マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

三月大歌舞伎で片岡仁左衛門の『河内山』を観る

2022年03月25日 | 映画・美術・芝居・落語

 悪役を演じる片岡仁左衛門を観たいとは思っていた。三月の歌舞伎座には仁左衛門の『河内山』がかかることを知り、3月18日二部のチケットを予約しておいた。
 芝居の話に入る前に、自分の愚かさと小さな発見を書いておこう。この日はやや強い雨が降っていた。その上最近ではとみに体力・脚力の弱って来た妻は自宅から徒歩で十数分はかかる三田線利用を避けたがっていた。そこで家から本郷三丁目まではタクシーを利用し、そこからは丸の内線を銀座で日比谷線に乗り換え東銀座へ。
 途中で気が付いたが、駒込富士前からの都バスに乗車し、御茶ノ水で地下鉄に乗り換えるのが最良であったと。下車すると目の前が地下鉄丸の内線の入口で、雨降りの中を歩かないで済むこのルートの方がはるかに良かった。帰りも地下鉄を乗り継いで御茶ノ水まで来ると、エレベーターで地上に出たところが都バスの停留所。駒込南口行都バスを駒込富士前で下車すればそこが自宅。歩くことが辛くなってきている妻にはこのルートがベストで、運賃の面でも往復336円は三田線を利用した場合の日比谷⇔東銀座間の往復料金と同額だった。同じ料金ならば御茶ノ水経由がベストと漸く気が付いたのだ。

 さて三月大歌舞伎。二部は『天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな) 河内山』と『芝浜革財布』の二本立て。
 『芝浜革財布』は落語『芝浜』を基にした芝居で、観劇は初めてだが、落語は志ん朝の語りをYou Tubeで聴いたことがあった。一説には、寄席で客から与えられた三つの題を盛り込んで即興の一席の話にまとめる“三題噺”として円朝が作ったとも言われているそうな。
 棒手振りの魚屋で生計を立てる政五郎(菊五郎)は芝浜で大枚の入った財布を拾う。女房おたつ(時蔵)の機転で財布を拾ったのは夢であったと思い込まされた政五郎が見違えるように働き始め、3年後には店を構えるほどになる。最後には女房から真相を打ち明けられる政五郎であったが、目出度しメデタシで幕となる。現代と変わらない言葉で会話が進む話は非常に分かりやすい人情噺だった。

 『河内山』では、お数寄屋坊主河内山宗俊(仁左衛門)が木刀を質草に質屋上州屋に法外の五十両の金を借りにくるところから舞台は始まる。双眼鏡で仁左衛門の表情を見ていたが、煙草を吸いながら黙って話を聞いている風情ながら相手を睨みつける眼光が凄かった。
 店の娘で松江出雲守の屋敷に奉公に出ていた浪路(千之助)が屋敷で難儀に遭っていることを知った河内山。礼金に二百両を差し出せば娘を救い出すと持ち掛け、前金百両を受け取り上州屋を後にする。
 河内山は松江邸へは寛永寺の使僧と偽って乗り込んでくる。浪路を返さないならば、この一件老中へ言上すると言葉をたたみかけて松江公を脅す。特にこの場面では法衣姿の河内山がすっきりとした姿で堂々と見えて来る。(右上の写真:右が仁左衛門、左は松江出雲守を演じる中村鴈治郎)
 細かい筋よりも、上品さと悪党を巧みに使い分ける河内山宗俊即ち仁左衛門をしっかと観ているだけで楽しい芝居だった。仁左衛門も既に78歳。昨年11月急逝された中村吉右衛門とほぼ同い年。観られるうちにその芸をと思いながら帰宅した。
 追記 1階2等席一番前での観劇だったが、この席は前が通路で観易いうえに非常に利用し易かった。早めのチケット予約でのみ確保出来る席らしい。
 
 
 
 

 


