2月26日に書いた「『弦巻川』暗渠を下る(その1)」の続きです。
今「東京1/1万 市街道路地図帖」を眺めている。弦巻川暗渠は、明治通りからは、首都高5号池袋線の護国寺付近にかけて、他の幹線道路と交わることなく、ゆるかな曲線を描き、最後は円弧の様な流路に変って高速道路まで下っている事が読み取れる。その間、都電とは雑司ヶ谷3丁目近辺で交差。
その都電と交差するところ大鳥神社がある。そこまでの道が参道となっている。道を一本隔てて、寺町の様に、蓮光院・玄静院・観静院など、幾つものお寺さんが存在し、当日はそのうち雑司ヶ谷七福神(弁財天)の一つ「観静院」にお参りをした。更に歩むと巨大な建物が見えて来た。さて何だろうと興味津々の思いで急ぎ足となり、辿り着くと「東京音楽大学」の校舎。創立100周年を記念して、2007年に校舎改築が行われ、実に立派な建物に建て替えられた事を知る。(写真:観静院境内)
(東京音楽大学校舎)
(写真:左上のサンシャインを背景に早稲田へ向かう都電)
大鳥神社境内には弦巻川の暗渠化の記念碑が造られていて、1932年(昭和7年)に暗渠化した旨記されていた。(写真:暗渠化いわれの書かれた記念碑)
都電を越え、雑司ヶ谷1丁目と2丁目の間を進む。この辺りまで来ると、明らかに窪地を歩んでいることが分かる。左手は豊島の台地で、右手が目白台の台地。雑司ヶ谷の谷の真っただ中までやって来た訳で、特に行く手左側には急な坂が幾つも登場する。そのうちの一つに寄り道し「建立院」にもお参り。ここも七福神(毘沙門天)の一つで、弦巻川に掛っていた木村橋跡の碑が建立されていた。(写真:建立院)
更に進むと、この通り唯一の商店街「弦巻通り商友会」が現れた。まだ10時少し前、開いている店は少ないし、そう賑やかな商店街とも思えないが、付近の方達の生活物資を調達する上で大切な店が10数店。四谷の谷を歩いた時もそうだったが、暗渠沿いには細々とした営業ながら、地域に溶け込んだかに見える商店街がある。郷愁を誘う、好きな光景の一つである。
商店街を過ぎると道が細くなった様に感じられ、台地を見上げると一層高い。如何にも暗渠といった風情の曲がりくねった道となる。路地裏で見つけたのが「掘り抜き井戸」。パイプから自然に水が流れ出す自噴井戸で、地下水位が浅いことがうかがえる。ここより下流はホタルの名所だったとか。しかし、現在では昔を忍ぶよすがは何もない。昔を今になすよしもがな。(写真:如何にも暗渠といった細道)
(写真:自然に水が湧く井戸)
弦巻川は、護国寺からは寺を背にして南に下り、江戸川橋で神田川に流れ注いでいた。