マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

上弦の月を撮る

2018年08月20日 | 地学・天文

 一昨日は上限の月。夜10時、三脚を持って屋上に上がり、月を撮影したものが右の写真。月表面の“海”もはっきり見えて満足できるものだった。
 上限の月か下弦の月か迷う人もいるが、私はこの月を少し時計回りに回転すると、弓の弦が上に来るから、上限と覚えることにしている。





 実は、2年前にネット経由で購入した中古カメラの写りが悪くなって来ていた。そこで今回は中古ではなく”新品”を購入したいと考え、何度か「ヨドバシカメラ アキバ」へ掛けた。その時に気に入ったのがキャノンの「Power Shot SX60 HS」(右写真)。高性能のコンパクトカメラで、マクロ機能に優れ、光学65倍ズーム(望遠端で1,365mm相当)。パンフレットには撮影された月の写真が添えられていた。
 今までは、持っているカメラでは月などの撮影で満足できるものが撮れなかった。このカメラならば何とかなるかとの期待を込めて7月下旬に、4万5千円で購入してしまった。マクロ撮影と遠く離れた山などの撮影がズーム機能で簡単にチェンジ出来るのも魅力だった。

 会津駒ヶ岳へ出掛ける直前の購入で、マニュアルをしっかり読む余裕はなかった。帰宅した翌日が「板橋の花火大会」。この時もマニュアルを読まないで花火の撮影で、満足な写真は撮れなかった。
 18日は
全生庵での「圓朝寄席」だったが、帰宅時間に月はまだ夜空に残っていた。(写真:板橋の花火)
 このカメラが今生の買い納めか。使いこなそうと思う。

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「ぶんぶんけんけんの会」へ

2018年08月17日 | 映画・美術・芝居・落語

 私が三遊亭兼好を贔屓にしていることを知っている方から落語のチケットを頂いていて、8月11日(土)に「座・高円寺2」に聴きに行った。出演の橘家文蔵と三遊亭兼好からのネイミングだろうが「ぶんぶんけんけんの会」とは常設の会ではないらしく、即席に名付けたものらしかった。
 高円寺は通過することはあっても訪れるのは久し振りの事。下車後、線路沿いに新宿方向に4・5分戻るとコンパクトに感じられる建物が造られていて、その地下2階がこの日の会場だった。250ほどの客席は開演時にはほぼ満席。ここには他に「座・高円寺1」も「阿波踊りホール」もあるらしい。(写真:「座・高円寺2」の客席)
 配布されたパンフレットには「見た目、性格、生き方、何かと違うふたりですが、ふたりを並べると、学校、体育会、職人、会社、刑事ドラマ、盛り場、裏社会、動物園・・・。色んな処にいそうな先輩後輩のように見えてきます。この「先輩後輩感」が、どんなふうに会を彩るのか、それをじんわりと感じて頂くのが、この会の趣旨のひとつです」とあった。







 兼好との出会いは彼が好二郎を名乗っていた10数年前のこと。3年前には地域活動センターで彼に語って貰った。文蔵の噺は「宮元落語」で、毎年の様に聞いていて、今年もやはり地域活動センターの最前列で聴いた。その風貌印象からして、“何かと違うふたりで、先輩後輩に見えてきます”には「そうだよな」と思えた。
 文蔵は重厚で太目で豪快な親分肌に見える。一方の兼好は軽妙で細めで実直な番頭風(失礼)。
 ふたりのプロフィールは
 文蔵、1986年入門 現在56歳 独り身 酒好き 
 兼好 1998年入門 現在48歳 妻子あり 下戸
 とあり、文蔵が8年先輩。
 さてその二人が語る前には「ぶんけんトーク」があった。ふたりに語ってもらいたいテーマを書いた紙切れが数枚入っている箱が置かれていて、まずは先輩文蔵が一枚引いた。最初に引いたテーマは“前科”。「え」と驚くふたりに、兼好が「師匠、前科はないですか」と尋ねると「無い!」と文蔵は答える。「そうですかねえ」と不思議がる兼好に「逮捕歴はあるが前科は無い」と答える文蔵。ホントかウソかは知らないが、賭博で御用となったことはあったのだ。買うはいざ知らず飲み・打つが似合うのが文蔵。

