マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

角館にて(その2)

2017年06月30日 | 

 旅の2日目、「かくのだて温泉」を後にして、徒歩15分ほどに位置する角館駅に向い始めたとたん、どちらからともなく、「もう少し角館を見ようか」と。妻は「西宮家」とこの地で開催されるフリーマーケットを見学したかったらしく、私は醤油ソフトを味わいたかった。何れも前日に知った情報。そこで駅まで行って、855分発の“こまち12号”を1350分発の“こまち22号”に変更した。指定券の変更は1度は手数料無しで可能。

 まずは味噌・醤油醸造の安藤商店へと向かった。途中、偶然にも以前に宿泊した「石川旅館」の前を通った。建物は残っていたが、既に営業は終わり誰も住んでいない様子。42年前の事で、さもありなんとは思いながら何故か残念な気分。(写真:経営を終えた石川旅館)







 安藤家は享保時代から地主として角館に住み、1853(寛永6)年からは、小作米として入って来る米の一部を原料として味噌を醸造し、あわせて醤油も造るようになり、現在に至っている。1891年(明治24年)に建てられたレンガ造りの蔵は、1986(昭和61)年に角館町の文化財に指定され、内部の蔵座敷は見学が可能。玄関前の仕込み水で喉を潤してから内部を見学した。蔵は重厚な感じで、建物内部から座敷と庭を眺めると日本家屋の良さがよくわかる。江戸から明治にかけて度々火災に見舞われたため、レンガ造りにして防災を整えたそうな。(安藤蔵)




 
                     (蔵内で製品の試食・試飲が出来る)


        (屋敷内座敷)

 蔵から少し離れたところにある、安藤家が経営する「マルヨ蔵 麹クラブ」でランチ。前日に武家屋敷店で試飲した“白だし”が美味しかったので、それを使用したランチを食したかった。850円と安くて美味。甲斐甲斐しく働く3人の若き女性が好印象。残念なことに“醤油ソフト”は安藤醸造では作ってはいなかったが・・・。






 
続いて田町武家屋敷の「西宮家」へ。こちらの武家屋敷は佐竹直臣の居住地で、西宮家はその家臣団のなかでも重きをなした家柄とか。明治後期から大正にかけては地主として繁栄し、その時代に建てられた五棟の蔵と母屋を復元。米蔵はショッピング空間で、北蔵はレストランとなっている。私達は前蔵でコーヒーブレイク。大正浪漫の香りがする空間でのひと時。


     (前蔵は珈琲店)

  
東京でもそうだが、最近はこれはという珈琲店を見い出し、コーヒーを味わおうと心掛けている。今回の旅行でもそれが旅のもう一つ目的。弘前・秋田でも素晴らしい珈琲店があったが、ここ角館では前日にはそのような珈琲店に巡り合っていなかったのだ。思えばそれが、角館でもう半日を過ごした、意識には昇らない動機だったかも知れない。味も香りも良かったが、過ごす空間も素晴らしく、気分よく角館を後にして一路弘前へ。(写真:器は其泉)




  
  
 (観たことのない、左は桧木内川沿いのソメイヨシノ。右は武家屋敷の枝垂れ桜)         


角館にて(その1)

2017年06月28日 | 

 昨夜、北東北の旅から帰京した。訪れた街は角館・弘前・秋田の3つの城下町のみだったが、梅雨どきにも拘わらず1日も雨に降られることなく、歩くには快適の日々だった。
 最初の一歩が角館。上野発7時46分の「こまち49号」は11時18分角館着。この間ほぼ3時間半。ゆるキャラ「ないりっくん」のお出迎えを受けた。
 角館は
出来得れば、桜の見頃に訪ねたかった。桧木内川(ひのきないがわ)提の2000本のソメイヨシノや武家屋敷の枝垂れ桜。未だ見ぬ、その想いを叶えるには、僥倖や経済力が必要。という訳で、サクラは断念し、大人の休日倶楽部を利用してもう一度ここをと思い定めていた。
 初めての角館は多分1975(昭和50)年。結婚後2年ほどしての旅だった。3度目の今回は、秋田欄画の小田野直武の墓に詣で、小田野家の屋敷を見たかった。(写真:ないりっくん)

