マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

ルービックキューブ、再び(その2)

2022年08月26日 | 闘い

 ルービックリベンジは1982年に、プロフェッサーキューブは1991年に発売された。私はどちらのキューブも発売されると直ぐに購入し、6面完成を目指して操作を始めた。ルービックリベンジと呼ばれたキューブは、多くの人にルービックキューブが完成されてしまったことへのルービック氏の“復讐”の思いを込めて名付けられたとか。理論上はルービックキューブより1,000,000倍以上の難易度のあるキューブとの触れ込みであったと記憶している。(写真はプロフェッサーキューブ)



 プロフェッサーキューブの場合、中央の9個からなる正方形を、6面全て完成してしまえば、あとはルービックキューブの解法と同じように進めれば良いのではとの推測した。(写真:中央正方形部分に注目)







 操作を繰り返し、何度も失敗を重ねたが遂に六面の色合わせが完成したのだ。やった!と大喜びした。
しかし、それは糠喜びだった。何度も繰り返すと上手く完成する場合と、あと一歩の手前で挫折という場合が半々の割合で現れるのだ、挫折の場合はあと1個1個の交換が出来ればいいのだが、それが出来なかった。(写真:完成一歩手前。当時はここから先に進めなかっいた)





 本棚の片隅に置いておいた、当時操作したキューブを見てみた。30数年前の有様がそのまま残っていた。右図はプロフェッサーキューブ完成一歩前で終わっている。この解決のため長時間を費やしたがあと一歩届かなかった。あと2個のキューブの交換が出来れば完成だが、それが出来なかった。全く忘れていたが、その無念さの思いが保存され、残されていた。(写真:当時のままのプロフェッサーキューブ)




 今回はズルをしてネット上で攻略法を学び、プロフェッサーキューブ完成させた。(当時、これ以上進まなかった状況図。現在は解決方法を学び、完成に至っている)
 
 当面の間、ブログ更新を休みます。



 

 

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ルービックキューブ、再び(その1)

2022年08月19日 | パズルの世界へ

 「ルービックキューブ」と名付けられた立体パズルが日本中で大ブームとなったのは1980年頃だったろうか。電車の中でも、教室でも、公園でも、このパズルを操作している多数の人を見受けた。当時私が勤務していた向丘高校の職員室も然り。私も夢中になって六面完成を目指した一人だった。 





 パズルの考案者はハンガリー人のエルノー・ルービック氏。その彼が今年『四角六面 キューブとわたし』を著した。文京区の図書館に予約しておいた本を7月から読み始めた。彼は書くことが苦手なので、生涯で初めての著作とか。数学者だと思い込んでいたが建築家で、ルービックキューブ発明までの経緯が書かれていた。ただ、本を読み進めるよりも、キューブそのものを手に取りたくて、読み終えるのを待たずにネット購入した。







 実はキューブにはルービックキューブ以外に3種類が発売されている。2×2×2型キューブ、ルービックリベンジ(4×4×4型)、プロフェッサーキューブ(5×5×5型)。その4種類セットは予約後の翌日には届き、早速ルービックキューブを手にした。
 40年前のあの頃、時間は掛ってしまったが何とか六面の色合わせを完成させたのだが、80歳の現在どうも上手くいかない。そこで、ガイドブックとネット上の攻略法を参考にしながら完成を目指した。(写真は2×2×2型キューブ)


 ガイドを読み進んで行くうちに、40年前とは大きく変化した2つの事を知った。一つは面の色の配置が違っていた。世界標準が定められていて白面の反対側面が黄色(当時の日本は水色)になっていた。(写真は世界標準のキューブ。白面の反対側すなわち底面は黄色)
 更には最速で完成させられるLBL法と呼ばれる方法が多くの人々に採用されていることを知った。この方法はアメリカの17歳の少女ジェシー・フリドリッチによって開発された。彼女は6面完成まで17秒という最速タイムを叩き出し、スピードキューブストの世界チャンピオンに輝いたこともあるそうな。


