マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

明日から帯広へ

2018年12月27日 | 

 明日朝から来年の元旦まで帯広・音更に出掛け、帰宅は1日の午後11時半過ぎと思われる。息子宅のネット環境は標準的で、ブログ更新も可能なのだが、育児と家事の補助に専念するので、ブログ更新は暫く休み2日以降の予定。
 やや早いですが、良い年をお迎え下さい。

 数日間ラジオ体操不参加の場合には回りの仲間には一言声を掛けることにしている。4泊5日で北海道に行ってきますと告げると、「お気をつけて行ってらっしゃい」とか「北海道は豪雪のようですが大丈夫ですか」と心配された。有り難いことである。ただ帯広の、元旦までの天気予報は晴れ。北海道は日高山脈を境にして東と西で天候が大きく異なることがある。西側の札幌は雪模様でも東側の釧路は快晴ということもある。(写真:ピンク色が雪雲)







 今日から明日の雪の具合は日本海側で雪になる模様に反し太平洋側は概して晴れ。私の利用する帯広行きは写真右の様に太平洋沿岸上を北上する。雪模様の今夜の天気図は写真上。比較して眺め、雪の影響はあまり受けないと思っている。(写真:羽田からとかち帯広空港への飛行ルート)

 19時08分に更新。時間の経過とともに状況は厳しくなってきているようだが・・・。







 かつて息子の好きだったミートローフを持参しようと、今日の午後妻とその調理をした。昨日は「コシヅカハム」で豚挽肉を、今日は「クイーンズ伊勢丹」でハムとウインナーを購入してきての料理。最後はオーブン利用だが、漸く1時間前に完成した。レシピは後日に回し、概略の写真のみを掲示。
 器に肉やハムを詰めた。














オーブンで焼き上げた。











容器から取り出し完成。


『うつ病 九段』(著:先崎学 出版:文藝春秋)を読む(その2)

2018年12月26日 | 読書

 幸いなことに先崎九段の兄は優秀な精神科医だった。結局は兄の忠告に従い慶応大学病院精神科に1ヶ月の入院。兄の忠告の一つに「うつにとって散歩は薬のようなものなんだ」があり、入院中によく外出し、信濃町駅付近や外苑あたりまでも出掛けられるようになった。
 退院後は弟子や研究会仲間との練習対局。この対局は楽しい面が多く、対局内容から自分の回復の程度が分かったそうな。兄への「自分の病は本当に治るのか」と問うメールには毎回「必ず直ります」との短い返信メール。この言葉が心強く胸をうち、携帯を何度も見たそうである。心の拠り所が必要なことが良く分かる。(写真:先崎九段。Wikipediaより)
 
将棋連盟も彼を休場扱いとし、2017年度は9月から翌年3月まで全休。この間に将棋界では”藤井ブーム”が起こり、将棋界は暗から明へと劇的な変化を遂げいく。その事を知って彼は悔しかったそうだ。将棋界を盛り上げようとあらゆる努力を積み重ねて来たのに殆ど報われず、自分が病んでいて蚊帳の外にいる間に、”将棋界は一発逆転”の事態が起こっていることを無念に思った。2018年に復帰して7月に漸く一勝をあげた。発病からほぼ1年が経過していた。
 
後から振り返ってうつ病となった原因として超多忙をあげている。「将棋ソフト使用疑惑事件」では、毎日のように佐藤会長と深刻な話し合い。漫画『三月のライオン』の映画化では多くの仕事を引き受ける、などが重なったことを挙げている。
 兄のアドバイスもあって本書を著した。
 
彼が知ったことは「うつ病は脳の病」。精神科医兄の言葉に「うつ病は必ず治る。自然治癒力を誰で持っている」。この言葉をしっかり記憶しておこうと思った。

 今日の一葉:ご近所の圓通寺にはまだ色鮮やかな紅葉が残っていた。



 

 


