マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

「渋沢栄一クイズラリー」に参加(その1)

2020年11月29日 | 東京散歩

 連休明けの11月24日(火)のことだった。ラジオ体操開始前、突然Tさんが私のところへやって来て曰く「渋沢栄一のクイズラリーというのがあって、私回り始めているの。あなた『文高連だより』に自分のことを“散歩オタク”と書いていましたね。あなたもこのラリーに参加しませんか。二人の解答を照らし合わせれば全問正解も夢じゃないわ」と。クイズ用紙を渡され、女性に頼まれるとNOとは言えない質の私は「やりましょう」と応えてしまった。
 その地図用紙には王子駅を中心にして、北区の、回るべきお店が31店舗載っていて、お店の前に貼ってあるクイズに答えるのだった。お店にはクイズは1題だけしか掲示されていない。全問解答するには当然のことながら31店舗全部を回らなければならないのだ。私はこれは面白いと思った。地図を見ての場所探しは好きなことのひとつ。(問題は全部で30問。第1問のみが2つの店舗に貼りだされていた)
 早速その日の午後には回り始めた。一番先に行ったのが駒込駅付近にある、揚げ最中で有名な「中里」。店頭に張り出されていたクイズは右写真のごときもので、渋沢栄一に関する簡単な、それも二者択一の問題。その場で答えを記入していっても良いが、写真に撮って後でじっくり考えれば尚良いと考え、撮影後すぐに先を急いで旧古河庭園まで来たときに雨が降り出してきた。その日は3店舗のみでそこから引き返してきた。
 26日は好天気だったので、朝の散歩時に4軒、朝食後は9時から12時までに20軒を回り終えた。これで締めて27軒を回り、残りは昨日の28日に全部回り終えた。後は30問を考えるだけになった。(以下は次回ブログで)
 

 
 


上野のお山から東大正門へ

2020年11月26日 | 身辺雑記

 秋の3連休最終日の23日(勤労感謝の日)、上野ラジオ体操広場での体操に出掛け、帰路東大正門に回った。
 この日、起床が遅れ、自宅発5時50分では体操開始に間に合わないと思えたので、珍しく急ぎ足で上野に向かった。東京藝大の前を通って会場へ。着くと既にラジオ体操の歌が始まっていた。やはり間に合わなかった。





 11月1日(日)にもラジオ体操連盟主催の「ラジオ体操会」に参加していたから今月中でここへは2回目となる。それにしても参加者が多い。200人は超えているだろう。後方の噴水池そばでの体操だったので全体がよく見渡せた。


 帰路は上野動物園入口「弁天門」の前を通って不忍通りへ抜けたが、実はこの日上野動物園へは非常に多数の入場者があったとテレビは報じていた。パンダ・シャンシャンが中国へ帰国する日が近づいているらしい。

 私は不忍通りに出て弥生坂を上り、本郷弥生を左折し正門に到着。依然として、赤門も正門も大学関係者以外入構出来ない。しかし正門に立つと、鉄扉のこちら側にも学内の静謐な雰囲気がよく伝わって来る。見事な公孫樹並木だ。安田講堂へと続く黄葉を撮影した。





 今年は紅葉観賞に遠くへは出掛けられないと思っている。出来れば神宮外苑・東大・六義園の3ヵ所は訪れたいと考え、それを実行中だ。六義園は「紅葉と大名屋敷のライトアップ」は中止だが、予約者のみが入園可能なので27日(金)を予約した。朝9時ならば密にはならないのではと判断しているが果たして如何?


神宮外苑「いちょう並木」へ

2020年11月23日 | 東京散歩

 昨日早朝、神宮外苑のいちょうの並木を観に行った。絵画館周辺には何度も行ったことがあったが、紅葉の時期に訪れるのは初めてだった。熱海伊豆山滞在中に読んだ『おもかげ』(著浅田次郎)には地下鉄場面が多数登場してきていて、丸の内線や銀座線の駅が準主役と言ってもいいほど。そこでこの日は銀座線に乗車してみたくなり、外苑前駅で下車した。駅の出口表示には「4a いちょう並木」と書かれていて迷うところは全くない。6時丁度の下車で日の出前だった。(この時期開催予定のいちょう並木祭りは中止となっていた)





