マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

ペタンク大会で旧友に会う

2013年04月29日 | 町内会

 4月26日(金)、京王線幡ヶ谷駅下車徒歩6分の渋谷スポーツセンター運動場で「ペタンクの集つどい」が行われ、我が富士前福寿会も参加して来た。チーム構成は、福寿会々長夫妻と私の3名。結果は、午前の部の4チーム総当たり戦は第1位通過。午後の部の、1位通過9チームによるトーナメント戦は1回戦で敗退。総当たり戦を1位通過したので、3人の評価は”マアマア”かと言ったところ、反省会で出た、今後の問題点を克服する為に、どう練習を組み立てていくかが、今後の課題となる。

 今大会が渋谷区幡ヶ谷で行われると知って、気になっていたことを実行に移した。中学時代の友人Iさんからの年賀状に「ペタンクを始めました。奥が深いゲームです」と書かれていたので、大会10日程前に「私もペタンクをやっています。今度は幡ヶ谷駅付近での大会ですから、目黒在住のI君も参加ですか?」の様なメールを打ったところ、私がペタンクの先輩であることに驚くと同時に、彼が目黒DPCに属し、私と小学校で同級のI・Yさんや榊さんも同じくクラブに属し、当日も幡ヶ谷に行っている、との返信メールが届き、再会を楽しみに出掛けたのでした。

 午前中の総当たり戦は、緒戦惜敗するも、我がチームに勝った国立のチームがその後最終戦で敗れ、我がチームと同様の2勝1敗となったが、得失点差で我がチームがCグループ1位通過との結果を、掲示板で見て、思わずガッポーズ。

 試合前に旧友を探すも全く見つけられず、3試合休み無しの試合だったため、結局午前中には再会を果たせなかった。昼休み、三々五々昼食を摂る輪を回り、目黒DPCを探したところ、最後の最後に目黒DPCに行きついた。「I・Yさんいますか」と問うと「俺だよ」と帽子を脱いで始めて彼と分かり、こちらも名乗ると「あ!」と驚きの声。7年くらい前の中学同期会以来の再会を果たせた。「榊さんは」と聞くと、「開会式で準備体操指導をしていた彼女だよ」と。今度はこちらが驚く番。あの華麗なストレッチ体操を披露したいたのが我が旧友かと。(写真:準備体操を指導する旧友榊さん)





 早速彼女に会いに行った。お互い一目見ただけでは分からないが、名乗り合い、目を見つめ合うと、幼かったころの面影が現れる。榊さんは現在はペタンク協会の指導員で、旧姓は須藤さん。私とはご近所同士で、小学6年生の時の”火山の分類”研究発表の準備で、お宅にお邪魔したことも思いだした。

 良かったのはここまで。午後の部の試合に遅れそうになった私は急いで走り、石に躓いて転倒。帰宅して整形外科でレントゲンを撮ると、左手親指の付け根の部分にひび。2年前と同じような不注意での怪我。試合も、言い訳をすればそれもあり、11対2の大敗。同じ過ちを3度繰り返さない心構えは”走るな”です。右手は包帯で、左手で携帯メールを打つなど、特殊訓練に勤しんでいる。

 
 


第2回電王戦を「ニコニコ放送」で観る

2013年04月27日 | IT

 3月23日から4月20日まで、毎週土曜日に行われた、第2回電王戦は、コンピュータ側から見て3勝1敗1引き分けに終わり、団体戦として棋士側に勝利した。その様子をほぼリアルタイムで伝える「ニコニコ放送」は、第5戦では48万人もの視聴者があったとか。私もその一員であった。第4戦は旅行中の為観られなかったが、それ以外の全てを観ての感想を綴っておきたい。
 その前に、第1回からの戦いの結果を整理しておくと、
 第1回電王戦 ×米長永世棋聖 対 ボンクラーズ    〇
 第2回電王戦 
   第1局 〇阿部光瑠四段    対 習甦(第5位)    ×   
   第2局 ×佐藤慎一四段    対 Ponanza(第4位) 〇
   第3局 ×船江恒平五段    対 ツツカナ(第3位)  〇
   第4局 △ 塚田泰明九段   対 Pueiia α(第2位)△
   第5局 ×三浦弘行八段   対 GP
S将棋(第1位)  〇
 (〇:勝 ×:負 △:引き分け パソコン側順位:第22回パソコン将棋選手権順位)

 2級程度の棋力しかないが私が抱いた感想。第1局を観た限り棋
士側が強いと感じたが、第3局で船江五段必勝とも思える局面から、ツツカナが徐々に挽回していき、ソフト側の大逆転勝利に終わった時は、これは大変なことになるのではと予感した。第5局に登場の三浦はA級に所属する棋士で、順位戦のランキングでは第3位の超実力者。三浦が入玉を狙いながら、敵駒に囲まれて、圧倒され続けて”討ち死”する最終局面を観て、パソコン側の強さを実感した。

