マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

夜回りパトロールに2日間参加

2012年12月30日 | 町内会

 フォーシーズンホテルのサービスで書き忘れたことがあった。チェックアウトが12時。11時まで滞在出来るホテル・旅館も増えて来ているが、チェックアウトは普通10時。朝食を終えてから12時まで、3時間ものんびり過ごせる時間があるのは、もの凄く快適。コーヒーを何杯も飲みながら、持参した「光圀伝」を殆ど読み終えた。

 その「フォーシーズン」から午後遅く帰宅し、夜は19時半から町内会の夜回りパトロールに参加した。”火の用心”である。集合後、テント内で軽く景気を付け、20時出発開始。この日はまだ参加者が少なく6名1班編成で、町内会の全てを回った。大通りのみならず、行き止まりの多い、細い路地まで1時間以上掛けて隈なく歩いた。防犯部長Kさんの”火のよ~じん”、(拍子木)カチカチの後全員で”戸締りよ~じん、火のよ~じん”、(拍子木)カチカチ。これを繰り返した。時折窓が空き「御苦労さま」の声が掛る。

 思えば私の町内会参加は”不純な”動機からだった。定年間近のある夜、帰宅を急ぐ本郷通り沿いにテントが張られていて、薄昏い通りのそこだけは明るく灯がともり、中から談笑の声が漏れ、楽しげな宴が察せられた。テントには「富士前町会」と書かれ、私の属する町会の、夜回りパトロール団だった。定年後暇になったら、私もその輪に加わりたいと思った。あれから10年以上が経過し、今私はその輪の端のほうにいる。

 翌12月29日(土)は2班編成で、私はその夜も部長のKさんと同じ班で夜回りを開始すると直ぐ、拍子木叩きを任された。初めての経験ではあったが、思い切り打ち鳴らすと、周りから「いい音だ」と煽てられ、気分よく、発声から最後の拍子木まで何度も繰り返し、40分の前半を終えた。
 後半は警察署長の訪問があるとのことで、防犯部長Kさんはその対応があり夜回りに参加出来ず、拍子木を私に渡して「宜しく」と言った。どう回るかを任された形で、その夜も路地の隅々を回った。「副部長、こっちも回ろう」の声が掛り、予定時刻オーバー覚悟で、希望する路地まで足を運んだ。「私は副部長でも何でもありませんよ」と付け加えると、法律に詳しい区議会議員の山本さん曰く「部長が宜しくと頼んだんだから代行だ」と。面白半分に私は代行と呼ばれ出した。そんな馬鹿話を交わしながら21時30分テントに帰ってきてから、テント撤収。その後の反省会には、このところ飲酒の機会が多く、身体状況に黄色ランプの点じた私は遠慮して、早々と帰宅した。


 


フォーシーズンホテルへ

2012年12月28日 | 身辺雑記

 朝日新聞に「フォーシーズンホテル椿山荘宿泊へ」の広告が載った。併せて今年限りでこのホテルの、椿山荘との共同経営からの撤退ともとれる内容の文があり、ネットで確認すると、来年1月1日からは「ホテル椿山荘東京」として生まれ変わることを知った。ホテルそのものが無くなる訳ではないが、建物内部の優雅さとともに、サービスの質の高さで知られる、このホテルへいつかは宿泊して見たいと思っていた私達は、撤退が如何にも残念に思え、”サヨナラバーゲン”的なこの機会を逃さずに清水の舞台から飛び降りようか思案した。(写真:フォーシーズンホテル全景)

 例年この時期は向丘高校の元同僚やその家族の皆さんと年末スキーに出掛けるのを常としていたが、諸般の事情で今年は取り止めとなり、年末には他に用事を入れておかなかったことも幸いした。お互いに用意しておいた蓄えの一部を宿泊費用に負担し、家政を楽にしようと、やや躊躇う家人の肩を押した。

 質の高いサービスとはどんなどんなものか?12月27日(木)~28日(金)に宿泊し、サービスの内容をじっくり見せて貰えた。部屋は45平方メートルと広かった。チェッイン数時間後にはもうルームサービスのメイドさん二人がやってきて、室内清掃と用品の補充をした。バスルームにもテレビが置いてあった。朝食はルームサービスが可能との事で、それを依頼したが、セット料金に変更はなかった。多くの従業員が働いているので、その対応がゆったりとしていて、心がこもった言動がここのサービスの本質かなと思う。(写真:ルームサービスの朝食)




