり、それに向けて便利で、お安く済む「ご朱印巡りきっぷ」(近鉄発行)なるものを京都駅で購入しておきました。
 このキップは、例えば京都⇔賢島往復乗車券に特急券が付き、その間のフリー区間は乗り降り自由で、更に2枚の特急券付き。おまけに「赤福」でのお召し上がり券・伊勢おかげ館入場券などなどの特権が付いています。京都⇒賢島の片道の乗車券+特急券だけでも4320円ですから、そのお安さは半端ではありません。その特権を最大限利用すべく、移動の途中で立ち寄ったのが松阪。

 4年前にも一度訪ねたことがありました。松阪も街歩きの楽しさを存分に味あわせてくれる城下町です。町なかを清流が流れ、杜の城址があり、背景には小高い山が広がり、あちこちに歴史遺産が点在します。松阪牛だけの町ではありません。
 以前に行った時と同様、「松阪商人の館」や「本居宣長旧宅跡」などを見学し、阪内川ほとりを散策した後松阪城方面へと向いました。前回は城址に上り、松阪の町を一望し、本居宣長記念館を見学しましたが、今回は城址入口手前を左折し「御城番屋敷」に向かいました。観光情報センターで仕入れた資料で、ここが重要文化財に指定されていることを知ったからです。(写真:阪内川)

 御城番屋敷とは、松阪城の警護を任された紀州藩士とその家族が住んでいた長屋形式の屋敷。文久3年(1863年)に建てられたもので、この様な屋敷の中で最大規模のものとパンフレットに書かれていました。まずは石畳を歩み、両側の2棟の長屋の外観を眺めました。その長屋の一軒が公開されていて、中に入ると説明員の方が詳しく説明をしてくれました。(写真:石畳。正面の石垣は松阪城址)




  
       (御城番屋敷を裏側から見る)

 取り壊されてもおかしくなかったこの建物が現存してるのは「苗秀社」という合資会社があったからとのこと。その話に吃驚。現在もその会社の所有財産で、19軒のうち子孫の方が住む数軒以外が月7万8千円の賃貸。重要文化財にして賃貸住宅とは珍しい事です。室内に上がって内部見学すると、八畳間が2つと、六畳間が二つの意外に広い造り。縁側が付き、厠も見学。説明員と言うより、この建物の語り部といった雰囲気の方の熱心な説明と、この様な歴史遺産に興味を持つ私達の間で、非常に良きコミュニケーションが成立し、楽しく興味深い話が聞けて、松坂の印象は更にアップしました。(写真:御城番屋敷内部)




    (長屋としての面影残る御城番屋敷の棟)
  松坂からは再度近鉄特急で賢島へ。そこからはバスで「賢島プライムリゾート」へ。(写真:英虞湾に沈みゆく夕陽
 

 
 

 

 

 

 


 (賢島プライムリゾートから望む、自前のプールと英虞湾)

 

 


マイコプラズマ肺炎、大流行

2012年11月27日 | 医療

 11月18日(日)の旅に出る前日から、咳が酷かった。旅の間中、それに苦しめられながらも、途中からの帰京となるのが無念で、温泉にも入らず日程通りに行動した。
 帰京した翌日の23日(勤労感謝の日)が39°台の高熱で、慌てて文京区の当番医の先生に診て頂いた。レントゲンを取り、肺炎では無いらしいとの診断。薬を多種頂いて、きちんと飲んだら咳は残ったが、熱は引いた。その時の話で「マイコプラズマ肺炎が流行」との話を聞いた。
 26日(月)になって、漸く掛り付けの先生に診て頂いて、やはり薬を頂いてきちんと飲んだが、その日に再度の高熱。
 ネットで調べると「マイコプラズマ肺炎」の症状に似ている。そうでは無いかも知れないが、兎も角、寝ているに限る。勤務も約束もキャンセルし、旅でのブログも書きかけで中止している。
 マイコプラズマは、風邪ともインフルエンザとも違うとの事。皆さんもくれぐれもご注意、かつ適切な対応を。


奈良から伊勢志摩へ(その2 室生寺・長谷寺)

2012年11月23日 | 

 旅の2日目、11月19日(月)は、紅葉の室生寺、長谷寺と回り、大和郡山の一端に触れてきました。この日風邪気味の私はレンタカー利用を諦め、主として、近鉄を利用しました。
 近鉄奈良→大和西大寺→
室生口大野→長谷寺→近鉄郡山→JR大和郡山→JR奈良と回ってきました。 

 近鉄を室生口で下車後、バスで向かう室生川沿いに紅葉はちらほら。紅葉の盛りは過ぎた様に見えましたが、室生寺は紅葉の見頃でした。室生寺を訪ねるのは10数年振りです。台風により被害を受けた五重塔が復興したのが確か12年前の10月。再興なった塔の鑑賞と金堂に安置された十一面観音菩薩参拝が主目的です。 
 金堂へは別途
料金での拝観。中央に釈迦如来(国宝)。向かって左文殊菩薩、右に薬師如来。国宝十一面観音は文殊菩薩の更に左におわします。その前にずらりと、仏を守る十二神将。仏さまたちの見事な配置です。十一面観音の中でもひときはふくよかで優しい面影の観音様。間近で拝観出来るのが有り難いです。
 五重塔・十一面観音・紅葉と観賞でき、良い時に出会えました。(写真:室生寺十一面観音)






          (門前の紅葉)                         (仁王門)

    (五重塔)             (本堂と黄葉)              (九輪)

            (金堂)                                             (室生寺への橋)


