マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

大泉高校の桜並木

2023年03月30日 | 学び舎

 3月27日(月)、大泉学園駅そばにある湯葉料理店「梅の花」で妻を偲ぶ会が開かれた。大泉高校定時制のミニ“同窓会”にもなっていた。
 大泉学園駅を降りて驚かされるのはその変化の激しさだ。駅そのものが高架になったほか、新たに道路が造られ、大きなビルも建築されていた。そのビルの一つに「ゆめりあフェンテ」があり、その4階に「梅の花」はあった。
 参加者は4名。御歳86歳の石川さんは妻が敬愛していた方のおひとりで、最終学年時の担任は石川さんと私。元生徒の佐藤登志子さんと佐藤ヨツヱさんの二人は源氏の会の会員で、祥子の大ファアン。以上の4人以外に大竹君が参加予定だったが、交通事故のため残念ながらの欠席。彼は妻を「祥ちゃん 祥ちゃん」と気軽に呼んでいた。全員が初めて顔を揃えたのが1970年の4月だったから、その時から53年の歳月が流れていたこととなる。
 会の発案からお店の予約などを全部を仕切ってくれたのは登志子さん。この日も陰膳を用意し、その陰膳に、妻が写る写真や、妻が100号以上は発行していた『源氏通信』を閉じたファイルなどを置いてくれた。ご酒に、私が好む〆張鶴まで用意されていたのは偶然だったのだろうか。
 話は時に妻の話題に触れながら、この4人が一緒に登った尾瀬や八ヶ岳などにも及び、楽しい語らいはあっという間に2時間以上が過ぎてしまった。
 実は会が始まってすぐ、最近俳句を始めた石川さんから、右上の写真にあるような一句が紹介された。『源は 桜吹雪の 大泉』。この句は全員の心に響いていたようだ。私には、4人が大泉高校に引き寄せられるように集ったのもその源は、校門から旧校舎に向かって一直線に延びる桜並木。時に桜吹雪を降らしたあの桜並木。私にはそう読めた。
 会終了後、牧野記念庭園に行く可能性もあったのだが、皆の足は大泉高校に向かった。あの桜並木に向かった。以前ほどの勢いは感じられなかったが、時として桜吹雪を散らす桜並木は私たち4人を、美しい風景を織りなして迎えてくれた。
 丁度56年前の1967年3月に面接に訪れ、桜並木に魅せられて、是非この学校で教えたいと思った遥か昔の日のことを私は一瞬、切ない気持ちで思い出したのだった。

 


久し振りにブログ更新

2023年03月26日 | 身辺雑記

 昨年の8月26日のブログの最後に「当面の間、ブログの更新を休みます」と書いた。妻の介護が厳しくなり、時間的にも精神的にもブログを書き続ける余裕が無くなってしまったのだ。
 その妻は昨年11月末に急死し、葬儀・納骨式・相続など様々な事柄が降りかかってきた。一人息子の一家は北海道・音更で生活しているので、私は“後期高齢者のひとり暮らし”となってしまった。そんな状況を心配し、妹夫妻や義妹夫妻の援助をはじめ、実に多くの方からの励ましや手助けを頂いた。私はそのお蔭で日々の生活も少しずつリズムを取り戻し、精神的にも比較的安定して来た。ブログ再開への意欲も湧いてきいていた。
 約7ヶ月ぶりのブログ更新である。日常は炊事・洗濯・掃除・買い出し等などに多くの時間を割かねばならず、定期的な更新は出来ない。当面は可能な日のみの不定期更新だが、兎も角も書き始めよう。

 右写真は3月19日撮影の、六義園の枝垂れ桜である。一目で分かかる様に人物が写っていない。この日朝8時50分に六義園正門前に立つと、門前には既に入園券購入のための長蛇の列が出来ていた。このようなこともあろうかと、私は前日に年間パスポート(65歳以上は600円)を購入しておいた。それ故、パスポートを見せるだけで入園。その日一番最初に枝垂れに近づいた。スタッフの方が、仕切りの線を引き、「9時まではこの線の内側には入らないで下さい」と叫んだ成果で、皆枝垂れから遠ざかっての撮影とあいなったのだ。