 LBL法では面の完成順が底面→中段面→上段面となる(かつては底面→上段面→中段面という順だった)。基本的にキューブの各層を下から順に揃えていく方法である。解いている過程が分かりやすく、私もこの方法で理解し、その手順を全部覚え、ガイドに頼らずに完成させることが出来るまでになった。その手順を忘れないように毎日何度か完成させている。猛暑の日々にこれも楽しみの一つ。完成後の達成感が快感になっている。(写真は底面から中段面までが完成したもの。次は上段面の完成に向かう)


 現在は、ルービックリベンジも成功し、プロフェッサーキューブに挑戦中。(写真はルービックリベンジ)

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猛暑の日々に

2022年08月12日 | 身辺雑記

 妻の体調は未だ回復せず、洗濯や炊事・買い物など、家事の多くが私に回ってきておたおたする今日この頃。時に通院時の付き添いもあり、多分、今夏は東京から脱出することなく終わるだろう。止む無く、猛暑の日々に、ご近所に出没している。

 富士神社の納涼盆踊り大会が3年振りに復活し、8月4日こそ雨で中止されたが、5日(金)~6日(土)と開催され、私も踊りの輪に加わった。何回か盆踊りに参加しているが今までに経験したことの無いような凄い人出だった。



 人と人の間の距離は超稠密で、かつて言われたソーシャルディスタンス2mなどどこ吹く風。老若男女みなこの日の来るのを期待し、待ち望んでいたのだろう。中央に建てられた櫓の舞台では浴衣姿の多くの少女達が元気よく楽し気に踊っていた。




 この盆踊り大会の主催は10ほどの町会で形成された駒込地区町会連合会で、大会の実行担当町会は回り持ちになっている。数年前、我が富士前町会が担当のときは、私も駆り出されマイクを握ったこともあった。



 5日は開会式的なものがあると聞いていたので7時前には神社に行った。区長の挨拶や来賓紹介に続いて直ぐ踊りが始まった。私はこの日は主として写真撮影に専念し、6日に少し踊った。と言っても踊れるのは“炭坑節”くらい。富士前町会の女性3人の後で見よう見真似でもう一曲踊った。来年は練習会に参加しようかな。

 6日は朝5時前に自宅から不忍池までサイクリング。久し振りに、折り畳みのサイクリング車に乗った。交通量の少ない時間帯を狙ってのサイクリング。池まで15分ほどで着いてしまった。盛りを過ぎかに見える蓮が鮮やかに咲いていた。自転車を止めて観賞用コースを歩いた。




 

 一番熱心にやっているのがラジオ体操。
 富士神社のラジオ体操への参加者は多いときには50名を超えている。小林さんと二人で参加者の立ち位置に名前を記入した一覧表を作成している。最近号には54名の方の名前が。
 盆踊り用に
櫓が組まれた境内で4日のラジオ体操は普段通りに行われた。(右写真)



  9日、今年初めてラジオ体操の“はしご”をやった。
 富士神社のラジオ体操終了後、東京ドームシティーに向かった。ラクアガーデンでの夏休みラジオ体操が3年振りに開催されたのだ。第12回を数えるこのイベントに参加したことはなかったがいずれは様子を見に行こうと思っていた。開催時間が7:25なので、富士神社の体操終了後でも間に合うと知っての参加。舞台には体操連盟1級の指導員が2名。参加者は子供たちが多く、200名ほどがリズミカルに体操を楽しんでいた。
 
 

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江戸城外堀跡を歩く(その5)

2022年08月05日 | 東京散歩

 四谷駅手前にある外濠公園から上智大学真田濠グランドにかけての一帯は高台となっていため、真田濠は最大13mも地面を掘り下げて建造された。そして、掘り出された大量の土地は、周囲の谷に運ばれ、武家地や町地の造成に利用された。この工事は全て人力で行われたというから、真田濠は壮大な土木工事によって建造された。実際工事を担当した仙台藩伊達家には、5,700人の人足を動員したとの記録が残されているそうだ。(四谷門から喰違木戸までは土塁が続く)





 四谷駅から眼下に真田濠跡を眺めながら土塁上を南下すると程なく喰違木戸に至った。この木戸は外堀が造られる24年前に旧武田家家臣小幡景憲(おばたかげのり)によって縄張りされたと伝えられている。通常、江戸城の城門は、枡形門と呼ばれる石垣を巡らした形だが、ここは非常に珍しく土塁を前後に延ばした構造で、門ではなくて木戸が設けられていた。この地は外堀中高度最高地点で、二つの谷に囲まれた高台に、江戸城西側の防御の要とし構築された。(写真は『絵本江戸土産』より)

