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10数年前に作品化したものが何点かあるのですが、皆A4の大きさのものばかり。A3くらいの大きさのものが見栄えが良いとのことで、今年撮影した「燕岳」の写真をA3の大きさに仕上げることに決め、同じ町会のTさん宅にある大型のプリンターで印刷して頂き、額に入れて、今日シビックセンター4階の会場に搬入して来ました。
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今年はギンナンを沢山食しました。8月からラジオ体操に登場したI さんから3度にわたり頂いたからです。最初は、金槌でギンナンを軽く割り、新聞紙に包んで電子レンジで加熱しました。2度目は I さんから教えて頂いた「封筒に入れ電子レンジで20秒ずつ、2回加熱」の方法を採りました。一気に全部のギンナンが開かないので、3度目に頂いたものは少し工夫をして「封筒に入れ、電子レンジ1000W 50秒加熱」で殆どのギンナンが割れ、軽く塩を付けて食しました。この方法だと手間が省け楽だなと感じています。沢山食べ、ギンナンに”もちもち感”を感じました。(ギンナン割りの練習結果)
その銀杏、実(み)が落ち独特の臭いを発散していましたが、葉の色が黄色く染まり始めています。朝の散歩コースの一つに東大(本郷校舎)往復がありますが、一昨日、久しぶりに東大に出掛け、見事な黄葉を見て、昨日カメラを持って出掛けました。又ご近所の吉祥寺や天祖神社の銀杏も色付いていました。思えば我が住む文京区の”区木”は銀杏でした。(東大構内。正面は安田講堂)
(東大構内。工学部脇) 又中学時代のクラスメイトMさんの夫さんが属しているグループの写真展「花と自然」が新宿御苑インフォメーションセンターアートギャラリーで開催されていて、昨日、その帰りに新宿御苑を散策し、カメラを構えてきました。紅葉とは一味違いますが、すっくと伸びた数本に及ぶ銀杏の樹々の黄葉も見事だと思います。それと併せて、冬が近づいて来ていることも実感する日々です。(新宿御苑入り口付近)
(前回のブログの続き)
なんと,今日「江戸東京博物館」から電話が掛かってきて、私が電話で訊ねた事柄についての回答がありました。「江戸一目図屏風」と「江戸鳥瞰図」の関係に関連について明快な説明をして呉れました。
江戸東京博物館所蔵の「江戸鳥瞰図」は鍬形斉作になる木版画であり、一方、津山郷土博物館所蔵の「江戸一目図屏風」は同じ作者による六曲屏風でした。制作は木版の方が早く、この作品が好評だった故、その6年後に屏風が作成された。絵の構図は殆ど同じだが、江戸湾(当時)の描き方に若干の違いが見られるとの事でした。作品名を覚えてこなかった絵の名前も、両者の関連もこの様にして判明しました。
屏風では、手前に隅田川、さらに浅草、両国、日本橋、江戸城などの名所が、かなたに江戸庶民憧れの富士山を望む壮大な光景が描かれています。
一目図屏風の構図について、都市史に詳しい法政大学デザイン工学部の陣内秀信教授の話として、朝日夕刊は次の様に紹介しています。
『水辺が多く親しみのある隅田川が手前、暮らしや文化の中心だった下町が中央、城が上にあり、当時の江戸の姿がよく分かる配置だ』と。そして新タワー(東京スカイツリー)の建設地について『展望台からの眺めが、江戸時代の鳥瞰図と似ていることも、現在の場所を建設地に選んだ魅力の一つだった』と。
『江戸のまちを頭の中で再構築しながら描いた鍬形の想像力はすさまじい』との津山郷土博物館々長の話も紹介されていますが、鍬形斉はそのベースとして、平面的に江戸の町を細部に亘って把握していたはずだと思います。その精密な基礎知識を基に想像を膨らませて立体的な鳥瞰図を仕上げたと、私は推理します。
ここまで書いてきて思い出したことがあります。かって都立高校に勤務していた頃、美術の先生と親しくなり、放課後よく美術準備室を訪れた事がありました。S先生は長野県の出身で、信濃の山を中心とする鳥瞰図を描くこともありました。私はその図を眺め、S先生の地理的知識や山岳知識の正確さに吃驚したものですが、S先生は時折、信州の山によく登っていた私に意見を求め、鳥瞰図の若干の修正を施していました。もう15年前のことです。
右の像は、11月18日(木)の朝日新聞夕刊に載った記事をスキャンしたものです。その記事を読み、写真を見て驚きました。二つある写真の上は東京スカイツリーと町並みで、下は、今の東京都墨田区の上空からの眺めを描いた「江戸一目図屏風」とのコメントのある、江戸時代に作成された眺望図です。驚いたのは10月21日に「江戸東京博物館」に出掛け、そこで見た屏風そっくりの図だったからです。
新聞はスカイツリーからの”眺望 江戸絵図そっくり”との見出しで、この鳥瞰図について次の様に書かれていました。
『鳥瞰図を描いたのは、江戸後期に活躍した絵師、鍬形斉(くわがたけいさい 別名北尾政美)。浮世絵師北尾重政に師事し、後に津山藩のお抱え絵師となった。まるで飛行機に乗って見たかのような江戸鳥瞰図の傑作をいくつか描いている。代表作の一つが津山郷土博物館が所蔵する「江戸一目図屏風」』
この絵図こそ「江戸東京博物館」で見た屏風だ、確信しました。
博物館での様子を10月31日のブログには次の様に書きました。
『一枚の絵の前で足が釘付けになりました。不覚にも絵の作品名を記憶して来ませんでしたが、隅田川とそこに流れ注ぐ神田川を中心に据えて、それらを見渡す大きな”眺望図”。柳橋で隅田川へ合流する神田川の上流を眼を細めてよく観ると、湯島の聖堂が描かれ、今の水道橋付近で神田川に掛かる箱橋が辛うじて見えます。』
「一目図」は、私の足が釘付けになった作品で、不覚にも作品名を記憶してこなかった屏風に間違いないと確信し、貰ってきた展示品一覧表を改めて見直しました。ところがこの一覧表に「江戸一目図屏風」と名の付くの作品は載っていません。ただ鍬形斉の絵は七作品登場していて、その中に作品名「江戸名所乃絵」の絵があり、博物館所蔵のもので登録名「江戸鳥瞰図」とありました。
「一目図屏風」と「江戸鳥瞰図」が同じものなのか、又どの様な関係にあるのか、はたまた私の勘違いで全くの違うものか否かを知りたくて、11月20日に「江戸東京博物館」に問い合わせたところ、「隅田川」の担当者はお休みで11月23日に出勤して来ますから、そのとき時聞いて下さいとのこと。今日23日に再度電話すると今日は休暇との事で、質問内容をメモに取って貰いました。いまだその関係は分かりませんが、いずれそのことを明らかにしてくれるものと期待しています。
新聞をスキャンした像では絵図の様子がはっきりしないと思います。次のURLでアクセスしてみて下さい「一目図屏風」が現れ、”さらに大きく”出来ます。
URL http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=86296
(この項 続く)