マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

蓮の花咲く不忍池

2013年07月29日 | 東京散歩

 7月30日(火)に、不忍池で蓮の花の見学会があるとの記事を何かで読んだ。その日は東京にはいないので見学会への参加が出来ないことを残念に思ったが、丁度今頃が蓮の花が咲くことを知らされて、それでは東京滞在中に観に行こうと、昨日の7月28日(日)、家人と不忍池に出掛けた。出来れば朝早い時間が良いのだろうが、前日の花火観賞会の疲れが残っていて、結局9時台の都バスに乗車。乗車時間20分弱で現地到達。
 かって向丘高校に勤務していた頃、放課後のランニングで、週に2回はやって来た場所だ。ボート浮かぶ池と反対側にある池に蓮は、咲いていた。薄いピンク色で大柄な花、周りの緑の葉の中で、ひときは映えて咲いていた。昨日は小型カメラで撮影。






 今日から31日(水)まで、蓼科に一泊して栂池自然園を目指す。昨年7月に尾瀬に出掛けた、尾瀬組と称するグループのメンバーで、ヒロさん・トモさん・家人と私の4人。有難い事にトモさんの車で、トモさんの運転。朝7時に車到着予定。
 最終日、私はメンバーと別れ、JR穂高駅で菅原さんと落ち合い、8月4日まで、北アルプス縦走。という訳でブログ更新は8月5日以降になります。


華の命は短くて・・・

2013年07月28日 | 身辺雑記

 我が管理組合主催の「隅田川花火観賞会」、10回目となる今年は,、迷いに迷っての開催。しかし花火が見え始めて20分で店仕舞となってしまった。ただ、こうなった場合はマンションエントランスでの”懇親会”に切り替えることを考えていたので、余り慌てることなく、多くの住民の方などの協力で、屋上から1階への移動はスムースに完了し、突然の宴会は大いに盛り上がり、住民相互の親睦は深まった。今日はその一部始終のレポート。(右写真は東京新聞による)

 天気予報によれば、午後6時以降は雨とのこと。しかし、12時の時点では空は快晴。焼そば担当の私は、花火大会開催を前提に野菜等の買い出しに出掛けた。日曜日は雨の心配は無いようで、土曜日が中止となっても、冷蔵庫で一晩寝かせればよいとの判断。唐揚げ担当の理事も、ピザ担当の理事長も同じような判断で、注文をしていた。
 14時の時点で墨田区役所に問い合わせると、「開催が決定されました」との事で一安心。
 15時には焼そば用の鉄板が屋上に運び込まれ、着火テスト終了。
 16時頃薄い黒雲が上空を覆い、一雨来たが、5分も経たないうちに止んで、青空も見え始め、これで雨は去ったと喜んだ。実は糠喜びであったが・・・。
 18時、住民が次々と屋上に現れ、準備開始。電球の取り付け・シート敷き・氷水へのビール移動・机配置・天体望遠鏡の設置等々。

 18時半、私は調理開始。鉄板上ではまずウインナーを炒め、次いで焼そばに取り掛かろうとすると、3人の女性が現れ「私達に任せなさい」との有難い言葉。去年までは全食私が調理していたが、今年はお役御免となった。総会で、今年から理事だけでなく、皆で協力しあって、会を盛り上げて行こうとの申し合わせが早速実現したわけである。
 18時40分には、自主的にビールを飲み始める人多数。
 19時、漸く浅草方面に花火が上がった。
 しかし、19時20分、真黒な雲が上空を覆い始め、今にも降り始めそうな空模様。全員で撤去開始。私は「エントランスで宴会を続けますからそちらへ移動して下さい」と叫ぶ。
 多分、19時40分には1階への移動が完了したと思う。あっと言う間の集中豪雨。暫し、激しい雨脚しを見つめた。

 今回は管理会社からのビール2ケースと、福寿会Kさんからのビール等の差し入れあり。部屋に戻ってワインを持ってくる方もいる。一方、焼きそばの材料で、まだ調理出来ていなかった分は、部屋で調理してきてくれる方もいて、懇親会でも飲食物が沢山用意出来た。それを肴に宴会は1時間以上も続いた。狭い所で”立食パーティー”は、狭い分だけ人間関係が近くに感じられる。昨日の会、少なくも30人の参加はあっただろう。
 
