マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

大野さんのお墓詣りへ

2023年10月23日 | 身辺雑記

 昨年12月、享年67歳で亡くなった、元向丘高校同僚大野勉さんのお墓詣りに、千葉県船橋市営の馬込霊園に行ってきた。
 今年の寒中見舞で妻の永眠を多くの方に連絡してから直ぐに、折り返す様に、大野夫人から夫君勉さんの死去の知らせが届いた。まだ60代の若さである。その頃は年賀状のやり取りもしていなかったし、病におかされているという話も聞いていなかったので、非常に驚き、愕然とし、若くして旅立っていった大野さんの死を悼んだ。
 3月にあったか吉池での、花見の宴の席でも皆さんそのことを知らなかった。いづれお墓参りに行きましょうとの話になったが、何方もメールアドレスや電話番号を知らなかったので連絡の取りようがなかった。
 そこで私はハガキを出して大野夫人の携帯電話の番号をお聞きした。電話番号させ分かれば、後はSMSで色々な事が伝え合える。大野さん死去の様子も聞き出せた。昨年の12月22日に、闘病生活2年半の末、癌で亡くなられたとのこと。船橋市馬込霊園にあるお墓を新しく立て直しする予定なので、お墓が完成したら、再度連絡しますとのことだった。
 お墓が完成しましたとのメール連絡は7月末に届いた。ただ、私は妻の銀行口座の名義変更の事務などで身動きがとれない状況だったので、打合わせの役割を草野さんにお願いすると快諾して下さり、それ以降の連絡は大野夫人と草野さんとの間でなされ、10月22日(日)のお墓参りが決まった。飛鳥山花見の宴の参加者を中心にご案内を差し上げると最終的に11名の参加となり、大野夫人と併せて12名で、昨日お墓参りをしてきた。


 私は1979年に向丘高校に赴任したが、赴任すると直ぐ新一年生の担任となり、その同じ学年の担任に、1年前に新任として向丘高校に赴任してきた大野さんがいた。草野さんも大野さんと同時期の新任で、担任団の一員だった。大野さんの人柄は忖度とうい文字とは無縁の、自分の思ったことを率直にいう人だった。その面では古参教員などからは«生意気な奴»と煙たがられていたかもしれない。しかし13歳も離れた私とは、帰宅途中で何度も一献傾けるほど気が合い、山に一緒に行くようにもなった。剣岳・巻機山・北岳・北穂岳・雲ノ平など一緒に行った名山は10を下らないだろう。多くの山行や旅行・温泉も共にした。スポーツマンでもあり、テニスやバトミントンは教員仲間で1・2を争う実力者。彼が軟式テニス部、私が陸上部の顧問として黒姫での合同合宿にも何度も行ったこともあった。そんな健康的で活動的な彼を知っているだけに、吉池での席でも、異口同音に«どうして»の声があがった。
 ただ、彼も私も向丘を去り、他の何校かに転勤するうちに、赴任先の新しい仲間と一献の会が増えるにつれて、彼と会うことが少なくなっていった。

  さて昨日、東武アーバンパークラインで船橋から3つ目の馬込沢駅が下車駅。この駅に降り立ったことのある人は殆どいなかった。それか故か何名かの方が遅刻をしてきた。そこから徒歩で霊園まで20分以上はかかっただろ、ほとんど畑だったところに住居が建てられ、霊園が造られた。大野家の墓も土台から立て直され、墓石前面には«穏»の文字が刻まれていた。お花は霊園内で購入する予定だったが、大野夫人が朝早く来て既に供えられていた。お線香も大野家のほうで用意されていた。参列者は皆それぞれの思いで大野さんを偲び合掌した。お墓と集合写真を撮影し馬込沢駅に戻ってきた。駅周辺には飲めそうなお店は「庄屋」のみ。その場は期せずして「大野さんを偲ぶ会」となった。



 


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