 二枚目は兼好が引いて“スポーツ”。「学生時代何かスポーツやってた?」と聞く文蔵に「ラグビーやっていました。周りは適当にやっているのに、私ひとり入れ込んでやっていました」と兼好。スポーツ青年だったんだ。兼好らしいな。どんな場面で出会っても先輩後輩の関係となるだろうふたり、よ~く分かるトークでした。
 どちらが先に語るかはジャンケンで決めた。兼好が勝って前座は文蔵で、その後が兼好。仲入り後は入れ替わって、兼好・文蔵と続いた。
 文蔵 持参金
 兼好 一眼国
 仲入り
 兼好 悋気の独楽
 文蔵 らくだ
 文蔵の「持参金」以外は聴いたことがあった。文蔵の「らくだ」は最初は脅かされていた屑屋が酒が入って来て逆に脅し始める話。脅しの場面は文蔵ならではの凄みが出ていた。兼好の「一眼国」では夜店に張られたテント中の場面。兼好の表情豊かな演技が秀逸。
 違いの多い二人だが、文蔵の大師匠も兼好の大師匠も八代目林家正蔵(彦六)という共通項があった。

 実は落語も講演も肝心な部分が聞き取れず難儀をしていた。耳に当てる集音器具などないかと探し求めていたが、そんなものは販売されていない。補聴器販売店で聴力検査後に補聴器を借りて現在試用中。実に快適に話しが聴ける。落語もそうだった。聴いた落語家の実力もあったのだろうが、補聴器の効果絶大で以前の様に落語が実に楽しく聴けて、補聴器の購買を考え始めている。

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『日航123便 墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』(著:青山透子)を読んで(その2)

2018年08月14日 | 読書

 上野村小学校の文集『小さな目は見た』からの目撃情報以外に自衛隊員の目撃情報がある。群馬県警発行の冊子『上毛警友』に『日航機大惨事災害派遣に参加して』のタイトルで、群馬県吾妻郡東村に帰省していた自衛隊陸曹は「・・・午後6時40分頃、突如として、実家の上空を航空自衛隊のファントム2機が低空していった」と書いている。自衛隊員による自衛隊機の目撃。これは非常に確かな目撃情報だ。
 この自衛隊陸曹の目撃と児童文集から、青山さんは、「ジャンボ機を航空自衛隊のファントム2機が追跡していた。まだ明るい墜落前にファントムは日航機を追尾し飛行状態を確認した。墜落場所を一晩中確認できなかったという言い訳は通用しない」と書いた。自衛隊はジャンボ墜落直前に飛んでいたファントム2機の存在を隠し続けている。青山さんは「これは事故ではなく事件ではないか」と推測したのであった。

 さて③「真っ赤な飛行機が飛んでいた」との目的情報について。
 
児童文集のなかに「午後7時少し前、ぼくの家の人は、真っ赤な飛行機を見たと言いました。・・・」とあるが、それ以外に、わざわざ青山さんを訪ねて来て、当日の様子を語った小林美保子さんの証言がある。
 小林さんは当時藤枝市にある会社に勤務していた。帰宅途中の18時30分頃自分の後ろから飛んで来た、低空飛行しているジャンボ機を目撃した。 
「・・・貨物室のドアがある様な場所、そこが真っ赤に抜けたように見えたんです。・・・」と語っている。その目撃情報を、飛行機の模型を使って絵に描いてたものが右上の図である。地上から見上げて見えたものは、破壊されたとされる垂直尾翼ではなく、胴体部分に位置する赤色の物体だった。 
 この目撃情報に異議を申し立てる側からは色々な反論が出来るだろう。捏造目撃ではないか。目撃者の勘違いではないか。裁判で争わねばならないような場合に証拠能力は無い、等などの。青山さんは小林さんから直接話を聞いて”これは信じられる話だ”と直感し、文集の証言と併せて重要な証言と考えたのだ。
 1985年当時、米国は複数の日系企業とミサイルプログラムの共同開発を進めていて、その企業の研究者は「米軍と日本の自衛隊が実際に古いジャンボ機を飛ばし、炸裂なしのミサイルを発射させる実験を行った」と語っている、とも書いた。
 更に、⑤米国の航空便墜落事故の元調査員6名の発言に「米国のトランスワールド航空800便の墜落原因は米軍のミサイルによる誤射の可能性が高い」とあると書いた。

