マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

東京ドーム温泉『Spa LaQua』へ

2013年06月28日 | 銭湯

 我が家から徒歩25分以内の距離に、少なくも2つ温泉がある。一つは、かの北島康介を生んだ東京スイミングクラブに隣接する東京染井温泉「Sakura」。開店して8周年目を迎えている。宣伝文句は『地下1800mから湧出した温泉は、東京ではめずらしく無色透明。約1000万年前の地層から、天然のミネラルをたっぷり含んで浴槽に注がれると琥珀色に輝く』とあり、岩盤浴が可能。ここへは2度入浴した。
 もう一つが東京ドーム温泉「Spa LaQua」。こちらの宣伝文句は『地下1700mにある約400万年前の新生代第3世紀上総層から湧き出している天然温泉で、化石海水といわ、約3万年以上前の氷河期の海水が地中に閉じ込められたもの』とある。数十年前なら、こんなところに温泉が湧出するとは考えられなかったが、現在は掘削技術の進歩で、地下深くまで掘ったり、温泉の定義が緩やかになった為、温泉が都心にも登場する。
 どちらの温泉も、文京区民であることを有効に活用すると、お安く入れる仕組みがある。 

 6月24日(月)に出掛けたのが「Spa LaQua」で、3ヵ月に一度の割合でここにやって来る。塩分の割合が非常に高いため、保温効果が高いらしい。温泉そのものは、内湯に熱めの湯・温めの湯の2つ、サウナ2つ、水風呂2つ、それにジャグジー。露天にも温度差のある湯が二つ。温泉好きな私は、色々の湯に入れて満足度が高い温泉だ。
 勝浦で水風呂に入りだした影響があると思うが、冷水と熱めの湯に交互に入る「温冷交互浴」を真似し始めている。冷水は入る時は非常に冷たく感じるが、暫く経つと冷たさを感じなくなり、気持が良い。熱めの湯も銭湯の熱さに慣れた身体には熱さは殆どなんでもない。この「温冷交互浴は昔から健康法の一つとして知られ、そ
の効用としては、抹消血管が拡張し、血行がよくなるため、乳酸などの疲労物質他老廃物を排出しやすくなり、疲労回復に大きな効果があるとか。基礎代謝のアップやダイエット効果もあると言われているが、その点を信じるより、気持ち良い入浴法と感じ、銭湯でもたまに試みている。

 「Laqua」には昼寝にはもってこいのリラクゼイションルームやレストランなどもあるのだが、そちらは眺めるにとどめ。24日は余り長居せず、1時間半の入浴で帰って来た。




房総半島は「仏像半島」

2013年06月26日 | 映画・美術・芝居・落語

 千葉市立美術館が、房総半島を指して「仏像半島 ー房総の美しき仏たちー」と名付けた特別展を開催している。その意気込みやよし。世に知られない事実を知ってもらおうとの狙いを、十二分に果たせている展覧会だ。奈良時代から房総半島に仏像が伝えられ、以来数多くの仏像が造られてきたことを、私は全く知らなかった。何度もここを旅しながら・・・。

 今回もFさんからチケットを2枚頂いていた。市立千葉美術間は年会費2000円で友の会の会員となれ、当然全ての特別展も自由に観られるのだが、特別展の度ごと入場券が2枚送られてくるそうで、何んとも安価なお値段の美術館である。その恩恵に何時も浴しているのが私達。


 さて6月11日(火)、例によって私は都営新宿線本八幡を経由して千葉着。途中JR線内で家人と落ち合った。
以前のブログにも書いたが、ここの美術館は、かっての川崎銀行千葉支店の建物を包み込む様にして建築された11階建物の7・8階にある。9階にあるのがレストラン「かぼちゃわいん」。1000円で結構なランチが食されるので人気が高い。この日も12時ちょっと前に、暫く待たされての入店。私達の入店後は列が出来始めていた。

 昼食後の入館。展示室に集うは、房総半島各地から選りすぐられた仏像たち。正面入口直ぐに配置されていたのが、龍閣寺(印旛郡)の御本尊で重要文化財の[薬師如来坐像]。飛鳥時代後期、7世紀後半~8世紀前半に造られたと考えられている銅造の仏様。”関東の白鷗仏”と言われるそうで、飛鳥時代に、房総半島に白鷗様式の仏像が伝えられていたことに驚かされる。船便で奈良から安房の国に運ばれたのか?(写真:薬師如来坐像)


 続いて、目に飛び込んできたのが十二神将。東明寺(冨津市)の御本尊[薬師如来像]を守るかの様にぐるりとその回りを囲む。仏様は平安時代後期の作。
 長らく非公開であった秘仏や、新出の仏像が多数展示されていた「仏像半島」。その中でも、常灯寺(銚子市)の[薬師如来像:重文]、勝覚寺(山武市)の[四天王立像:千葉県指定文化財]や、小網寺(館山市)の[聖観音立像:館山市指定文化財]、などが強く印象に残った。今まで観て来た仏像に比較して、素朴で、やや荒削りな感じを私は抱いた。

