マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

ブルーベリーを摘みに

2011年07月26日 | 

 7月24日(日)、9時2分新宿発「ホリディー快速ビュー山梨」を小淵沢で下車し、そこからは、レンタカーで山小屋に到着。そのレンタカーで今日7月26日(火)の午前中、ブルーベリー狩に出かけて来ました。

 出かける24日の朝のNHK番組に、山梨県北杜市の小尾能敏さんが登場し、彼の経営する果樹園で採れたブルーベリーが非常に美味であると紹介されていました。彼は苦労して、漸く、甘くて大粒のブルーベリー栽培に到達したそうで、その苦労話や、その栽培方法を希望者に講習している事なども放送されていました。農協を通じないで販売可能であることや、ブルーベリーには100種類もの品種があることも、この放送で初めて知りました。
 さて私たちが出向いたブルーベリー園はその北杜市と接する、長野県富士見町にあります。茅野方面へ進む中央線が、小淵沢を出て最初のトンネルに入る辺りの右側に果樹園はあります。8年ほど前から、家人の調子の悪いときを除いて毎年夏に訪れて来ていました。今年も家人の調子はやや不調気味ですが、何とかやって来れました。暑い時間帯を避ける為、山小屋を7時15分には出発。果樹園平出さん宅8時丁度の到着。
 8時から2時間で、私が3Kg、家人が1.5Kg、平出さんが摘んだ分が0.5Kgの合計5Kgほどになりました。例年に比べて摘みやすかった、家人の感想です。私には”ブルーな真珠”が今年は小粒に感じられましたが・・・・。兎も角、これで5000円の費用で済みました。摘むのに夢中になっている傍らを時折中央線の列車が通りすぎて行き、長閑な感じになります。今日は平出夫人からブルーベリー酢の作り方を教えて頂きました。今夜、早速挑戦してみます。

 北杜市も富士見町も八ヶ岳南麓にあります。近年この辺りでブルーベリー農家が増加しているようで、小尾さん自身、若いころは東京での会社勤め。Uタウンしての成功と聞きました。サラリーマンを途中退社し、ここ北杜市の長坂でブルーベリー栽培をする方が増えているとも聞きました。
 
 日本経済新聞の記事に「今年の信州の観光客は例年の4割増し」との予測が出ていました。原発事故の反作用からか、長野県には人の出が多いようで、7月25日(月)に訪れた霧が峰高原でも、富士見町の「ゆりの里」でもそれを強く感じました。


夏休み到来

2011年07月24日 | 身辺雑記


 東京では小中学校が夏休みに入り、夏休みラジオ体操会もスタートし、7月21日(木)がその初日でしたが、台風の影響による生憎の雨の為中止となり、翌22日が実質的なスタートの日となりました。









 何時もの様に富士神社に出掛けると、かなりの人達で賑わっています。町会の役員や各部の部長たちの顔も見え、挨拶を交わします。6時30分少し前には凡そ150人ほどの子供たちが顔を揃えました。
 夏休みラジオ体操会には地域の体育指導員の方が見え、その方を中心にラジオ体操が開始され、夏休みが本格的にスタートしました。



 私たちは今日から暫く蓼科に出掛けます。山小屋にパソコンはあれどインターネット環境にありません。ブログ休みがちになります。


『滝沢家の内乱』を観る

2011年07月23日 | 映画・美術・芝居・落語

 1週間ほど前の7月14日(木)、家人と下北沢の本多劇場に出掛け、「滝沢家の内乱」を観てきました。加藤健一プロデュース100本記念作品です。
 かって、加藤健一の一人芝居「審判」を観たときの衝撃を今でも覚えています。東ポーランドの田舎にある、とある修道院の地下に、水も食料も与えられず、二ヶ月もの間、幽閉され遺棄されたのソ連兵士官の、
2時間半にも及ぶ物語を、たった一人で演じたのでした。物語の内容もさることながら、長時間の芝居を一人で演じ切る気迫に圧倒されました。以来加藤健一ファンとなり、「ブラック・コメディ」や「牡丹灯籠」・「三人姉妹」など多くの作品を楽しませてもらって来ました。
 その加藤健一事務所が作品100本目に選んだのが吉永仁郎作の「滝沢家の内乱」。加藤は次の作品を決めるに当たって100本以上の戯曲は読むそうで、その中からこれはと惚れ込んだ作品をプロデュースしていくスタイルを第一回作品から貫いているとの事。
 この芝居は二人芝居です。滝沢馬琴をカトケンが、息子の嫁を加藤忍が演じます。名字は同じ加藤でも二人は親子ではありません。加藤忍は健一事務所俳優教室9期生で、”師弟競演”です。それに風間杜夫が息子の宗伯を、高畑淳子が妻のお百を、声のみの友情出演。二人とも加藤とは長い付き合いの演劇仲間だそうです。
 
