マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

”火のよ~じん”

2009年12月30日 | 身辺雑記

 12月29日、町内会の「防火・防犯パトロール隊」に初めて参加して来ました。昔で言う”火の用心”の見回りです。既に27日にはテントが張られ28日が初日。私は28日は参加出来ない状況でしたが、29日に参加可能と役員の方には伝えておきました。
 夜7時半には10数名の方が参集、8時の出発間際には20名ほどに膨れ上がり、長老数名を残し、2班に分かれて出発です。私はKOさんの組に入り、7名で町内会を廻ります。まず、KOさんが「火のよ~じん」と発声し、拍子木を叩き終わると、全員で「火のよ~じん、戸締りよ~じん、火のよ~じん」と大きな声を合わせます。小学生以来、数十年振りの体験です。寒い夜でしたが、それだけ空気は澄んでいて、声がよく通ります。町内会の路地全てに近いテリトリーを廻ります。普段は通らない、袋小路にも入り込み、声を合わせます。ご苦労様の声が返ってくることも。
 
 歳末の今、文京区の各町内会はテントを立て、夜回りをしています。

 夜回りの途中、まだ名前は知らない方が「今は枯れているが、この辺り、10年前まで水が流れていたんだよな」とひとりごこちました。私は「え!」と吃驚しました。日頃の散歩から、この辺りが少し窪んでいて、その谷地を辿って行くと、より高低差のある窪地へと続き、そこには一本の小川が流れていたと推測していたからです。古地図には現れてきません。私は「この辺りに井戸跡を発見したのですが」と、話を継ぎますと「この辺りには、湿地帯の名残があり、井戸は沢山ありましたよ」と。

 パトロール隊もこの話を面白がり、「そこへ案内してよ」と。町内会を一巡しての帰り道、数々の井戸の存在した辺りに回り道。私も気が付いた、丸い井戸跡が残り、路地脇には細い用水路がありました。「江岸寺」の門前には小さい橋跡と私が推理していた石組があり、そのことを訪ねると「そうです。この川は地図に出ていますよ」との話も聞けました。後日、その地図についてはお尋ねする積もりです。誰かが「だから寺名が江岸寺なのかな」とも。江岸寺にもお聞きしようと思います。”犬も歩けば棒に当たる”的成り行きに、私は満足していました。

 9時20分パトロールを終え、テント撤収。富士神社社務所での反省会へも、近年に無い多数の参加者だそうで、町内会今年最後の行事も無事終了しました。


ハプニング2つ

2009年12月30日 | 身辺雑記
 朝のラジオ体操時、2つのハプニングが起こりました。
 12月29日(火)、6時28分になっても”ラジカセの人”Sさんが姿を見せないのです。KAさんと私はご近所にあるSさんのお宅に急ぎました。まだ薄暗い時刻です。電気がついている様子はありません。戸を叩くのが躊躇われ、引き返してきて、困りました。既に15人ほどの方が集まり、6時半を過ぎています。
 急遽KAさんの体操に合わせて貰う事とし、”1、2、3、4”の掛け声をKOさんに頼みました。ところがKOさん、前日の”火の用心”の夜回りで声を嗄らし、発声がままなりません。そこで已む無く私が発声を担当して、俄か仕立ての”ラジオ体操”開始です。私、この様な役割、中学3年生の頃、O先生に命じられたやった記憶があります。50数年振りの経験です。皆さんぎこちない動作、上手くKAさんの動きに合いません。調子が狂うと次の動作も忘れてしまう様で、体操は散々の有様。ラジオとSさんの有難さ痛感しました。
 後刻、お宅に電話すると、「寝坊しまして。済みません」との事。殆ど起こらない事が起こりました。

 時系列では逆になりますが、そのSさんが、前日の12月28日に突然本を持参して下さり「差し上げます」との事。紙袋から出された本は『日本百名湯(上・下)』の2冊。「それではお借りします」とお答えすると、再度「いや、差し上げます」との事。「それでは」と喜んで頂く事にしました。ラジオ体操開始前の数分間の会話で、Sさんが温泉通である事は知っていました。逆に、私が山と温泉大好きな人間である事を、Sさんは気が付いていたのでしょう。
 この本は単に温泉紹介だけではなく、温泉に行き着くまでの山旅も併せ書かれています。著者の「美坂哲男」さんはあの「トムラウシ温泉」で”2000湯入湯達成”、で有名なお方。従兄弟とも親交があったと聞かせれていました。
 帰っ来て『100名湯』をざ~と眺めました。行った事のある温泉は35、知らない温泉も多々ありました。思い出して懐かしく感じる名湯も幾つかあり、その様な温泉の項は、暫し読み耽りました。
 今後この「100名湯」を訪ねる事は無理にしても、あと15の湯に出かけ、「50名湯」は完成したいなと、前向きな気持で眺め終わりました。

ご住職は同窓生

2009年12月29日 | 身辺雑記
 昨日(12月28日)で、母の告別式も滞りなく終わりました。ご住職とお話しする機会があり、お聞きすると同じ下目黒小学校のご出身と分かりました。妹と私も同じ小学校の卒業生。同窓生と分かると、ご住職が、少し身近に感じられました。かつてはPTA会長をつとめられたとか。共通に知る先生の名前も出て、会話は滑らかに進みました。

 菩提寺は、目黒にある「蟠龍寺」、通称”岩屋弁天”です。掘られた洞窟の奥に弁天様をおまつりする、山手七福神の一つ。東京で一番古くからある七福神は、谷中七福神か山手七福神の何れかでは無いかとの話も聞けました。谷中七福神は私の散歩コース内にあり、何時か訪れたいと思います。
 更に下目黒小学校はここ”岩屋弁天”が発祥の地、創立記念碑も立つとの事。不明にして知りませんでした。

