マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

『邂逅の山』(著:手塚宗求 出版:恒文社)再読

2011年08月30日 | 読書

 霧ヶ峰にある山小屋「ころぼっくる ひゅって」主人手塚宗求著「邂逅の山」を再読しました。8月13日のブログでこの小屋について書いた後、「邂逅の山」を再読したくなり、文京区の図書館にオンラインアクセスすると、在庫があることが分かり予約しておきました。
 
 この山小屋が建てられたのは1956年(昭和31年)のこと。この地にまだビーナスラインは開通していません。山びとのみが辿る、か細い山道があるのみです。建築資材等は、そこから3.5kmも離れた強清水から、背負って運んでの建築。著者25歳のときです。山小屋で使うものも全て手作業による運搬でした。1959年9月には、伊勢湾台風で小屋は全壊。絶望の時もありました。再建後、山小屋は幾変遷を経ながらも、現在霧ヶ峰高原の一角に、静かにたたずんでいます。
 
 小屋は冬も閉鎖せず、営業を続けました。吹雪や強風との闘い。想像を絶する幾多の困難があり葛藤がありました。その苦労話も物語られますが、愚痴が語られのでありません。、自分が選んだ山小屋での生活の、延長線上にある必然の事として、困難に耐え続けて来た姿勢に心打たれます。その山小屋での生活を中心描きながら、”自分は何故山で暮らすのか”を問い、書きあげた20編のエッセイ。山や自然と真摯に向き合ってきたものにだけ書きあげられる抒情の物語です。

 わけても「井戸」・「またたく灯」・「蓬のピッケル」・「灯(あかり)」・「邂逅の山」の5編は、再び胸熱くなる思いで再読しました。
 水場は小屋から300m離れていて、棒の前後にぶらさげたバケツに水を満たし、登り下り600mの距離を一日に多い時で10回の運搬。彼にとっても妻さんにとってもつらい仕事で、まして一人の子供が生まれてからは更にきつい仕事となります。この仕事は吹雪の日にも続けなければなりません
。これが「井戸」で語られる物語の前半です。
 小屋から湿原に通じる斜面に湿気をもった場所があり、1963年の秋、ここに井戸を掘る事を決意。人に聞いたり、見よう見まねで井戸掘りを始めたそうです。最初は妻さんと二人、暫くしてご近所付き合い(と言っても数km離れたご近所)の甚充さんに応援を頼み、3日間の協力を得て、自力のスコップだけで掘削を完了。町(多分諏訪)で探し求めた手押しポンプを購入。これを井戸の土管の上に固定した後、ポンプを静かに押すと、水がとうとうと流れだしたそうな。妻さんと子供と3人、一本のシャフトにしがみついて、狂喜のようにポンプを押したと書かれています。流れるものは水だけでは無かったはずです。毎日の、600m×10の運搬が無くなった喜びに、読むものも又嬉しくなるのでした。

 
 

 


”不名誉”な負傷

2011年08月29日 | 身辺雑記

 実は8月21日(日)の事、塩山でのスモモ狩りの際、スモモ繁る樹の脇で躓き、1.2mほどある崖下に、空中遊泳の様なスタイルで転落し、地面に激突。息が出来ない有様でした。廻りの人達の「大丈夫ですか」の声に、気丈夫に「何ともありません」と応えました。暫くすると、普通に息が出来るようになり、体のあちこちに痛みを感じることなく、スモモ”貴陽”狩りやブルーベリー摘みもしたのでした。左手に痛みを感じだしたのは知人Sさんの御宅を辞する頃。湿布薬を貼って頂いて帰路に着きました。
 翌22日にも痛みは治まらず、千石にある整形外科でレントゲン撮影と相成りました。大きな骨折はしていないものの、黒い線が何本か見られ、より精密なCT撮影が必要との事で滝野川まで出掛けた後の再度の診断で左手首にヒビが入っているとが判明。正確には「橈骨(とうこつ)遠位端骨折」との診断です。診断して下さった医師から渡されたパンフレットには「中年以降の女性が転んで手を突いて骨折する場合が最も多いのですが、若い人でも走っていて転んだ場合の様な強い力が加わると骨折します」とありました。後者の例でしょうか?
 手術・入院には及ばないが、ギブスを嵌める必要があり、手首の腫れの治まる29日にギブスと言うことになり、今日その手当をして貰いました。ギブスが取れるのは9月12日(月)の予定です。
 手は、両手が二人三脚で動いていると実感する日々で、入浴し頭を洗うにも不便を感じる事が多いのですが、この程度のけがで済んだのは不幸中の幸いと言い聞かせながらの生活です。
 ラジオ体操は暫し中断。足は元気ですから散歩には精を出しています。