 現在は、一部土塁が削り取られているものの、その形状が保存され、往時の様子が留められている。(道路は土塁を切り抜いて造られた)







 さてここからは一気の下りとなる。ホテルニューオオタニを左手に、弁慶濠を右手眼下に眺めながらの下り。この辺一帯は「紀尾井町」と呼ばれ、かつて州徳川家中屋敷、張徳川家中屋敷、彦根伊家中屋敷などが並んでいた武家町。各家から1文字づつとって町名とした。(一番下の地図参照)









 ここを下る時に私は迷子なってしまい、大きな建物に潜り込んでしまった。そこはホテルニューオオタニの一角
だった。(写真:右はガーデンコート。下は高低差のある庭園)



 

 慌てて外に出ると弁慶濠が目の前にあった。一方の端に赤坂門が眺められ、高さにして10mはあろうかという立派な石垣だ。(写真:弁慶濠の端突き当りが赤坂御門跡。下は弁慶濠)




 見付けとも呼ばれる赤坂御門は筑前福岡藩々主黒田忠之によって築造された桝形石垣だった
。門の名前は、外側の赤坂を監視することから名付けられ、更にこの門は脇往還の一つ大山街道の出発点で、大山阿夫利神社などに参詣する人々で賑わったそうな。明治時代以降、門や石垣は撤廃されたが、地下鉄南北線建築工事に伴う発掘調査によって地中の石垣が発見された。(右写真はその石垣)


 牛込橋から赤坂見附までは、1956(昭和31)年に江戸城外堀跡として国指定史跡に、文化財指定されていた。この日はその史跡全部を歩いて来たことになる。

 
 
 

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江戸城外堀跡を歩く(その4)

2022年07月29日 | 東京散歩

 7月21日(木)、江戸城外堀跡を牛込御門から虎ノ門まで歩いてきた。前回までは高石垣で守られた堀跡を雉子橋から虎ノ門まで“時計回り”に歩いてきたが、今回は谷を利用した土手による深くて広い堀を見ながら“反時計回り”に散策してきた。
 牛込濠から新見附濠、市ヶ谷濠へと続く濠は緑色した水面が美しい。更に真田濠へと進むにつれて標高は上がっていくが真田濠は完全に埋められていた。喰違土手からは下りとなり、弁慶濠を経て赤坂門へ。溜池だった赤坂門から虎ノ門までには濠の面影は見いだせなかった。(写真下はガイドブックより)

 

 21日は大江戸線を飯田橋駅で下車し、地下道を10分ほど歩いてB3出口から地上に出るとそこは神楽坂下だった。現在は早稲田通りだがかつての上州道。そのまま真っすぐ江戸城に向かって進めば内堀に面した田安門。左手にJR飯田橋駅を、右手に牛込濠を見ながら牛込橋を渡ると牛込見付けで、道の両側に石垣が見られる。




 寛永13年(1636)に徳島藩主蜂須賀忠英により桝形石垣が造られ、明治35年(1902)に門の一部が撤去されたが、外堀のなかでは良く石垣が残されている箇所だ。石垣の脇には蜂須賀家を示す「🔲阿波守内」と記された石垣石も残されている。(写真右は阿波守内と書かれた石垣石。下はかつての牛込見附門)



 ここから土塁に上がると、牛込濠が良く見える。何度も歩いたコースで見晴しの良い散歩道。土塁の下には中央線や総武線が往来している。千代田区側の土塁から対岸の牛込台を望むと、広い谷地形が形成されていることが実に良く分かる。堀は神田川の支流たる紅葉谷を利用して築かれたそうだ。(写真下は牛込濠脇を走る総武線)




 

 牛込門と市ヶ谷門の間に1929年建造された新見附橋がある、ここから市ヶ谷までの堀は新見附堀と呼ばれていて、両濠に水面差はない。(新見附橋下を走る総武線。下は新見附濠)








 