 青山通りを少し都心方向へ戻ると、700mほど前方の絵画館がしっかりと見えるいちょう並木だ。この時間なら訪れる人は少ないだろうとの思惑はまったく外れた。多分車でやって来たのだろう、比較的多くの人々が散策している。私は車道中央まで出て、大分黄色く色づいた銀杏を写真撮影をしたが、落ち葉は予想したより少なかった。その前日の富士神社の方が落葉は多かったかもしれない。色づいた銀杏並木をゆったりと観賞しながら絵画館方向へ歩んで行った。(写真にはスポーツカーらしき車数台停まっているのが見える)
 明治神宮外苑を囲む楕円形の外周にぶつかった。そこに到着したのは偶然にも6時半だつた。聞きなれたメロディーが流れ「ラジオ体操の歌」が聞こえてきた。ここでもラジオ体操が行われているのだ。絵画館を背にして前立が2・3人。その後ろといちょう並木側に体操人が合計30人ほどか。私もこの輪に加わった。
 体操終了後、楕円形をなす外周道を歩いて大江戸線「国立競技場駅」に向かった。一時期このコースで毎週の様にランニングをしたことがあり、懐かしかった。駅入り口に着くと完成した「新国立競技場」が見えてきた。中央線からその姿を遠望したことはあったが、この様な間近で見るのは初めて。朝陽を浴びた姿かたちは端正に見えたが、さて来年のオリンピック・パラリンピックは行われるのだろうか?もし行われても私はテレビ観戦となるだろうと思いながら地下鉄都営線を乗り継いで帰宅した。


「上郷用水」暗渠を歩く(その2)

2020年11月20日 | 江戸の川・東京の川

 前々回の続きである。石鍋商店には立ち寄らないで先を急ぐと、左手に王子稲荷が現れた。この通りから本殿へと続く門前の戸は幼稚園開園中の為閉まっているので、遠く高みにある本殿への参拝は通りから済ませた。
 直ぐ現れるのが「名主の滝公園」である。王子には「王子七滝」があったが、今はこの「名主の滝」だけが唯一現存する滝として残っている。江戸寛永年間に王子村の名主であった畑野家が自宅に開いたのが始まりで、名主の滝の名前をそこに由来するようだ。




 公園全体は深山幽谷の趣がある。奥へと歩を進めると一番奥で男滝に出合えた。この様に見事な滝だったかと驚いた。落差8mの滝は都内でも数少ないそうな。ただこの水源、今は湧水ではなく、井戸水使用を経て水道水が使われているとか。それも10時~16時の落水である。
 そこを過ぎると道はT字路の様になる。左折道はそれまでと同じ幅の道路だが、暗渠は右真っすぐのはず。こちらは狭い道となり、京浜東北線にぶつかり跨線橋が現れる。この路線が赤羽まで延びたのは1928年で、線路施設に伴い当然上郷用水沿いに出来ていた道は使えなくなったはず。その代償としてこの跨線橋が設けられたのだろうか。現京浜東北線がかつて流れていた上郷用水と交差する地点に跨線橋は造られていた。



 ともあれ、私はその跨線橋を上り下りして線路の西側から東側に移動した。すると、そこで廃線に出くわした。廃線沿いに進むと踏切が3つもあった。多分貨物線だろうと想像したが、この様なところで廃線に出合い興奮した。かって繁栄した時があり、今はその痕跡を微かに残すものを探すのが私は好きで、今回もそれに巡り合わせた。帰宅して調べると日本製紙の引き込み線(北王子線)だった。後日探索しようとその日は上郷用水暗渠へと戻ったのだった。


 

 上郷用水は農業用水なので特定の川へと注ぐことなく、自然消滅する様かのように赤羽の南東でその流れは途絶えていた。


「熱海伊豆山」に宿泊

2020年11月17日 | 

 今、ハーヴェストクラブ「熱海伊豆山」のビアラに滞在中である。16日(月)~19日(木)までの3泊4日。コロナ感染拡大後初めての宿泊旅行となった。
 ハーヴェスト情報をしっかり読むと、「go to トラベル」のうち、「熱海伊豆山」ビアラに宿泊して朝食付きで、2人で1万4千円というプランがあった。普段なら2万円以上するはずのところがこの料金。ただ、ハーヴェストのなかでもビアラは予約を取るのが難しい。妻が熱心に予約サイトにアクセスして検索していたところ、意外なことに、この3連泊の日のみが予約なしになっていたので、早速予約をしておいたのだ。9月22日のことだった。
 当然、コロナ感染が心配である。ただ感染確率0ではなくても、色々工夫すれば感染のリスクの少ない状況や環境が作れて、宿泊旅行も可能なのではと考え、実行に移した。
 工夫というほどでもないが、交通機関は往きの東京・熱海間はグリーン車を、帰りは新幹線こだまを利用。宿での夕食は宿の用意するテイクアウトと決めておいた。昨日は上野から上野・東京ラインのグリーン車の12席個室部屋に乗車。上野では私達二人だったが、その後乗客が増えてきて一時7名に。やや密の状態もあり、もっと広い下に座席を取れば良かったかとやや後悔もした。

 宿には15時40分に着いた。部屋は露天風呂付なので、この日は大浴場へは行かず部屋の風呂へ。予約しておいたテイクアウトの寿司と和風オードブルで夕食。1万円の地域共通クーポン券とかが付いたのでその券を利用することにしたが、思ったほど豪華ではなかった。少食の妻とふたりならばこれで十分。この4日間、本を読もうと何冊かを用意しておいたが、初日は何も読まず就寝してしまった。(写真:和風オードブル)




 今朝は6時20分の日の出を待つと、好都合に水平線の彼方に陽が昇った。