『ジェノサイド』(著:高野和明 発行:角川書店)を読む

2011年08月27日 | 読書

 高野和明、590ページに及ぶ渾身のSF作品(エンターテイメント作品でもあり)です。高野和明作「13階段」は第47回江戸川乱歩賞受賞作品。今から10年ほど前、発売されると直ぐ購買した記憶があります。その後は全く彼の作品は読んでいませんでしたが、今回は本の帯に書かれた北上次郎「これは私たちの未来を語る物語だ」に惹起されて購買しました。

 舞台の一つがアフリカのコンゴ。そこで暮らすビグミーと呼ばれる種族の一つムブテイ人40人ほどが生活する。そこで、現人類とは異なる高度の知能を持った子アキリが誕生します。アキリは僅か3歳にして、高度の素因数分解が暗算で出来ると言う情報を入手したアメリカ政府は、自国の暗号システム公開鍵暗号が解読される事を恐れ、この子を含む全滅(ジェノサイド)作戦を開始します。(公開鍵暗号システムについては次回ブログで)
 その作戦の傭兵4人のリーダーがアメリカ人ジョン・イエーガー。子供は肺胞上皮細胞硬化症と言う難病に掛かり、高額の費用を払わねばならない状況にあり、已む無きの作戦参加で、子の命もあと1ヵ月と宣言されています。

 もう一つの舞台が日本です。薬学部大学院で有機合成の研究を続けている古賀研人。大学教授だった父が急死して数日後、死んだ父親から『研人へ 父より』との1通のメールが届きます。そのメールの指示に従って行動を開始する研人は、秘密の一軒家へと導かれ、置かれてあったパソコンに組み込まれたソフト「GIFT」に出合います。これは”創薬”ソフトで、このソフトと格闘しながら、研人と韓国人の友李正勲(リ・ジョンフン)は共に肺胞上皮細胞硬化症の治療薬の開発に、寝食を忘れて取り組みます。

 物語には、舞台1と舞台2、それにホワイトハウスが交互に登場します。舞台1では、傭兵達がジェノサイド敢行寸前に、長年このに滞在し、生活様式などの研究を続けて来た人類学者ナイジェリア・ピアースからこう忠告されます。「私たちを全滅させた後、あなた達も全員殺される作戦なのですよ」と。証拠を示され、納得した傭兵達はアキリと人類学者の”アフリカ脱出”を助ける側に寝返ります。ここから展開される、日本目指しての大脱出物語がこの作品の読ませ所の一つです。
 実は研人の父もかってこのを訪れ、人類学者と数日間を共にした事がありました。交わるはずの無いイエーガーと研人の人生が交錯する源流はここにありました。そして今は、高度に発達した通信機器が驚愕の事実を可能にするのでした・・・。

 さてアキリ達のアフリカ脱出は?研人らの新薬開発は?そして二人は出会えたのでしょうか。ネタばれは避ける事にします。

 殺戮場面の多い作品ですが、読後感は意外と爽やかです。
 恥ずかしながら”理系”男子のマーちゃんは、科学が登場する物語が好きです。特に今回は整数論をベースとする公開鍵暗号システムが物語の大事な要素の一つとなっていて、興味津々の思いで一気読みしました。現人類より優れた人種の出現はSF物語ではなくなる時がいつかは来るでしょう。そのとき人類はいかなる態度を取るのでしょうか・・・。
 本作品、第145回直木賞は候補作品止まり。葉室麟「恋しぐれ」も受賞を逸しました。このところ受賞一歩手前の作者の作品を読むことが多くなっています。

 
 