 以下は私の読後感を交える。
 私は「ジャンボ機墜落の原因は米軍のミサイル誤射」との推定仮説は、その可能性は高いだろうなと思いつつ、一方では、それを証明するにはより具体的・物理的が証拠が必要だろとも思う。だが、その目的の前には大きな壁が立ち塞がっていることも又事実だ。例えば 
 2015年8月12日、推定飛行ルート真下とされる伊豆町沖合2.5Kmの海底から123便の部品を発見したとの、テレビ朝日のニュースが流れた。当時の事故調査官は「こういう残骸をさらに分析することで事故の詳細が明らかになる」と述べている。それに対して運輸安全委員会は「すでに事故調査は終了しており、コメントは差し控えさせていただく」と述べたに過ぎない。青山さんは国際民間航空条約5章13項「調査終了後に、新しくかつ重大な証拠を入手した場合は、調査実施国は調査を再開しなければならない」に違反していると述べている。
 一昨日が事故から丁度33年目だった。青山さんは、色々な事を教えてくれた先輩を亡くしたという当事者意識から出発して、再発防止を願い、墜落原因究明に取り組んで来た。自分の仮説が正しいか否かが、多くの人々の話題になり、公の場で議論されることを望んでいるだろうなと思う。
 この本と『天空の星たちへ』を読み進んでいくうちに、姪が青山さんの10数年後輩に当たることを知り、より興味深く読むこととなった。
 本書の最後で彼女は「未来のためにすべての情報が公開されることを訴え続けなければならない」と書いた

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『日航123便 墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』(著:青山透子)を読んで(その1)

2018年08月11日 | 読書

 この本の内容を上手くまとめられないで、ここに書くことを何度か躊躇っていたのだが・・・。
 著者青山
さんが到達した、日航123便墜落の結論。それをここでは仮説と呼ぶことにしよう。その仮説は驚くべきものだった。著作冒頭にその仮説を書いしまったのでは、彼女の説もまた“謀略説”と捉えられかねないことを危惧したのだろうか、彼女は具体的な目撃情報・証言を積み重ねた上で、言わば演繹的に、最後に仮説を記述したのだった。
 しかし、気楽な立場にあるブロガーの私は、いきなり青山仮説から書いてしまおう。著者は「墜落は事故ではなく事件である。墜落原因は米軍の訓練用ミサイルのジャンボ機への誤射・衝突」と結輪付けた。「米軍のミサイル誤射が墜落原因」との結論!
 その推論の柱は次の5つから成り立っているように見える。
 ①墜落したジャンボ機を自衛隊ファントム2機が追跡していた、との目撃情報が多数ある
 ②その日のうちに墜落地点を特定できたにも係わらず、自衛隊は墜落現場を特定せず、即時の人命救助活動をしなかった
 ③ジャンボ機の腹の部分は円筒形で真っ赤だったとの目撃情報がある
 ④完全炭化した遺体から推して、自衛隊は現場でガソリンとタールを混ぜたゲル化液体を使用した可能性がある
 ⑤米国の航空便墜落事故の元調査員6名の発言に「米国のトランスワールド航空800便の墜落原因は米軍のミサイルによる誤射の可能性が高い」とある
 ①と②と④から、自衛隊は何かを隠そうとしていると判断し、その何かとは③と⑤から「米軍のミサイル誤射が墜落原因」との結論に至ったのだ。