 時は文政十年(1827年)。所は『南総里見八犬伝』執筆中の滝沢馬琴の家。馬琴の息子・宗伯の元に嫁いできたお路が、慣れない滝沢家のしきたりに戸惑いながら、早く家族の一員になろうと健気に努力するところから物語は始まります。しかし、直ぐにヒステリックに喚き立てる妻お百と、病弱で神経質な宗伯のお陰で滝沢家は、いつも騒乱状態。声だけ出演の二人の声が、この状態を見事に表現します。まともな会話が通じるのは馬琴とお路だけ。二人の距離は自然に近付き・・・。
 
 宗伯とお百亡き後も執筆に執念を燃やす馬琴。ある日馬琴は突然右眼に異常を覚えます。次第に両眼の視力も衰え執筆が困難になり、絶望感に打ちしがれる馬琴に手を差し伸べるお路。漢字の読み書きも出来ない彼女ですが、懸命に漢字を習得し、口述筆記をして、二人して「八犬伝」を完成させます。
 パンフレットの写真に脱稿時の整然とした文字が写されていて、7ヵ月半に亘る、お路の並々ならぬ努力の跡が見て取れます。口述筆記は実話でありました。
 馬琴は、一筋縄ではいかない性格の持ち主である一方、日常生活の現実に的確に対応する能力をも持つ人物という複雑な性格設定。加藤健一がこの人物を見事に演じます。一方の加藤忍、甲斐甲斐しく馬琴の手助けをする場面からの演技が冴えて見えました。
 映画も芝居も読書も、面白いことが命だと思います。前から8番目の席で、張りのある二人の発声。私の老いた耳にも声が良く届き、時に笑い、芝居の楽しさを十分に味わって来ました。

 


謹慎明けの海老蔵

2011年07月21日 | 映画・美術・芝居・落語

 7月20日(水)午後、新橋演舞場に出掛け、7ヵ月振りに登場の市川海老蔵を観てきました。有難い事に、このところ毎月の様に頂いたチケットで、新橋演舞場へ歌舞伎観劇の足を運び、奥の深い世界を垣間見させて貰っています。そこへ、突然の、海老蔵登場との知らせです。
 昨年11月の"暴力事件”で謹慎の身となった海老蔵、7ヵ月での現役復帰は、早すぎるとの指摘もあると思いますが、これは又とないチャンスと、期待を込めて観に出掛けたわけです。

 7月大歌舞伎 夜の部演目
 一 吉例寿曽我 ≪鶴ヶ岡石段の場 大磯曲輪外の場≫梅玉他
 二 <新歌舞伎十八番の内
>春興鑑獅子 海老蔵他
 三 江戸の夕映 團十郎 福助 左團次 海老蔵他

 実は、この日の午後は文高連主催「輪投げ大会」の予選日。13時の開会式に始まり、ゲームが終了し、閉会式で幕を閉じたのが16時20分。16時半開演の「吉例寿曽我」には全く間に合いません。途中から入場が比較的気楽な新橋演舞場ですが、幸いなことに幕間に到着。二の「春興鑑獅子」に辛うじて間に合いました。(輪投げ大会は私の絶不調も原因し、総合23位。予選通過の20位以内の入選を逃しました。無念!)