東京長浜観音堂へ

2022年03月04日 | 映画・美術・芝居・落語

 実は上野にあった「びわ湖長浜KANNON HOUSE」は2020年10月に閉館となってしまった。約2ヶ月毎に1度新たな観音様が長浜から上野へお出でになるという試みは、2016年3月の開設以来約7万人の人々を集めたそうな。私達も数回ここを訪れて観音様を拝観させて頂いた。
 上野の展示会場の代替として、2021年7月に、新たに日本橋に「東京長浜観音堂」が開設された。観音文化の保存伝承の支援者を得るため、長浜の観音像を出張展示するという趣旨だそうで、約2ヶ月ごとに観音像を入れ替え展示を行う予定とのことだった。
 滋賀県の北東部に位置する長浜市は「観音の里」として有名だ。それに惹かれて私達もここを訪れ、“観音巡り”をしたことがあった。
 この地では、平安時代から仏教文化が栄え、室町時代以降の戦乱のなかで、地域の人びとが観音像を田んぼに埋めるなどして大切に守り継いできたこと、現在もこの地域には100を超える観音像が点在し、住民の方々が本尊として世話をしていることなどを学んだ。
 はるばる長浜まで出向かないでも観音像を拝観できるとうい有難いイベントである。日本橋の方へ、最初にいらしたのは、南郷町にある聖観音立像だった。聖観音様は優しい眼差しで立っていらした。コロナ禍が一刻も早く収まることをのみを念じた。ところがである。夏に入り手強い第5波が襲来し、今年に入っては第6波のオミクロン株が凄まじい勢いで蔓延。この間、こちらに足を運ぶことはなかった。多分2度は見逃したことだろう。今年に入り送られて来たパンフレットには、1月12日~2月27日は、正妙寺の千手千足観音立像が展示とあった。更に詳しく読むと「開設期間中の最終展示」とあった。こちらも間もなく閉館と知って、最終日の2月27日(日)に日本橋まで出掛けたのだった。







 千足のある観音様を拝観したことはなかった。千本の手と千本の足を持つとういことで、他には例をみない観音様に興味が沸いた。不動明王を連想するような表情の観音様。上半身は裸形で腰に布を着し、両脚は膝頭を出して直立しておられる。説明文には「江戸期に創作されたものではなく、かつてこの寺に千足観音が伝わり、遥か昔、戦火に遭って後に復興されたものではないかと考えられる」とあった。
      
 コロナが収まったら行きたい所のトップには湖北地方がある。向こうからお出でにならなくなってしまったのは残念だが、今度はこちらからお参りをしたいものだ。


巻物「八景十境」の完全公開を観る(その2)

2022年02月25日 | 映画・美術・芝居・落語

 巻物の詩編に書かれている「備中太守太田君資宗」とは一体誰か。図録には次の様に説明されている。「江戸時代、現在の文京区千駄木一丁目ほぼ全域にあたる地域に屋敷を構えていたのは、大名・太田家です。武将太田道灌の系譜にあたり、八景十境詩巻作成の際、当主だったのが資宗(1600~1680)・・・」と。道灌から数えて5代目になる。
 詩文には「幕府四葉職役」とあるように彼は江戸幕府初期の重要な役割を担った大名の一人で、遠州浜松城の城主だった。藩主資宗が浜松に滞在していた夏、資宗の子・資次(すけつぐ)の招きに応じ、林羅山の子鷲峰が「駒籠別荘」を訪れ、そこで八景十境を見立て、資宗の依頼に応じて詩文を作成。詩編は1661年までには作成され、その後鷲峰の子・梅洞によって墨書された。
 巻末に「狩野牧心斎安信図之」とあるように、画巻を描いたのは狩野安信で、彼は狩野孝信の三男として京都に生まれた。兄の狩野探幽は江戸狩野の中心となり、安信は狩野宗家の養子となり狩野宗家を継いだ。詩編は寛文元(1661)年に作られたと書かれていることから、絵巻は1662年までの短期間に制作された可能性が高いとされている。
 ということは1662年頃の風景が描かれ、私たちはその頃の風景を目の当たりにするわけだ。本郷台地の東側にある上野台地の方が標高は低かったからこの地から上野の山も海岸線も見えたのだろう。 
                