 ここでは①と③に関して詳細に記す。 
 
についての重要な目撃証言として挙げられたのが『小さな目は見た』との上野村小学校の文集と上野村立上野中学の文集『かんな川5』だった。
 
ジャンボ機墜落後、上野村立上野小学校では148名の児童による文集「日航機事故について」を作成していた。それによれば、当日、日航機を目撃した児童が75名もいた。その中に、例えば次の様な文が見られる。
 「
8月12日の夕方、6時45分頃、南の空の方からジェット機2機ともう一機大きい飛行機が飛んできたから・・・」。多くの児童とその家族が「大きな飛行機と小さいジェット機の追いかけっこ状態」を目撃していた。
 彼女は文集をしっかり読み込んだ結果から、上記以外の目撃内容を次の様に整理した。
 
○真っ赤な飛行機が飛んでいた
 ○墜落前後、稲光の様な閃光と大きな音を見聞きした
 ○墜落場所は上野村と特定でき、報告したにもかかわらず、テレビやラジオでは場所は不明又は他の地名を放送し続けた
 ○墜落後、多数のヘリコプター、自衛隊の飛行機、自衛隊や機動隊の車などを目撃した
 ○ヘリコプターは墜落場所をサーチライトの様な強い明かりで照らしながら、多数行き来していた
 文集からの目撃情報以外に自衛隊員の目撃情報がある。以下次回のブログに。

 
 

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檜枝岐歌舞伎

2018年08月08日 | 山旅

 かつて、日本の多くの村で歌舞伎の座が作られ、農民を中心に歌舞伎が演じられてきたことだろう。今では限られた村にしかその伝統は継承されていない。中でも、多くの観客が訪れるのが「大鹿歌舞伎」と「檜枝岐歌舞伎」だ。
 大鹿歌舞伎は毎年春秋の特定の日に演じられている。是非、観劇したいと思い続けていて、出掛けて行ったのは2年前の秋のことだった。実に面白く、ブログ(2016/10/26)にも登場させていた。
 檜枝岐歌舞伎は、それが演じられているとはつゆ知らず檜枝岐を訪れたのは、今から45年前の1973(昭和48)年のことで、会津塩沢の学生村からの帰り、妻と2人、会津駒ヶ岳登山と尾瀬探訪を目的に檜枝岐の旅館に宿をとった。(写真:私達が訪ねた頃の歌舞伎模様)




 
その日は偶然にも檜枝岐歌舞伎が演じられる818日だった。詳しいことは殆ど覚えていないが、あまり大きくはない舞台で歌舞伎が演じられ、多くの観客が熱心に観ていた。多分演目を一つほど見て帰ってきたと思う。私はまだ30歳代で、歌舞伎に今ほど興味をもっていなかった。(写真:檜枝岐歌舞伎舞台)



 今年45年振りにその舞台を訪れ、初めて「歌舞伎伝承館」も訪ねた。歌舞伎が演じられる舞台は昔のままに感じられたが、観客席は大きく様変わりしていた。席は後方に行くにつれてせりあがる様に立体的に作り変えられていた。写真でしか見たことがないが、古代ローマの劇場のようだった。神宮球場を小型化し、その外野席とでも言えばそれに近いか。檜枝岐歌舞伎の人気は増し、訪れる人の数も年々増えていったことだろう。その為もあり、増席されたのかもしれない。椅子に座るように石段に腰かけて観覧できるように様変わりし観易くなっていた。(写真:こちらが観客席)

 帰りには「伝承館」に寄った。檜枝岐歌舞伎の概略が大凡次の様に書かれていた。(写真:伝承館前にはその年の演目が掲示されている)
 「檜枝岐歌舞伎は江戸時代後期に村人がお伊勢参りに行った折り、上方や江戸で見聞きした歌舞伎を村の娯楽に取り入れたのが始まりと言われている。奥会津地方は数多くの農村舞台と歌舞伎一座があり、地芝居が盛んだったが、今では檜枝岐歌舞伎しか残っていない。
 
檜枝岐歌舞伎は古典そのままを、農民の手で浄瑠璃を口伝し、振り付けし、父から子へ、子から孫に、しっかりと型や振りを伝えてきた、その純粋性に特徴がある。元禄の昔から、そのまま近松の名作が今もなお昔の姿で、しかも農民の手で現在まで形を残している檜枝岐歌舞伎は、おそらく民芸として全国唯一のものであろう」と。
 檜枝岐歌舞伎は、1999(平成11)年に県の重要無形民俗文化財として指定された。