 今日の東京新聞によれば、隅田川の花火大会は、積乱雲発生による雷雨の為、30分で中止となったとのこと。五輪開催をイメージした花火の、華の命は短かくて、とある。


 


富士神社の今と昔

2013年07月26日 | 東京散歩

 毎年恒例の、”夏休みラジオ体操”が、7月22日(月)~27日(土)の6日間にわたり、富士神社で行われている。私は22日は蓼科にいて参加出来なかったが、23日から一緒に体操。例年よりも多い参加者で、特に小学生以下の参加者が多数見受けら、神社境内が狭く感じられる。








 6月30日~7月2日の”山びらき”の縁日にも、特に高校生や中学生の浴衣姿が多数見受け
られ、多くの方が、その現象に驚き、口に上らせていた。私も焼鳥と生ビールで、夏の風物詩を微かに味わった。

 しかし、この地に長らく住んでいる人の話によると、縁日はこんなものでは無かったらしい。テントが張られ”世にも珍しい蛇女”のショーが演じられ、球形の器の中をオートバイが疾走したこともあったとか。1983年(昭和58年)にこの地に引越して来た時でも、本郷通り沿いに、植木市が立ち、多数の植木商が店を並べていた。



 しかし更に時を遡った江戸時代、その賑わいは現代を遥に凌いでいたことが、書物などで窺える。
 『江戸名所図会』下巻(角川書店版 p138)の「富士浅間神社」の項には、次の様にある。
 『・・・当社昔は本郷加州候の後園にありしが、寛永年中今の地に遷さる。毎歳の六月朔日祭礼にて、前夜より詣人多く道路を充てり。この地の産物として麦藁細工の蛇、ならびに団扇、五色網などを鬻ぐ』と。
 寛永六年、現在は東大脇にその痕跡を残す「富士浅間神社」は、名を「富士神社」と改め、ここ駒込の地に遷された。それ以前からあった、高さ15メートルの小高い丘(古墳)の上に立つ、とも解説されている。私の実測の3倍もあったとある点が、腑に落ちないが・・・。

 

  又、江戸時代に盛んだった”富士講”。 
 『山信仰として、近世中期頃から江戸市民の間に、富士講が多く発生した。旧5月末になると富士講の人々は、6月朔日の富士登拝の祈祷をするために当番の家に集まり、祭を行った。そして、富士の山開きには、講の代参人を送り、他の人は江戸の富士に詣でた。富士講の流行と共に、江戸には模型の「お富士さん」が多数出来た』(ウイキペディア)とある。駒込富士神社の富士講はその魁をなすとも言い伝えられている。江戸川柳に「一富士 二鷹  三茄」と詠まれた”富士”は、江戸の、数多くあった富士神社のうち、ここ駒込の富士神社を指している所以である。

 富士神社のすぐ傍を通る本郷通りは、かって岩槻街道と呼ばれ、別名御成り街道。江戸から日光東照宮へ向かう将軍一行が通った道。祭礼に詣でる人だけでなく、多くの人の往来で賑わったことだろう。昔を今に為すよしもがな。
 


蓼科盛夏(ブルーベリー狩り)

2013年07月24日 | 信濃紀行

 八ヶ岳西麓の富士見町と原村や、南麓の北杜市小淵沢はブルーベリーの特産地である。7月21日(日)、その富士見町先達へブルーベリー狩りに出掛けた。二年振りの訪問であった。朝7時半出発の8時05分着。以前より相当早い到着で、原因は立沢に「立沢大橋」が完成したこと。大きな沢に完成した長い橋で、八ヶ岳の絶好の展望台だ。
 毎年の様にやって来る平出さん経営のここの農園。今年も彼女が笑顔で迎えてくれた。比較的取りやすいスポットを教えて頂く。今回の目標は私と家人の合計5キログラム。その目標目指して、早速狩り始めた。何回も経験を積んでくるコツが分かってくる。大粒で甘いブルーベリーの株に出くわしたら、その株のブルーベリーを取り尽くすことだ。枝を裏返ししたり、反対側に回ったり、しゃがんで下から見上げたりして。疲れると、採ったブルーベリーを食べたりしながら。甘く酸っぱい独特の味。勿論食べ放題である。


      (ブルーベリー園の一部)