 市ヶ谷門は津山藩森長継により桝形石垣が造られたが、門は明治5年に撤廃され、大正2年に石垣は全て撤去されたが、橋台石垣(写真右)は良好に残されていた。






 市ヶ谷門から四谷門へは外堀通り側に降りて、外堀の外周を歩いた。この間はかなりの急な上りである。かつての東京女子マラソンのなどをテレビ観戦していると、「ここは急こう配でランナーを苦しめています」と語られていたあの箇所である。こちらから見ると市ヶ谷堀はすぐ目の前に見える。土手側との高低差は10mはあるだろうか。(写真右は市ヶ谷濠。下は『江戸見附写真帖』による明治初年の市ヶ谷門)

 

 四谷門は萩藩々主毛利秀就により桝形石垣が造られたが、明治5年に撤廃されてしまった。四谷門から喰違土手の間を初めて歩いた。
 高く盛られた土手からは遥か眼下に真田濠跡が眺められた。多くの労力を要しただろうことが容易に想像出来た。猛暑の日ではあったが、森林浴に楽しみながらの散策は気分爽快だった。(以下次回へ) 
 
  
 
 
 

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「足し算プログラム」完成

2022年07月22日 | 数学

 来年小学校に入学する孫の為の算数(足し算)プログラムが完成し、ママのやよいちゃんにファイルを送信した。
 どんなプログラムかを語るには「公文式算数」を引き合いにするのが好都合だ。もし「公文式」をご存じでない方は以下の文で想像してほしい。(私は公文式教室で教えたことはないが、中学時代の同級生が教室を開催していたことがあり、時折数学に関して相談を受け、教室での様子を聞くことも何度かあった)
 ①公文式教室の教室生は席に着くと、先生から前回の学習の次の段階のプリントを渡される。
 ②教室生は渡されたプリントの問題を解いて、正解か否か先生に見てもらう。
 ③先生は渡されたプリントの解答が正解ならば赤丸を付け、不正解ならば何も付けない。
 ④答案を返された教室生は〇が付いていない問題を再考し、再度先生に渡す。全問が正解になるまで繰り返す。
 ⑤全問が正解になると、新しいプリントが教室生に渡される。
 ⑥一斉の授業は行われず、①~⑤が繰り返される。

 私はエクセルを用いて足し算プログラムを作成した。右図がパソコン上の最初の画面で、公文式①に相当する。





 孫(に限らずこのプログラムで学習する生徒・児童)は青い空欄に解答を入力し、右図のように正解だと『正しい〇』が、不正解だと『もういちど』はそのままで変化しない。ここは公文式の②と③に相当する。多分ママは『もういちど』の問題を再考するように孫に話してあるので、孫はもう一度問題を考えることになる。(公文式では④に相当)


 さてここからがこの足し算プログラムの“みそ”だが、このプログラムにはマクロが組まれており、一定のキー操作をすることによって一瞬(1秒くらい)に、今までの画面は一新され、孫の前には新たな問題が現れる(右図 公文式では⑤と⑥に相当)。


 プログラムにはより程度の高い問題も組み込まれていて、孫がその希望をママに伝えれば、更に高いレベルに移行できるようになっている。先生の役割をパソコンが代わりにやってくれるのだ。


 さて孫の反応はどうだか?やよいちゃんからのメールによると実際にこのプログラムをやってみた孫の反応は「イマイチでした」とあった。要するに興味を示さなかったのだ。親などから出題されて、全問正解ならば「良く出来ましたね」と声をかけて貰うほうが楽しいらしい。人と会話を交わしながらの学習の方が面白いらしい。私のプログラムは小学校入学前の子どもには適さなかった様だ。
 このプログラムは足し算プログラムだが、引き算・九九・掛け算などにも変更可能なので、孫が小学校低学年になった暁に改めて試してもらおうと思っているのだが・・・。 

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共通入浴券を購入してしまった

2022年07月15日 | 銭湯

 6月2日に有効期限が令和5年6月30日までの「共通入浴券」(右写真)を購入した。これにはちょっとした理由(わけ)があった。

 5月も末のある朝、ラジオ体操終了後に“ひげじい”こと米山さんから「この入浴券、期限までに使いきれないから、代わりに使って」と共通入浴券1枚を有難く頂戴した。この券は都内のほぼ全ての銭湯で利用できる入浴券だった。早速ご近所の銭湯へ行こうとして、ちょっと待てよと思った。文京区の銭湯へなら「シニア入浴カード」を持っているので100円で入浴できる。文京区以外の銭湯を利用するならば現在は480円が必要なはず。それならば他区の銭湯でこの入浴券を使用したほうがより有効な利用になるはずだと思った。ならば荒川区小台手前にある「梅の湯」へ行こうと、5月28日の午後「梅の湯」に出掛けていった。