 米長著「われ敗れたり」を読んで、棋士側がパソコンソフトに勝つ事は容易でなくなる日が近いとは思ったが、こんなに早くにやって来るとは!
 人間が開発したパソコンが人間の能力を越えるはずがないと信じている人もいるが、そんなことは無い。例えば5ケタの素数×5ケタの素数の計算結果を因数分解せよ、とうい問題に人間は相当時間かけてもなかなか正解に達しないだろうが、パソコンは1分以内に解いてしまうだろう。チェスでは世界チャンピオンがパソコンに敗れたのは1997年のことである。

 世の反響も物凄かった。この実況を48万人もの人が観て、その接戦に多くに興奮・感動のコメントが寄せられていた。”観る将棋”ファンを増やした意味は大きい。又ソフト側が指した手が、新定跡となる可能性もあると言う。棋士とソフトが”協力”して新たな定跡の発見が進むかも知れない。
 私が注目する三冠王渡辺明竜王はそのブログの中で『自分のところに回ってくるのは当分は先だと思っていました。来年以降のことはもちろん何も決まっていませんが、その見解は甘過ぎたようです』と書き、第3回電王戦の対戦相手として、御鉢が自分に廻って来る可能性を感じている。
 羽生三冠王や渡辺が戦いに登場すれば、今回以上に世の話題を呼ぶだろう。対戦して欲しいような、もう少し先にして延ばしてほしい様な複雑な心境である。
  

 


三遊亭きつつき、目出度く真打ち昇進

2013年04月24日 | 映画・美術・芝居・落語

 我が愛する落語家のひとり”三遊亭きつつき”が、目出度く、真打”四代目三遊亭萬橘”に昇進した。それ祝っての昇進披露落語会があちらこちらで行われている。その中でも、三遊亭円左衛門主宰する「やねせん亭」での第24回公演は、謂わば内々のお祝い会だった。私見では、彼はここを巣として、飛び立ったのだから。
 福島の旅から帰宅した翌日の4月17日(水)、これは是非との思いで、久し振りの”やねせん亭”に出掛けた。昨年までは毎回のようにやねせん亭に出向き、そこで三遊亭兼好を贔屓する様になり、三遊亭きつつきを知った。彼は、異色の、型破りの落語家に見えた。時として、客の反応が鈍いと、不貞腐れて低調な語りの時も見られたが、最近は安定した高座で、テンポの速い語りが私は好きである。
 彼は、
政大学で落語と出会い、同大学を5年で中退後、2003年に三遊亭円橘に入門。10年での真打ちは早いと言うべきか、私は分からないが、異空間より飛び出したような不思議な雰囲気を持つ、人呼んで「オペラ座の怪人」ならぬ「落語の怪人」と言われている。 





 さて、師匠も駆けつけた
第24回やねせん亭は、前座に続き
 
三遊亭王楽    「つる」
 三遊亭兼好    「黄金の大黒」
 三遊亭円橘    「関取千両幟」(特別出演)
 中入り
 
マジックジェミー  「マジック」
 と続き最後に萬橘が登場し「佐々木政談」を語った。

 名奉行で知られた南町奉行・佐々木信濃守が、非番なので下々の様子を見ようと、田舎侍に身をやつして市中見回りをしていると、新橋の竹川町で子供らがお白州ごっこをして遊んでいるのが目に止まった。お奉行様、その時奉行の佐々木信濃守を演じていた四郎吉に興味を抱き、後日奉行所に呼んで、難問を繰り出す。「星の数を答えてみよ」との問いには、逆に「それではお奉行さま、お白州の砂利の数は?」と問いを返され、一本取られてしまう。後日四郎吉は近習に取り立てられたという、サクセスストーリー。
 その遣り取りがこの落語の面白さ。萬橘は、余り間を取らず、一気に語ってしまう。その速いテンポが心地良いし、また彼の持ち味。今後どんな風に羽ばたくのか、楽しみにしながらも足を運びたい。
 


花見山へ

2013年04月22日 | 

 鶴ヶ城の桜はまだ咲いたばかりだった。裏磐梯グランデコではまだスキーが出来る状態で、小野川湖のほとりも、残雪豊富だった。裏磐梯グランデコは東急ハーヴェストクラブの一環で、今回ここに宿泊したのは、私達がハーヴェストの会員である事が大きな理由。宿は今が一番暇なときで、大浴場など貸し切り状態だった。
 前日に、翌日は喜多方でラーメンを食し、大内宿に廻って、白河ICで東北自動車道に入ろうと決めていた。
 ところがである。4月16日(火)の朝のテレビで、「花見山は花満開」なる映像が流れた。早速4人で相談し、前日の相談は反故にして、花見山に廻ろうと話は急展開した。これもマイカーで来ているが故に出来る方向転換である。宿泊地から磐越自動車道まで40分、そこから福島西ICまでが60分、更に花見山まで30分と読んだ。