 「歌舞伎伝承館」を見学し終え、奥只見湖を経由し、魚沼の「駒の湯温泉」に立ち寄り帰路に着いた。駒の湯温泉は私が強く希望したのだが、内湯や建物内の露天には入湯不可で、新しく出来た露天にしか入れなかった。露天から渓流が眺められて露天はその趣が増す。非常に残念だった。
 今回の旅路、多分500km近くあったことだろう。その全行程の運転を草野さんが一人でやってくれた。お疲れさまでした。有難うございました。(写真:裏燧側から燧ケ岳の双耳峰を望む)

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再びの百名山(会津駒ヶ岳。標高2132.6m)

2018年08月05日 | 再びの百名山

 8月1日~3日、会津駒ヶ岳に登って来た。3日間とも天候に恵まれ、気心の知れた仲間との楽しい山旅だったが、取り分け会津駒ヶ岳から中門岳へと続く尾根筋では“雲上の楽園”と呼べる風景に出合い、思い出深い山行となった。その山旅を綴っておきたい。

 1日、草野・菅原・若菜の皆さんに私を加えた4名は草野車で11時に巣鴨を出発。東北自動車道「那須IC」を経由し、途中昼食に「10割蕎麦」を食し、前沢「曲家集落」に立ち寄ったりはしたが、5時間で檜枝岐の「温泉民宿あづま」に到着。荷物を置くと直ぐに、そこから徒歩3分ほどの尾瀬檜枝岐温泉「燧の湯」へ。源泉かけ流しの湯で、緑に包まれた露天風呂は野趣に富んでいたが、多くのアブから身を守る”たたかい”も必要だった。

 2日。駐車場5:23→7:15水場7:25→8:50会津駒の小屋9:09→9:30頂上9:40→10:15中門岳10:30→11:20駒の小屋(昼食)12:20→15:20駐車場
 登山口までは国道から外れ、車で10分弱だが、ほぼ満車状態だった。標高1100mの地点から標高差で1000mの頂上を目指した。水場のあるベンチまでは樹林帯の中の急登だが、コースタイム通り1時間半で到着。そこで単独行の方に撮影してもらった写真が右。条件の良い中での登山、皆いい顔をしている。
 登山路の所々には、山頂までの距離が表示されているので歩きやすい。










 水場から道は緩やかになり、山小屋付近には木道も掛けられ、更に歩き易くなってきた。小屋には8時50分到着。この小屋トイレは有料で100円ながら山には極く稀な実に立派なトイレだった。池塘の向こうには目指す山頂。9時半には頂上到着。(写真:会津駒ヶ岳山頂で)




 そこから中門岳へは緩やかな下り。ところどころに池塘や高山植物が点在し、燧ケ岳や至仏山などの山々が見渡せた。遥かには尾瀬ヶ原も望める。中門岳とはある山の山頂を指すのではなく、大きな池の周り全体を指す様だ。尾根筋がミニ尾瀬ヶ原だ。(写真:多くの池塘が点在する)



(左が燧ケ岳、右が至仏山。その左に微かに尾瀬ヶ原)

 途中脚が攣りそうになった私は、ここで主治医お勧めの「68」を飲んだ。それを見て「私達集団の平均年齢68歳と同じだ」の声に皆大笑い。(写真:中門岳はこの辺りをいうとのこと)






 
引き返す道すがら、この稜線上に豊富に咲くハクサンコザクラを求めるハイカーに出合った。直ぐそこに群生する紫色の高山植物を指さすと、彼女たちは嬉しそうな顔となり一目散に駆け寄った。その事から、私達もその花の名をハクサンコザクラと知ったのだった。忘れ得ぬ高山花となった。