 戒名に是非”酒”と言う文字を入れて欲しいという御仁が現れた折には「戒名に”酒”の文字は入れられません。何とか工夫しましょう」として”酔”と”法”の二文字を入れて”酒”に準じたとかのお話も聞けて、洒脱なお方だなとの思いの中で、時が流れて行きました。

 

年賀状

2009年12月27日 | 身辺雑記

 今年の年賀状は、12月23日~25日辺りに完成しようと考えていましたが、それが出来ない事になりました。そこで喪中の葉書を出そうかとも考えましたが、一歩遅かった感じ。来春の「寒中お見舞い」に変える事にしました。
 購入しておいた年賀葉書は不要になり、郵便局に電話して、普通の葉書に交換して欲しい旨を伝えたついでに、簡単に、不要となった理由を告げました。「その場合は、会葬通知があれば、手数料は不要です」との事。「いやまだ会葬通知は出来上がっていません。死亡診断書の写しならありますが」と答えると、「それでも構いません」との返事。
 かくして、無記入のお年玉付き年賀状は、手数料無しで、50円のインクジェット葉書に交換。これで、”寒中お見舞い”を申し上げる積もりです。

 今年の2月、都庁でアルバイトをしていたとき、隣席の正規職員の方から「ゆうぱっく同一あて先割引」なる制度を教えて頂きました。「差出日前1年以内に差し出されたゆうパックが、同一のあて先が記載されているゆうパックの控えを添えて差し出すと、1個につき50円割引をいたします」という制度です。持込割引による100円割引は知っていましたが、こちらの割引制度はそのとき初めて知りました。両制度は同時利用が可能。とすると600円のゆうパックは450円になります。私は「日本郵便」の回し者ではありませんが、この制度、他の制度と比較して、
知っておくとお得な制度の一つと認識しています。

 多分、知らないお得な制度が多々あることでしょう。知らないで物事が済んでしまうことの方が幸せ、
と言う方もいらっしゃる事でしょう。私は”知りたがり屋”のようです。


『天城山』(再びの百名山 その4)

2009年12月25日 | 再びの百名山

 今年の4月23日(木)~24日(金)、Tさんと二人で、伊豆の万二郎岳・万三郎岳に登ってきました。

 1960年代、家族3人で西小山のアパートで生活していた頃の隣の部屋の住民がTさん。同じ定時制高校に通った学友です。母の卒寿にもおいで頂き、通夜にもおいで下さるとの事。
 Tさんと初めて会ったのは、49年前の春、私が学んでいた定時制高校に彼が転校してきたとき。私は高校3年生でした。私は高校入学は1年遅れでしたが、彼は4年遅れ。転校してきたときには既に22歳。席が隣合わせでした。大学受験を志す日々に、英語得意の良き友に恵まれました。彼もまた大学受験を志す夜学生。隣の部屋が空き室になったとき、”机だけでなく部屋も隣に”とお誘いし、同じアパートの住民となりました。大学もⅡ部に進学の傍ら、高倍率のI BM中途採用の試験に合格。40年に及ぶ会社勤務も10年前に定年。今は充実した”余生”を送っています。私と共に旅した事も数々。今年は、初めて「百名山」にお誘いしました。

 第一日目 「東急ハーヴェストクラブ天城高原」宿泊
 第二日目 ハーヴェスト天城高原(マイクロバス:10分)→天城高原ゴルフ場→(徒歩:10分)→分岐→(徒歩:50分)→万二郎岳→(徒歩:35分)→石楠立→(徒歩:15分)→万三郎岳→(徒歩:25分)→十字路→(徒歩:1時間)→分岐→(徒歩:10分)→天城高原ゴルフ場→(バス:55分)→伊東

 この日天候は曇り、今にも雨が降りそうな空模様の中、出発しました。ただこの山々、原生林に囲まれていて、山中に入ると空の様子が気にならないほどの木々に覆われる中を歩みます。分岐を過ぎるころから歩みの調子も出てきて、緩やかな登りの中を快調に進みました。

 天城山とは特定の山を指すのではなく、白田山を中央火口丘として、万二郎岳、万三郎岳、箒木山、三筋山を外輪山とする山々の総称。今回の計画は万二郎・万三郎を回って登山起点に戻るというハイキング的山登りです。
 最初に天城山を縦走したのは、大学卒業を目前にした3月の卒業旅行、男子5人、女子3人の旅でした。(その中で二組のカップルが誕生。意味深い旅行でした)。


 石楠花はまだ開花していません。Tさん曰く「南国の雰囲気の濃い山だね」と。そうです、花の季節にはやや早かったものの、馬酔木やヒメシャラ、石楠花、ブナなどの林が続きます。5月中旬の花の季節では無い事が悔やまれます。程なく到着した万二郎岳から展望は得られませんが、少し下ると樹林が切れ、万三郎岳が望めました。
 ここから続くアセビのトンネルを抜けると石楠立。ここから先、万三郎岳までは石楠花のトンネル。頂上で軽食を摂りました。ここからの展望も叶いませんが、薄緑の原生林での森林浴に身も心も爽やかになりました。が、少し雨の気配を感じ、雨衣を着て、急ぎ足で登山起点に舞い戻りました。結局、道中雨には降られませんでした。下山の後、昼食に持参の焼きそばを食べ終わり、バスの人となりました。

 旧友との気楽な旅路、今後も続けたいとの思いを強くして帰ってきました。