『うつ病 九段』(著:先崎学 出版:文藝春秋)を読む

2018年12月25日 | 読書

 本書はうつ病を患った、現役将棋プロ・先崎学九段の闘病記である。
 
うつ病とはどの様な病なのか?将棋の現役棋士がうつ病になったらどういうことになるのか?その具体的内容を知っている人はそう多くはいないだろう。先崎九段はその辺のことを、珍しいことに包み隠さず赤裸々に語っている。
 先崎は羽生と同じ歳の48歳。いわゆる「羽生世代」と呼ばれる棋士の一人。全棋士参加棋戦優勝は永世名人羽生や森内の次に達成していた。話が上手く筆が立ち、エッセイストとしても活躍していたので、強く印象に残っていた。その彼がうつ病だったと知って興味深く本書を読んだ。
 
病のはじまりの日を彼はしっかり覚えていた。2017年の6月22日が彼の47回目の誕生日で、その翌日から突然、頭が重く気分が暗いという状態に陥り、1週間が過ぎても症状は重くなるばかりで、寝起きが苦しくなっていった。その症状は更に重くなったいった。
 その具体的状態を彼は次のように表現している。
 「うつ病の辛さは筆舌に尽くしがたい。まずベットから起き上がるのにひどい時は30分。その間、体全体が重く、だるく、頭の中は真っ暗である。仕方がないのでソファーに横になるが、もう眠ることは出来ない。ただじっと横になるだけである。死のイメージが駆け巡る。高い所から飛び降りるとか電車に飛び込むなどのイメージがよく浮かんだ。つまるところ、うつ病とは死にたがる病気であると言われるが、まさにその通りであった」と。
 実に幸運なことに彼の兄は優秀な精神科医だった。兄の忠告に従い、入院1ヶ月を含め約9ヶ月の闘病生活を経て、2018年度の順位戦から現役に復帰した。(つづく)

 今日は二葉:ご近所大運寺の大銀杏。左我が家から、右地上からの撮影。
   

 

 


『扇の国、日本』展を観る

2018年12月24日 | 映画・美術・芝居・落語

 一昨日の12月22日(土)、サントリー美術館に出掛け『扇の国、日本』展を観て来た。毎度の事ながら、ここの友の会々員の妻と同伴だと私は無料。
 扇、あるいはその変化した扇子。日常で使用することもあれば、舞台で舞う際に使われるのを見たことも多々ある。しかし、扇について何も知らなかったなと気付かされる展示だった。学ばさせてもらいました。今日のブログは初めて気が付かされたことの幾つかを綴ることにする。
 (1)扇は日本の発明品だった。・・・中国から伝わった団扇をもとに、日本で生まれた折り畳形式の扇は、10世紀末には中国や朝鮮半島に特産品としてもたらされ、近代にいたるまで日本が世界に誇る一品でありつづけた。パリの万博への出品作の中には百本の扇があったと伝えられているそうな。中国から伝来したのではなかった。

 (2)扇を水面に流す「扇流し」を楽しんだ。・・・かって人々は川や池に扇を投げ入れその風情を楽しんだ。中世以降、その様子を描いた、様々の「扇流し図」が作り出された。左図はパンフレットにある「名古屋城御湯殿書院一之間北側襖絵」で、重要文化財とのこと。


 (3)江戸時代には殆どの絵師が扇絵を描いた。・・・私は、多くの展示作品の中では特に次の2つの作品を素晴らしいなと感じた。一つは酒井抱一画の登場する「雷神図」(太田記念美術館)。「風神雷神」のうち雷神のみが描かれていた。
 
もう一つは「一の谷合戦屏風図」(埼玉県立歴史と民俗の博物館所蔵。海北友雪作)。左隻には「平敦盛」が、右隻には「熊谷次郎直実」が登場する。六曲一双からなるこの屏風を畳むことと扇を畳むことがオーバラップする、との説明文に何度も頷いたのでありました。(写真:パンフレットより。右隻に描かれた熊谷次郎直実)
 