 二の春興鑑獅子は海老蔵の一人舞台。
 場面は江戸城大奥。将軍家の新年恒例行事であるお鏡曳が執り行われ、その余興として、海老蔵扮する小姓の弥生の踊りが披露される場面です。初々しく、恥じらいを見せながらの艶やかな舞いが演じられます。袱紗や扇子の使い方が絶妙です。時に二人の子役も交え、3人での舞いは微笑ましく、観客から温かい、大きな拍手が送られます。
 一転、後半は、弥生が大奥秘蔵の祭壇に飾られた獅子頭を手にして踊り始めると、獅子の精が弥生に乗り移り、姿を消してしまいます。暫くすると、天竺清涼山に住むと言われる霊獣の獅子が現れ、勇壮な獅子の狂いが始まります。
 衣装も華麗ですが、その舞いは勇壮にして華麗。海老蔵渾身の舞いです。前半の女形の舞いに対して、後半は、力強い圧倒されるような舞いが演じられます。演じ終えた海老蔵に万雷の拍手が送られると同時に、観客席のあちこちから、感嘆のため息が聞こえてきます。7ヵ月に及ぶ、耐えてきた日々の鬱積を一気に晴らすかの様な演舞。
 新歌舞伎十八番のひとつで、九代目團十郎により初演された歌舞伎舞踊の大曲を海老蔵が華やかに勤めあげました。

 


映画『小川の辺』を観る

2011年07月20日 | 映画・美術・芝居・落語

 7月17日(日)、家人と「シネマサンシャイン池袋」で「小川の辺」を観て来ました。困難な、苦悩を帯びた人生を生きた人々の姿を描いた物語りにも拘らず、映画を観終わって、爽やかな感じを抱きました。

 試写会の抽選には外れ、酒田・鶴岡旅行中は"山
形では先行上映”のキャッチフレーズに何度もお目にかかった「小川の辺」、漸くのご対面が叶いました。原作(6月9日のブログに登場した藤沢周平の作品)の流れと同じような流れでドラマは進みます。
 
 海坂藩々士佐久間森衛は、農政の手直しを批判した上書により、謹慎処分を受けた後、脱藩します。本物語の主人公戌井朔之助の妹田鶴は森衛の妻です。
 藩は、その討手を直心流の一流の使い手朔之助に命じます。主命であるぞと言われ、朔之助は已む無くこの命に従います。親友でもある義理の弟を討てとの主命です。
 この命を受けて朔之助が帰宅した戌井家の困惑・混乱。特に朔之助の母以瀬の一番の心配は、勝気で、やはり直心流の使い手田鶴が夫を助ける為、朔之助に向かって斬りかかって行くのではないかと言う懸念。そうなれば自分の子の二人が斬り合うこととなります。この話を聞いていた戌井家の若党新蔵がお伴を願い出ます。

 朔之助と新蔵は上意討ちに出立つします。道行く二人の前に立ち現れる風景。春から初夏へと巡る季節。山中を歩き、峠を越え、船で川を下り、山里を進みます。”新日本紀行”的美しい風景が続きます。海坂藩から行徳への長い道中。その間に過去が振り返られます。
 痛切に藩政を批判する森衛。新蔵とは仲がよい半面、兄には反抗的な田鶴。朔之助と森衛の御前試合。ここは原作にはなかった場面です。一本目は朔之助の胴が決まります。二本目は森衛の面が。互角の場面で豪雨となり、勝負はそこまで。洪水で決壊しそうな護岸の修復作業で、雨中必死に助け合う二人。親友との関係が暗示されます。嫁に行く前日、新蔵に思いを告げる田鶴。

 戦わねばならぬ時は巡ってきて、遂に森衛は倒れます。森衛が斬られた後に帰ってきた田鶴は、当然に兄に斬りかかります・・・。
 朔之助を演じる東山紀之と、森衛を演じる片岡愛之助の決闘場面がこの映画の一番の見どころです。見事な立ち回りです。田鶴への新蔵の思いよりも、こちらの場面で思わず身を乗り出しました。
 
 朔之助と森衛からは、親友同士が戦わねばならぬ苦悩の様子は、微かにしか窺えません。武士としての建前上、それは裡に仕舞い込んだのでしょう。しかし、両者を取り巻く家族たちからは本音の、苦悩が、肉声が語られます。
 短編の原作の行間を良く読みこんでの、心に残る作品に仕上がっていました。