 
  (常灯寺薬師如来坐像)      (東明寺:薬師如来像と十二神将像)

        
 (聖観音立像)          (二十八部衆立像及び風神・雷神像)


『花競べ』(著:朝井まかて 出版:講談社文庫)を読む

2013年06月24日 | 読書

 家人から勧められるままに読んだ時代小説、久し振りに面白かった。この数年に読んだ小説の中でもベストテンに入る面白さ。朝井まかてのデビュー作で、第3回小説現代長編新人賞奨励賞受賞作。

 時は文化文政期、所は向嶋を舞台に、小さな苗物屋「なずな屋」を営む新次・おりん夫婦が主人公の市井時代小説。
 主人公夫妻が実に良く描けている。新次は駒込染井にある霧島屋で修業をした経験があり、自然の良さを生かした育種・育苗を心掛ける、イケメンで無口な花師。その妻おりんは手習の師匠をしていただけあって物知りで頭の回転が速く、心根が優しい。脇役として登場するのが新次とは幼馴染みの留吉・お袖夫妻一家と、知り合いから預けられた子供の雀。更に大物問屋「上総屋」のご隠居六兵衛と孫の辰之助。


 
 「花競べ」とは、江戸中の花師が育苗の技を競い合う、3年に1度の祭り。六兵衛に懇願されそこへの出品をした折りや、注文を受けた大量の、桜草の小鉢を制作する過程で必ず邪魔に入るのが霧島屋の当主。それを夫婦の機転や周囲の助けで、何とか乗り切っていく、と言うのが物語の中心。
 実らなかった、淡い恋の物語が挿入される。新次が以前一緒に修行した、霧島屋の娘理世との再会と別れ。理世は、別れ際に、自分の生き方に擬えて「実さえ花さえ、その葉さえ、今生を限りと生きてこそ美しい」と告げて去っていく。この著作の最初の題名が『実さえ花さえ』だった事を考えると、ここに著者の強い思いがあると思う。
 

 最後の物語が「染井吉野」誕生に纏わる物語。吉原の火災で亡くなった花魁「吉野」に因んで「染井吉野」と名付けられた桜を詳細に観察して、新次はこう書きつけていた。
 『吉野桜 五弁の花びら、白に近い淡紅色
  花は三つ四つが鞠のように集まりて咲く
  葉より先に花開き 散り際の潔さは比類なし
 江戸彼岸と大島桜を親に持つ交配種と推察せり
 成長は速いが開花にすべての力を注ぎて蜜少なく
 結実することも稀で種を持たず
 自ら子を成す術を持たぬものなり
 これを殖やすには 台木に吉野桜の挿し芽を接ぐ方法のみ
 だだ、人のために咲く、
 なればこそ美しく、人の手を好む桜なり
』と。

 江戸時代を生きた庶民の哀歓が伝わってくる本作品発表から数年、著者は、江戸時代を題材に数冊を著わした。次を読んでみたくなる朝井まかて。宮部みゆきを彷彿させる。私には大ブレイクしそうな予感がする作家。
 要らぬお節介を。このブログをお読みで読書好きの方に絶対のお勧めの一冊です。
 


『江戸絵画の奇跡』を観る

2013年06月22日 | 映画・美術・芝居・落語

 6月11日(火)、”ファインバーグ・コレクション展”と副題のついた「江戸絵画の奇跡」を、江戸東京博物館で観て来た。江戸時代を華やかに彩る、俵屋宗達・与謝蕪村・円山応挙・伊藤若冲・酒井抱一など、名だたる絵師たちオールキャストの競演である。”江戸”博物館の名に相応しい、江戸絵画の壮大な展示。
 まず、驚かされるのが、個人の力でよくもここまで蒐集したなと思える、作品の数の多さと質の高さ。それも著名な絵師たちの肉筆画が幅広く展示されていた。行く前から大きな期待を抱いていたが、期待を遥かに越える内容であった。


 冒頭に「日本の皆さまへ」とする夫妻からの挨拶が紹介されていて、こうあった。
 『1970年代にニューヨークに住む二人の若いアメリカ人であった妻のベッツィーと私の目を開いてくれたものは、日本の江戸絵画でした。私たちには、わずかなお金しかなく、市内にあるメトロポリタン美術館という素晴らしい美術館は無料で入ることができました。この美術館で初めて日本美術に出会い、目が奪われ、心が震えるほど美しく、魅力的なまったく新しい世界を発見することができました』
 それから40年間、二人は、自分の感性を頼りに、江戸絵画や屏風の研究と蒐集に努めてきた。その中に、狩野派や土佐派など官画派の作品がほとんど含まれず、いわゆる”民間画派”と呼ばれる絵師たちの、自由で活気に満ちた肉筆画の作品が中心となっている。その感性を素晴らしいと思う。