 小屋で昼食を取り、12時20分に下山開始。15時20分に駐車場に戻って来た。下山路でも少し足が辛くはあったが、殆どコースタイム通りの比較的楽な登山を終えた。
 実は私は4度目の山頂だった。1度目は多分1968年、最初の勤務校大泉高校での先輩石川さんと。2度目が塩沢の学生村からの帰路に妻と。3度目が城北高校のワンゲル部の引率。他の2回と比較して、石川さんと登った時の印象が強烈で、山頂付近の豊富な池塘に魅了された。石川さんとの登山を会津駒ヶ岳までと思ったが、その時だけは中門岳まで行ったのではなかったかと思い直している。今回同行の皆さんの感想も中門岳まで行って大正解とのこと。(写真:稜線上に群生するハクサンコザクラ)
 入浴後は夕食も含め就寝まで完登祝い。ビールは途中で購入しておいたが、ワインと日本酒と肴は各自が持参していた。私へは妹夫婦からの〆張鶴吟醸酒が届いていた。帰宅して知ったがそれは二人の金婚式へ甥が持参した3本のうちの1本で、宿宛てに送ってくれたのだった。宿の山菜料理はサンショウウオの天ぷらも出て、美味しかったが、登山後の御酒は格別に美味で、その席上来年は鳥海山に登りましょうかとまで話は進んでしまった。

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都立の星と、スカイツリーを横切る月を観た

2018年07月31日 | 身辺雑記

 一昨日は午前中に全国高校野球東東京大会決勝で、”都立の星”我が母校小山台高校の活躍を観戦し、夜には我がマンション屋上での「花火観賞会」で、満月の様な月がスカイツリーを横切る光景を見て、気持ちがハイのまま寝床に着いた。 

 母校がここまでやると予想もしていなかった。帝京高校に7-2で勝ったことは翌日の新聞で知った。大会決勝は10時から開催され、100回の記念大会の予選試合を初めて観た。4回表には3-1とリードした。勝って欲しいと願ったが、勝てるとは思わなかった。案の定、後半は一方的にリードされたまま敗れた。しかし満足だった。いい夢を見させてもらった。球場を去っていく球児の姿は爽やかだった。(写真:帝京に勝利した直後の小山台)


 試合途中で解説者が「小山台の練習時間は3時15分から4時45分までの1時間半に過ぎないのです」と語るのを聞いて、60年前と変わらないなと思った。60年前の1958(昭和33)年、私は小山台高校定時制に1年遅れで入学していた。4時15分に勤務先日本光学を退社すると一目散で学校を目指した。到着した学校のグランドでは野球班が練習をするかグランド整備をしていた。17時からのグランド使用は定時制に移るのだ。まだ殆どの定時制生徒が登校せず、グランドも使用しない状態だから、練習時間の少ない野球班が練習を願い出ても不思議ではない。しかしそうはしなかったのだ。今も変わらぬ短時間の練習で決勝まで進んだチームに、有難うと言いたい。 

 「花火観賞会」は19時から始まった。以前は高齢の方が多かったが今は子供が多い。その子どもたちが楽しみにしていたのが天体望遠鏡。準備をしてくれる住民がいるのだ。木星・金星・月などを観察できて子供も大人も満足。大人の満足は今回は、今年初めて用意した生ビールの10リットルの樽。これが大好評で「来年も是非」の声。










 今年の隅田川の花火、例年より12万人多い人出とあった。多分、立川や八王子の花火大会が中止となった影響が大きいと思う。隅田川の花火は1日順延され、私達の観賞会もそれに合せて順延。スカイツリーの両側から花火が上がるのが見えた。ふと見るとスカイツリーの傍にも花火。いや、よく見るとそれはお月様だった。スカイツリーを横切る、赤い、真ん丸な月も見られて満足度高い観賞会だった。

 明日から会津駒ケ岳に出掛ける為、ブログ更新は8月5日以降になります。










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『天空の星たちへ』(著:青山透子 出版:マガジンランド )を読んで