 今回の宿泊で一番楽しみにしていたのは、早朝の椿山荘庭園の散歩。早朝6時に歩き始めようとするもまだ薄暗く、7時まで待って庭園に出た。三重塔への道すがら、花は深紅の山茶花と紫のホトトギスしか咲いていないが、花名や木名の札があちこちに見られ、椿の木が多い事を知らされる(あたりまえか)。”椿は春の木”、春3月に、神田川沿いの冠木門から入って、次回は椿鑑賞に再度訪れようと思いながらここを後にした。(写真:ホトトギス)




   (三重塔


生ビール一杯80円

2012年12月26日 | 身辺雑記

 12月16日(日)にMさん宅で行われたクリスマスパーティーの席上、Mさんから「生ビール中ジョッキ1杯80円で飲ませる店が水道橋にある」との話を聞いた。デフレ時代を象徴するような話で、最近この辺りに出掛ける頻度が増している私は、話の種に一度訪ねて見ようと、そのお店の在処を聞いた。水道橋から神保町に向かう途中、白山通りを左折後、右折・右折と記憶した。
 その二日後の12月18日(火)、勤務を終え、神保町にある教育会館に出向き、そこでの用事を済ませた後、後楽園方面への散策を兼ねて、件のお店を捜し始めた。神保町から水道橋に掛けての地理には自信があった。しかし30分以上捜しても、お店を見い出せず、断念して帰り始めた時に、全く偶然にMさんとばったり出会った。渡りに舟もいいところ。こんな偶然が待っていようとは。Mさんから詳しく話を聞き、お店の名前も「あひる」と確認した。出会った場所から僅か3分ほどで「あひる」に行きついた。それなりの店構えと立派な板塀。そこには「生中ジョッキ280円が80円 5杯飲んでも400円」と書かれた張り紙が。「学生さんはお断り」「テレビ等の取材お断り」の貼り紙も出されていた。

 12月20日(木)、この日が勤務打ち上げの私には解放感があり、福寿会のKさんと後楽園でボウリングを楽しんだ後、2日前に”調査済み”の、件のお店に向かった。開店17時の3分前にその日一番で入店。早速メニューを見た。看板に偽りのない事を確認して、ビールとツマミを注文した。私は、80円の生中ジョッキに嬉しくなったが、博愛精神旺盛なKさんは、生ビール一杯の後「安すぎて何だか悪いな」と、好きな日本酒(480円)に切り替えた。その日はその後、ツマミを数品注文し、ビールと同数くらいの日本酒も味わい、結局2人で〆て5200円。普段と同じ値段の飲み代となってしまった。日本酒をなみなみと注ぐ「なみなみ」が嬉しく、かつ店員の対応も良く、気分良く帰って来た。

 80円生ビールは人寄せパンダかと、行く以前から考えていた疑問を愚考した。翌日レシートを良く見るとお通し300円とある。注文をしないのに出されるお通し制度は如何にも日本的、疑問が多々あるが、今日はこの問題はパス。
 私の出した結論。80円ビルは人寄せの側面もあるだろうが、このお店上手に使えば、利用価値大。例えば生5杯(400円)+お通し(300円)+ツマミ1点(290円)の様に飲めば、1000円以下で生5杯。帰りに店内を見渡すと、勤め帰りのサラリーマンで大繁盛。生5杯飲んで2コインでお釣りの来るお店が水道橋にある、と頭の中を整理して、以後利用したいと思った。


『のぼうの城』を観る

2012年12月24日 | 映画・美術・芝居・落語

 12月21日(金)、池袋シネマ・ロサへ出掛け、久し振りの映画、「のぼうの城」を観た。1年以上前に小説を読み、石田三成軍の水攻めにも耐えた「忍城」に拍手喝采を送った。その小説が映画化されたと知り、是非映画見物にと心掛けていたが、漸く3日前に出掛けられた。特に、水攻めとその為に築かれた「石田堤」の様子を観てみたかった。