 結果として2時間余りの走行で、11時前に花見山付近の臨時駐車場に到着。この日も暖かい日、かつテレビの影響か、凄い人出である。スタート地点へ行く間にも花見山の花景色が良く見渡せ、道すがら、春の花が咲き競っているのを目の当たりにする。入口で貰った地図(一番下の写真参照)を見ると、山の中腹を巡る30分コース・45分コースと、山頂も巡る60分コースの3つの廻り方があり、いずれも花回廊を通り、山を一周して元へ戻ってくる様になっている。私達は山頂を通る60分コースを歩いた。
 花は桜だけではなかった。レンギョウ・霧島ツツジ・椿・ナンテン・桃・ボケ等が目を楽しませてくれ、眼下には福島市街が見渡せ、遠くには雪を被った吾妻連峰が望めた。(写真:全山花咲く花見山)



   (眼下に福島市街。遥に吾妻連峰を望む)
 以下はこの日目にした花々である。花見山は、三春滝桜の様に、一本の大木があるのではなく、山全体が花・花・花という構成である。


    (レンギョウ・桜・桃の向こうに福島市街)


          (菜の花)

 
                                   (枝垂れ桜)

          (おかめ桜)


          (ユキヤナギ)


         (これは早い紅葉)


         (レンギョウと桜)


 この花見山は、1959年、土地の所有者阿部一郎さんが「花見山公園」と命名し、善意により無料公開を始め、2007年には、福島市市制100周年を記念して「福島市景観100選」に指定された。2010年には、外国観光団も含め、過去最高の32万人が来園という快挙も経験している。いずれにしろ阿部さんご一家の善意と尽力でここまでに
至った訳だが、昨年は3・11震災の影響では入園中止。久し振りの開放であった。
 軽い昼食を摂り、花見山を後に郡山ICから東北自動車道に乗り、東京に戻ってきた。天候とメンバーと花と地元の温かさに恵まれた、良き旅だった。(写真:ボケ)
 



開成山公園へ

2013年04月20日 | 

 郡山市内に開成山公園と名付けられた公園がある。福島県の桜の名所のひとつである。4月14日(日)、霞ヶ城からの帰路、その付近を通ると、凄い渋滞で、車道から見ても桜満開の様子がよくわかった。

 そこで、翌15日(月)はまずこの公園を訪ねることにした。公園内には、県営野球場や大きな池が点在する、総面積約30ヘクタールの広大な公園で、それを取り巻くように土塁が築かれていて、そこに多くの桜が植えられ、満開の時を迎えていたのだった。その見事さを眺めながら、公園内をゆったりと散策する。公園中央に高い塔が建てられていて、てっぺんには何やら動物の様なものの彫刻が見てとれる。4人、さて何かと、訝しげに思いながら接近すると、そこは「開拓の碑」で、動物は巨大な鳥だった。(写真:開成山公園の桜並木)


         (写真;広大な公園)

 その近辺の掲示板には「明治6年3月、開成社(阿部茂兵衛以下25名)がその開拓にあたり、灌漑用に土手の長さ860mの開成沼を造った。その後、明治11年に開成沼・五十鈴湖の土手に彼岸桜・山桜・染井吉野847本を植えた」とある。この公園が現在に至るまでに、安積(あさか)開拓の苦難の歴史と、桜により心慰めたであろう日々があったことを知る。
 「昭和9年に名勝天然記念物に指定され、全国に桜の名所として知られるようになった」とも。(写真:見事な桜樹)





 家人を除く3名は開成山大宮神社へと急いだが、家人は「郡山 水と緑の案内人の会」会員と話し込み、耳寄りな情報を得て来た。その一つは「安積疏水」のこと。猪苗代湖取水に端を発した疏水は標高差300mほどを下り、ここの開拓にも役だったという。多くは暗渠化されていて興味をそそられるが、今は知識吸収のみとする。
 二つめは「開成山大宮神社」のこと。安積開拓完成を祈願して、全国唯一と言われる伊勢大神宮に祀られている天照大御神を分霊勧請した神社だとのこと。(写真:開成山大宮入り口の枝垂れ)






 大宮神社にお参りした後、再度公園内をのんびりと散策した。満開の桜のもと、絵を描く高齢者のグループや、記念写真を撮る幼稚園児たち、手を繋いで歩むカップル、乳母車を押す二人。長閑さの象徴の様な風景があちこち見られ、私達も心満たされた。東京で見られる景色とは一味違う花見風景を後に、車は一路鶴ヶ城を目指した。(写真:幼稚園児達も散歩のひと時)

 

 


 
      (写真:公園内から望む安達太良山)