2018年07月28日 | 読書

 ”天空の星たち”とは、33年前の、日航機墜落事故で亡くなった520名の方々のことを指している。
 1985年8月12日(月)、羽田発大阪行き日航ジャンボ機123便が御巣鷹山尾根に墜落。乗客乗員524名(乗客509名・運航乗務員3名・客室乗務員12名)のうち520名が死亡するという、単独機としては世界最大の航空機事故が起こった。後日、運輸安全委員会(かつての事故調査委員会)からは、事故原因の結論として「後部圧力隔壁破損によるもので起因は不適切修理と推定される」と発表された。しかし、33年を経過した今なお、「後部圧力隔壁修理ミス」という事故原因に納得をしていない人たちがいる。
 本書の著者で、元日航客室乗務員だった青山透子さんもその一人で、本書『天空の星たちへーー日航123便 あの日の記憶』は3年前の2015年に発表され、更にはその後知った事実に基づいて『墜落の新事実』を発表している。
 あの時から33年も経ってしまったんだと思う。今更なんで「日航機の墜落」なのかと思う人は多いだろう。私自身は「墜落原因」に納得が出来ず、何冊かの本を読んでは来ていたが、記憶の闇に埋もれかけていた。
 事故当日、いわゆるスチューアデスだった青山さんは、日航の女子寮で墜落を知った。その翌日の、アンカレッジ行き勤務機のなかで、亡くなった客室乗員の半数は彼女のいたグループの先輩たちと知り、衝撃は大きかったが、その詳細を知らずにヨーロッパ勤務へ。同じ寮の落合由美さんが救出されたことを知るのもアンカレッジのホテルだった。
 11日間のヨーロッパフライトから帰国後、この間の新聞記事を熟読。客室乗務員だった先輩たちが懸命に救助活動に従事したことを知る。彼女たちの為にも「墜落原因」が何であったのかを長い年月を掛けて調査し追究してきた。その原因として「謀略説」などが語られると嫌悪感も覚えたそうな。そんな彼女が、事故原因を「後部圧力隔壁修理ミス」とする説に疑問を抱くような様々な事実を知ることとなる。彼女なりに真の墜落原因を知ろうと努めて来た30年間の、渾身の努力の結果が『天空の星たちへ』とそれに続く『墜落の新事実』に結晶されている。『墜落』では驚くべき事柄が綴られている。

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足立の花火 

2018年07月25日 | 東京散歩

 「富士鷹」に寄ってから足立の花火を観に行くことが決まって直ぐ、熊倉さん(熊ちゃん)から「酒を一杯ひっかけて、花火を見に行くなんざ、江戸っ子になった気分ですね」とのメールが入り、私は「そうだ」と思った。江戸っ子の実態は詳しくは知らないが、江戸時代に大人も子供も大川の花火を楽しみにしていたことだろう。陽が落ちれば川面には涼しい風が渡り、夜空を彩る光の輪。広重「名所江戸百選」(右図)にも描かれた。一杯ひっかけた江戸市民も多かったことだろう。江戸から東京へ、今も変わらぬ納涼風景、夏の風物詩。



 大川の花火は中断の時はあっただろうが「隅田川花火大会」へと受け継がれて来た。その頃は、現在の荒川は無かったが、その荒川の土手を利用しての40回を数える「足立の花火」である。
 その歴史を少し紐解くと、”千住の花火大会”が衣替えして、1979年(昭和54年)に第1回が「荒川の花火大会」との名称で開催されている。2011年は3・11大震災で多くの花火大会が中止されたが、荒川の花火は10月に延期し開催された。私が初めて足立の花火を観たのはその翌年でやはり秋に実施され、北千住側の土手からの鑑賞だった。実に大きな輪が頭上に花開いた。最近では隅田川花火大会の1週間前の、7月の第3土曜日に開催されている。東京の花火大会皮切りとしての存在でもある。今回は40回の記念大会とのことで、13600発が打ち上げられるとのことで、大きい期待を持って出掛けていった。

 この花火大会、荒川土手の両側から見ることが出来る。御徒町で乗車した日比谷線を北千住で乗り換え小菅へ。開会の1時間前の6時半頃だったが、久し振りに味わう物凄いラッシュ。やや空いている西新井側から見ようと電車で荒川を越えたのだ。
 花火鑑賞には千住新橋と西新井橋の間がベスト。しかし、菅原さんも熊ちゃんも凄い人に圧倒されたか、席が取れないと心配したか、千住新橋手前で「席を取りましょう」となり、土手の一番高いところに席を確保した。私は右写真の椅子を3つ用意しておいた。