 荒川土手サイクリングに出掛ける度に、「旧小台通り」を通る。その通り沿いに小奇麗な銭湯を見かけた。梅の湯という名の風呂屋さんで、ネットで高評価の銭湯。密かに何時かは行こうと思っていたが、コロナ禍の下なかなかチャンスが巡ってこなかった。しかし、今年の5月、頃は良しと見て“ひげじい”から頂いた入浴券を持って出掛けたのだ。その居心地の良さに惚れた。これは週に1回は通おうと思い、それならばと「共通入浴券」を購入するに至ったのだ。
 昨年までは10枚綴りの入浴券は4,400円で購入出来たが、今年から4,500円に値上げされた。現在480円の入浴料金を450円で入浴できるのだからそれでもお得だ。(都内の銭湯料金は500円に値上げされるらしい)
 初めての入浴時には往きは自宅から45分ほど歩いて行った。
 2階が銭湯になっていて、風呂は、写真の奥からサウナ・水風呂・高濃度水素風呂・普通湯・ジャグジー・薬湯と続く。屋外に出ると露天に寝湯、と多種類の入浴設備が用意されている。サウナは1度に3名までだが無料。壁絵などはないが清潔感溢れる銭湯が気にいった。
 創業は昭和26年という老舗だが、2016年9月にリニューアルし、建物は綺麗で新しい施設。目玉は「高濃度水素風呂」お湯に高濃度の水素が溶け込ませてあり、アンチエイジングや血糖値抑制など、美容と健康に良いとのこと。温度設定が40°なのでついつい長湯してしまう。ネットには1ヶ月間の薬湯の様子が書き籠れていることも嬉しい。
 帰りは都バス利用で駒込病院まで戻ってきた。用事がなければ毎週水曜日に出掛け、往きか帰りのどちらか片道はバスを利用している。ここは朝湯もやっていることを知って今度は朝湯へと思っていたら・・・。
 実は北区の「殿上湯」も朝湯(8時~12時)を再開したことを知り、共通入浴券を利用してこちらへも行ってみた。この銭湯の特徴は地下135mから汲み上げる井戸水と備長炭が使用されているので体が芯から温まる感じがする。
6月10日(日)は“どくだみ湯”と知り、10日朝出掛けた。寝湯に浸かり長時間過ごした。多分10年振りの入浴だったと思う。

   

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駒込富士神社例大祭(富士山山開き)が開催された!

2022年07月08日 | 身辺雑記

 新型コロナ第6波の感染が下火になって来たとの判断からだろうか、ご近所の寺社では色々な行事が復活している。(しかし、現時点ではコロナ感染者数はまたまた増加に転じているが・・・)
 6月26日(日)天祖神社では午後4時から「夏越の祓」が開催された。私はうっかり忘れてしまい参加できなかったが、茅の輪作りに参加した、ラジオ体操仲間の市村さんからお聞きすると多くの参拝者の参加を得て盛大に行われたとのこと。私は1週間遅れて輪を潜った。(写真下左は市村さん撮影のもの)








    


 6月30日(木)~7月2日(土)は、“お富士さん”の山開きが3年振りに行われた。30日が万灯廻りで、30日~7月2日の3日間の縁日は満員盛況の賑わいだった。老いも若きも皆この日の来るのを待ち望んでいたのだ。コロナ禍は去ったかの様な賑わい。これまで何度も山開きを見て来たがこんな人出は初めての経験だった。若い女性の浴衣姿も多く、神社の周りには多くの自転車が駐輪されていた。






 

 

 1日は朝5時、境内を覗きに行った。前夜の賑わいが嘘の様に誰もいない。そこで屋台の数を数えた。通り沿いに25軒、階段上に2軒、境内に64軒の合計91軒の出店。12年前にも調べたことがあった。見落としがあったかも知れないがこの時は85軒だったから平年並みの出店だったのだろう。広いとは言いかねる敷地内に64軒もの屋台。よくぞ並べたものと思う。



