(前回のブログの続き)
なんと,今日「江戸東京博物館」から電話が掛かってきて、私が電話で訊ねた事柄についての回答がありました。「江戸一目図屏風」と「江戸鳥瞰図」の関係に関連について明快な説明をして呉れました。
江戸東京博物館所蔵の「江戸鳥瞰図」は鍬形斉作になる木版画であり、一方、津山郷土博物館所蔵の「江戸一目図屏風」は同じ作者による六曲屏風でした。制作は木版の方が早く、この作品が好評だった故、その6年後に屏風が作成された。絵の構図は殆ど同じだが、江戸湾(当時)の描き方に若干の違いが見られるとの事でした。作品名を覚えてこなかった絵の名前も、両者の関連もこの様にして判明しました。
屏風では、手前に隅田川、さらに浅草、両国、日本橋、江戸城などの名所が、かなたに江戸庶民憧れの富士山を望む壮大な光景が描かれています。
一目図屏風の構図について、都市史に詳しい法政大学デザイン工学部の陣内秀信教授の話として、朝日夕刊は次の様に紹介しています。
『水辺が多く親しみのある隅田川が手前、暮らしや文化の中心だった下町が中央、城が上にあり、当時の江戸の姿がよく分かる配置だ』と。そして新タワー(東京スカイツリー)の建設地について『展望台からの眺めが、江戸時代の鳥瞰図と似ていることも、現在の場所を建設地に選んだ魅力の一つだった』と。
『江戸のまちを頭の中で再構築しながら描いた鍬形の想像力はすさまじい』との津山郷土博物館々長の話も紹介されていますが、鍬形斉はそのベースとして、平面的に江戸の町を細部に亘って把握していたはずだと思います。その精密な基礎知識を基に想像を膨らませて立体的な鳥瞰図を仕上げたと、私は推理します。
ここまで書いてきて思い出したことがあります。かって都立高校に勤務していた頃、美術の先生と親しくなり、放課後よく美術準備室を訪れた事がありました。S先生は長野県の出身で、信濃の山を中心とする鳥瞰図を描くこともありました。私はその図を眺め、S先生の地理的知識や山岳知識の正確さに吃驚したものですが、S先生は時折、信州の山によく登っていた私に意見を求め、鳥瞰図の若干の修正を施していました。もう15年前のことです。