マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

「文京リコーダーアンサンブル」を聴く

2017年04月29日 | 映画・美術・芝居・落語

  その女性のお名前は知らない。「本駒込地域活動センター」で何度も顔は合わせているが・・・。
 今は2ヶ月に1度だが、数年前までは「源氏の会」は月に2度、土曜の午前中に「センター4B室」を借りていた。隣り合うA室が音楽関係の団体。彼女とは、その練習時に会うこともあった。その場所は2ヶ月前に予約開始となるので、その日の朝にもよく会っていた。
 
希望の部屋が重なることもあり、籤を引き合ったこともあったような気がする。何時しか挨拶を交わすようになり、「隣での音がうるさいでしょう」とのお詫び方々、コンサートのお誘いを受けたこともあったが、出掛けてはいなかった。今年の2月に会場予約で会った時には“結成15周年コンサート”としての「文京リコーダーアンサンブル」のご案内を頂いた(右写真)。これは是非と、近くの「カトリック本郷教会」(聖ペトロ教会)に出掛けた。




 1週間前の土曜日に訪ねた「聖ペトロ教会」は我が家から徒歩4分ぐらいの至近距離にあるが、その建物の中に入ったことは無かった。コンサート会場は教会の3階の礼拝堂。その広さに目を瞠った。失礼ながら30名くらいの聴衆と思い込んでいたのだが、時間が経つにつれて参加者は増えていき、150名以上の方を前に演奏会は始まった。(写真:礼拝堂)








 演奏に先立ち、男女二人が登場し右写真の楽器を奏でた。微かな、柔らかい音が流れた。初めて聴く音。楽器の名前が紹介されたが聞き取れなかった。この会はHPを持っていて、後日、メールでその楽器の名前を問い合わせると、丁寧な返信が来て「ハンドベル」とのこと。1つのベルは1音程しか出すことができないので、曲を演奏するには、通常、2オクターブ(25個)から6オクターブ(73個)のベルを用意するそうで、この日は多分25個のハンドベルが用意されていた。

 演奏はリコーダーのみの、30名の演奏者。第1部では2曲を聴いた。私にも親しみやすいメロディが流れた。第3部との間で指揮者吉澤実氏のお話。各種楽器の演奏を交えての紹介で、笑いを誘う話だったが、よく聞き取れなかった。
 第3部では「カノン」「君をのせて」など5曲が演奏された。その3日前に第一生命ホールで聴いた管弦楽器と比較して、優しい音が流れていった。

 3日前の26日(水)「キャピタルコーヒ」のガレッジセールにコーヒを買いに行くと、凄い人込みから「あら!」と声を掛けられた。ご案内を下さった、件の女性だったが、未だお名前は知らない。”こまじいのうち”以降会話を交わす方が増えた。地域密着度が増している。


再び『お殿様の散歩道』を語る

2017年04月27日 | 歴史

 一昨日、2度目となる“お殿様の散歩道”のお話会が「こまじいのうち」で開催された。
 
「本駒込地域活動センター」(以下センター)で行われたお話会で『お殿様・・』を語ったのが131日。その翌日のラジオ体操のときだったか、大橋さんから「こまじいのうち」(以下こまじい)でも語ってもらえませんかとの話があった。大橋さんは「こまじい」の宣伝部長の様な方。私は「そこでは、プロジェクターとスクリーンの調達が難しいと思います」と返答した。
 「こまじい」と「センター」は緊密な関係にあり、「センター」からの調達でプロジェクターは何とかなりそうです。スクリーンは「こまじい」に大型テレビがありますとの話を聞いて、それなら大丈夫かと思い、お話をさせて頂くことにし、日程会議にも参加し、425日(火)開催を決めた。
 センターのプロジェクターとは別に、知人から借りたプロジェクターと「こまじい」の大型テレビとを接続しに出掛けてみると、テレビは思ったほど大きくはなく、かといってセンターのスクリーンは「こまじい」では大き過ぎる。迷いの日々が続いた。
 今勤務している大学院大学でスクリーンを組み立てたことを思い出し、その事がヒントになって、組み立て式スクリーンを自前で調達しようと決めた。ネットで調べると60インチで10800円のものが見つかった、注文した翌日には到着。早速、「こまじい」で映写実験。写りも大きさも申し分なく、これならいけるとの感触を抱き、後はPower Pointでの内容編集に専念した。
 前回よりも駒込付近に重点を置いた内容に変更し、更には、今回の編集の過程で初めて知った、山本松谷の画集『明治東京名所図会』から数点を新たに取り入れた。(写真:右図1は江戸川の夜桜)
 さて当日。一番気掛かりなことは、スクリーンに画像が写るかだ。これはいつも心配になることだが・・・。「こまじい」の技術面担当の山上さんにはこの面で大いに助けて頂いた。1240分には、そのお陰があってバッチリ画面は現れ、後は来場者を待つのみとなった。「こまじい」の1階はそれほど広くない。椅子席も用意され、20数名のもと、お話会はスタート。後半、時間内に終わらせようと些か焦ったが15時無事終了。果たして面白い話となったか否か、自信はない。