             

 展示会場で一番最初に目に飛び込んで来たのが、図巻で冒頭に描かれている「東台池島」と題された風景(上の二枚の写真)。私はこの図が一番印象に残った。池は不忍池で島は現在の弁財天が祀られているところか?池の向こうの台地が上野台地だろう。それら全体は現在は上野公園となっている。五重塔も見えているがこれは谷中の五重塔ではなく上野の五重塔だろう。塔の右に見えるのは寛永寺だろうか、などと想像を逞しくした。
 詩文では次の説明文が書かれている。
 「台麓池中小翠塀
  漣漪百頃自清泠
  擘開江介竹生島
  移得君山浮洞庭」
 不忍池を洞庭湖に見立てるのは少し大げさのようにも思えるが・・・。


             

 「士峰積雪」では山脈と雲間の向こうに、雪の富士は神々しく描かれている。我がマンションも本郷台地の上にあるが、晴天の日には屋上から丹沢山脈を前景にしてこの様な風景が見られる。

 十景に描かれた庭園は台地から下る斜面と低地に造られたのだろう。「清徹泉」、「藤岸洞」、「葫蘆洲」、「松杉墩」、「白鳥沼」、「千竿塢」、「百花場」、「古
木林」、「錦楓径」、「翫月亭」と続く。後の世に、屋敷の一部は太田の原、太田の池と呼ばれる池や森などとなり、現在は「千駄木ふれあいの杜」と名付けられた森林となっている。
 ブログの読者の皆さんには来館をしての鑑賞をお勧めする。完全公開は来月の21日まで。入館料は一般で100円だが、65歳以上は無料です。


巻物「八景十境」の完全公開を観る(その1)

2022年02月18日 | 映画・美術・芝居・落語

 巻物「八景十境」は正確には「太田備牧(びぼく)駒籠別荘八景十境詩画巻」のことで、詩巻と画巻からなる二巻の巻物である。江戸時代の大名・太田資宗(すけむね。1600年~1680年)の駒込屋敷(現 文京区千駄木1丁目)からの眺めを「八景」、そして屋敷内の見どころを「十境」としたものである。
 図録には、詩は儒学者・林鷲峰(がほう)により詠まれ、その子梅洞(ばいどう)により墨書され、詩文をもとに制作されたと考えられる画巻は、絵師・狩野安信により描かれた、とある。

 詩巻の全長約6m、画巻の全長約11mからなる長大な作品は文京区の文化財に指定されているが、「文京ふるさと歴史館」の開館30周年を記念して、その全貌が特別展とて完全公開されたのであった。






 実は2020/2/16のブログは「本郷台地の東端を歩く」として、「千駄木ふれあいの杜」について書いていた。太田資宗の駒込屋敷の一部は現在では「千駄木ふれあいの杜」となり、杜の一角にはこの画巻の一部コピーが掲示されて、但し書きには区の指定有形文化財とあった。是非観たいものだとは思ったが叶わぬ願望だった。それがである。完全公開されると知り、これはと思い、勇んで2月10日(木)に観にいったのだった。あの雪の日で、今日ならば観覧者は少ないだろうと推測していたが、案の定、地下1階の会場には他に1名の方がいるのみで、ゆったりと、誰に邪魔されることなく両巻を観巻出来たのだった。