 痛快で実に面白い映画だった。
 時は今から400年ほど前。秀吉の天下統一目前の小田原攻め。豊臣軍に抵抗すべく、北条氏政は関東各地の支城に籠城を命じる。その支城の一つが忍城。総代表成田長親(野村萬斎)は武勇も智謀も持たない、でくのぼうの様な男。しかし、領民からは好かれ、「でくのぼう」を略して「のぼう様」と呼ばれ、親しまれる人物であった。作品名「のぼうの城」はそこに由来。
 当初、城主成田氏長(西村雅彦)は秀吉への降伏を決めていたが、石田三成軍の軍使長束正家(平岳夫)の傲慢な態度に怒った長親は、戦う決意を固め、開戦となる。
 二万超の軍勢を相手に、緒戦は地の利ある忍城側の圧勝。そこで三成は、近くを流れる利根川を利用した水攻めを敢行すべく、延長28kmに及ぶ、世に言う石田堤を建築。その堰が切って落とされ、水勢はもの物凄い迫力で農家や城に襲いかかる。C・Gが用いられたと思うが、かの大津波もこうであったかと思える様な破壊力で家・人・田畑を呑み込む。
 籠城側は本丸を除いて水に沈み、落城寸前。そこで長親は奇想天外の策に出る。城を囲む湖に舟を出し、敵兵の前で田楽踊りを舞うのであった。この野村萬斎の舞いが秀逸。敵・味方のみでなく観客も、とりもなおさず私も、この舞いに笑いころげ拍手喝采を送ったのだった。

 その後石田軍の仕打ちに怒った百姓が石田堤を破壊し、水は逆流し始めるが、小田原城は落城し戦いはこれまで。忍城は開城となるが、ここまで持ちこたえたのは北条軍で忍城のみ。
 史実に基づいた小説・映画化で、その石田堤の一部は埼玉県行田市に現存しているとの事。
 
 狂言師野村萬斎起用が大成功だ。いかにもでくのぼうの振る舞い。飄々とした演技。更に舟の上での田楽舞。適役だった。
 長々と築かれた堤・堰を切って流れる水勢・水浸しとなった田園風景、よくぞ映画化し得たなという映像に満足して映画館を後にした。


『ソロモンの偽証』(著:宮部みゆき 出版:新潮社)を読む

2012年12月22日 | 読書

 宮部みゆき作「ソロモンの偽証」Ⅰ・Ⅱ・Ⅲを漸く読了した。ページ総数2200ページ弱の大長編で、文京区図書館から借りたⅠ部「事件」を読み始めてから、勤務先中学の図書館のⅢ部「法廷」を読み終えるまでに2ヵ月ほどの月日が流れていた。 「小説新潮」に2002年10月号から2011年11月号まで連載された、原稿用紙にして4700枚の長編小説である。

 物語は、クリスマスの朝、学校の通用門そばで死んでいる中学2年生の男子生徒が発見されるところから始まる。1ヵ月前から不登校状態で、いじめられていたとの噂があり、クラスに仲の良い友人はいなかった。
 生徒の死は飛び降り自殺。警察の判断に両親も納得し、平常の学校生活が戻って来た頃、「本当は殺されたのです」と不良グループを名指しする告発状が学校などに届く・・・。昨今報道される「いじめ」が本書のテーマである。
 生徒の死によって混乱に陥った学校で、中学2年生の女生徒が「自分たちで真実を見つけ出そう。学内での模擬裁判を」と呼び掛け、同級生たちが賛同。中学3年の夏休みの1週間だけ学内裁判が始まる。

 登場する多数の中学生一人ひとりに、内面の思いを語らせる場面が多い。特に第Ⅲ部「法廷」が出色。現実には中学3年生が学内裁判を開催する事が出来るとは思えないが、筆者の力量が、このような裁判があっても可笑しくはないと思わせる展開が続く。生徒達の生き生きとした活躍が綴られていく。
 生徒の死は、自殺か事故か事件か、というミステリーを軸に、宮部は中学生の切実な思いを語らせたのだと私は思った。
 Ⅱ部「決意」を読み終えた時点で、謎解き解答を紙に書いて、家人と私、封筒に入れておいた。二人が読み終えた時点で開封。結果は家人が正解で私は真相を外した。

 小説誌で連載が始まったのが今から10年前。宮部は朝日新聞のインタビューに答えて「本が出る頃には、いじめの問題は解決されてもう古い話だと言われるのでは、と思っていました」と答えているが、現実には”大津事件”に象徴されるように、現在進行形の深刻な大問題である。
 この本は、今年度「このミステリーがすごい」と「週刊文春 ミステリー10」とに、第2位にランクインされた。(因みに第1位は横山秀夫「64(ロクヨン)」)