 今日のこのブログでは山本松谷に触れておきたい。彼は「御行の松」を描いていた(右図2)。更には、16/12/12のブログに登場させた「昔の神田川」の絵が実は松谷の筆になるものであることを知り、彼の作品集を図書館でオンライン検索すると『明治東京名所図会』がヒット。早速借りてきて驚いた。そこには明治後半の東京の生々しい風景が描かれていた。返却するのが惜しく(?)なり、ネットで古書店から購入した。定価5000円の画集は送料込みで2700円。(写真:図1 御行の松「)









 右写真図3は江戸川。「目白台下駒塚橋の景」として描かれている。道路と川面が接近しているのがよく分かる。”芭蕉庵”も登場させている。一番上の図1は「江戸川の夜桜」。こんな風に夜桜を楽しみたかったと思わせる一枚。下の図4は「駒込吉祥寺」。この絵に登場する大仏さんは現在の大仏さんと、参道に関して左右が入れ替わっている。この絵が描かれたのが明治40年11月。実はそれから6年後の大正2年に左側に遷座していたのだ。(写真:最下段図4)
 
図2の「御行の松」では、幟に書かれている文字が絵集でははっきり“霊雲寺二十一日講”と読めた。霊雲寺は文京区湯島にあるお寺。御行の松からそう遠くない。寺が21日に開催した講があったことも知った。(この話をお話会ではうっかり喋り忘れていた)。
 翌朝のラジオ体操時に、お世辞にも「第2弾も聴きたいです」などと言われ、一安心している。



「こまじいのうち」で”お殿様の散歩道”を語る

2017年04月25日 | 東京散歩

 今日は午後、「こまじいのうち」で”お殿様の散歩道”と題する話をしてきた。準備等も含め、些か疲れたので、その話は次回のブログに回すことにする。タイムリーなことに『CABLE GUIDE』5月号に「こまじいのうち」が紹介されていたので、その全文をお借りすることにする。


四月大歌舞伎を観る

2017年04月23日 | 映画・美術・芝居・落語

 もう2週間も前のことになってしまったが、9日(日)に、頂いたチケットで、歌舞伎座の「四月大歌舞伎」夜の部を見て来た。出し物は
 
一.   傾城反魂香(けいせいはんごんこう)
 
二.   桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)
 
三.   奴道成寺

 この3本の中では、「傾城反魂香」が非常に面白かった。1月の「新春浅草歌舞伎」でもこの演目を、坂東巳之助の浮世又平役で観て、筋書は知っていた。その時は、3階の最後列での観劇で、それと比較して、今回は席が良かったこともあるが、又平役が吉右衛門ということもあり、主人公が殊更お人好しに見えて、感情移入してこの芝居を観た。
 朝廷のお抱え絵師土佐将監光信(歌六)は帝の怒りをかい、山科の里に、弟子の土佐修理之助(中村錦之助)と共に蟄居している。浅草歌舞伎では、若手役者の取り纏め的存在として、又、『角力場』の濡髪長五郎役で、貫禄十分に見えていた錦之助が、この芝居では若々しい。流石、役者と感心する。

