マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

輪投げ大会、3連覇

2017年07月21日 | 町内会

 昨日、文京区高齢者連合会主催の、第30回輪投げ大会が行われ、私達富士前福寿会は優勝し、参加59クラブの頂点に立ち、3連覇を果たすことが出来た。この大会史上、2連覇を成し遂げたクラブはあったが、3連覇は初めてとのこと。自分で言うのも何だが、快挙である。
 前日に行われた予選会には私達のクラブから小林会長と冨田さんが役員として会の運営に参加していた。「おたくのクラブいよいよ3連覇ですね」と何人もの方から声を掛けられたそうだ。既に心理戦は始まっていた。当日、過去に2連覇したクラブから「3連覇は阻止しますョ」と宣戦布告されてもいた。口には出さないが猛練習したチームもあったことだろう。(早朝5時50分、ラジオ体操会場に右写真の張り紙を出した人がいた!)、



 そんな状態のなか、私達のチームの得点経過は 99  108  117  107  103  71 と来て合計の605点
 1回の得点が100点を越えれば上出来というゲームで毎回のように100点をクリヤ―。5投を終了した時点で2位との差は95点。逆転不可能な差。それに安心したわけではないが、最終回は71点に落ち込んだが総得点は605点。目標として来た600点を超えることが出来た。
 私達のクラブは定期的な練習をしてはいない。ただ大会2ヶ月前くらいから、大会に向けて地域活動センターで不定期練習を開始する。各自に目標点がある。大会と同じく6回投げての総得点が小林会長が160点で、その他の方は110点。そのメンバー5人が大会に出場すれば、160+110×4=600 という計算で、チーム目標点は600点。昨日その目標点を越えたわけだが、個人的にも4人が目標点越え。私の得点も110点で辛うじて役割を果たせた。5人全員で美酒に酔うはずだったが、私は諸般の理由からそこには参加出来ず、夕食時に一人で祝杯を挙げた。(写真:我がクラブのメンバー)

 この数年大会で上位に行くようになった原因・理由はなんだろう?平均年齢が74歳という”若さ”もあるだろうが、私的分析では小林会長の存在が大きい。毎回の大会や練習での高得点。練習を重ねれば私達にもその可能性があるはずとの、無意識下での思い。不定期にしろ、そんな練習が良い結果を生み出している。“先達はあらまほしきものなり”と私は一人杯を重ねながら思ったのでありました。


神幸祭終わる

2016年09月12日 | 町内会

 駒込総社「天祖神社」の例大祭が910日・11日の2日間行われ、11日(日)は4年に一度の神幸祭だった。普通の年の例大祭ならば各町会は御神輿を担いで天祖神社へのお参りをする(=神輿渡御)のみだが、神幸祭の年には天祖神社の御神輿を、各町会間をリレー式で担ぐこととなる。担ぐ神輿が神社の神輿と自分の町会のそれとの二段構えとなる。
 私は富士前町会の役員となっている関係で、例大祭での役割を担うこととなり、今年も半纏の貸し出し係。富士神社の境内に設えた御神酒所で、2日間この役割を担当してきた。そのことはさて置き、今回は神幸祭について記しておきたい。



   (JRなどに掲示されたポスター)
 
 
 神幸祭が創設されたのは2000年(復活されたのかも知れない)で、今年が5回目となる。推定1.5トンはあろうかと思われる天祖神社の御神輿は大きい。普段は神殿脇の建物に格納され、毎月1日と15日にその扉が開いて、ガラス戸越しに姿を現す。
 11日の神幸祭当日には、氏子や神社の青年部などが朝4時過ぎには御神輿を宝物殿から出して、神殿前に奉ったと思われる。そこまで準備が為された上で、630分から“発輿祭”が始まることと相なる。この日の朝6時には雨が降っていたが、私は610分には神殿付近に到着。そこには多くの顔見知りの人たちがいた。(写真:氏子13町会の提灯が神社入口に掲げられている)




 程なく発輿祭(はつよさい?)が開始された。宮司によるお祓いと祝詞があり、氏子総代と思しき方の奉納儀式もあった。その後、神社の先頭を形成する方々の氏名と、巡幸時に持つ神器が同時に呼び上げられて整列。中には、天狗の面を着けた猿田彦の一段と高い姿もあった。(神殿前に置かれた御神輿)


  (宮司のみならず天狗面の猿田彦の姿も)