 縁日には30日の夕方と2日の夜9時前に行った。30日はお好み焼きと生ビールを買って来て家での晩酌。2日は縁日の最後の時を見に行った。驚いたことにこの時間にもまだ電灯が点き、営業しているお店が数軒。神社前の通りにも人・人・人で興奮状況。道端に座り込んでお喋りを楽しんでいるグループが多数。昼間は猛暑だったがこの時間では幾分涼しくなっていたし、まして土曜日の夜。私は9時前に帰宅したが、若者達は何時まで縁日を楽しんだことだろう。翌朝神社に行くと、屋台は全て消えていた。(写真:今年使われた万灯)





 ラジオはこの間いつもの通り行われた。屋台の置かれていない場所でのラジオ体操。前立さんの見えない場所で体操の人もいたことだろうが、ラジオ体操は放送さえ聞こえてくれば一人でも出来る。こんな環境での体操は年に2回ほど。皆それぞれ気持ちよく体操をして三々五々散会。(写真は私のいつもの位置から屋台の隙間を通して前立さんたちを撮影)




 7月4日(日)は宮下公園でのラジオ体操後「とげぬき地蔵」での朝顔市へ。ここの市も3年ぶりに復活しての第13回目の朝顔市。朝6時半から開かれるので体操終了後行くのに丁度良い。「団十郎茶」を2500円で購入して来た。5日の朝、見事に大輪の輪をつけた。

  

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江戸城外堀跡を歩く(その3)

2022年07月01日 | 闘い

 6月1日(水)午前中に「江戸城外堀跡 地下展示室」を訪れた。ネットで東京メトロ虎ノ門駅11番出口を出た処に石垣跡が、そこの地下に江戸城外堀跡の展示室があることを知り、勇んで出かけて行った。

 江戸城の低地側の外堀は石垣で囲われていた。それらの遺跡は殆ど残されていない。外堀完成から200年ほど経過した安政時代の地図上に、石垣らしき印を眺めるのは楽しい。地図に描かれた石垣による外堀は右図で赤マーク“→”で印を付けた部分である。
 現在の日本橋川に相当する部分では雉子橋から竜閑橋までは堀の両側に石垣が施されている。しかしそこから先の東京駅から新橋駅に至る外堀通りに相当する部分では江戸城の内側にのみ石垣が見られる。兎も角、安政時代の地図をみて、実に長い長い石垣堀が造られていたことに驚くのだ。


 地下鉄三田線を内幸町で下車し、外堀通りを西に向かい、桜田通り(国道1号線)と交わる辺りで地下鉄虎ノ門駅の地下に潜る。目的の場所は11番出口にあるのだ。この日はうっかり11番出口の外に出てしまうと、目の前に立派な石垣が見えた。それは有難かったが、まずは地下展示室でこの石垣の概要を知ろうと思いエレベーターで展示室へ。(写真は虎ノ門駅11番出口そばの石垣)






 地下室の出窓からも先ほど見た石垣が見られるように出来ている。説明版によると、石垣は寛永13年に築かれたものだが、部分的に不揃いな積み方があることから、幾度も改修されたと考えられるそうな。(写真:地下展示室から見える石垣跡)


 もともとこの堀は、石垣として高さ9m(実に高い石垣だ!)ほどの石垣が続いていたが、ここでは長さ20m、高さは7.4mの石垣をすべて保存したうえで一部を埋め戻し、変形をきたした石垣を伝統技法によって旧態に戻す解体修理を実施したとか。又石垣正面には石を削った矢穴や構築大名を示す刻印も見られる(右図)。詰め替えられた石は丸の内一丁目遺跡のものも使われていた、との記述もある。







 最近読み始めた『江戸城外堀物語』(著:北原糸子)によれば「・・・江戸城の石材はそのほとんどが真鶴も含め、伊豆半島に求められた。・・・」とあるように、江戸時代に伊豆半島は江戸城専用の石山とされてきた。現在の西海岸と呼ばれる地域にも東海岸と呼ばれる地域にも、石を切り出す生産現場“石丁場”があった。切り出された石は波打ち際に停泊している筏に積み、沖に固定されている石船まで運んだと記され、その絵も展示されていた。
 