 昨年11月に「サントリー美術館」で“小田野直武と秋田蘭画”展を観、彼を主人公とする『風狂の空』を読み、その波乱万丈の生涯に興味を抱いた。
 秋田藩の角館に武士として生まれた直武は、平賀源内の秋田来訪をきっかけとして、江戸に派遣され、現在「秋田蘭画」と呼ばれる絵画の中心的な描き手となり、『解体新書』の挿絵を描いていた。しかし32歳で謎の死を遂げた。

 一夜を憩う「かくのだて温泉 猫の鈴」に荷を預け、早速街に繰り出した。昼食には、秋田名物の、稲庭うどんと比内地鶏の親子丼を味わい、食後武家屋敷へ。
 
江戸時代のはじめ、芦名氏により大規模な都市計画が実施され、芦名氏断絶後は佐竹北家の城下町として栄えた角館。武家屋敷が立ち並ぶ“内町”は、屋敷割や母屋・門・蔵などが、その当時の様子をしっかと残し保存されている。「建造物保存地区」入口に小田野家はあった。ここは、直武の住居跡ではなく、長右衛門家から分家した清右衛門家の住居。門構や庭に比較すると住居はささやかな感じだ。東勝楽丁を初め表町丁を散策の後、桧木内川へと回った。(写真:武家屋敷の通り図)

 
           (小田野家)
  
   
       (東勝楽丁の通り)

 
 川提はピンク色の代わりに緑色に染まっていた。この日は30度は越えようかという暑さ。妻に疲労の色が濃かった。川沿いの緑陰のベンチで休み、とうとうと流れる水面を眺め、風の流れに涼を得ると、妻は直ぐに元気を回復した。ここからの眺めは心地よい。桜の頃は如何ばかりだろうかと思いを巡らせた。(写真:右は桧木内川。下はソメイヨシノの桜提)

      
 

 そこから小田野直武の眠る「松庵院」に向かった。ここに直武の墓地があると碑に書かれてはいたが、案内板はなかった。墓を探すこと15分、漸くに見出した。墓は最近新しくなったらしい。古き墓の方にはたった4文字の戒名「絶學源眞」とあった。

  


東北へ

2017年06月24日 | 

 今日から、34日で東北旅行に出掛けます。大人の休日倶楽部は「東日本」4日間(15000円)のパスを企画。主として東日本全線を、連続する4日間乗り放題で、指定は6回まで可能。今年もそれを利用して、角館や弘前などに行って来ます。帰宅は27日(火)。ブログ更新は28日以降になります。


「バベルの塔」展を観る

2017年06月22日 | 映画・美術・芝居・落語

 昨日、上野の都美術館で「バベルの塔」展を観て来た。
 実は、5月下旬までのチケットを妹から貰っていたが、咳がひどく中山道行だけでなく、こちらも断念していた。そうならば65歳以上が無料となる第3水曜日に行こうと考えた。展示期間も終わりに近いシルバーデーは、大変な混雑が予想されたので、早目に列に並ぶことを心掛けた。
 
自宅前の848分発のバスに乗車。915分には列最後尾に並んだ。その数、ざっと見に200人くらいか。降雨が幸いし予想より少ない人数だ。920分には入館が始まり、9時半には入場出来た。
 
『バベルの塔』の絵は2階に展示されていると聞いていたので、見て回る順序を逆転して、まずは2階へ。入って直ぐにあるエレベーターを利用して直行。933分には絵の前に立てた。56人ほどの鑑賞者しかいない。ゆったり、じっくりと、目を近づけるようにして、ブリューゲルの傑作をこころ行くまで鑑賞することが出来た。(写真:絵葉書より)

 かっては、崩壊が始まり掛けた建築物などと説明した書物もあったらしい。トンデモナイ。建設途上の塔なのだ。遠景には水平線と地平線を、眼下には港や運搬船を描いた壮大な風景の中に、建物の建設現場が細部まで丁寧に描かれている。画面上に描かれた人は1400人以上とか。
 左端から上部に掛けて塔は赤味を帯びている。何故かと思案していると、すぐ隣の部屋で「マクロの視点、ミクロの視点」と題するビデオ上映が行われているではないか。ビデオでは疑問に思うことの説明がなされ、2度も鑑賞し、色々と学ぶことが出来た。(写真:絵葉書6枚を組み合わせたバブルの塔)
 旧聖書に端を発する「バベルの塔」は、ブリューゲル以前にも相当数描かれ、ブリューゲルの作品としては1563年に制作されたものと、展示中の1568年制作のものがあり、現展示のバベルの塔の方が圧倒的なボリュウム感と、壮大なスケールで描かれているそうな・・・マクロの視点。
 レンガや建築材は滑車を用いて上へと移動している。赤く見えた部分はレンガで、上手に移動できないで、落ちてしまったレンガの塊も描かれている。特に凄いのは窓で、沢山の窓が描かれているが、全て異なった図形となっているそうな・・・ミクロの視点。
 天に届くように塔が建築されているかに見える、ブリューゲルの『バベルの塔』だ。