 長谷寺へは近鉄下車後徒歩で。門前町のそぞろ歩きが長谷寺参拝の楽しさの一つ。今回は風邪故か長谷寺への階段が長く辛く感じられましたが・・・。漸く昇り切った本堂舞台から、長谷の谷を見下ろします。私はこのお寺のここからの展望が好きです。紅葉の見頃は過ぎていましたが、暫しの時を過ごしました。(写真:長谷寺本堂)








  (本堂へと続く階段)             (五重塔)         (本堂舞台から見る五重塔)

    (本堂へと辿る道に見る紅葉)                      (本堂舞台から見る紅葉)

 大和郡山は町並み・掘り割りなど古き佳き数々のものが保存されていました。そのレポートはいずれ。


奈良から伊勢志摩へ(その1 奈良で)

2012年11月20日 | 

 一昨日の11月18日(日)から22日(木)までの4泊5日の予定で、奈良から伊勢・志摩・賢島を巡る旅に出て、今、奈良のスーパーホテル「ロハス」にいます。最新の都市ホテル同様、ここもインターネット環境を整えていますから、ブログ投稿が可能でした。

 11月18日は、朝6時10分に駒込の自宅を出発し、10時50分にはJR奈良駅着です。奈良駅は数年前に高架駅に造り変えられ、そこから徒歩0分でホテル到着。荷物を預け早速、三条通りを散策かたがた近鉄奈良駅へ。今日の目的地「松伯美術館」と「大和文華館」へと向かいました。

 どちらの美術館も近鉄「学園前駅」下車で行かれます。松伯美術館は、私の知らない世界です。乗り合いバスを「大淵橋」で下車。川と言うより大きな溜池に掛かった大淵橋を越えると右側にありました。ここの美術館長上村淳之は上村松園の孫。上村松園・松篁・淳之三代の画業を紹介することを目的としているそうで、今回の展示は
「つらつら椿」と題して、川合玉堂・上村松篁・小林古径・奥村土牛らの椿の絵が30点ほど展示されていました。(写真:「つらつら椿」パンフレットに使われた小林古径の「椿」)




 

 今回訪れたかったのは大和文華館。展示される作品よりも、その美術館のたたずまいとそこからの風景を是非見たかったのです。門から続く道沿いにさざんかの花が咲き、到着した建物は端正で気品のある造りでした。そこからは美術館を取り囲むような蛙股池が良く見渡せます。東京根津美術館と並び称される見事な美術館です。
 偶然にも18日から「桃山、江戸前期の美術」展が開催されていて、尾形光琳「扇面帖交手」(重文)や俵屋宗達「伊勢物語図色紙」がお目見えしています。またまた琳派に出会えたのでした。


 
 
          (美術館へと続く道)

            (文華美術館建物)


            (美術館からの蛙股池)

 スーパーホテル「ロハス」について一言、付け加えます。
 JR奈良駅から徒歩1分と掛からない、駅至近の位置にあり、それが人気の理由と思いますが、19日朝の朝食は超満員。焼きたてパンや和食の充実バイキングも人気を支えます。更に温泉「飛鳥の湯」もあり、ダブルベッドの部屋で9980円でした。


妙定院展と増上寺ミニツアーに参加して(その2)

2012年11月19日 | 映画・美術・芝居・落語

 11月2日(金)に行われた「妙定院展と増上寺ミニツアー」は、妙定院を後に、東京プリンスホテルパークタワー入口の脇を通り、増上寺へと向かいました。

 このツアー以前の講義で紹介された事ですが、徳川家の菩提寺としての寛永寺が、戊辰戦争の際その大半が焼失してしまった一方、増上寺はその難を逃れていたがゆえに、重要文化財が多数存在しているという事。しかし、その増上寺も昭和20年の戦火で大方の建造物を焼失し、その後は次々と敷地面積を縮小し、江戸時代に有していた敷地面積と比較して、現在のそれは1/9程度しか存在していないという事です。
 その様子が一目でわかる地図と、『江戸図屏風』が印刷されたものが配布され、それらを参考にしながら説明する先生を先頭に、一行40名は増上寺に向けて歩み始めました。

                 (赤枠が江戸時代の増上寺境内。青枠が現増上寺境内)



                   (江戸図屏風に登場する増上寺)

 増上寺境内に入る前に案内されたのがの二代将軍秀忠の御霊屋の跡地。1945年(昭和20年)に戦火により焼失し、今は移築された「旧台徳院霊廟惣門」(重要文化財)からそのよすがを偲ぶほかありません。ここに立つと、この地が東京タワー・増上寺本堂・プリンスタワーの絶好の展望台であることも知ります。(写真:旧御霊屋付近から望む東京タワー)







 増上寺境内は、旧方丈門(区指定文化財)⇒経蔵(都指定文化財)⇒三解脱門(重要文化財)⇒水盤舎⇒本堂⇒徳川家旧御霊屋 と回り
 再び増上寺の外に出て 有章院霊廟二天門(重要文化財)と御成門を観ました。

        (旧台徳院堂霊廟惣門)

         (三解脱門)


           (本堂)


         (徳川家墓所門)

 重要文化財として現存する、見学出来た建物は経蔵のみで、門は他から移築されたものが多数。どの門も見上げるほどの高さを有し、紅の色彩が鮮やかです。
 その門に付いて触れれば、有章院霊廟二天門(重要文化財)は先生の誘導で門の真後ろに廻り、普通なら見落としてしまう角度から門の構造を観れたことが新鮮でした。明治23年に現在地に移築された「御成門」は見捨てられた感じです。何の調査もされず、それ故建立年月日も不明です。学校名にも駅名にも残る「御成門」の調査・修復は急務の事と思えます。
(写真:裏から見る有章院霊廟二天門)




         (裏側から見る御成門