 第1章「日本美のふるさと 琳派」では俵屋宗達・酒井抱一・鈴木其一
 第2章「中国文化へのあこがれ 文人画」では池大雅や与謝蕪村・谷文晁
 第3章「写生と装飾の融合 円山四条派」では応挙とその弟子たち
 第4章「大胆な発想と型破りな造形 奇想派」では狩野山雪・伊藤若冲・曾我蕭白
 第5章「都市生活の美化、理想化 浮世絵」では葛飾北斎
 という凄い顔ぶれ。

 中でも琳派の鈴木其一の作品と、谷文晁の作品に触れておきたい。鈴木其一は酒井抱一の弟子で、江戸琳派の事実上の後継者。最近は、琳派の特徴たる色彩豊かな絵画を何度か鑑賞して来たが、本展示で「大江山図」と「群鶴図屏風」を初めて観た。右図の「大江山図」は、滝を眺めながら、イケメンに身を変えた酒呑童子が愛姫に酌をさせ、川の下手では捕らわれ棄てられた姫が洗濯をするという物語性豊かな図が色彩鮮やかに描かれている。

















 そして「群鶴図屏風」。金地に青い渦巻き水紋、群をれなす鶴の構図。琳派に良く登場する構図を其一も描いていた。





 谷文晁の「秋夜名月図」も初めて観た。右の図は新聞紙上で紹介されていた図。図の中に「谷文晁」の印が大きく見える。文晁の自信作の表れとあった。秋のしみじみとした風情が感じられ、私は、こういう図が特に好きだ。
 展示替えがあり、6月18日から後期展示となった。ここのチケット1300円のところ、65歳以上の前売り券は450円。有難い事で、後期の部も合わせて前売りを買っておいた。後期の展示も楽しみである。
 



回文「びわあわび」

2013年06月20日 | 

 言葉遊びの一つに回文がある。上から読んでも下から読んでも同じ発音で、意味を為す言い回し。比較的有名な文をあげれば
 「竹藪やけた」 (たけやぶやけた)
 「野茂のものは野茂のもの」 (のものものはのものもの)
 「夏までまつな」 (なつまでまつな)
 等々。和歌にもあり、中国の漢詩(こちらは漢字の回文)にもある。だからと言って日本では「山本山」は回文とは言わないらしい。私の好きな回文は
 「数学解くガウス」 (すうがくとくがうす)
 今日の私の駄作は「で、イタリアに 私負けましたは ニアリ タイで」 (でいたりあにわたしまけましたは
にありたいで)
 
 そして、突然枇杷の話である。数年前、道の駅「とみうら」に寄った時、駅内にあった、「枇杷倶楽部」の枇杷尽くしに触発されて、再度訪れたいと家人と話したことがあった。房総半島に出掛けた折り、館山や勝浦で、活きのいい鮑を食したことが思い出され、家人がその枇杷と鮑を結びつけて、突然「びわあわび が回文になる」と言った。以来いつかは「びわあわび」の房総旅行をしたいと考えて数年が過ぎていた。今年2月、家人の友人のFさんのお宅を訪れた折りに、その計画が動き出した。6月18日(火)~19日(水)、宿泊を「ハーヴェストクラブ勝浦」に確保し、Fさんの車でドライブに出掛けた。

 

 6月18日(火)。11時、京成八千代台駅でFさんと待ち合わせ。彼女の運転で京葉道路に入り、市原IC下車。ここからは私が運転をすることにした。我が愛用するホンダのFitとは、ギアやサイドブレイキの位置が違っていて、運転前は一抹の不安があったが、簡単に慣れた。
 国道297号線を南下し、大多喜「城下町通り」沿いのお蕎麦屋「くらや」で遅い昼食。297号を更に南下し、道の駅「たけゆらの里」にも立ち寄り休息。城下町大多喜は、タケノコでも有名。
 夜、野趣・海の料理「かくい」に出掛けた。勝浦には50回は訪れていると思う。その内5回に1回はここに来る。数年前の中学のミニクラス会の宴会もここでやった。顔馴染みのお店はそう多数あるわけではないが、ここの女将、私の顔を見て「お久し振り」という顔をした。出された料理は魚尽くし。鮑の刺身もその一つ。しかし残念ながら、自らの胃力の弱さを思い知る。海を身近に見ての食事は野趣たっぷりなのだが数多くの料理を残してしまった。女将も納得した様な顔。

 6月19日、朝風呂から霞んだ海を眺めると、海岸は風雨荒れて波高し。そこで海岸沿いの道をやめて、297号線を北上。開通したばかりの圏央道鶴舞ICで高速道路に乗り、館山道終点富浦IC下車。道の駅はそこから2分。ウイークデーながらそれなりの混雑を見せている。2000年には「道の駅グランプリ 最優秀賞受賞」の実績もあり、各種メディアにも登場しているからだろう。枇杷が比較的お安い。私達はランチでパン食とし、そのジャムを味わった。流石に美味しい。果物そのものはお土産とし、新鮮なうちに味わっている。帰路は富浦から八千代台まで1時間25分という近さ。Fさんから「車を利用下さい」と言われ、旅の方法が広がった様な気がしている。かくして「びわあわび」の旅は終わった。