 この日は日曜日とあって、ここを訪れる人が例年より多い。近くを走る中央線の通過音を聞きながら1時間半。かなり疲れてきたのでここで切り上げ、目方を量る。家人が1.5キロ、私が2キロ。目標には遠く及ばなかった。すると、平出さんが「これお土産に」と箱詰めを渡してくれた。「お二人は、ブルーベリー狩り第1号だからネ」と。思えばここが本格的に経営を始めた年に私達はここを訪れたのであった。家人との会話では「昨年来なかったのは、病が悪化したのか」と心配をしていたとの事。彼女の優しい人柄がうかがえる。後で頂いた箱の重さを量ると1.3キロ。全部合わせて、目標にほぼ近くなった。払ったお金は3.5キロ分の3500円。後日、ジャムと果実酒に化ける。(写真:小淵沢から茅野方面へと向かう列車が最初に潜るトンネル。その傍に農園はある)



 ここから自由農園に回った。7月20日・21日がここの収穫祭で、21日には“ふるまい蕎麦”が提供されるとのことで、11時前に到着して、一番乗りで、信州そばとところてんを振る舞ってもらう。この日の昼食は、レストラン販売のパンを購入して安価に終わらせた。
 夏休み到来。この時期、蓼科は一番賑やかなときを迎える。(写真:振る舞われた信州そばにところてんとポップコン)

 


蓼科盛夏(「物味湯産」手形)

2013年07月22日 | 信濃紀行

 7月19日(金)から22日(月)の今日までの4日間、蓼科の山小屋に出掛けて来た。7月下旬に客人をお迎えする予定で、清掃を行き届かせ、少しは見栄え良くしておこうという狙い。蓼科滞在中、連日の好天で、山並みがはっきりと見えて、嬉しかった。安定した天候の時期と蓼科滞在の期間がピツタリと重なるのは意外と少ない。(写真:八ヶ岳連峰)
 この間、内に籠もるだけではもったいないので、あちこち出掛けようと、その目的に相応しい「信州物味湯産」手形を購入した。この手形、購入価格は1260円で、有効期間は1年間だが、この1枚で信州の、指定温泉58箇所のうち12の温泉に入湯が可能という“優れもの”。例えば軽井沢星野温泉トンボの湯や上田柏屋別荘も含まれている。ただ2年前は、諏訪エリアに入湯可能な温泉が10と、我が家からの至近距離に温泉が集中していたのに対し、今年は、横谷温泉旅館と親湯の2箇所になってしまった点が惜しまれる。入湯名能な温泉が、北信濃エリアから木曽路エリアまで信州全体に拡散されてしまったのだ。車で意欲的に回らなければ12湯には入れない。ただ割引料金で入浴出来る旅館も多数登録されていたり、物産購入の割引もあり利用価値は大である。

 7月20日、伊那・駒ヶ根方面に出掛けて来た。伊那で「かんてんぱぱ」に寄り、そこから早太郎温泉「駒ヶ根ビューホテル四季」に回る予定を立てた。伊那食品「かんてんぱぱ」までは、中央道を利用し70分で到着した。思っていたより遙かに短時間での到着。まずは売店脇の試食品コーナーへ急いだ。前回来た時よりコーナーが拡張されている。貸し切りバスでの多数顧客対応か。今日の試食品の寒天ゼリーは、ぶどうとオレンジ。右写真がそれ。薄い甘味でさっぱりした食感。幾ら食べてもよく、又食べられそうだが、3つで食べ納めとした。




     (この中のゼリーは幾つでも試食可能)


       (寒天の原料が展示されている)

 昼食後早太郎温泉へ。この移動時間20分程度と近い。「四季」には失礼ながらそれほど期待していなかったが、良い湯だった。このホテル、建物は小振りだが、清潔感に溢れ、お風呂は別棟だった。露天は、男性風呂には木作りと石組みの2つ。女性風呂は3つだったそうだ。露天風呂からは清流が眺められ、まだ咲く紫陽花が風情を添えていた。(写真:ホテルの露天風呂1






       (ホテルの露天風呂2)


      (露天風呂の脇を流れる清流)


 帰宅後、東急リゾートタウン内の展望台へ。南アルプスは雲が掛かっていたが、八ヶ岳は西日を浴びてくっきりと、青空を背景に雲間に浮かんでいるかの様だった。(写真:左赤岳、右:阿弥陀岳)