霧ヶ峰にある山小屋「ころぼっくる ひゅって」主人手塚宗求著「邂逅の山」を再読しました。8月13日のブログでこの小屋について書いた後、「邂逅の山」を再読したくなり、文京区の図書館にオンラインアクセスすると、在庫があることが分かり予約しておきました。
この山小屋が建てられたのは1956年(昭和31年)のこと。この地にまだビーナスラインは開通していません。山びとのみが辿る、か細い山道があるのみです。建築資材等は、そこから3.5kmも離れた強清水から、背負って運んでの建築。著者25歳のときです。山小屋で使うものも全て手作業による運搬でした。1959年9月には、伊勢湾台風で小屋は全壊。絶望の時もありました。再建後、山小屋は幾変遷を経ながらも、現在霧ヶ峰高原の一角に、静かにたたずんでいます。
小屋は冬も閉鎖せず、営業を続けました。吹雪や強風との闘い。想像を絶する幾多の困難があり葛藤がありました。その苦労話も物語られますが、愚痴が語られのでありません。、自分が選んだ山小屋での生活の、延長線上にある必然の事として、困難に耐え続けて来た姿勢に心打たれます。その山小屋での生活を中心描きながら、”自分は何故山で暮らすのか”を問い、書きあげた20編のエッセイ。山や自然と真摯に向き合ってきたものにだけ書きあげられる抒情の物語です。
わけても「井戸」・「またたく灯」・「蓬のピッケル」・「灯(あかり)」・「邂逅の山」の5編は、再び胸熱くなる思いで再読しました。
水場は小屋から300m離れていて、棒の前後にぶらさげたバケツに水を満たし、登り下り600mの距離を一日に多い時で10回の運搬。彼にとっても妻さんにとってもつらい仕事で、まして一人の子供が生まれてからは更にきつい仕事となります。この仕事は吹雪の日にも続けなければなりません。これが「井戸」で語られる物語の前半です。
小屋から湿原に通じる斜面に湿気をもった場所があり、1963年の秋、ここに井戸を掘る事を決意。人に聞いたり、見よう見まねで井戸掘りを始めたそうです。最初は妻さんと二人、暫くしてご近所付き合い(と言っても数km離れたご近所)の甚充さんに応援を頼み、3日間の協力を得て、自力のスコップだけで掘削を完了。町(多分諏訪)で探し求めた手押しポンプを購入。これを井戸の土管の上に固定した後、ポンプを静かに押すと、水がとうとうと流れだしたそうな。妻さんと子供と3人、一本のシャフトにしがみついて、狂喜のようにポンプを押したと書かれています。流れるものは水だけでは無かったはずです。毎日の、600m×10の運搬が無くなった喜びに、読むものも又嬉しくなるのでした。