マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

『山月記』を聴く

2013年10月22日 | 映画・美術・芝居・落語

 「隴西(ろうせい)の李徴(りちょう)は博学才頴、天宝の末年、若くして名を虎榜(こぼう)に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃む所頗る厚く、賤史に甘んずるを潔しとしなかった」
 かたりと・北原久仁香さんは、正面の一点を凝視しつつ静かに語り始めた。

 10月12日(土)夜、旧安田楠雄邸で行われた「かたりと 和らいぶ」の会でのことである。”かたりと”の公演は今までに「奉教人の死」(著:芥川龍之介)・「恋愛小説」(著:北村薫)・「高瀬舟」(著:森鴎外)と3回聴いて来た。教科書にも登場する、主として、近代文学の短編作品を、時に、筝の演奏を交えての語り。その幻想的な世界に引き込まれつつあった。今回は、中島敦作の「山月記」。何度か読んだ作品であり、特に、どの様に語られるのかに興味抱いて、家人と二人旧安田邸を訪れたのだった。


           (かたりの舞台と客席の一部)


     (津軽三味線:小池純一郎)


          (箏:山田雅生)

 聴衆は40人を超えていただろう。見事なかたり、だった。今まで聴いたなかでも特に聴き応えがあった。静かに語り始められた物語は、しかし、李徴の思いを語る段になると、気持ちの吐露に、時に激しく、時に物哀しく変化する。50分にも及ぶ作品を殆どミスなく語り通す。芸人だから当たり前とも云えるが、その記憶力と集中力には感心するばかり。珍しく一ヶ所、言い淀んだのはご愛嬌か。授業で扱ったことも含めて40回はこの物語を読んで来た家人は、その場面で”あっ”と思ったと終演後語っていた。(写真:かたりでの張り詰めた表情)




 今までと違う点は、語られた地の文のワンセンテンスを易しく説明する語りが直ぐ後に続き、これが数回繰り返されて、このまま最後まで続くのかとやや不安を覚えたが、3センテンスほどで終わったのは良かったと思う。津軽三味線は小池純一郎・箏は山田雅生。
 今後も、表現の端正な起伏のある作品を探り当てて、かたりの場に登場させて欲しいとは、家人と私の共通の思いである。(写真:障子を開けるとると、李徴の今のおもいを、即興に読んだ詩が現れるという趣向)
  

 
 
 
          (語りを終えて)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。