講演会『空海と密教美術展』へ

2011年08月25日 | 映画・美術・芝居・落語

 8月23日(火)、文京区シビックセンターへ出掛け、26階スカイホールで行われた講演会「空海と密教美術展」に参加して来ました。7月の「区報」でこの講演会が予定されているとの記事を読み、早速ハガキ応募していました。講演の内容もさることながら、受講者には東京博物館で開催中の「空海と密教美術展」のチケットが配布される事が大きな魅力です。こちらの展示、7月22日(金)に観ていましたが、展示内容が後半に入れ替わるとの事。再度の鑑賞を願っていました。
 7月後半に当選の知らせが来ました。応募者総数600名の内から100名が選ばれたようで、幸運にも当選し、二人で参加が可能です。
 
 講師は、東京国立博物館教育講座室長丸山士郎氏。氏は仏教美術が専門で、学生時代から何度も京都の東寺に通っていたそうです。司会者からの人物紹介には登場しなかった話ですが、ラジオ深夜便で8月8日(月)~11日(木)の午後11時台で、4夜連続して、仏教美術の魅力について語った、と番組スタッフのブログにありましたが、私は聴き洩らしましたが・・・。
 講演を聴いての丸山氏の印象は真面目な学者さんタイプ。OHP(オバー・ヘッド・プロジェクター)を使用して、画像をスクリーンに映します。OHPとはかなり古い手法ですが、ご自分で編集された内容なだけに、講演内容はスムースに進みます。多分、市民向けに出来るだけわかりやすく編集したことでしょう。東博での展示目録に沿って話が進みました。
 東博での展示内容jの構成は
   第一章 空海-
日本密教の祖
   第二章 入唐求法-密教受法と唐文化の吸収
   第三章 密教胎動-神護寺・高野山・東寺
   第四章 法灯-受け継がれる空海の息吹
 

 一度観た内容だけに分かりやすく、特に映像を基にしての曼荼羅の、細部に渡る解説を一番興味深く聞きました。より詳しくは再度の鑑賞を踏まえてまとめたいと思います。


塩山でスモモ狩り

2011年08月23日 | 

 8月20日(土)蓼科での生活の後始末・清掃をして帰路につき、北杜市にあるサントリー白州蒸留所に立ち寄った後、塩山に向いました。塩山駅には妻の友人Sさん夫妻が車で迎えに来て下さり、”別荘”へ。ここで毎年の春催されるのが”花の宴”。花は桜ではなくピンクの桃と白のスモモで、その見事さを5回ほど楽しませて頂いています。


 夏には一泊して、翌日にスモモ狩りで、こちらは3度目になります。20日には、塩山荘のアルカリ性強い温泉に浸かり、夏の盆踊りと花火大会に期待をしていましたが、生憎の雨の為盆踊りは中止。花火も短時間で終了してしまいました。
 ここ甲州市の特産品はワイン。自家製の野菜料理を肴にワインを美味しく頂きました。Sさんご夫妻は東京のご出身。私の好きな東京の川の話題で話は盛り上がりました。(写真:Sさんの別荘全景)



  (付近を流れる笛吹川の支流:遠くは塩山荘)


 翌日がスモモ狩りです。既にソルダンや”大石”は収穫が終わっていて、今、果実を付けているのは太陽・月光・貴陽です。Sさんの夫さんの案内で現場に到着。早速、貴陽を捥ぎます。手で届かない高いところは専用の捥ぎ器を使います。あまり実ってはいないと見えた木からバケツ一杯のスモモの収穫です。一本の木に、多いもので5000個の紙を被せたと聞ました。3人で10時間働いても一本の木の全部のスモモに紙を被せられないこともあったとか。大変な労力の果てに、私は美味しい処だけ頂いているわけです


 ”太陽”の木はまだ収穫していません。タワワニ実る枝から面白い様にスモモが取れます。こちらでは捥ぎ器は使わないで、バケツ一杯の収穫。既に収穫されていた月光と3種類のスモモを全部で150個も頂いたのでした。(写真は”太陽”)






    (既に捥いであった”月光”)

 その後、車で15分ほど移動して、他所に所有する土地でブルーベリーまで摘ませて貰い、手作りジャム・ミョウガ・サヤインゲンなども頂戴して、宅急便で送りました。感謝!感謝!です。