 7時に境内宮出しが始まった。皆白い衣装を身にまとい、気合の入った掛け声で神輿を担ぎ境内を出ていった。町会毎に10名の担ぎ手を繰り出ているとか
。実に勇壮である。神社の氏子たる町会は13町会。各町会は神輿をリレーのバトンの様に次の町会に御渡しする。決められたルートを辿り、午前中は天祖神社から文京グリーンコートまで。ここでも儀式を執り行った後昼食休憩。(境内宮出し) (渡御之図は最下段に掲示)






 午後の出発点は豊島区の霜降橋付近の「駒二新和会」。グリーンコートから霜降橋まで長い距離がある。この間を誰がどの様に御神輿を移動させるのか?私はその実態を知らなかったので大変興味を持っていた。お神酒所での仕事が一段落したのでグリーンコートに駆けつけ、その様子を見た。正解は“台車”だった。神社発行のご案内には“道中にて霜降橋へ”と書かれていた。道中とは台車移動のことだった。町会の境の曖昧なところや、担ぎ手が少なくなって御神輿の移動が難しいところは台車が使われると聞いた。(グリーンコートでの町会長たち)



 
     (道中はこの台車で)                    (若い巫女さんも登場)

 午後1440分に我が富士前町会は上富士町会から神輿を受け継ぎ、本郷通りを巡行し無事吉片町会へバトンタッチ。アンカーは宮元氏子会で、1750分には境内宮入が始まり、最後が着輿祭で、
今年の神幸祭を終了。
 あとは16日に予定されている大祭式祭典を残すのみとなった。(写真はいずれも富士前町会の面々)






  


                  (神幸祭渡御之図)


「花の交流」つつじまつりラジオ体操

2015年05月04日 | 町内会

 4月29日(水)朝5時40分、私は、富士前福寿会々長小林さんのお宅前に立っていた。二人は徒歩で本郷通り沿いに根津神社を目指し、25分後に到着。この日、根津神社では「”花の交流”つつじまつりラジオ体操」と銘打って、何時もとは違ってイベント仕立てのラジオ体操を開催していた。祝日なので富士神社でのラジオ体操は無いのを勿怪の幸いと、やや遠出したのだ。

 根津神社では、4月11日~5月6日の長期間「つつじ祭」が開催されていた。本郷台地の崖縁斜面には、つつじが一面に咲き乱れる時期だ。その時期の一日を、花を愛でつつのラジオ体操。何時頃から、誰の発想でこうなったのかは知る由もないが、粋な企画と勇んで参加した。普段は入園料200円のところ、門は開放され受付は無人という、これまた粋な計らい(?)。体操前の10分間、そぞろ歩きした。







 主催は「根津神社ラジオ体操会」。司会は小池たつ子さん。みんなの体操が始まる前の準備体操の指導は、お立ち台上に、指導部長の田口キヨ子さん。みんなの体操・ラジオ体操第一・第二と続いた。見渡すと参加者は推定200人を超えていた。
 ラジオ体操終了後、台東区入谷・世田谷区羽根木公園・文京区の各ラジオ体操会長からの挨拶。今日の日の為に会場を貸してくれた根津神社への御礼のことばも語られた。その根津神社からは宮司の挨拶もあった。



  

 会終了後は、特別に仕立てられた「甘酒茶屋」内での懇親会。ここのラジオ体操会員ではない、私達二人は会場には入れないが、富士神社へ毎日顔を出す会員の方がここでの甘酒作りに参加していて、私達の為に甘酒二杯を用意していてくれた。区議会議員当選の渡辺さん経由で届いた甘酒は温かかった。中へ入らなかった者で、甘酒を頂いたのは私達二人のみ。早朝の、散歩+体操+甘酒は血液の循環を促進させ、気分も勝れてくる。今来た道を引き返し、帰宅は7時15分頃だった。






今日の一葉:5月2日、蓼科山聖光寺には満開の桜があった。


輪投げ大会で準優勝

2015年02月25日 | 町内会

 2月23日・24日に文高連第25回輪投げ大会が開催され、我が富士前福寿会チームは準優勝の栄冠を勝ち取った。遂にというべきか、漸くというべきか、兎も角、会長を中心にして、それなりの練習を積み重ねて来た成果が実り、皆で喜びを分ち合った。
 2月23日(月)は、参加48チームによる予選会。この中から上位18チームが決勝ラウンドに進出する。私たちのチームは前回の大会が5位通過であったためシードされ予選会には参加しなかった。
 24日(火)が決勝ラウンド。シード6チームに加え、予選通過18チームの合計24チームの間で熱戦が繰り広げられた。その24チームを、1コート4チームの6コートに分け、午前中に3投、午後に3投の計6回の投擲による得点合計で順位が争われた。