 雨がそぼ降る年末の土曜日。東京ミッドタウンは家族連れなどで賑わい、クリスマスムードに包まれていた。私達は帰りは大江戸線を上野御徒町で下車し「吉池」に寄り道してから帰宅したのでありました。
 
 今日の三葉:根津神社でのラジオ体操風景とそこで撮影の沈みゆく月(昨夜は満月)

 



 


広瀬新竜王のこと

2018年12月23日 | 将棋

 広瀬竜王は『広瀬章人の一喜一憂ブログ』(http://blog.livedoor.jp/henry12/)と題するブログを書いていて、私は毎日そこを訪問している。更新は毎日ではなく、平均して4・5日に一度。それを読んだ感想は「謙虚で控えめな人」。例えば2016年暮れには入籍結婚されていたが、2017/1/27のブログで「ネットのニュースにある通り本日将棋連盟の方に結婚したことを報告させていただきました。実は昨年末に入籍を済ませていたのですが昨日に師匠とご一緒させていただいたタイミングで発表することにしました」と、そのことを紹介しただけで、派手になりがちな結婚披露宴を開いてはいないはず。
 最近出来た叡王戦という新タイトルのトーナメント戦にも登場し、白鳥士郎氏のインタビューを受けていて、その中で編集部は次の様にコメントしている。
 「将棋界一の心優しき男。広瀬八段というと”いい人”というイメージがあるが、まさにそのまんまである。初対面の相手でも気遣いができる大人の中の大人だ」と。人間的には素晴らしいのだが、勝負師としてはそれで大丈夫だろうかと、失礼ながらファンの一人としては心配し続けてきた。

 結婚された頃から快調に勝ち始め、2017年には「朝日杯将棋オープン戦」決勝まで勝ち進んだ。その時の対戦相手が藤井聡太少年だった。この対局はマスコミに大きく取り上げられたから知っている方も多いだろう。その対戦は藤井少年ばかりにスポットがあたっが、広瀬八段に注目した記事もあった。藤井聡太七段のファンでもある私は藤井勝利を喜んだが、広瀬ファンでもある私はその記事を読んでそれも嬉しかった。少し長い文だが引用しておきたい。(写真:決勝を終えての公開感想戦での二人)   
 『・・・
公開で行われた決勝の感想戦では敗戦の直後にも関わらず、広瀬は心境を隠さず明かして何度もファンを喜ばせた。「(対局中、解説担当の)佐藤名人に代わってほしかった」・「藤井さんを応援している皆さんと、ひとりぼっちの私」と自虐気味に話し爆笑を誘う。「多くの棋士がいつ藤井さんと当たるかという心境かと思うんですが、こんな大役を担う感じになるとは思わなかった。私には荷が重かったかなというのが正直なところ」とはほぼ本音だろう。この日は結果として名脇役を演じることになった広瀬だが、同時にその実力とキャラクターで多くのファンの心をガッチリつかんだ。いつか8年前のように、いやそれ以上のスポットライトを浴びるときが来るだろう』と。その予想は早くも実現しての竜王。新竜王は「妻の支えあってこそ」とコメントしていた。その言や良し。

 羽生さんが無冠となり八大タイトル保持者は、二冠の豊島王位を含め七人に分散された。40代が一人、30代が3人、20代が3人の7人である。マスコミは群雄割拠とか戦国時代とか表現している。そこへ10代のタイトル保持者がいつ登場するのか、今後の棋戦を観戦するのが楽しみだ。
 2016/06/07のブログで私が好きだと紹介した3人の棋士は、3人とも30代のタイトル保持者となった。(写真:佐藤天彦名人誕生を祝う会で。仲良しの、左から佐藤名人・渡辺棋王・広瀬竜王)

  追記:新竜王は”鷹揚”と揮毫したそうだ。このことについて、広瀬は「落ち着いて悠然としているという意味なので、私自身の性格を表すという意味を込めました」と述べた。成程鷹揚な性格がピッタリかと感心した。