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時半から20時半までの打ち上げ。夜空に大きな光の輪。ほろ酔い故かあっという間に時が過ぎていった。ただ、花火打ち上げ現場から遠く離れていたので、前回ほどの迫力は感じられなかった。遠くへと帰らなければならない2人は終了10分前には席を立った。来年は奮発して有料席を確保しましょう!
 今年は3週間連続の花火鑑賞。来週がマンション屋上からの「隅田川花火鑑賞会」で、8月4日に「いたばし花火大会」を南長崎にあるマンションから見る予定。こうやって、猛暑の夏を幾らかでも凌ぎたいものだ。

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「30日間飲み放題 ¥3000円」に落とし穴はないか?

2018年07月22日 | 家事

 6月に御徒町燕湯に行った帰りのこと、秋葉原まで歩いた時に右のポスタ―を見た。「30日間飲み放題 ¥3000円」とある。1ヶ月間毎日飲むことが出来て3000円。何かの間違いではないかと思った。もしそうであるにしてもきっと裏や落とし穴があると考えた。
 数日後にそのお店の前を通るとはポスターは以前のまま。思い切って「富士鷹」に電話して、「料理などは何も注文しないで、例えば毎日生ビール数杯飲んでも3000円ポッキリですか」と聞くと「そういうお客様もいらっしゃいます」とのこと。要するに、私が尋ねたことはOKということだった。少しその気になって、ランチ方々実踏・偵察に行った。美味しい定食で、接客態度もしっかりしていたので、再度内容を確かめて3000円のパスポートを6月28日に購入した。
 帯広から帰京し数日後にチャンコ鍋店「富士鷹」に行った。この間に、九重部屋の料理長を務めた元力士が味の監修・指導をしていることをネットで知った。
 17時丁度の入店で、何も注文しないでも良いのだが、気が咎め、ツマミ3点セット900円を注文し、プレミアムモルツ2杯、吟醸生1合を飲んだ。その日はそれだけで帰って来たが、900円を支払い、2600円ほどの飲食。怖いお兄さんなどには出会わず、優し気の若いお兄さんと親しく口をきいたりした。飲み放題の内容が「角ハイボール」など豊富であることも分かった。(写真:普段、飲み放題はこの場所で)
 数日後の2度目も同じツマミで生ビール2杯に加え、吟醸酒2合は増えていた。完全に安心できるお店なので、友人知人にこのお店の事を話し始めた。
 7月21日(土)の昨日は第40回荒川の花火。山仲間の菅原さんと熊倉さんを誘い、花火の前に「富士鷹」に寄ることにした。会員でない客は1人1000円で飲み放題。二人ともこのシステムに興味を抱いていた。この日は土曜日だったので、1階席に案内された。矢張りツマミ2セットに生ビール3~4杯。日本酒党の私は生ビール+吟醸酒2合。ツマミの味も良かった。ただ席料500円が私には不満だったが、3人ともほろ酔い気分で足立の花火へ。その話は次回に回して。(写真:昨夜は1階の個室席で)

 実はこの様な商法が流行り出しているらしい。「サブスクリプション」と呼ばれるモデルだ。7月11日の朝日新聞には「おいしい定額制飲食店続々」と題する記事が載った。コーヒーは月3000円で飲み放題、ステーキが月7万円で食べ放題。東京秋葉原の個室居酒屋「柚柚」(ゆゆ)を訪れた会社員は「30日間飲み放題」と書かれたカードを示したとか。私が持っているカード(右の写真)と同じ文章だ。
 このような商法で店はやっていけるかと心配になるが、店側の狙いは顧客囲い込みにあるようだ。お得感を感じる客はその店に何度も足を運び、飲み物にかける費用を食べ物に回す様になるという。
 3回ほどの来店で親しくなった、若いお兄さんは「チャンコ1800円のところ900円の半値で提供させて頂きます」と語り、私達3人は30日にチャンコを食しに行くことを決めた。安さに釣られ囲い込まれつつあるのは私かも知れない。

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