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霧多布湿原へ

2022年06月24日 | 

 道東を旅したことは何度かあった。岳友と行った雌阿寒岳や斜里岳。運転免許を取得して直ぐ母と訪れた摩周湖等など。いずれも車での旅で、鉄道を利用して釧路以東に足を入れたことは一度もなかった。妻から「それなりにお疲れさん。1泊なら宿泊OKよ」と言われ、息子一家からの帰り、釧路に1泊し、翌日に「花咲線」を利用して茶内に至り、道東の一角霧多布湿原を散策しようと決めた。(写真:花咲線は1両編成)



 まずは山中町に湿原の資料の送付をお願いすると、詳しい資料が郵送されて来た。道東に関しては非常に詳しい指圧屋・水野さんに見どころを相談すると、ベストと思えるコースを作成してくれた。山中町からの資料を基に私なりに思案すると水野案が優れていることが理解できて、その案通りのコース計画を設定をした。(写真:花咲線は単線)
 四日目 6月13日(月)
 釧路→(花咲線)→茶内→(バス①)→仲の浜入口→(バス②)→琵琶瀬展望台→(バス③)→ゆうゆ温泉→(バス④)→茶内→(花咲線)→釧路
 霧多布湿原への入口はJR茶内駅だった。9時35分到着の列車を茶内駅で下車したのは私一人。バスに乗車する者は2名。漸く夜来の雨は上がっていたが、どんよりとし天候のもと、心もとない思いを抱きながら霧多布湿原への旅はスタートした。

 霧多布湿原は、2021年に「厚岸霧多布昆布森国定公園」として国定された公園内にある。総面積約41,000haとのことで、尾瀬の特別保護地域の面積8690haの約4.7倍で、その広大さは知れようというもの。海岸線の後退と、砂丘の堆積により形成されたのが霧多布湿原で、春から秋まで色とりどりの花々が咲き「花の湿原」とも呼ばれている。(写真:湿原を行く花咲線が登場している)












 仲の浜でバスを乗り換え琵琶瀬展望台へ。水野さん一押しの場所だ。小高い展望台に立って湿原を見渡した。広大に拡がる湿原のなかをゆったりと琵琶瀬川が流れている。この茫洋たる風景は日本有数の景色ではないか。大雪山系・白雲岳からの風景に遜色ない。水野さんから非常に良い場所を教えられたと感謝!感謝!(写真:琵琶瀬川と霧多布湿原。下右の写真は琵琶瀬展望台小屋内に展示されていたもの)



 

 ここからバス③で「ゆうゆ温泉」に直行してしまったのだが、実は水野案は途中下車し林道を歩く、とあった。しかしこの日の天候は風強く、気温は極端に低し。それに適する服装を用意していないこともあり、林道歩きは断念し「ゆうゆ温泉」へ一目散。(写真でEは琵琶瀬展望台でCはゆうゆ温泉)






 「霧多布温泉ゆうゆ」は源泉100%の、かけ流し温泉で、温泉内からは浜中湾が一望の下でこれ又絶好の展望台。ここで昼食をとり、生ビールに旅の疲れを癒し、茶内へと引き返したのだった。
 短い時間内の旅であり、まして林道を歩かなかったので、湿原の素晴らしさを殆ど味わえず、花々にもお目にかかれなかった。ただ、その広大な風景を眺められ満足感は高かった。



 追記1 高台にはゆうゆ温泉と浜中町役場の2つが建てられていた。津波を警戒し役場は昨年の1月に標高47mのこの地に移転してきたとのこと。無料で牛乳を飲ませてくれる町役場だった。『ルパン三世』の著者モンキー・パンチの故郷でもあった。





 

 追記2  厚岸霧多布昆布森国定公園には別寒辺牛湿原も含まれている。花咲線はその湿原内を走るのだ。しかも特別の列車は極端に速度を送らせて。ここでは掲載できないが何本かの動画を撮影した。(写真:花咲線車内からの撮影)



 追記3  JRは帯広→釧路→茶内(ここで引き返し)→釧路と乗車した。ジパング倶楽部の乗車券購入の方法に片道・往復以外に連続とうい方法があり、上の経路は“連続“で一本の経路と見なされ、ジパング倶楽部の3割引きの適用を受けた。

 

 

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