 物語は、主人公浮世又平の弟弟子の修理之助の才気が際立つように展開されていく。百姓達が、虎が村を荒らしていると訴えにくるが、光信は狩野元信が描いた虎に魂が宿り、抜け出したと推察する。修理之助が絵筆を取り墨を塗ると、虎は消えてしまう。光信は褒美として土佐光澄という名を与える。
 そこへやって来たのが、兄弟子の又平。生まれつき吃音の夫とは反対に女房おとく(菊之助)は饒舌で、夫の気持ちを察し、夫にも土佐の姓を与えて欲しいと光信に願い出るが、願いは叶えられない。
 又平夫婦が落胆するところへ狩野雅楽之助が、元信の主家の姫銀杏が監禁されたと駆け込んでくる。修理之助が姫の救出に向かうことを願いでると、光信はこれを許すが、又平は許されない。弟弟子との比較で一段低く見られる又平。観ている私も何でそこまで、と思える展開である。
 絶望した又平は死を決意し、夫の覚悟を悟ったおとくは、せめて自分の肖像画を描いてから自害するように勧める。手水鉢に自画像を描き上げると、その像は厚い石板を突き抜け、表側に沁み出てくる。その様子を私達観客は固唾を飲んで見守ることとなる。奇跡が起こったのだ。
 この絵を見た光信は、師に勝る絵師だと褒めて又平に土佐光起の名を与え、姫救出の加勢も命じ、北の方(東蔵)に裃と大小の刀を用意させる。紋服に着替えた又平は、おとくの鼓に合わせて舞い始める。謡うと吃音でなくなることを知っている女房の配慮。又平、いや、光起は勇んで出立し、吉右衛門は万雷の拍手を受けながらの幕。(写真:浅草歌舞伎のプログラムより。前の二人が又平とおとく))
 自分の気持ちを表現しきれずに苛立つ又平演じる吉右衛門と、代わりに出しゃばるまでに饒舌になるおとく演じる菊之助。この二人のからみを間近で楽しく観ました。


台湾エレメントコンサートを聴く

2017年04月21日 | 映画・美術・芝居・落語

 419日の一昨夜、第一生命ホールで「台湾エレメントコンサート」を聴いてきた。招いてくれたのは、大泉高校定時制での教え子大竹君。彼の妻さんが台湾出身で、その友人が台湾のロータリークラブに入会している関係でのチケットとのこと。詳しいことは分からない。チケットとチラシが届いたのが先週。届く前は台湾の楽団名のみを中心に知人・友人にお声かけていた。残念ながら、私が音楽関係の知識に詳しくなく、上手な説明が出来ていなかったこともあり、歌舞伎チケットほど敏感な反応はなかった。それでも最終的には私達も入れて6名(最終結果は5名となったが)の方とご一緒に管弦楽団の演奏を聴くことと相成った。
 私はコンサートそのものより、コンサート会場とその周辺により関心があった。
 本社6階にあった、旧第一生命ホールは37年間に渡る活動を終え、2001年に、晴海に建設された未来都市トリトンスクエアの4階に新たに誕生していた。この20年ほど勝鬨橋付近には全く行っていなかった私は、トリトンスクエアなど変貌を遂げた晴海の都市空間を覗いて見たかった。




  

 大江戸線「勝どき駅」で妻の友人2人と待ち合わせて会場に向かった。晴
海通りを真っすぐ海側に進み、朝潮運河に架かる黎明橋脇の”動く歩道”橋を渡ると、見慣れない高層のビル空間が拡がっていた。4人からは異口同音に「お上りさんになった見たい」。トリトンスクエア3階で夕食。このビルの中にレストラン街あり、OFFICEあり、音楽環境ありの複合ビルなのだ。
 
会場は収容人数767名と、あまり大きなホールではなく、オーバル(楕円形)方式になっていて、音響効果は非常に良いと思われた。会場内で何十年振りかで大竹夫人に会った。おっと、そう言ってはいけない。林露芬さんに会ったのだ。二人が結婚して間もなく、我が家に遊びに見えた時以来だから20年は経過したと思うが、何時頃だったかは思い出せない。まだ少女の面影を残した20代の露芬さん。 
 演奏は台北愛樂管弦楽団。チラシには「ヨーロッパで絶賛され、台湾のダイヤモンドと称されたオーケストラ、ついに日本初公演!」とあった。指揮者は林天吉(リン ティエン ジー)でマスターバイオンが蘇顕達(スゥシエンダー)。台湾では超有名で大活躍しているらしい二人を中心とした楽団。指揮者の熱の籠ったタクト振りに見惚れていると、アッいう間にチャイコフスキー「フィレンツェの思い出」を最後に演奏は終わっていた。大きな拍手と多分”アンコール”を意味する言葉が発せられた。
 「台日芸術交流音楽会」で、福島での演奏後晴海で開催されたのだった。

 
         (会場はほぼ満員)