 我が富士前福寿会チームの参加者は、会長小林夫妻、堀越さん、熊坂さん、杉本さんと私の6名。私は午後から用事があり、午前中のみの3投。午後からは熊坂さんが出場。

 第1投終了時点で、我がチームは107点をあげ、暫定1位。暫定であろうが何であろうが、先頭に立つなどということは、全くなかったので皆興奮気味。
 私たちのチームは各人に目標点が課されている。1投で9個の輪を投げての得点目標が、会長の24点以下、20点、16点が獲得目標点。1投毎のチーム目標点は92点。第1投は目標点を大きく超えたのだ。

 2投こそ63点に沈んだが、第3投は97点と目標点を超え、3位で午前中を終えた。
 私はここまでで、リタイヤー。3回投げての合計点が63点だったから、目標点48点(16×3=48)をオーバーし、一応の責任は果たせていた。
 このゲーム、練習をしたからといって良い点が得られるとは限らない。しかし練習をしなければ高得点は望めない。練習+運が必要である。練習6割・運4割(練習4割・運6割とも言われている)の、奥の深いゲームでもあるのだ。


 午後にセットされた、とある機関誌の編集会議を終えて、会長からのメールを待っていると、14時44分に“2位になりました!!。これからグラッチェ・ガーデンに向かいます!”との、意外な、しかし嬉しい第一報。私も勇んで“祝賀会会場”に向かった。
 
 会場には6人全員が集った。成績表を見ると、我がチームの合計点は535点。目標点の552点(92×6=552)には及ばなかったが、首位の播磨坂クラブ(A)とは18点の差で、惜しくも優勝を逃していた。6名中4名が目標点を超えていた。賞状の他に頂いた賞金はここで消えていったが、皆美酒に酔った。3位までは東京大会の出場権を得たことになり、私たちは、9月開催と噂のある東京大会に出場する。秋の初体験が待ち遠しい。


文高連新春交歓会の出席

2015年01月22日 | 町内会

 一昨日の1月20日(火)、文京区民センターで高齢者クラブ連合会の「新春交歓会」が開かれ、富士前福寿会々長小林さんとともに出席してきた。
 文京区に高齢者クラブは、かつては100近くあったそうだが、年々減少し、現在は64(会員数4010。2014年現在)しかないとの事。しかし、全てのクラブが出席したのだろう、今回の参加者220名。3階のホールに、4列に机を並べ、地区毎に着席。
 この4地区とは、大塚・駒込・本富士・富坂。狭い文京区に4つもの警察があるとは驚きだが、地区が、その警察署に対応するように分割されているのは更なる驚きだ。(写真:目白台クラブ舞踊「四季の歌」)





 全員椅子席に着席して、12時丁度開会された。会長挨拶・来賓祝辞・来賓紹介と型通りに会は進行し、乾杯の後が懇談と余興。ここからが面白い。
 懇談では、豪華な幕の内弁当を肴にビール・日本酒を嗜みながら、向う三軒両隣+αの方々と歓談。年齢をお聞きすると驚く。左側のSさんはシベリヤ帰りの91歳。斜向かいの I さんは89歳にして、忘れ得ぬ地は知覧で、特攻隊の生き残り。ご婦人たちも皆80歳前後で、ご酒など召しあがりながら快活なお喋り。福寿会々長の77歳は“若い若い”と見なされる。73歳の私などはヒヨコである。高齢の、元気な方とお会いすると、一時的にせよ、自分もそこまで元気でいられるかも知れないと思い込み、その思い込み効果で、こちらが元気を貰えるのだ。

 余興は目白台クラブの舞踊「四季の歌」、神明西寿会のフラダンス「プアカーネション」、扇和会の舞踊「花笠道中」、西原寿クラブの大正琴演奏(雪椿・高校三年生・風雪流れ旅)。”高校三年生”の演奏時には、期せずして会場全体の合唱となった。日頃かなり練習を積んでいるだろうと思わせる、見応え、聞き応えのある舞台を楽しませて頂いた。


    (神明西寿会のフラダンス)


     (扇和会の舞踊「花笠道中」)


     (西原寿会の大正琴演奏)