連勝はどこまで続くのか

2017年06月20日 | 将棋

 最近の将棋界は話題豊富である。昨年は、スマホ疑惑に端を発し、日本将棋連盟の理事退陣などの出来事が出立し、暗雲が立ち込めていた。しかし、今や中学生棋士藤井聡太四段が連戦連勝中で、マスコミの話題はここに集中し、将棋を始める子どもさんが急増しているとか。漫画や映画でもあり得ないようなストーリーが中学生によって演じられ、彼に夢を託し、日本中が興奮しているように感じられる。その初々しい姿も好印象で迎えられている。
 将棋が好きなこともあり、私は棋士関連の読み物を愛読している。どの棋士の物語にもドラマがあり、棋士に親近感を抱くことも多い。藤井四段のみならず、ポーランド人で初の外国人女流棋士となったカロリーナ・ステチェンスカさん、名人を防衛した佐藤天彦名人、間もなく引退を迎える加藤一二三九段や渡辺竜王等など。今日はそのうちの藤井四段について綴っておきたい。
 中学生の藤井四段の凄さは、数年の経験を積んでからの連勝ではなく、デビュー以来負けなしの27連勝(6月20日現在)を続けていることにある。このブログの読者諸氏も報道等を通じて多くのことを知っていることだろう。そこであまりマスコミに登場しない事柄を中心に記すと、
 (1)将棋連盟は、棋譜のモバイル中継(有料)をしているが、6月2日に行われた棋王戦予選の澤田六段対藤井戦では、ある時点から中継が繋がらなくなってしまった。私も月540円を支払いこの中継を観ていたが棋譜が進まなくなった。モバイル観戦のアクセス数が予想を超えるという事態に立ち至り、新たな”千駄ヶ谷伝説”が生まれた。

 (2)6月7日の「上州YAMADAチャレンジトーナメント杯」での対阪口戦。最終局面に藤井四段に悪手があり、大逆転で必負の局面となったが、阪口五段が魅入られた様に大悪手を指し、即詰に討取られてしまい、連勝は途切れなかった。右は藤井四段の一手を見て阪口五段が投了を告げた局面。詰め将棋に自信のある方は、その後を解いてみてください。

 (3)NHKの日曜放送に「NHKトーナメント杯」という番組がある。当日以前に録画録りが行われ、当然、その結果は放送終了まで伏せられる。しかし4月17日に放映された千田五段戦の結果は、それ以前に勝敗が公表されていた。この戦いにも勝利した時点で、連勝記録をカウントしなければ連勝記録に齟齬を来すからか。あるいはこの結果を公表しておけば、この番組の視聴率が上がるとNHKが判断したかは分からないが。前代未聞のことが起こった。

 (4)6月15日は対瀬川晶司戦。瀬川五段はプロへの登竜門の奨励会を脱退した後に、各種アマチュア選手権で優勝し、プロへの編入試験に合格。2007年に37歳という高齢でプロとなった異色の、”雑草魂”の男。その生き様に共感した私は『泣き虫しょんたの奇跡』(瀬川晶司著)などを読んだこともあった。
 経歴において、対極に位置する二人の対局の棋譜読み上げの女性が凄い。女流棋士の里見香奈五冠。彼女は現在奨励会会員だからあってもおかしくはないのだが、異例中の異例。(写真:対局中の右瀬川五段。左藤井四段。奥の女性が里見女流五冠)
 などなど、普段では起こらないような事が続いている。
 興味や期待は、どこまで連勝が続くのか、28連勝を突破するか否かだが、渡辺竜王はそのブログで次の様に書いている。

 (5)次戦からの澤田六段(王将戦・21日)、増田四段(竜王戦・26日)、佐々木勇気五段(竜王戦・26日に勝った場合)は強敵続きで試練の3連戦と言えます。これを全部勝つのは上位棋士でも容易ではないでしょう。この3連戦も勝たれたら実力、勝負強さも含めてお手上げ、と感じている人は多いと思います。注目します