 安政時代の地図に「太田摂津守資巧」と書かれているのが駒込屋敷(白地の部分)で、近くには根津権現もあった。この屋敷の左側が本郷台地で右側が低地部分である。現在では、右端は薮下通りと呼ばれ、北にある塩見坂を上りきると、鴎外の住居だった「観潮楼」(現鴎外記念館)があった。その事からも推測出来るように、台地からの展望は素晴らしかっただろう。ここからの景色としての「八景」には東台池島(現、上野公園)・大洋層瀾(江戸の海岸線方面)・編戸晩煙(江戸市中)・湯島菅祠(湯島天満宮)・士峰積雪(富士山遠望)・武野平遠(武蔵野方面)・筑波岑蔚(つくばしんい 筑波山方面)・隅田長川(隅田川方面)が登場している。(以下次回に)


森鴎外著『ぢいさんばあさん』を読み、歌舞伎を観る(その2)

2021年12月31日 | 映画・美術・芝居・落語

 12月22日(水)、歌舞伎座で「十二月大歌舞伎」第二部を観て来た。14時30分開演の16時36分終演という短時間のプログラム構成で、コロナの影響か、今月同様、新春1月も3部での上演予定とのこと
 最後に歌舞伎座を訪れたのは3年以上前だった。コロナ禍もあるが、自前でチケットを用意しなければならなくなってからは足が遠のいていた。今回は観たい作品が上演されると知って気合が入り、珍しくチケットを購入した。妻がここの会員となっているので、その線でネット予約。座席は1階のやや後方ながら中央の観やすい席だった。
 暫く振りに訪れた歌舞伎座の座席を見て驚いた。概ね4割ほどの座席にロープが張られ、但し書きは何も無かったが、当然そこは着席禁止というコロナ対策で、二人で、又は一人で観劇するように座席が作られていた。

 二部の出し物は前半が『男女(めおと)道成寺』で後半が『ぢいさんばあさん』。『道成寺』で白拍子花子を演じ、『ぢいさんばあさん』ではぢいさん・伊織役の中村勘九郎が二部の中心を担っていた。
 『ぢいさんばあさん』は作・演出が宇野信夫で3幕構成。
 序幕は江戸番町美濃部伊織の屋敷
 二幕は京都鴨川口に近い料亭
 大詰も序幕と同じ美濃部伊織の屋敷
 
さて観る前に読んだ『ぢいさんばあさん』がどの様に上演されるかに非常に興味があった。原作と演出は細かい点で幾つかの相違はあったが、大きな筋立はほぼ同じ。原作はぢいさんとばあさんが仲良く暮らすに至った、波乱万丈な経過が物語られていたが、舞台では二人が再会する場面が最大の見せ場になっていた。再会までに37年という長い年月が経っていたことを、序幕と大詰の場面の対比で見事に表現していた。
 序幕 夫婦となった伊織(勘九郎)とるん(尾上菊之助)には正月に子供が生まれ、幸せに暮らしていた矢先、伊織は京都へ出立せねばならなくなってしまった。来年は植えて間もない桜が咲くのを一緒に見ようと約束する二人。
 二幕 ここで伊織は下嶋甚右衛門(坂東彦三郎)を殺めてしまう。
 大詰 離れ離れになってから37年経ったた今日、罪を許され再会の日に約束より早く着いてしまった伊織は見事に咲いた桜を感慨深く眺めていた。そこへ駕籠でやってきたるんは大きく様変わりしてしまった伊織を我が夫とは分からない。しかし昔から鼻を抑える癖のあった夫が今又鼻を抑えている動作を見て漸く夫と気付き、駆け寄って肩を抱き合うだった。







 私は
泣けてくるのではなく、ほのぼのとしてきた。二人の姿の大きな変わりようと桜の花の咲き様の差で37年という長い歳月の経過が語られていた。
 この舞台、何回も歌舞伎座で演じられ、2010年には仁左衛門の伊織と玉三郎のるんで上演されていた。残念ながら私は観ていなかった。
 又、先日義父中村吉右衛門が亡くなられた際のインタビューで号泣していた菊之助が懸命に努める舞台でもあった。
 今年はこれで。皆さま、良いお年をお迎えください。